イレンディア・オデッセイ

サイキハヤト

第88話 囚われた一行

「ぐ……うう……」
ジャシードは呻りながら目覚めた。

「ここは……」
合わない焦点を、何とかして合わせようと努力し、起き上がろうとする。冷たい床から頬を離して目を凝らすと、彼の視界に壁が、扉が入ってきた。それ以外に何もない、暗く、冷たい部屋だ。
ジャシードは、痺れる身体に気合いを籠めて、何とか起き上がった。感覚が戻った腕には、何やら紋章が刻まれた輪っかと、その先に鎖が繋がっている。

「地下牢だ。……すまん、黙っていられなくなってしまった」
近くの牢から、声が聞こえる。声の主はシューブレンだ。

「シューブレンさん、大丈夫ですか?」
「ああ。だが、自分の心配をしろよ……お人好しすぎる」
「はは……それもそうだね……。それにしても、レリートさんは、恋人を……」
シューブレンがラグリフに向かって怒鳴っている姿が、ジャシードの頭に浮かんだ。

「ああ、酷いものだった……」
少しの沈黙のあと、鼻をすする音が聞こえた。

「もうだいぶん前のことだ。おれはアイツと同じパーティーにいた。おれたちのパーティーは順調に級を上げていた。
リーダーのエリグセンと言う奴は、誰もやりたがらない依頼ばかりをやる奴だった。……多かったのは、盗みや、殺しだ。おれたちはまだ若かったから、こんなモンかと思って仕方なくやっていた。嫌なことでも、続ければ上手くなる。殺しも、一人殺せば、百人殺しても同じだ。それに、報酬も悪くはなかった。おれたちは、日常に組み込まれた殺人に、感覚が麻痺している。
そうして、そつなく依頼をこなせるようになってきた後の事だ……。レリートに、エリナという恋人ができた。エリナは、純粋という言葉がしっくり来る女だった。アイツは本当に
心の底からエリナを溺愛していた。……だがレリートは悩んでいた。エリナと一緒にいると、自分が沼の泥にでもなったような気分になるとね」
シューブレンが溜息を付いたのが聞こえる。

「……だから、レリートは禁を破って、エリナを連れて逃げた。だがな、ここまで来たお前なら『メリザスから逃げる』と言うことが、どれほど大変か分かるだろう」
「寒くて、遠くて、道にも詳しくないといけない。怪物も強いね」
「そうだ。さらにレンジャーの追跡も受けて、結局レリートは捕まった。誰に捕まったかと言えば、エリグセンだ。エリグセンは、ラグリフの野郎から……実際にはフォーテルだが。エリグセンに、こう命令していた。『女だけ惨殺しろ』ってな……。
おれはレリートの追跡で、追跡の特技を使って二人を探し出し、逃げ切らせようと密かに単独で行動した。だが、当時のおれは、技量が足りなかった。おれが二人を見つけたときには、もう他の奴が見つけてしまっていた。
逃げ切って欲しかったが、それも叶わなかった。そうしてエリナは、アイツが見ている目の前で……」

「レリートさん、そんな酷い目に遭わされていたんですね……」

「レリートは余りに酷い光景を見せられ、しばらく立ち直れなくなった。アイツは言葉が殆ど喋れなくなっていた。声が出なくなっていたんだ。
だがそれでも、冒険者をやめる選択肢は取れなかった。契約がそれを実現不可能なものとしていた。逃げれば今度はレリートが殺される……ここの冒険者制度は、そう言う仕組みなんだ。ただ、冒険者としての活動は一切していなかった。おれも単独行動の責めを受けて、パーティーから追い出されていて、収入は小間使いで得られた金だけ。グランメリスで金のない生活は厳しかったよ。
レリートは半年後にようやく、普通の生活が送れるようになったが、やはり声は出なかった。そんなおれたちをパーティーに入れたのがナザクスだ」

