阿頼耶識エクスチェンジ

青空顎門

四 菴摩羅⑤

「成程。これなら防げるか。だが、人型の体でこの重量を扱うのは、やはり難しい。合理的ではない。動きがかなり鈍る」

 ぎこちない動きで目の高さに上げた右腕の装甲を見詰めながら、菴摩羅は呟いた。
 その挙動から、その装甲が他の三体を守っていたものよりも遥かに強い重力の束縛を受けているのが分かる。
 剣を折られたショックが抜け切らず、連示はそれをどこか他人事のようにただ視界の中に入れていた。が、すぐに我を取り戻してその場から飛び退く。

「やはり人間はどこまでも非合理な存在だな。……しかし、我々はお前達のあり方を否定はすまい。不完全である以上、それは仕方のないことだからな。だが、生命の、存在の摂理、適者生存の理を前に、非合理なお前達は滅びるしかない。それは覆せない事実だ」

 そう言い放った瞬間、菴摩羅は糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちてしまった。

「な、何?」

 戸惑う末那の声に重なるように、どこからか何か機械が駆動を開始するような不気味な音が聞こえ始める。
 ここに来て、連示は先程の火輪の言葉を思い出していた。
 振り返れば、菴摩羅自身もこれまで遭遇したガードロボット達と同様に、自ら攻撃をしてきていない。更には、まるで捨てられたように突然倒れた菴摩羅。
 もしかすると、これまで収集した阿頼耶のデータの確認を終え、本格的に攻勢に出る前触れなのではないか。
 次の瞬間、その連示の予感は的中した。
 正面に配置されていたコンテナが寒気立つような音を立てて内側から破られ、その中から連示の倍以上もありそうな巨躯が姿を見せた。
 後方で末那が小さく悲鳴を上げて後退りするのが感じ取れる。
 その存在から最初に受けた印象は戦車。しかし、全体を先の装甲に似たもので覆ったそれの威容は、移動要塞とでも表現した方がいいかもしれない。
 それは数門の重火器を四方に向け、その上部には対象を破壊するためだけにあると分かる巨大なマニピュレーターが四基、その鋭利な爪を晒している。
 移動機構は装甲で覆われており、戦車らしい無限軌道ではないことしか分からなかった。

「末那、火輪。コンテナの陰に隠れるんだ!」

 明らかにあの装甲は紅白両方の刃を退けたものと同じだ。
 となれば、二人が持つ銃器程度で対応できるとは思えない。
 それは連示も同じだが、少なくとも単純な身体性能は二人よりは上のはずだ。

「で、でも、連示君!」
「私達がいればむしろ連示の邪魔になる。可能性があるのは阿頼耶の体の性能だけ」

 火輪に引きずられるようにして、末那は入口近くにあるコンテナの陰へと向かった。
 納得していないのは顔を見れば分かるが、それでも彼女をこれ以上危険には晒せない。
 しかし、正直、連示は半ば絶望的な気持ちになっていた。
 それでも、ここで敗北すれば人間は社会から排除され、絶滅に追い込まれ、ひたすらに合理的なだけの世界が近づいてしまうかもしれないのだ。それを認める訳にはいかない。
 そう自らを鼓舞して菴摩羅を睨む。
 いつの間にか元の人間らしい状態に戻りながら、しかし、剣を失ったために軽く感じる腕に力を込め、その手を強く握り締めて。

「人間如きの力はもはや問題ではない。LORの下らない計画によって軍事力すらも失いつつあるのだからな。最大の障害は愚かにも非合理な人間に加担するミラージュのみ。これはそれを抹殺するための、我々の新たな体だ」

 菴摩羅の言葉がスピーカーを通したような声で聞こえてくる。

「人間の手を借りなければ満足に戦うことすらできないミラージュ。それをして尚、全ての性能を発揮できないお前達に、勝機は、ない」

 そして、菴摩羅は行動を開始した。重機関銃が連示へと狙いを定め、阿頼耶の視覚がそれを察知し、行動の最適化によって回避法を示す。
 連示はそれに従って地面を蹴り、末那や火輪がいる方向とは逆へと走り、その先にあったコンテナを盾に弾雨をやり過ごした。
 そのまま聴覚を始めとする阿頼耶の五感をフルに使用し、菴摩羅の位置を特定。
 絶え間なく発射される弾丸がコンテナを破壊し尽くす前に、そこから飛び出して左手のサーマルガンで装甲と装甲の繋ぎ目を正確に狙い撃った。
 しかし、やはりそれは容易く弾かれてしまった。
 人型だった菴摩羅の、脆い方の装甲にすら効かなかった武装は、この要塞には当然のように意味がないようだ。それでも今連示が使える武器はそれしかなかった。
 敵の銃口の向きから弾道が自動で計算され、行動の最適化に指示されるままに場を駆け続ける。そして、重火器の動きと自分の位置、発射感覚から接近のチャンスを得た。
 示された道に従って弾丸が激しく飛び交う中を縫って一気に距離を詰め、地面を蹴って高く跳躍。菴摩羅を駆け上り、人間で言えば頭部と思しき場所に辿り着く。
 そこでサーマルガンを構え、ほぼ零距離から弾丸を放った。

