桜が丘学園付属高等学校文芸部
五月の過去
リュックを背負い歩き出した五月は、そっけなくしてしまったことを少しだけ後悔していた。
折角話しかけてくれたのに、追い払ってしまったと言うよりもそそくさと脱走してしまった。
戻って謝罪しようにも、変に思われるだろうし、明日にでも教室でと玄関に向かっていた。
「あれ~? モッチーじゃん」
その声に硬直する。
「モッチー? リボンが違うのって、一年生じゃん。知り合いなの~? 佐鳴(さな)?」
「あ~。うちの中学校の後輩。だよ、ねぇ?」
校舎が違う筈……。
制服も改造し、髪も染めている……前に回ってきたのは、二歳年上の佐鳴あゆみ。
香水かコロンか、場違いな匂いがプンプンする、周囲にそっくりな格好の女生徒たち……。
思い出す……先輩たちと、その取り巻きである同級生たち……。
今と同じように回りを囲まれて……。
「……ひゅっ 」
喉が鳴った。
全身が震える……目が回る……そして……。
「何やってんの? モッチー?」
あははは
笑いながら近づき手を伸ばした佐鳴の目の前で、新しい制服の後輩が膝から崩れるようにして倒れた。
「何やってんの? あんた」
蹴ろうとした佐鳴の後ろで、
「誰か 先生を 三年生が誰かを苛めてる 」
「先生 倒れてる、倒れてます 暴力振るわれたみたい 」
声が響く。
「なっ? あたしたちは何も あっ! 何であんたたち逃げるのよ 」
「うちら関係ないからね。佐鳴! バイバイ」
佐鳴を置き去りに二人の女子生徒は逃げ出す。
五月が何故か気になり、後を追いかけてきていた莉愛は、倒れた側に膝をついた。
「五月さん? 五月?」
ヒュウヒュウと喉が鳴る。
薬用リップを塗っている淡い桜色の唇を、パクパクと小さく動かす。
背中をさすり、
「大丈夫?」
声をかける。
誰かが呼びに行ったのだろう。
すぐに養護教諭と、職員室から数人の先生が駆けつける。
「先生 五月さん……クラスメイトの持田さんが この先輩に!」
「佐鳴!」
「あたしは声をかけただけだよ 」
「嘘 他の二人と回りを囲んで、何か言ってた! 手をあげてたし、倒れた持田さん、この人が蹴ろうとしたの見ました!」
他の生徒が数人手をあげる。
「佐鳴さん! 来なさい!」
「あたしは何も 」
「黙りなさい 」
女性教諭に手首を掴まれ引きずられていく横で、養護教諭が、
「過呼吸のようです。救護室に、先生お願いできますか?」
「解りました」
大柄な体育教諭が軽々と抱き上げ連れていくのを、置き去りにされていた荷物を持って莉愛は着いていった。
ベッドに寝かされた五月は横向きになり、苦しげに呼吸を繰り返す。
いや、息が上手く吸えないのだ。
眼鏡を外され、表情の確認の為にだろう長い前髪を横に流した五月は目を固く閉ざし、青ざめた顔をしていた。
養護教諭が背中に手を当て、声をかける。
「持田さん? 胸に手を当てて、大丈夫だから、浅くゆっくり呼吸を繰り返しましょう? 浅くゆっくりですよ?」
耳に届いたのか自分の胸を押さえ、何とか呼吸をしようと始める。
「そう、浅くゆっくり……そして、辛いと思うけれど、2秒息を止めましょう。はい、1、2で長く吐きましょうね? いーち、にー、さーん……」
しばらくすると苦しそうにしていたのが穏やかなものに変わり、安堵と、本当に辛かったのだろう、閉じていた目蓋からつつっと涙が零れた。
「持田さん? しばらくここにいて頂戴ね? ご家族に連絡をするから……横になっているのよ? 」
養護教諭は付き添っていた莉愛を見る。
「えと、若林さんだったかしら? 」
「はい。五月さんと同じクラスです」
「じゃぁ、五月さんを見ていてくれるかしら? すぐに戻るから」
「はい」
莉愛は頷くと、安心したように出ていった。
救護室には二人が残った。
薄く目を開けた五月は、莉愛を見る。
「……ご、めんなさい……迷惑をかけて……ただ、倒れただけで……せ……先輩にっ」
「落ち着いて? 大丈夫だから。ただ、休んでいましょう。気にしたりしないで。同じクラスの友人でしょう?」
「……ありがとう……」
まだ青ざめていたが、色白でまだ幼さの残る可愛らしい顔がはにかむ。
莉愛は微笑む。
