武侠少女!絹之大陸交易路を往く!?

蟹江カニオ

黄姐に兎歩を教わった

 元々朝は早い方だった。


 と言うより、貧民街の孤児溜まりは、寒くて寝ていられなかっただけだが。


 浮浪孤児同士、抱き合いながら寝ていたのだが、寝具と云えば、藁クズに腐った莚、死んだ孤児の着ていたボロ巾、それに互いの体温。
 よく、今年の冬を乗りきったものだ。


 隣室の黄姐(結局、黄学姐は馴染まず黄姐で落ち着いた)も既に起床し着替えたようだ、隣室なので、物音でわかる。


 わたしは見習いだ、遅れる訳にはいかない。


 換えの服は今日貰えるので、昨日は貰った服のままで寝ていた、だから黄姐より支度は早い。


 部屋は、僅かにわたしのほうが早く出た。


「お早う黄姐」


「おはよう胡娘々、早いのね、まだ起床時間前よ?」


 まだ外は暗い。日ノ出前だ、後で教わったが卯の刻(午前5時)だそうだ。


「仕事じゃないの?」


 黄姐は私服姿だ。動きやすそうな筒そで筒裾の服だ、装飾は一切ない。


「朝練よ、侍女は休憩が不定期だから、鍛練は朝するのよ」


 黄姐は老師の弟子だった。鍛練ということは、わたしも旦那様、老師に会えるかな?


「わたしも付いて行ってもいい?」


 返事は即答だった。


「それは駄目。基礎鍛練しかしないけど、門弟以外には見せられないわ。
 ……胡娘、これだけは覚えておいて、拳術家の鍛練を覗き見すると、最悪殺されるわ。
 興味があるなら、出来る範囲で私が教えるよ」


 拳術に興味などないのだけど。


 ただ、黄姐の言う事は理解できた。


 街中を物色して歩いていると、職人や料理人など、手に職ある人達は、作業風景を見られる事を極端に嫌っていた。


 “大した技もないくせにな”と言っていた孤児仲間は、
 後日とある料亭のゴミを漁るため、調理場の裏手に忍び込んだ所、
 頭から煮えたぎる熱湯をかけられ、それが元で冬を越せなかった。


 浮浪孤児など、犬猫と扱いが同じだ。


 また、孤児の方でも、そんなものだ、と理解していた。


 だから、わたしは老師との出会いを深く感謝するのだ。


 有り得ないのだ、本来は。


 話がそれた。


「黄姐に教わっていたら、老師の弟子になれる?」


 当時のわたしは、それがどんなに重い言葉か知らなかった。


「それは分からない。軍部も含めると、1万人以上門弟がいるけど、老師の直弟子は10人に満たない、師範代以外には王師兄と私だけよ」


「王師兄って、王家宰の事?それから黄姐ってそんなに偉い人だったの?」


「偉くなんかないよ、老師や可馨様のお世話をさせていただいて、老師が目をかけてくれただけ」


「ふーん、でもやっぱりすごいと思う。旦那様はスパッとした人柄だから、見込みのない人には関心無いと思う」


 こうして思うと、わたしの人格形成は、かなり老師の影響が強い。


「フフっ有難う胡娘。そうだ、これを覚えなさい」


 そう言うと、黄姐はなんとも妙な歩行をした。


 右足、左足、右足を左足に揃えて止める、
 左足、右足、左足を右足に揃えて止める、
 右足、左足、右足を左足に揃えて止める。
 そんな歩行をくりかえした。


「道場の方にも、行くことも有るだろうから、覚えていてもいいかな」


 真似してみた、割りと簡単に覚えたけど、黄姐とは何か違う。


 ヒントを黄姐がくれた。


「息継ぎに気をつけて」


 そう言うと、黄姐は館を出ていった。敷地内のどこかに鍛練場があるのだろう。


 わたしは、結局黄姐が戻って来るまで、この妙な歩行をしていたが、最後まで黄姐との違いが分からなかった。










 王師兄が先に来ていた。他に5人。
 部所も年令もバラバラだ。


 ここは、洗濯場だ。こんな早朝から道場を使う訳にはいかない。


 この邸には下人家族を含めると、100名を越す人員がいるため、洗濯場も広い。


 何より、水捌けのため石畳み敷きになっていることが、集合場所に選ばれる理由だ。


「遅かったな黄三娘、みな兎歩を終えた所だ」


 私は三女のため、単純に三娘と呼ばれていた。


 別に侮られている訳ではなく、女にあざななど無いのが普通だ。


「申し訳ない、師兄。
 出掛けに胡娘々に見つかってしまい、話をしていたら遅くなりました」


「そうか。三娘の見立てでは、どんな娘子だ、老師にも報告したい。どんな事でも話してくれ」


 ちょうど小休止をとっていた所らしい。


 兎歩とは、先ほど胡娘々に見せた歩行だ。


 簡単に見えて、正しく理解して動作に合わせた呼吸をすると、かなりの運動量となる。


 私はまだ導引吐納が甘い。師兄達ほど余裕は生まれない。
 正しく導引すると、丸一日続けても疲労しない。
 老師が実演した事がある。


「好奇心が強いみたいです。私に付いて来ようとしました。
 老師に心服している様子です、話の節々に感謝と尊敬の念を感じました。
 言葉遣いは、平民言葉なら普通に会話します。
 学力は分かりません、ただ知識は足りないようです。
 あと、懐こい性分で愛らしいですよ」


「一晩でかなり打ち解けた様子だな、流石だ。
 今日は各部所に、顔見せに連れだそう。三娘も同行してくれ、小馨様も心強いだろう」


 “小馨さま”の言葉に諸兄はざわついた。


 当然だろう、王師兄は実質的には家宰筆頭だ。
 老師の高弟で、更に家宰として実務をこなしている。信任は厚い。
 その師兄が敬称をつけたのだから。


「師兄、誰なのですか?小馨様?名からして老師の縁者ですか?」


 賄い料理方の李兄がそう尋ねた。


「詳しくは話せないが、そのような認識で良い。くれぐれも無礼の無いように、周囲に徹底してくれ」


 これには私も驚いた。師兄は一体老師から何を聞いているのか?


 老師のお気に入りの子供から、認識を改めないといけない様だ。


 ……考えてみたら、可馨様の名にちなんで、老師自らが名付け親となったのだ、


 猶子ゆうしなお子の如し)には違いないのだ。

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