「くっ」

 だが、それもまた相手には全く効果なく、むしろその衝撃でサーマルガンに不具合が出てしまった。もはやこの武装も使えない。
 そもそも、この距離から撃って無傷な以上、相手に有効な武器でもないが。

「よく足掻く。生への執着。種族への執着か」

 菴摩羅の言葉が終わった次の瞬間、阿頼耶の知覚が強い警戒を放ち、連示はその場から飛び降りた。と、一瞬前に連示がいた場所を菴摩羅のマニピュレーター、その鋭い爪が通り過ぎていった。
 そこに留まっていたら、確実に砕け散っていただろう。誇張ではなく言葉通りに。
 空気すらも砕いて進むかのようなそれの重量感から容易く予測できる。

「だが、そろそろ終わりにしよう。もはやミラージュの機体性能は、理解した」

 その声と同時に菴摩羅が遂に移動を開始する。
 大きさを比較すれば圧倒的に小回りが利くはずの連示の動きに合わせた、異様なまでに滑らかな動き。それはまるで地面を滑っているかのようだ。
 装甲に阻まれてその仕組みを外見から把握することはできなかったが、三六〇度自由自在に移動可能なことは視覚的に分かる。
 移動機構の動き、重機関銃の向き、マニピュレーターの位置。その複合的な動作に、頼みの綱である行動の最適化も徐々に追い詰められていく。
 将棋かチェスでもしているかのように、ひたすらに論理的に逃げ場を少しずつ奪われていく。それは阿頼耶の身体的な性能が相手の性能に負けている確固たる証拠。
 敗北は時間の問題だった。

『くそ、駄目、なのか』

 連示自身の予測でも阿頼耶の体を破壊される未来しか浮かばず、連示の心は屈しかけていた。阿頼耶に対してそのような弱音を吐いてしまう程に。

『ご主人様! 理詰めで、合理性を追求して戦っては駄目です! 幻影人格同士で論理の檻に囚われれば、確実にその時点での性能差によって負けてしまいます!』
『で、でも、どうすれば』

 重火器から発せられる弾丸を囮に振り下ろされた堅強な爪を間一髪で避ける。
 それは倉庫の床を抉り取り、瓦礫の雨を遠くに降らせた。
 焦燥感で集中力を欠き、阿頼耶の言葉に注意を向けながらもその一撃を回避できたことに僅かばかり安堵してしまい、
 それが決定的な隙を生む。
 そして、その隙を狙い、別の爪が襲いかかってきた。

「しまっ――」

 行動の最適化でも間に合わない最悪のタイミング。
 もはや、この体を打ち砕かれる未来しかない。
 そのはずだったが……。

「危ない!」

 その末那の叫び声が耳に届いた瞬間には、連示は彼女に突き飛ばされていた。
 いつの間にか、菴摩羅に追い込まれるように末那達の傍にまで来てしまっていたのだ。
 その事実に気づくより早く、機械が、それを構成する金属が押し潰され、歪み、破壊される音がその場に響き渡った。
 連示はそれを目の前で聞いていたにもかかわらず、その意味と光景を理解できずにいた。
 いや、理解を拒否していた。
 菴摩羅の爪は末那の胸部を腕ごと潰し、それだけでは飽き足らず切断していた。
 下半身は足を妙な形に開いて遠くの地面を転がり、肩から上は連示の丁度前に無機的な音を立てながら落ちた。

「あ、あ……」

 それを前にして連示は呆然と呻くことしかできなかった。
 虚ろな瞳を連示に向ける、無惨な姿の末那を前にして。

「ごめ、んね、連示、君。約束、守れ、なかった、みた、い……」

 それでも末那は必死にいつもの笑顔を浮かべようとしながら、酷く弱々しい声でそれだけ呟いた。そして、人間性が失われたような、デフォルトの人形のような表情になり、彼女の瞳からは光が消え去ってしまった。

「そ、んな……末那」

 長い間、ずっと傍にあった彼女の笑顔が失われた。
 それだけで世界の根底が失われたかのような喪失感と共に、絶望感が全ての感覚を支配しようとしてくる。
 しかし、それが心を埋め尽くすには至らなかった。
 何故なら、刹那の間に無理矢理その事実を理解させようとしてくる現実への、その現実を生んだ菴摩羅への、それを生み出させてしまった自分自身の弱さへの激しい怒りと憎しみが、絶望をも飲み込んで連示の意識を塗り潰したからだ。
 燎原の火の如く思考を急速に広がっていくそれは、僅かに残る冷静さを余すことなく焼き払っていった。
 それは相手の強さも自分の弱さも何もかもを度外視させ、ただひたすらに目の前の相手を破壊することだけを望ませる。
 どこまでも純粋なそのたった一つの願望に我をすら忘れる寸前、その刹那、意識の全てが急激に開かれる感覚が連示を襲った。

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