「それで、寄せ集めって言ってたのか……」

「足を引っ張る可能性がある奴らとなんか、誰も組もうとしないだろ? だがナザクスは、レリートが話せない理由を聞くこともせず、仕事に対する結果だけを要求した。奴は目標に辿り着きたいだけなんだ。だからおれたちの居心地は良かった。
おれたちは、ラグリフ《あの糞野郎》たちに復讐してやろうと頑張っていた。冒険者一級からは、ラグリフの依頼を受けることができるからだ。近づければ、暗殺できる……そう思っていた。だが、結果は見ての通り、今日から八級だ。
そんな折に、お前たちがラグリフに会いにいくと言うのがわかったから、密かに付いてきていた。でも……ダメだった。奴に一太刀も入れないまま……。きっとおれたちは、見せしめに斬首になる。おれのせいで……済まない。死ぬのはおれだけで良かったのに……」

「結局、みんな被害者なんだ……」
不意にガンドの声が聞こえた。

「ガンドも近くにいたんだね。マーシャはいる? スネイルは?」
「アニキ、おいらはここにいるよ」
スネイルの声が聞こえてきた。

「マーシャは? マーシャ?」
ジャシードはもう一度呼びかけたが、返事はない。

「……アネキは近くにいない」
「あのムスメの気配は感じられないな……」
追跡の特技を使えるスネイルとシューブレンが、揃って返事をした。

「……これは、マズいな……あの糞野郎……」
シューブレンは、何が起きているのかを察した。

「そ、んな……。こうしてはいられない……!」
ジャシードは木でできた扉を破壊しようと、拳に力場を作り出そうと思ったが、力場を作り出せない。

「なんだ!? 力場が……作れない」
ジャシードは手に意識を集中しようと頑張ってみたが、やはり力場はできなかった。

「捕らえられた経験なんて無いから知らんだろうが、誰かを捕らえる場所は、みんな同じだ。腕をよく見ろ。その輪っかには、集中する生命力が発散する魔法がかけられている。そいつが付いている限り、フォースフィールドみたいなことは、一切できない」

「くっ……どうすれば……マーシャが……」
ジャシードは珍しく、苛立ちを顕わにした。

「誰か来る」
スネイルが警告し、付近に静寂が訪れた。

——コツ、コツ、コツ

足音はゆっくりと、だが確実に大きくなっていた。

◆◆

「う……うぅ……」
マーシャは目を開いた。視界には天蓋が目に入り、左右を見てベッドだと分かる。そのベッドからは、脂っぽい男の臭いが漂っているが、ベッドにはマーシャ独りきりだ。

「ひっ!?」
起き上がろうとしたマーシャだったが、後ろ側で両手と足が縄で縛られており、上手く動くことができない。

「ど、どこ……!?」
マーシャは縄をどうにかしようと藻掻くが、縄はかなりきつく縛られており、びくともしない。

マーシャは転がってベッドから落ちる。ふかふかのベッドは高さがあり、鈍い音と共に身体を石造りの床に叩きつけられた。

「痛たた……肩打っちゃった……」
マーシャは独りごちつつ、首に掛かっている見慣れないネックレスに気がついた。それには、骸骨の形をしたものが幾つか付いている。

「何よこれ……趣味悪い。こんな縄、燃やして……」
マーシャは魔法で、指先に火の玉を作り出そうとした。が、何度か試してみたものの、マーシャの指先には、消えかけの蝋燭程度の炎も作り出せなかった。

「どうして魔法が……」
マーシャは何度も何度も魔法を試したが、ただの一度も成功しなかった。

焦るマーシャへ追い打ちをかけるように、部屋の外から誰かの話し声が聞こえてきた。

「いいなあ、ラグリフ様は。あのマーシャって女、かなりの上物だぜ……」
「ああ、あんな女はグランメリスにはいない。何処からだっけ?」
「あー……確か、レムリスだとか」
「んな遠いところ、行けないな……。暖かいところには、あんな女が何人もいるのかねえ……。なあ、こっそり、イタズラしてやろうか」
「おい、やめとけよ……」

ドアノブが音を立て、ドアが開き始めた。マーシャは咄嗟にベッドの下に転がり込み、息を潜める。ベッドの下は埃だらけで、うっかり吸い込みそうになったが、息を止めて耐えた。

