聖玉と巫女の物語
巫女の苦悩
その日、アシュリータは見た目にも何か心配事をかかえているように見えた。
「どうかしましたか?」
魔族狩りの当日、仲間の騎士団の一人が彼女にそう声をかけた。
「いいえ、なんでもないの。少し緊張してるだけ」
彼女がそう言って微笑んだので、彼は安心して自分の持ち場に戻り、巫女の状態を隊長に報告した。
魔族狩りは神殿に仕える神官の指導のもと、聖なる不思議な力を持つ巫女と、その女性を守る騎士たちで構成されていた。十数人の単位でいくつかの班に分かれて行動していた。巫女のいない班には神官が代わりに付き添い、結界を張る役目をしていた。
妖魔が発見された場合は、巫女のいる班に連絡がいく。彼らはいつも妖魔が出没する北の森や、その周辺まで遠征に行く。妖魔の存在に気付くのは犬が敏感であったが、北の森で迷うことが多く、しかもどんなに訓練した犬でも、妖魔を見ると怯えて尻尾を丸めるか逃げてしまうので、狩りには連れていない。
馬は犬ほどではないが、妖魔の気配を察し、ある程度までは妖魔に近づくことができた。魔族狩りは厳しい冬の時期を除き、年の何回か行われた。
何週間か馬上の旅を続け、宿営地となる各地の村や町をまわり、そこに住む人たちの世話になったり、あるいは、見晴らしの良い場所に天幕を張ったりした。
魔族には、人間に近い姿の妖魔の他に、使い魔と呼ばれる、全身黒い毛でおおわれた巨大な犬のような生き物ゴヴィ、鋭い爪を持ったコウモリのような羽を持つ怪鳥フェネルがいた。ただ、ゴヴィを見る事は稀だった。
ゴヴィはもともと臆病なため、北の森以外で見られる事はなく、しかも、その昔、ゴヴィの毛皮を得るために人間が積極的にゴヴィを狩ったため、数が激減していた。ゴヴィにも鋭い爪があり、それで木を登ることもできた。
使い魔たちが出没する付近には、妖魔もいる事が多い。
妖魔はたいてい単独で行動し、独特の醜い姿を呈していたので、騎士たちが見つけ、攻撃をしかける。だが、妖魔はなかなか死なない。
そこで登場するのが、女神とまで呼ばれるようになった巫女である。
彼女たちはその神聖なる力で、妖魔たちを焼き殺してしまうのだ。
妖魔は神聖な光に弱い。
巫女の力によって聖玉から放射される光にあたると、その不浄な体は溶けるがごとく、ブスブスと煙を吐きながら消滅していくのだ。
巫女の力を目の当たりにした騎士たちは歓声をあげ、それを喜ぶ。
今回の遠征でも、そうやっていつもアシュリータがとどめを刺してきた。
アシュリータは疲れていた。
野営地に張った天幕の中、夜中にハッと目覚める事がある。
(夢……)
額から汗が流れ落ちる。
彼女は夢の中でも闘っていた。
妖魔の、あの断末魔。
思い出すたびに、とてつもない悲しみと不安に襲われた。
小さい頃見た、妖魔を倒す巫女の肖像。彼女が英雄に見えた。自分もいつかそうなりたいと思った。強くて、自信があって、人々を守り抜く。
たくさんの候補の中から、十四代巫女として選ばれた十三歳のアシュリータは、その時、自分もそうなれると思った。
巫女としての聖なる力は培われた。
だが、今だにアシュリータは持てないものがあった。
彼女の心は民衆が思っているように頑丈ではなかった。
妖魔を殺すたび、その心は傷つき、疲れていた。
(何を考えているの。私の気持ちは伝染するわ。忘れなくては)
頭ではわかっていても、誰もが寝静まった後では、限りなく絶望に近い感情が彼女を襲った。
村や町で歓迎され、「女神様」と拝まれることもあった。
そんな時、顔で笑っていても、心は苦しんだ。
自分はそんな清い存在ではない……。
そういう思いから、何不自由のない村や町での宿泊より、野営の方が気が楽だった。
『一度、魔族狩りに同行してみたいな』
懐かしい人の言葉を思い出していた。
あの人は今の私を見てどう思うだろう?
