聖玉と巫女の物語

ともるん77

兄としての言葉

 神殿への報告を終えたウェルギンは巫女の館に姿を現した。


「どうした、浮かない顔をしているな」
 いつもと同じように微笑んだつもりなのに、兄はすぐに彼女の異変に気付いた。


 ウェルギンは商人服を脱ぎ捨てると、アシュリータが用意していた生成りの簡易服に着替えた。
 すぐにエルダが、飲み物を持ってきた。
「ありがとう」
「予定はどうされます?」
「そうだね。急で悪いんだけど、自宅に帰る前にここに何日か泊まっていくよ。神殿にも滞在許可をとってきてる」
「かまいませんよ、アシュリータ様もその方が嬉しいでしょう。では、ごゆっくり」
 エルダの言葉にアシュリータは微笑んだ。


 彼の方がアシュリータより赤みがかった髪の色をしていたが、目の色はもとより容姿はよく似ていた。


「疲れているのか」
「お兄様こそ」
 ウェルギンは日焼けのせいか、笑うと目尻にうっすらと皺が見られ、年齢より老けて見えたが、その笑顔にはほっとするような優しさがあった。


「お互い、気が滅入るような光景を見てきたせいだろうな」
 アシュリータはドキリとした。
「争いはどこにでもあるもんだ。人間同士でさえも。いや、今や人間の方がすさまじいかもな」


「お兄様、戦地へ?」
「ああ、死人がたくさん出てる。悲惨なものだ。人間の不安と欲から争いが絶えない」
 ウェルギンはそれだけ言うと、しばし口をつぐんだ。


 アシュリータはエルダが持ってきた温かい飲み物を彼に手渡した。
「アシュリータ、魔族狩りの方はどうだった?」
「無事に終わったわ。昔に比べて随分、妖魔の数は減ったようよ。今回は四体だけだったわ」


 カインデルの城は、妖魔の棲む北の森があるため、長く他国から侵略を受けてこなかっが、皮肉な事に、魔族狩りによって妖魔の数が減少し出した頃から、辺境地域では領地を巡る争いが勃発していた。今回、その危惧を神官長に進言していた。


『周辺国では今だに武力紛争が絶えません。我が国もバルディスとの国境付近での争いが見られるようになりました。今はまだ周辺国も様子見の状態です。しかし、北の森の脅威がなくなるとどうなるかわかりません』
 カイサル神官長はただ、頷いただけで、それに対する返答はなかった。


「そうか。嫌な思いをしたな」
「お兄様……」
 彼は慈愛に満ちた表情で、妹を見つめていた。


「妖魔はもう絶滅するだろう。だが……俺は人間がどんなにひどい事ができるかを見てきた。感情がある分、人間の方が恐ろしいかもしれないな」


(アシュリータ、人間は救われるだろうか?)


 彼はその言葉を飲み込んだ。
 アシュリータは、ただ静かに彼の傍らに立っていた。


 兄の残した言葉はアシュリータの心に重くのしかかった。
 感情のある人間。
 どうして、そんなひどい事ができるのだろう。


 その言葉はまるで自分に向けられたかのようだった。
 兄が自分にそう言うわけがない。彼は戦場での、人の残酷さを目の当たりにして言ったのだ。それはわかっている。


 でも、妖魔退治における彼女の心の奥には、傷つきながらそれでも殺さなくてはならない非情さがあることを知っている。


『……また会おう……アシュリータ』


 あの廃墟にいた魔族。
 彼女は忘れられずにいた。
 殺すどころか、見逃してしまった。


 後悔はしていない。
 ただ、今度会った時、自分はどうするだろうと思った。


 騎士たちに囲まれたあの男を想像した。巫女である自分が呼ばれ、最後のとどめを刺すよう促された時。


『これは、父と母の木だ』


 あの時、確かに彼女は魔族の男に興味を持った。
 感情を持たぬとされている魔族。だが、本当にそうなのだろうか。
 妖魔の中にも、あの男のように普通の人間としてひっそり生きている者もいるのではないか。
 人間に害を与えるようには見えなかった。
 そう思いたかったのかもしれない。


 殺したくない。


 そう、はっきりと自覚した。
 そんなこと思わない方がいい。これからだって、魔族狩りはあるだろうし、自分は巫女なのだから。


 矛盾した思いをかかえて、自分は耐えていけるだろうか。


 ウェルギンがシュノス街にある自宅へ向かう朝、アシュリータは兄の支度を手伝っていた。
 ウェルギンは穏やかな顔をして、彼女のすることを見守っていた。




「なぁに、お兄様」
 それに気付いたアシュリータは、クスッと笑って言った。
「いや……」
「……?」


 兄はまるで小さな子供を見るような眼差しで彼女を見、そしてその額にキスをした。
「お前は、俺にとってはいつだって可愛い妹なんだ。それ以外の何者でもない。何かあったらおいで。自分一人で苦しむな。いいな」


「……」


 兄は知っているのだ。自分の苦悩を。
 すべてではないにしても、感じとってくれている。
 瞬間、彼女の心は温かいものに包まれた。


「ありがとう、お兄様」
 言うのがやっとだった。


「じゃあ、行くよ」
「ええ、お気をつけて」


 ウェルギンはなおも、心配そうに妹を見ていた。
「お兄様、行って。私は大丈夫よ」
「本当に?」


「本当よ。心配してくれてありがとう。お兄様を悲しませるような事はしないわ」
「それを聞いて安心した。俺は巫女よりも、妹が大事だ」
 アシュリータは微笑んだ。


「そんな事、誰かに聞かれたら大変よ」
「いいんだ。お前が笑ってくれさえすれば。俺は商人って柄じゃない。少しでもお前の近くで死んだ父さんや母さんの代わりに見守れる事が出来れば、それでいいんだ」


 アシュリータの胸の中は熱くなった。


「聖玉を、次代の巫女に引き継ぐまでの辛抱だなんて思わないでくれ。民衆、いや、王族たちの犠牲になる事はない。お前自身の大切なものは守って欲しい」


(聖玉を……引き継ぐ……)


「そして、王族にはあまり深く関わるな。お前が傷つくだけだ」


「……」


アシュリータの心に動揺を残したまま、ウェルギンは館を後にした。

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