桜が丘学園付属高等学校文芸部

ノベルバユーザー173744

百人一首

 今日の放課後は、二人の別行動から始まった。

 持田五月(もちださつき)は職員室に用事があり、担任の先生に進路の相談をしに行ってから文芸部の部室に向かう。
 親友の若林莉愛(わかばやしりあ)は、文芸部の部室で今度提出する感想文の直しをしておくと言っていたので、申し訳ないなぁと思いつつ、今、短歌の勉強の為に百人一首の本を買ってきたのでそれを預けておいた。

 百人一首は、その時代ごとに色々な歌人が歌会毎にお気に入りの和歌を書き留め、屏風に貼り付けたり、冊子に纏めたりということもある。
 そんな中、有名な歌人の藤原定家(ふじわらのさだいえ)……もしくは定家(ていか)とも読む……が、宇都宮頼綱(うつのみやよりつな)に頼まれ、京都嵯峨野の小倉山の別荘で選んだとされるのが『小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)』である。
 百人一首の第一首は飛鳥時代の天智天皇(てんじてんのう)から。最後の第百首が鎌倉時代初期の順徳院(じゅんとくいん)までの歌人の歌が収められており、初期は本当におおらかな歌が多く、次第に技巧的になり、深く読み込むことも必要になる。
 それぞれの時代を選抜した歌が集まっているのだ、貴重である。

 その中で五月は、第四十首目の平兼盛(たいらのかねもり)の、

『忍ぶれど 色に出(い)でにけり わが戀(こひ)は 物や思ふと 人の問ふまで(人に知られまいと恋しい思いを隠していたけれど、とうとう隠し切れずに顔色に出てしまった。何か物思いをしているのではと、人が尋ねるほどまでに)』

と、第四十一首目の壬生忠見(みぶのただみ)の、

『戀すてふ わが名はまだき たちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか(私が恋をしているという噂がもう世間の人たちの間に広まってしまったようだ。人には知られないよう、密かに思いはじめたばかりなのに)』

について調べたいと思っていた。

 それに、テレビで前にやっていた競技かるたも興味があった。
 全部覚えて、莉愛とやってみたいと思っていたのである。

 そして、部室にもう少しで到着する時、聞き慣れた声が聞こえた。

「……『玉の緒よ 絶えねば絶えね なからへば 忍ぶることの よわりもぞする』」

 莉愛の声である。

 この歌は第八十九首の、式子内親王(しょくしないしんのう)の和歌である。
 式子内親王は平安時代末期〜鎌倉時代初期の女流歌人で、後白河天皇(ごしらかわてんのう)の第三皇女。
 賀茂斎院(かものさいいん)を務めた後、出家したとあった。

 賀茂斎院というのは、伊勢神宮(いせじんぐう)に皇女を斎宮(さいぐう)として送るのと同じように、平安時代から鎌倉時代にかけて京都にある賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)通称、上賀茂神社(かみがもじんじゃ)と賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)こと通称、下鴨神社(しもがもじんじゃ)に奉仕した皇女のことである。

 しかし、神に仕えた後、出家したにしてはとても意味深の歌である。

『我が命よ。絶えるなら絶えてしまえ。このまま生き続けていても、恋心を表さないように耐え忍ぶ気持ちが弱ってしまうと困るから(相手に思いを知られてしまうかもしれない)……』

 後白河天皇の娘として、平安京を支える賀茂神社に仕えた女性。
 神に仕えたという事で未婚のまま出家した彼女にも、思いを伝えたい相手がいたのだろうか……。

 それよりも、莉愛にはそんな風に思う相手がいるのだろうか……。

 ズキンッ……

何故か胸が痛んだ。
 いや、少し切なくなった。
 莉愛には一杯優しくしてもらっている。
 ううん、人見知りの五月にとって、一番の仲良しだと思っている。
 その莉愛に思う人がいる……五月よりももっと好きな人なんだ、きっと……。

 部室に入ろうとして、扉のノブを握るのを躊躇った。
 どうしよう……解らないけれど、自分が変な顔していることは自覚していた。

「持田さん? どうしたの? 入らないの?」

 後ろから担当の先生の声に振り返る。

「あ、せ、先生……す、すみません。ぼーっとしちゃって」
「大丈夫? 体調が悪いなら帰ってもいいのよ?まだ日付はあるのだから」

 優しい声に、首を振る。

「大丈夫です。やっぱり、文法や訳し方の勉強をしないと……意味が繋がらないので……」
「貴女も若林さんも頑張りすぎよ。指導者である先生がいうものじゃないのかもしれないけれど、もう少し手を抜いてもいいと思うのよ」
「そんな……」

 もう一度首を振る。

「莉愛ちゃん……若林さんは弓道部とこの文芸部を兼部していて大変ですけど、私はまだまだです。あ、あの、先生。部室に入りましょう……少し廊下は寒いです」
「そうね。では、気になることがあるなら、気軽に相談して頂戴ね」
「はい」

