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青空顎門

一 並行世界の妹⑤

「な、何?」
「レオン!?」

 その言葉は徹だけでなく佳撫をも驚愕させたようだった。
 隣で彼女は愕然とした表情で腕輪を見詰めている。

「そ、そんな話、わたしは聞いていません! どういうことですか!?」
『単なる保険だ』

 繋いでいた手を離し、立ち上がって叫ぶ佳撫に対してレオンは平坦に返す。

「そんなの、脅しじゃないですか!」
『俺達の知る徹であれば、このようなことは脅しにならない。何故なら、奴は敵から逃げるような真似は絶対にしないからだ。それを姫子も信じている。そして、俺の使い手ならば、敵を前にして尻尾を巻いて逃げ出すことは許さない』

 レオンが言葉を切るや否や腕輪が青く発光し始め、次の瞬間、彼は再びあの外人然とした人型になって現れた。
 異様に高い背から見下ろされる瞳が、その冷たい言葉と相まって強烈な威圧感を放っている。

「血戦は四日後。明日から森羅にて鍛錬をし、対策を練る。覚悟を決めておけ」

 彼は背を向けて、さらに有無を言わさぬ口調で続ける。

「俺の使用はこちらで判断させて貰う。弱者に力を与えること程、危険なことはないからな。必要があれば願え。俺が是非を判断して即座に応えてやる。まあ、当然のことだが、滅多なことでは許可しないがな」

 そして、屋根裏で待機する、と簡潔に告げてレオンは居間から出ていった。
 そんな彼の背中は反論を許さないと突き放すような拒絶に満ちていて、徹は佳撫と並んで呆然と見送ることしかできなかった。
 しばらくの沈黙の後、佳撫が崩れるようにソファーに座り込む。

「わたしは……大馬鹿者です。姫子さんやレオンの様子を見れば、こうなるかもしれないと予測できたはずなのに」

 弱々しく言葉を発した佳撫は、表情を後悔に歪ませて項垂れてしまった。

「わたしが二人にはっきりと断ればよかったんです。でも、わたしも兄様がいなくなって寂しかったから……」
「佳撫……」

 太股に乗せた握り拳へと視線を落とし、自分を責めて肩を震わせる佳撫を前にしたことで徹は冷静さを若干取り戻し、幾分か現状の整理を行うことができていた。
 少なくとも彼女が今更何を悔いようと四日後に危機が待ち、避ける訳にはいかないことに変わりはない。しかし、徹は佳撫を責める気にはなれなかった。
 死んだ誰かに会いたいと思う気持ちを否定することはできない。
 そんなことは不可能だと分かっているから誰も望まないだけで、僅かでも可能性があるのならば、残された者はその方法に縋りたいと思うに違いないから。
 今回の場合は本人であって本人でないため、結果は失敗としか言いようがないが。

「やってしまったことは……もう、仕方がない」

 俯いたままの佳撫の頭に手を乗せながら言う。
 内容を振り返れば取り乱して然るべき状態かもしれない。
 しかし、突然一方的に告げられたせいか現実味が乏しく、まだ我がこととして受け止め切れていないことが逆に冷静さを保たせてくれているようだ。

「とにかく佳撫。一緒に考えよう。できれば俺が戦わずに済む方法を。最悪、優司と戦っても生き残れる方法を」

 最初に回避する方向で考えようとしている辺り、やはり自分は軟弱者なのだろう。
 そう思いながらも、徹は気丈を装って佳撫に真っ直ぐな瞳を向けた。

「兄様……はい」

 それで彼女も多少は落ち着いたようで、小さく頷いてくれる。
 今日会ったばかりの妹だが、徹はどうにも彼女に辛い表情をさせたくなかった。
 もしかしたら、十三年前の妹の死がトラウマ的に無意識の部分で尾を引いているのかもしれない。漠然とした悲しみの感情以外、記憶は余りないのだが。

「しかし、どうすればいいか」

 さすがに無策で戦わせられることはないはずだが、それを絶対的に信頼することはできない。
 勝算が〇%から一〇%になった程度の策だったとしても、それ以下の策だったとしても、十分だと考えられているかもしれないのだから。
 だとしても、この世界の誰かが犠牲になる以上、逃げ出す訳にはいかない。
 代役を立てるのも難しいに違いない。
 では、戦う相手に命乞いをするのはどうか。
 だが、果たしてそれが通用する相手なのか。……ほぼ確実に無理だろう。

 一応一つの手として、レオンを打ち倒すことで脅しを成り立たせなくする、というのも考えられるかもしれない。
 しかし、もしそれが容易く行えるのなら、四日後の戦いにも勝てそうな気がする。
 ハッキリ言って現在持っている情報から考えると八方塞だ。
 どうあっても戦わずに済むことはないだろう。
 徹はそう思い、頭を乱暴にかいて佳撫に視線を向けた。
 どうやら彼女も同じ袋小路に入っていたようで、また表情を暗くしていた。