(今はいい。でも、明日になったら私はまた自分の心に蓋をして、微笑まなくては)
誰も知らない。
人々の救世主の心に潜んでいるものを。
「どうかしましたか?」
魔族狩りの当日、仲間の騎士団の一人が彼女にそう声をかけた。
「いいえ、なんでもないの。少し緊張してるだけ」
彼女がそう言って微笑んだので、彼は安心して自分の持ち場に戻り、巫女の状態を隊長に報告した。
魔族狩りは神殿に仕える神官の指導のもと、聖なる不思議な力を持つ巫女と、その女性を守る騎士たちで構成されていた。十数人の単位でいくつかの班に分かれて行動していた。巫女のいない班には神官が代わりに付き添い、結界を張る役目をしていた。
妖魔が発見された場合は、巫女のいる班に連絡がいく。彼らはいつも妖魔が出没する北の森や、その周辺まで遠征に行く。妖魔の存在に気付くのは犬が敏感であったが、北の森で迷うことが多く、しかもどんなに訓練した犬でも、妖魔を見ると怯えて尻尾を丸めるか逃げてしまうので、狩りには連れていない。
馬は犬ほどではないが、妖魔の気配を察し、ある程度までは妖魔に近づくことができた。魔族狩りは厳しい冬の時期を除き、年の何回か行われた。
何週間か馬上の旅を続け、宿営地となる各地の村や町をまわり、そこに住む人たちの世話になったり、あるいは、見晴らしの良い場所に天幕を張ったりした。
魔族には、人間に近い姿の妖魔の他に、使い魔と呼ばれる、全身黒い毛でおおわれた巨大な犬のような生き物ゴヴィ、鋭い爪を持ったコウモリのような羽を持つ怪鳥フェネルがいた。ただ、ゴヴィを見る事は稀だった。
ゴヴィはもともと臆病なため、北の森以外で見られる事はなく、しかも、その昔、ゴヴィの毛皮を得るために人間が積極的にゴヴィを狩ったため、数が激減していた。ゴヴィにも鋭い爪があり、それで木を登ることもできた。
使い魔たちが出没する付近には、妖魔もいる事が多い。
妖魔はたいてい単独で行動し、独特の醜い姿を呈していたので、騎士たちが見つけ、攻撃をしかける。だが、妖魔はなかなか死なない。
そこで登場するのが、女神とまで呼ばれるようになった巫女である。
彼女たちはその神聖なる力で、妖魔たちを焼き殺してしまうのだ。
妖魔は神聖な光に弱い。
巫女の力によって聖玉から放射される光にあたると、その不浄な体は溶けるがごとく、ブスブスと煙を吐きながら消滅していくのだ。
巫女の力を目の当たりにした騎士たちは歓声をあげ、それを喜ぶ。
今回の遠征でも、そうやっていつもアシュリータがとどめを刺してきた。
アシュリータは疲れていた。
野営地に張った天幕の中、夜中にハッと目覚める事がある。
(夢……)
額から汗が流れ落ちる。
彼女は夢の中でも闘っていた。
妖魔の、あの断末魔。
思い出すたびに、とてつもない悲しみと不安に襲われた。
小さい頃見た、妖魔を倒す巫女の肖像。彼女が英雄に見えた。自分もいつかそうなりたいと思った。強くて、自信があって、人々を守り抜く。
たくさんの候補の中から、十四代巫女として選ばれた十三歳のアシュリータは、その時、自分もそうなれると思った。
巫女としての聖なる力は培われた。
だが、今だにアシュリータは持てないものがあった。
彼女の心は民衆が思っているように頑丈ではなかった。
妖魔を殺すたび、その心は傷つき、疲れていた。
(何を考えているの。私の気持ちは伝染するわ。忘れなくては)
頭ではわかっていても、誰もが寝静まった後では、限りなく絶望に近い感情が彼女を襲った。
村や町で歓迎され、「女神様」と拝まれることもあった。
そんな時、顔で笑っていても、心は苦しんだ。
自分はそんな清い存在ではない……。
そういう思いから、何不自由のない村や町での宿泊より、野営の方が気が楽だった。
『一度、魔族狩りに同行してみたいな』
懐かしい人の言葉を思い出していた。
あの人は今の私を見てどう思うだろう?
(今はいい。でも、明日になったら私はまた自分の心に蓋をして、微笑まなくては)
誰も知らない。
人々の救世主の心に潜んでいるものを。
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