 扉を開き、五月は先生をエスコートして、後ろから入っていく。
 すると、莉愛が微笑みながら、いつもの席に座っており手を振る。
 振り返しながら、ゆっくりと近づいていった。

「大丈夫だった? 五月」
「う、うん。まだ進路はきちんと決まってはいないけど、父が私が成人……大学に入ったら、卒業するまでは学費と生活費全部出してもらえるから。金銭面は大丈夫だけど、成績がギリギリだって言われちゃった」
「えっ……五月って両親いたの? あ、失礼なことを聞いちゃった……」
「あまり言ってないの。私のいる家はお母さん方の祖父母。お母さんは父の浮気とDVで離婚するってアパートを借りて私を育てつつ働いて……でも、収入も余りなくて、離婚後の慰謝料も私への養育費も滞っていて、追い詰められて心を病んで、私を殺して自分も死ぬって……私は背中の傷で済んだけど、母は生命維持装置に繋がれた状態で、それがないと生きていけない体になったの……」

 莉愛は、五月が淡々と告げる内容の重さに息を呑む。

「高校に入る前に、おじいちゃんとおばあちゃんが叔父さんたちと話し合って、母の呼吸器と生命維持装置を外したの。そうしたら……消息不明だった父が、どこで話を聞いたのかお葬式に再婚相手と堂々と乗り込んできて、私を引き取るって……絶対に嫌だって抵抗したわ。母を苦しめた、殺した男なんて許せない。それにお母さんが死ぬまで、ー一度だって顔を見せに来なかったのよ?それに、私の母はお母さんであって、縁のない父の妻って人に『お母さんと呼んでも良いわよ』って腹がたつの。あれ程……お母さんを苦しめておいて……って」
「五月……」
「……『なげきつつ 獨(ひと)りぬる夜の あくるまは いかに久しき ものとかはしる』」

 五月は忘れられないと言いたげに、苦しげに呟く。

「第五十三首、右大將道綱母(うだいしょうみちつなのはは)の和歌。これはお母さんが私に買ってくれた百人一首の中で一番好きだって言ってた。無理心中する時も、カーディガンのポケットに入っていたの。戻ってこない父を、待たなくても良かったのに……作者と同じように苦しむなんて馬鹿だと思うわ」
「……確か、右大將道綱母って、藤原道長(ふじわらのみちなが)の異母兄の道綱を生んだ人……」
「『かげろふ日記』の作者で、夫の浮気に夜離(よが)れに苦しんだ人。だから、私はおじいちゃんとおばあちゃんや莉愛ちゃんは大好きだけど、他の人を好きになれないと思う。おじいちゃんたちは私の幸せをって言うけれど、お母さんみたいになりたくないから、絶対に恋なんてしない。絶対……おじいちゃんとおばあちゃんと莉愛ちゃん以外には心を許さない。絶対!」
「五月……」

 五月は珍しく冷めた眼差しで莉愛を見ると、悲しげに囁いた。

「莉愛ちゃんに、こんな私を知られたくなかった……でも、嫌われても大好きだから……ごめんなさい」

 目を伏せた五月は莉愛に背を向けると、担当の先生に、

「申し訳ありません。先生……やっぱり少し体調が優れなくて、帰らせて頂いても構いませんか?」
「無理はしないでね?持田さん」
「はい、失礼します」

頭を下げて教室を出て行ったのだった。



 莉愛は五月が残していった本のページをめくり、右大將道綱母の歌を確認し、その後、その意味を口にする。

「……『貴方が来ないのを嘆きつつ一人寝する夜が明けるまでの時間は、とても長く感じます。どれ程この時間が長いか、あなたにはわかりますか。(いいえ)わからないでしょうね』」



 莉愛の家族は、両親は仲が良く、鬱陶しい兄達もなんだかんだ言いながら莉愛を可愛がってくれる。
 それが当たり前だった……でも、五月が時々家に来る度に、莉愛の母の料理の手伝いをしたり、莉愛の父や兄達に頭を撫でられたり、声をかけられるのをびっくりしたものの嬉しそうに笑ったり……。
 それが五月には今まで与えられたことのない祖父母以外の家族からのふれあいだったのだ。

 莉愛は目を伏せる。
 そして、五月に明日会えること、普通に話せることを祈ったのだった。




いつもは莉愛を書くことが多いのですが、今回は、五月を中心に書いてみました。
テーマですが、様々なゲームを考えましたが、ゲームセンターはUFOキャッチャー専門で役に立たず、チェスと囲碁はほぼ解らず、将棋は初歩。中国史の巨大な将棋盤を見たのですが、これは無理だと思いました。どうぞ二人の思いをよろしくお願い致します。 清野瑞葉

コメント

コメントを書く

「学園」の人気作品

書籍化作品