「五月さん、私は莉愛よ。若林委員長じゃないわ。友達なんだからよそよそしく呼ばないで、ね?」
「……莉愛さん。綺麗な名前ね……私はおじいちゃんの好きな……盆栽のさつきからつけられたの」
「あら、花の名前ね。桜が終わると花の時期ね?」
「そうなの……」
「疲れたでしょう? お休みなさい。荷物は持ってきているから」
「ありがとう……」
やはりかなり参っていたらしい。
五月は素直に目を閉じた。
先程、必死に呼吸をしようと動いていた小さな唇は閉ざされ、落ち着いたものになっている。
しかし、莉愛はその唇から目が離せなくなっていた。
濃いチェリーピンクでもなく、ほんのりと桜の花びらを紅がわりに乗せた甘いその色が胸に色づく……。
と、扉が開き、
「若林さん。持田さんは?」
「あっ! は、はい 」
後ろ髪を引かれつつ、教諭に近づき小声で話す。
「あの、五月さんはごめんなさい、迷惑をかけてと言っていたので、大丈夫、気にしないでと……。でも、先輩……と言いかけてひどく怯えて、震えていました」
「やっぱり……実は、余り人に伝えるものではないのだけれど、持田さん、中学校では苛められていて、あの3年生の佐鳴さんはそのリーダー格だったらしいの。佐鳴さんが卒業してからもその仲間の男子生徒に苛められていて、この学校に進学したのも女子校だからだったのよ。成績は公立の学校に進学到達レベルだったけれど、中学校では度々今回のような発作を起こして倒れて、一時期心療内科にかかっていたらしいわ。お迎えにおじいさまがこられるそうなのだけど、最近は元気になっていたのにと辛そうだったわ」
「そうだったのですか……あ、先生。私は、今回の話は誰にも言いません。聞かなかったことにしてもいいですか? 」
「あぁ、そうね。黙っていてくれるかしら。それと、同じクラスだから、よろしくね」
「はい」
莉愛は、この話を聞いたことを、五月にも黙っていようと決めたのだった。
しばらくして、五月の迎えに、老人と言うには若い夫婦が姿を見せ何度も教諭や莉愛に頭を下げると、寝入ってしまっていた五月を抱き上げ連れて帰ったのだった。
折角話しかけてくれたのに、追い払ってしまったと言うよりもそそくさと脱走してしまった。
戻って謝罪しようにも、変に思われるだろうし、明日にでも教室でと玄関に向かっていた。
「あれ~? モッチーじゃん」
その声に硬直する。
「モッチー? リボンが違うのって、一年生じゃん。知り合いなの~? 佐鳴(さな)?」
「あ~。うちの中学校の後輩。だよ、ねぇ?」
校舎が違う筈……。
制服も改造し、髪も染めている……前に回ってきたのは、二歳年上の佐鳴あゆみ。
香水かコロンか、場違いな匂いがプンプンする、周囲にそっくりな格好の女生徒たち……。
思い出す……先輩たちと、その取り巻きである同級生たち……。
今と同じように回りを囲まれて……。
「……ひゅっ 」
喉が鳴った。
全身が震える……目が回る……そして……。
「何やってんの? モッチー?」
あははは
笑いながら近づき手を伸ばした佐鳴の目の前で、新しい制服の後輩が膝から崩れるようにして倒れた。
「何やってんの? あんた」
蹴ろうとした佐鳴の後ろで、
「誰か 先生を 三年生が誰かを苛めてる 」
「先生 倒れてる、倒れてます 暴力振るわれたみたい 」
声が響く。
「なっ? あたしたちは何も あっ! 何であんたたち逃げるのよ 」
「うちら関係ないからね。佐鳴! バイバイ」
佐鳴を置き去りに二人の女子生徒は逃げ出す。
五月が何故か気になり、後を追いかけてきていた莉愛は、倒れた側に膝をついた。
「五月さん? 五月?」
ヒュウヒュウと喉が鳴る。
薬用リップを塗っている淡い桜色の唇を、パクパクと小さく動かす。
背中をさすり、
「大丈夫?」
声をかける。
誰かが呼びに行ったのだろう。
すぐに養護教諭と、職員室から数人の先生が駆けつける。
「先生 五月さん……クラスメイトの持田さんが この先輩に!」
「佐鳴!」
「あたしは声をかけただけだよ 」
「嘘 他の二人と回りを囲んで、何か言ってた! 手をあげてたし、倒れた持田さん、この人が蹴ろうとしたの見ました!」
他の生徒が数人手をあげる。
「佐鳴さん! 来なさい!」
