イレンディア・オデッセイ

サイキハヤト

第94話 負けない男

「なっかなか、来ないな」

晴れ渡る青空の下、川の畔で釣り糸を垂れる男がいた。彼の名はネルニード。自称『孤高の戦士』だ。パーティーを組まず、殆ど一人で行動している。
言わずもがな、かつては引く手数多あまたであった。しかしどんなに頼まれても、彼はのらりくらりと躱して、パーティーに入ろうとしなかった。そのうち、誰も彼を引き入れようとしなくなった。無駄な努力はしない方がいいと学んだのだ。
ネルニードは、そのようにして誰の世話にもならなかったし、気が向いたとき以外は誰の世話もしなかった。

しかし、素質のある二人の少年との出会いが、彼の人生の方向性を少しだけ変えた。

一人はジャシードだ。ネルニードは、自分以外にオーラフィールドを――たとえ無意識だとしても――使える人間に初めて出会った。自らに勝るとも劣らぬ素養を見出したネルニードは、ジャシードを大切に育て上げ、今やオーラフィールドを使いこなすまでに成長させた。

もう一人はオーリスだ。瀕死の怪我を負い、失意のどん底に叩き落とされたにも関わらず、あっと言う間に新たなる道を見出した。更に通常長い年月を経て会得するはずの技術を、たった二年で二つも実用レベルまで会得する、恐るべき学習能力を持っていた。そんな彼の客になることで、研究の材料集めや、経済的支援を行っている。

そんな二人に関わるうちに、ネルニードは何だか自分が自分らしくない気がして、今は一人を満喫しているところだ。

「おッ!」

ネルニードは、魚が掛かったのを感じ、竿にチカラを少しだけ込める。思い切り引いてしまうと、釣糸の方が耐えられなくなるからだ。
ほんの少しずつ、チカラを入れていく。魚が逃げないように、泳がせてから釣り上げた。

「あっ、いた! ネルニードさん!」
ジャシードにスネイル、ガンドとオーリスの四人組が近づいてきた。

「いよう、若者たち!」
ネルニードは片手を上げて挨拶すると、糸を手繰って魚から針を外し、水に沈めている網の中へ魚を突っ込んだ。

「こんな所に一人でいたんだね。良いのは釣れた?」
オーリスが網の中を覗き込む。網の中には、今釣った中型の魚と、小型の魚が二尾泳いでいるのが見えた。

「今晩の飯は釣れたな。それで、なんか用か?」
ネルニードは、なかなか機嫌が良さそうにしている。

「アブルスクルについて、教えて欲しいんだ。どこに居るとか」
ジャシードがそう言うと、ネルニードはオーリスの顔を見た。

「ふふうん、なるほど。教えてやろう。アブルスクルは、リーヴの奥の方にいる、スライムの亜種だ。スライムと聞くと皆油断するが、アブルスクルは別格だな。タフだし、スライムを生み出してくるし、身体の一部を飛ばしてもくる。更に厄介なのは、粘性の高い粘液を放つことだ。
最上級に厄介なのは、嗅いでしまうと動けなくなって、息ができなくなるガスを放出する事だ。
アレを嗅いでしまうと、治療できなければ死に至る可能性がある。治療すると言っても、倒れた仲間にある程度近付かねばならないから、共倒れになる可能性だってある。総合すると、めちゃくちゃ危険な怪物だな。
お前らあんなのと戦ってどうするつもりだ。あんなのを倒したところで、誰も褒めてくれないし、誰も興味も無い。興味を引かない怪物を倒すのは、趣味の世界だ。お前は何か変な趣味にでも填まったのか?」
ネルニードは、一気にまくし立てた。役には立つが、結論の方向性は全く見当違いだ。

「趣味とかじゃないんだけど……。部品を集めたいと思ってね」
「ほう。アレの部品は何か役に立つのか?」
「役に立つかどうかは、まだ分からないよ。分からないけど、可能性がある部品を取りに行くんだ」
「ははあん。まあいいが、ガスには気を付けるんだぞ」
「うん、ガスが危険なのはよく分かったよ。気を付けないといけないのは分かったけど、力場フォースフィールドでは防げないのかな」
「ジャシード。空気を遮断したら、お前が死んじまうぞ」
「あそっか……」
「少し考えろよ、お前」
「あ、はは……」
ジャシードは照れ隠しに、頭をボリボリ掻いた。

「なんか、アブルスクルは強そうだな!」
スネイルは、既にお気に入りの武器となった、『焦熱剣しょうねつけん』と『霧氷剣むひょうけん』と名付けた剣を抜き放った。それぞれの刀身が揺らめいているのが見える。

「ちょっとスネイル、危ないから!」
近くにいたガンドは、二振りの剣に驚いて飛び退いた。

「ククク……」
スネイルは剣を構えると、ガンドににじり寄る。スネイルは小柄だが、揺らめく剣の向こうに見える視線は非常に鋭く、大きな強い殺気に満ちているように感じられる。これは、アサシンならではの雰囲気だ。