ドアはそっと開かれ、男が一人、部屋に入ってきた。

「おい、やめろって……」
ドアの外に立っている男が、小声でもう一人の男に話しかけている。

「黙って見張りでもしとけ、臆病者がぁ!」

マーシャに近付いてくる足音。しかしすぐに止まった。

「お、おい! 女が居ねえぞ!!」
「なに!?」
「マズいぜ……知らせねえと……」
「バカ! ダマってろ。何のために部屋に入ったのかと、問い詰められるに決まってる」
「それもそうだな……お前臆病者の癖に頭良いな」
「お前がバカなだけだろ。ラグリフ様が手籠めにしようとしている女に手を出そうなんて……。とりあえずドアを閉めて、離れるぞ。おれとお前は、何も見なかった。部屋の前を通り過ぎたが、特に変わった様子はなく、静かなものだった」
「お、おう……」

男たちがそっと、部屋から去って行った。

(て……手籠めって……。何故か魔法も使えないし、手足縛られてるし……。どうしたら……。やだ……やだよ……! ジャッシュ……助けて……!)

マーシャはそんな事を思いながらも、何とかして縄を切れないものかと、埃まみれのままベッドの下から顔を出して部屋を眺めた。

(自分でも努力してみないと……)

マーシャは床を転がりながら、何か尖っている物はないかと、必死で探し始めた。

◆◆

時は少し遡って、ラグリフが煙を放った直後——

謎の煙がジャシードたちを包み込む様子を、ファイナはギリギリの忍耐で見送っていた。

(ここで私が捕まるわけにはいかない)

ファイナは、ジャシードたちが衛兵に運び出されていく様子を、気配を消したまま眺めていた。

「お前たちが如何に強かろうと、私の前では無力だ。愚か者どもめ。全員の武具は取り上げて、倉庫に持って行け。それから、男どもは地下牢にぶち込んでおけ。腕輪を忘れるでないぞ、暴れられたら、たまったものではない。待て待て、その女は手足を縛って私の寝室に寝かしておけ。腕輪……いや、ネックレスにしておくか」

衛兵たちは、ラグリフの命令通りに五人を運んでいった。

「さて、もうひと仕事片付けてくるとしよう……。何もないはずの夜に、楽しみが増えたな。嫌がる娘を縛りつけ、抵抗しなくなるまで思うまま……興奮してきたわい。く、くくく……はっははは!」
ラグリフは大笑いしながら、悠然と部屋を出て行った。

(さて……どうするか……。ラグリフとやらを始末するのが手っ取り早そうだが……、近頃のグランメリスの管理構造は分からない。何となく、ラグリフの独裁のような気はするが……。奴を始末しても、もしかしたら解決しないのかも知れない。すると、単に脱出させる手助けをするべきか……。だとすれば、まずはマーシャの救出が優先だな)

ファイナは方針を決めて行動を開始した。感覚を研ぎ澄ませて、うっすらと漂うマーシャの残り香を追う。追跡の特技は、対象の意識がはっきりしていないと、正確に居場所を把握できない。マーシャが意識を失っている今、ファイナの追跡は鋭敏な五感のみが頼りだ。

(こうしてみると、ワーナック城の迷路のような構造は、異常なまでに追跡が困難だ……。仮に追跡の特技が上手く使えたとしても、そこへ辿り着くための道のりが見えない)

ファイナは数々の足音の中から、小さな集団で動く足音を聞き分け、その後を追いかけようと努めた。

(く……行き止まりか……)

ファイナは来た道を引き返そうとしたが、通路だった場所の壁が動いて、行く手を遮った。

「ようやく捕まえたぞ。もう一人の客人」
声の主は、ラグリフだった。

「お主は相当な手練れと見えて、気配を掴むのに苦労したぞ。探すのに夢中で、私の気配には気づかなかったであろう? はっははは!」
高笑いの後、壁から白い煙が染み出すように漏れてくる。

(く……嵌められた……。脱出できないか……!?)

ファイナは動ける通路の壁を調べて回ったが、どこにも脱出できそうな場所はなかった。

「出口はこの壁の向こうだけだ。残念だったな! お前は若いムスメの後に相手をしてやるぞ。一晩に二人か、素晴らしい夜になりそうだ。はは……はっはははは! 笑いが止まらん!」

いよいよファイナが閉じ込められた行き止まりに、白い煙が充満してきた。

(何と言うことだ……不覚を取るなど……!)
ファイナはとうとう白い煙を吸ってしまい、意識が遠のいていった……。

「衛兵、衛兵!」
ラグリフが声を上げると、程なく衛兵が三人やってきた。

「隠し扉の向こうにいる女を、二号室に連れて行け。手足は縛って、ペンダントを着けてな。それから、夕食の準備をせよ。たらふく食べてからは、お楽しみぞ……はっはははは!」
ラグリフは、衛兵たちにファイナを引き渡して、高笑いを上げながら歩いて行った。