「佳撫……ん?」

 そんな彼女に言葉をかけようとしたところで、家の駐車スペースに見慣れた軽自動車が止まった。
 ドアの開け閉めの雰囲気からも、母親が帰ってきたとすぐに分かる。

「たっだいまー」
 それから少しして微妙に高いテンションで入ってきたのは、やはり徹の母親である双海里佳だった。
 いつも通りスーパーで買い物をしてきたようで、持っていくと二円引きになるというエコバッグの中で食材のパックのビニールが擦れる音が聞こえてくる。

「ん? こ、これって……」

 彼女は何かに気づいて動きを止めたらしく、ほんの一瞬だけ家に静寂が戻る。
 が、次の瞬間、里佳は輪をかけて高いテンションで言葉を発し始めた。

「お、おおお、と、徹が遂にガールフレンドを家に連れ込んだ!?」

 どたどたと廊下を駆けてくる足音。次いで勢いよく開け放たれるリビングの扉。

「って、んん? 何よ何よ、この通夜みたいな雰囲気は。……もしかして功を焦って引っ叩かれでもしたの?」

 言葉の内容とは対照的に、何故か楽しそうににやついている里佳に、徹は頭が痛くなって思わず深く深く溜息をついてしまった。彼女は手ぶらで、どうやら慌てる余り買ってきたものを玄関に放置してきたようだ。
 そのテンションの高さと童顔風味の顔、子供っぽい表情、細身の体型で周囲の人達からは比較的若く見られるようだが、既に四〇代も半ばに差しかかっている。
 四捨五入すればまだ四〇歳だ、と彼女はよく言っているが、来年には四捨五入すれば五〇になってしまうため、そんなサバ読みも使えなくなる。
 次は切り捨てだろうか。

「まあ、あんたにそういう方向の度胸はないだろうけど……って言うか、本当に誰よ、この和装の似合う可愛らしい子は」

 微妙に真剣に、少し訝るような視線を佳撫に向ける里佳。

「か、母様……」

 対して佳撫は今にも泣き出しそうな表情で里佳を見詰めた。

「は? 母様? ……え、何? もしかして、結婚の約束までしちゃったの?」

 里佳は思い切り勘違いをしているらしく、深刻そうな表情になってしまった。
 深刻そうなのに、どこか面白がっているように見えるのは気のせいだろうか。

「高校生で結婚はさすがに……って、まさか既に責任を取らなきゃいけないような事態に!?」
「い、いや、その、佳撫は――」

 更に明後日の方向に突っ走っていく内容は、さすがに故意の思い違いと信じたい。
 しかし、そうだとしても佳撫の前では決まりが悪過ぎるため、徹は盛大に焦りながら何とか言い訳しようとした。

「佳撫?」

 対して里佳は徹のしどろもどろの言葉にぴくりと反応し、怪訝そうに佳撫の顔を穴が開きそうな程じっと見詰めた。

「佳撫……それにこの顔、あたしの若い頃に……そんな、まさか」

 ぽつぽつと推測を口に出しつつも、その表情は当然ながら自分自身の想定に否定的なものだった。この状況から即座に正しい答えに至れる者などいる訳がない。
 しかし、その里佳の言葉で、徹は自分が佳撫を妹としてすぐに受け入れられた理由が分かった気がした。
 こうして近くにいる二人を見比べると、確かに似ている部分がある。

「いや、うん、あり得な――」
「母様!」

 戸惑いながらも最終的には自分の常識を信じた判断を下そうとしていた里佳に、佳撫が猛烈な勢いで抱き着いた。

「母様、母様ぁ!」
「うわ、え、ちょっと、何?」

 出会った時のように感極まって涙を零してしまった佳撫に、普段はマイペースな里佳も混乱してしまったようだ。
 しかし、佳撫を突き放すような真似もできないらしく、そのままの体勢で固まって視線で助けを求めてくる。

「佳撫。母さんが困ってるから」
「あ……はい。兄様」

 さすがに見兼ねて彼女の肩をトントンと軽く叩くと、佳撫ははっとしたように里佳から離れて涙を拭い、ばつが悪そうに徹の影に隠れてしまった。

「兄様? ……徹、どういう訳か、説明してくれる?」

 呟かれた佳撫の言葉を耳聡く拾い、嘘は許さない、と言外に告げるような真剣で鋭い目を徹に向けて里佳は尋ねてきた。
 そんな母親の様子に気圧されたのか、佳撫は怯んだように上着の裾を掴んでくる。

「佳撫、いいか?」

 そんな佳撫の頭に手を置いてそう問うと、はい、と彼女は小さく頷いた。
 そして、徹は里佳に一つずつ丁寧に今日体験したことを話した。
 佳撫との出会い。彼女の正体。森羅という世界。符号呪法という力。別世界の姫子と優司のこと。四日後に待つ血戦。その全てを包み隠さず。
 里佳は静かに耳を傾け、徹が話し終えるまでの間、一言も口を挟まなかった。

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