「何やってんだ。スネイルも街中で剣を抜かない!」
「ぶっはは。ごめんアニキ、ガンド」
スネイルは堪えていた笑いを吹き出した。素早く剣を鞘に収めた。

「どうやって行くの、リーヴ」
スネイルはネルニードの隣に座って、水につけてある網の中で泳ぐ魚たちを眺めた。

「リーヴは、ウェルドの北にある、風巻きの谷にある」
ネルニードは、釣り針に餌を付けながら言う。

「風がぐるぐるしてんの?」
「そう。その谷に出入りできるのは一箇所だ。真ん中に切り立った岩山があり、その山の周りを風が渦巻く。リーヴは、その岩山に入口を持つ。周囲には、ウインドクロッドが彷徨うろついている。ここのクロッドたちは、風巻きの谷が持つ性質のおかげで強化されているから注意が必要だ。そしてリーヴの中には、二足歩行の鼠、ラットマンが多く生息している。コイツらはリザードマンのような、成熟した知能を持つものがいるから、こちらも注意が必要だ。つまりリーヴは、全体として注意が必要だと言うことになるな。っと引いてた!」
一頻り話したネルニードは、糸の先に魚が食いついているのに気づいて、ぐいと竿を持ち上げる。
しかしそのチカラは強すぎた。糸はプチンと切れ、ネルニードは軽くなった竿だけを高く持ち上げることになった。

「あーあ……」
スネイルは竿の先に短く残って揺れている、情けない糸を眺めた。

「ああもう、今日は仕舞いだ。お前の用事は済んだか?」
ネルニードは、魚が入った網を引き上げつつ立ち上がった。

「ええ、済みましたよ」
「そうか。ならまた、怪物どもを倒しながら帰るとするか」
「ですね」
オーリスは、微笑みを浮かべた。

「気になってたんだけど、ネルニードさんはともかくとして、オーリスはゲートを使わないの?」
ガンドは、ふと不思議に思って尋ねた。ゲートが人々の街を繋いで二年になる。その状況で、もはやゲートを使わない方が珍しい。

「それには、理由があってだな……」
ネルニードが話し始めそうになったところで、オーリスが片手をあげてネルニードを制止した。

「三つ、理由がある」
オーリスは片手を上げ、手のひらを見せると、一本ずつ指を曲げていく。

「一つ目は、ゲートを使う人が増えたことで、街道近くに怪物が増えてきたこと。これは誰かが防がないといけない。ネルニードさんは、その役を買って出ているわけだ」
オーリスがそう言うと、ジャシードは大きく頷く。ジャシードの訓練の間も、ネルニードは頻りにそれを心配していた。それ故に、ヒートヘイズたちは今でも、時折街道を通って別の街まで行く『訓練』をしている。

「二つ目は、宝石誘導の素材を集めることだ。僕はもっとたくさんの実験を重ねて、記録に纏めていきたいと思ってる。将来的に、宝石誘導は当たり前の技術になるからだ。ハンフォードさんにはその気が無いみたいだから、僕が宝石誘導の先駆者として生きていく」
オーリスの二本目の指が曲がる。実際オーリスは、エルフが見出した世界で一人だけの技術を受け継いだ、ただ一人の人間だ。

「さすが、オーリスだね」
ジャシードは以前から、オーリスと言う人間を高く評価していた。心が折れるような出来事を物ともせずに突き進み、尚且つ何一つ諦めていないその姿は、賞賛に値すると強く思った。

「三つ目は、僕がまだレイピアを振るうことを、諦めていないからさ」
オーリスは、鞘に治まっているレイピアの柄を、人差し指でトントンと叩いた。

「オーリスは、本当に強いんだなあ……僕は同じようにできる自信ないや」
ガンドは、オーリスの芯の強さが羨ましくなった。仮に自分が戦えないようになったとして、オーリスのように振る舞えるかと考えると、自信は無かった。

「石に躓いたら、誰だって立ち上がるさ。ガンド、君だってそうだよ。だけど、誰でも躓かないと、立ち上がることを一所懸命考えたりしないものさ。君だって、立派に立ち上がれる。僕はそう思う」
オーリスは、微笑みながらガンドの肩を叩いた。

「ありがとう」
ガンドはそれしか言えなかった。

「んじゃ、宿に戻るとしよう。いざ魚を手に取ると、腹が減ってきて仕方がない」
ネルニードは、腹をさすりながら去って行った。

「それじゃあ僕たちも、リーヴへ行く準備をしようか」
ガンドは、ジャシードの方を見て言う。

「いいのかな、おれの武器の為だけに……」
ジャシードは、さすがに気が引けた。確かにパーティであり、リーダーは自分だが、自分の都合だけで全員を動かすのは横暴なように感じられたからだ。

「良いんだよ、ジャッシュ。君が強くならないと、みんなが困る」
「おいらも困る。それにアニキは、強いのが似合う」
ガンドとスネイルは、口々にそう言った。

「分かった。ありがとう、ガンド、スネイル」
ジャシードは、慕ってくれている二人を交互に見て頷いた。

「何言ってんの、仲間でしょ」
「でしょ」
二人は、両手を突き出して、両手の親指を立てた。

◆◆

「ふふんふーん」
鼻歌を歌いながら、マーシャは準備を終え、オーリスに作ってもらった杖を手に取った。金属でできている割に、とても軽い。
そして、持った時に冷たさを感じないように、持ち手はすべすべに磨かれた木材で覆われている。更にその上から、肌触りの良い布で包まれている。
オーリスは、使う人のこともしっかり考えて物作りをしている。細かいところに、オーリスの気遣いと優しさを感じることができる。

「マーシャ、そろそろ行くよ」
「うん、今行く!」
マーシャはさっと荷物を持って、小走りに部屋を出て行った。

「じゃ、気を付けて行ってこいよ」
「うん、ありがとう。二人を気を付けて」
「おい、ジャシード。誰にものを言っている? んん?」
「あはは。ネルニードさんは、安心だよね」
「勿論だともさ、それにオーリスもいる。そうそう負けはしない。じゃな」
ネルニードとオーリスは、再びラマを連れて、ドゴールへ向かって『間引き』を兼ねた道程を歩み始めた。

「よし、おれたちも行こう!」
「おう!」
「元気で良いことだな」
バラルは、パーティーの若い四人を見ながら、帽子を被り直した。

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