◆◆

マーシャは縛られた手足のまま、ベッドの支柱を後ろ手に手繰って何とか立ち上がった。高くなった視点で辺りを見渡す。

ベッドが中心にあるその部屋には、ベランダに出られる大きなガラス製のドアがある。その他にはワードローブが二つと、丸テーブルに椅子が二脚、部屋の四隅に背丈ほどの燭台が置かれている。

マーシャはまず、窓から脱出できるかどうかを両足でぴょんぴょんと跳びながら、確認しに行った。

「思ったより高い……」
窓から外を見ると、眼下に城壁が見える。城壁の高さを考えると、そこから脱出するのは難しい。窓を破って外に出たとしても、ここは敵地だ。誰も助けがいない状態では、ベランダに出たとしても逃げ出す決定打にならない。

「他には……」
マーシャは再度、部屋を見渡す。

よく見ると、丸テーブルの上に、十センチほどの小さな燭台が見える。その燭台には、尖った槍のような装飾が一対ついていた。

「あれだ……!」
マーシャはぴょんぴょんと跳ねながら、丸テーブルへと近づいていき、明かりの灯っていない燭台を顔で押して落とした。金属が石に当たる音が、辺りに広がる

「よしっ!」
ゆっくり膝を着いて再び床に寝転んだマーシャは、燭台を後ろ手に持ち、燭台を何度も乗り越えるようにしてゴロゴロとベッド近くへと戻った。もし誰かが来たら、またベッドの下に隠れなければならない。

マーシャはベッドの支柱に燭台を引っかけ、縄に装飾の尖っている部分を当て、チカラ一杯押し込んだ。装飾の尖った部分が、縄にぐいぐいと食い込んでいく。すると、少しだけ縄が切れる音が聞こえてきた。

「いけるわ……」
更にチカラを込める。

すると、縄が一部だけ切れて、勢いで装飾の尖っている部分が腕に突き刺さった。

「痛っ!!」
つい大きな声を出してしまい、慌てて心を落ち着ける。幸い、切り傷程度で済んだようだが、血液が流れ出ているのが感じられる。上げてしまった声に反応する物音も聞こえない。マーシャはほっとして、軽く溜息をついた。

(危ない、危ない……)

マーシャは痛みに耐えて、更に傷つく怖さに耐えて、縄を切ろうと必死にチカラを込めた。何度か腕に怪我を負い、腕が少しぬるっとしているのが感じられては、乾いていくのを感じていた。

(きっと、腕が血塗れなんだろうなあ……ジャッシュに見せる前に洗い流したい)

マーシャはそんな事を思いながら、腕にチカラを込めていた。縄は直径の半分程度、切れただろうか……。しかしまだ、マーシャのチカラでは縄を切ることができない。

そんな頑張っているマーシャに、絶望の時が訪れた。階段を上ってくる足音が聞こえ、マーシャは再び、埃だらけのベッド下へと、転がって身を潜めた。

——コツ、コツ、コツ

足音はゆっくりと、だが確実に大きくなってきた。

そしてドアを開ける音が、静寂が支配する部屋に響き渡る。

「おや……目が覚めておったか。もう少し長く効果が持続すると思っていたが」
ラグリフは独り言ちて、真っ直ぐベッドの方へと歩いてきて、ベッドの下を覗き込んだ。

「ひっ!」
マーシャは息を飲む。

「ふふ……私は、元冒険者でね。自慢になるが、当時は名うてのアサシンだった。お前たちの仲間にもアサシンがいるから、分かるだろう。私は追跡したり見つけ出したりするのは、得意なのだよ。さあ、大人しく出てくるべきだ。燭台で縄を切ろうとは頑張ったな」
ラグリフは、マーシャが使っていた燭台を拾い上げ、ワードローブの中に仕舞い込んだ。

「寄ってこないでよ!」
マーシャはゴロゴロと転がって、ラグリフから離れる。

「そうはいかん。今夜のお楽しみなのだ。お前と、もう一人の女もな……くく……はっはははは!」
ラグリフの高笑いだけが、部屋にこだました。

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