「あたしは何も 」
「黙りなさい 」
女性教諭に手首を掴まれ引きずられていく横で、養護教諭が、
「過呼吸のようです。救護室に、先生お願いできますか?」
「解りました」
大柄な体育教諭が軽々と抱き上げ連れていくのを、置き去りにされていた荷物を持って莉愛は着いていった。
ベッドに寝かされた五月は横向きになり、苦しげに呼吸を繰り返す。
いや、息が上手く吸えないのだ。
眼鏡を外され、表情の確認の為にだろう長い前髪を横に流した五月は目を固く閉ざし、青ざめた顔をしていた。
養護教諭が背中に手を当て、声をかける。
「持田さん? 胸に手を当てて、大丈夫だから、浅くゆっくり呼吸を繰り返しましょう? 浅くゆっくりですよ?」
耳に届いたのか自分の胸を押さえ、何とか呼吸をしようと始める。
「そう、浅くゆっくり……そして、辛いと思うけれど、2秒息を止めましょう。はい、1、2で長く吐きましょうね? いーち、にー、さーん……」
しばらくすると苦しそうにしていたのが穏やかなものに変わり、安堵と、本当に辛かったのだろう、閉じていた目蓋からつつっと涙が零れた。
「持田さん? しばらくここにいて頂戴ね? ご家族に連絡をするから……横になっているのよ? 」
養護教諭は付き添っていた莉愛を見る。
「えと、若林さんだったかしら? 」
「はい。五月さんと同じクラスです」
「じゃぁ、五月さんを見ていてくれるかしら? すぐに戻るから」
「はい」
莉愛は頷くと、安心したように出ていった。
救護室には二人が残った。
薄く目を開けた五月は、莉愛を見る。
「……ご、めんなさい……迷惑をかけて……ただ、倒れただけで……せ……先輩にっ」
「落ち着いて? 大丈夫だから。ただ、休んでいましょう。気にしたりしないで。同じクラスの友人でしょう?」
「……ありがとう……」
まだ青ざめていたが、色白でまだ幼さの残る可愛らしい顔がはにかむ。
莉愛は微笑む。
「五月さん、私は莉愛よ。若林委員長じゃないわ。友達なんだからよそよそしく呼ばないで、ね?」
「……莉愛さん。綺麗な名前ね……私はおじいちゃんの好きな……盆栽のさつきからつけられたの」
「あら、花の名前ね。桜が終わると花の時期ね?」
「そうなの……」
「疲れたでしょう? お休みなさい。荷物は持ってきているから」
「ありがとう……」
やはりかなり参っていたらしい。
五月は素直に目を閉じた。
先程、必死に呼吸をしようと動いていた小さな唇は閉ざされ、落ち着いたものになっている。
しかし、莉愛はその唇から目が離せなくなっていた。
濃いチェリーピンクでもなく、ほんのりと桜の花びらを紅がわりに乗せた甘いその色が胸に色づく……。
と、扉が開き、
「若林さん。持田さんは?」
「あっ! は、はい 」
後ろ髪を引かれつつ、教諭に近づき小声で話す。
「あの、五月さんはごめんなさい、迷惑をかけてと言っていたので、大丈夫、気にしないでと……。でも、先輩……と言いかけてひどく怯えて、震えていました」
「やっぱり……実は、余り人に伝えるものではないのだけれど、持田さん、中学校では苛められていて、あの3年生の佐鳴さんはそのリーダー格だったらしいの。佐鳴さんが卒業してからもその仲間の男子生徒に苛められていて、この学校に進学したのも女子校だからだったのよ。成績は公立の学校に進学到達レベルだったけれど、中学校では度々今回のような発作を起こして倒れて、一時期心療内科にかかっていたらしいわ。お迎えにおじいさまがこられるそうなのだけど、最近は元気になっていたのにと辛そうだったわ」
「そうだったのですか……あ、先生。私は、今回の話は誰にも言いません。聞かなかったことにしてもいいですか? 」
「あぁ、そうね。黙っていてくれるかしら。それと、同じクラスだから、よろしくね」
「はい」
莉愛は、この話を聞いたことを、五月にも黙っていようと決めたのだった。
しばらくして、五月の迎えに、老人と言うには若い夫婦が姿を見せ何度も教諭や莉愛に頭を下げると、寝入ってしまっていた五月を抱き上げ連れて帰ったのだった。
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