イレンディア・オデッセイ

サイキハヤト

第80話 無表情なエルフ

ジャシードとガンドの特訓が始まった。スネイルはすぐに手持ち無沙汰になり、特訓に参加するため、外へ出て行った。

「ファイナさんは、おいくつなんですか?」
マーシャはずっと気になっていた事を聞いてみた。

「敬語は必要ない。よく覚えていないが、恐らく三百八十ぐらいだと思う。いちいち数えていないな」
壁際に座ったままのファイナは、片膝を抱えたまま真顔で答えた。

「エルフって凄いのね……ジャッシュから話は聞いてたけど、本当に長生きなのね。肌もきれいだし、皺もないし、とっても若く見えるわ」
マーシャはとても驚いていた。ファイナが自分の二十五倍もの年月を生きているとは思えなかった。

「意識したこともない」
マーシャの感心をよそに、ファイナは淡々としている。

「エルフは何歳ぐらいまで生きられるの?」
「種族によって違う。私の種族ウッドエルフは、概ね千五百から二千と言ったところか」
ファイナは、真顔のまま答えた。

「やっぱりファイナさんは、まだまだ若いのね」
「間違ってはいない」
ファイナは、小さく頷いた。

「だから、敬語は要らないって言うの?」
マーシャはふと気づいて言った。ファイナの『敬語は必要ない』には、何か定型的な物を感じたからだ。

「それもある。実際のところ、私は人付き合いが得意ではない。以前、バラルに『せめて話し言葉だけでも親しくしてもらえ』と言われたので実践している」
ファイナは微動だにせず言う。

「それで、しつこく言っているのね」
マーシャは少しファイナの事が分かってきた気がした。しかし、マーシャはこんなに愚直な人を見たことが無かった。

「む。しつこいか。私は。しつこいのか?」
ファイナは、『しつこい』という言葉に強く反応した。

「ふふ、そうね。『敬語要らない』に関してはしつこいわ」
マーシャは敢えて素直に言った。ファイナには、これを素直に言っても、ファイナには嫌われないと分かったからだ。

「む……そうか。加減が難しい」
ファイナは腕組みをして、加減について考えている様子だ。

「相手が慣れるまでは、待ってあげてもいいかもね」
恐らくファイナが到達しないであろう事について、マーシャは提案してあげた。

「いつ、慣れる? 三日か、七日か、ひと月か、一年か、もっとか?」
ファイナは、まっすぐ前を向いたまま、畳みかけるように聞いてくる。彼女にとっては、全く分からない領域の話のようだ。

「きっと、相手によって違うわ」
「難しいな」
マーシャの言葉に、ファイナはまた考えてしまう。本当は考えなくても良いことを、真面目に深く考えてしまう。しかしそれでも、考えたからと言って、今のファイナには答えを出せないのだ。

「ファイナさんにも、慣れが必要なのよ。きっと、もっと他の人やエルフと付き合わないといけないのよ」
マーシャは、ファイナの近くに移動して座り直した。

「付き合うのは難しい。上手く話さないと、皆どこかへ行ってしまう」
「それに負けていたら、成長しないじゃないの」
「負ける? 私は負けているのか。成長していないのか?」
「そうよ。だって、どこかへ行ってしまう、で終わっているんでしょ?」
「確かにそうだが」
ファイナは組んでいた腕をほどいて、顎に手をやった。頭の中で彼女なりの解決策を模索しているようだ。

「諦めずに、やり続けた方がいいと思うわ……。私は小さい頃、魔法がちっとも上手く出来なかったの」
ファイナの姿を見て、マーシャが切り出した。

「周りには衛兵の父親と、元冒険者のセグムおじさんにソルンおばさん。そして小さい頃から努力して成長していくジャッシュ。そんな人たちに囲まれていたから、私だけ、出来ない子で……。
辛かったし、みんなに当たり散らしていたこともあったの。でも、諦めずに努力し続けて、今では魔法が得意になったのよ。
きっと、人付き合いも同じ事よ。もっともっと接すれば、話せば、そうし続ければ、諦めなければ、いつか成長できるはずよ。それに、エルフの一生は、まだまだ長いんだろうし」

マーシャは横目にファイナの顔を眺めた。ファイナの表情には大して変化がないものの、今までまっすぐ前を向いていたその視線が、初めてマーシャの方へ傾いたのが分かった。

「そうか……。そうだな、やってみよう」
ファイナの目に、チカラが宿ったのが分かった。彼女の中に、新たなる課題が設定されたのだ。まだ彼女には少し難しいかも知れないが、エルフの長い年月の間に効果が出るかも知れない。

「話すのに少し慣れてきたら、変えてみるといいかも」
マーシャは、次の課題を口にした。お節介かとも思ったが、ファイナといつまでも居られないだろうし、ファイナは次の課題を自ら見いだせない気がしていた。こうして話せるときに言うしかない、とマーシャは思ったのだった。

「話し方もか。それは難しいな。今の話し方は問題があるか」
ファイナは視線だけでなく、顔をマーシャへ向けて、目を見開いている。
ファイナは三百何十年も同じ話し方をしてきて、その話し方を指摘されたことが無かったのだろう。他の人間やエルフとの接触がなかったのだから当然と言えば当然だ。

「冷たい感じがする事もあるわ。滅多に話さないからかも知れないけど、それもあるから、距離を置かれているように感じるの。きっと話しているうちに、相手も分かってくれるとは思うけど、初めからそう思われない方が良いよね」
「どうすれば良いだろうか。どうすれば、冷たそうに感じないだろうか」
ファイナは身体をマーシャの方へ向けて座り直した。

「まずは話す前のことだけど、ひとつは表情ね。ファイナさんは表情がいつも同じだから、少し柔らかくしてみたらどうかしら」
「難しいことを言う……どうすれば良いのか、見当もつかない」
ファイナは表情を変えようとしているように見えなくもないが、全く変わっていない。

「こうとか」
マーシャは微笑んで見せた。

「かわいらしいな」
ファイナは素直な感想を述べる。

「やってみて」
「こう……か?」
ファイナの表情は、大して変わっていない。

「鏡が欲しいわねぇ……」
「ない物は、仕方ないな」
ファイナは、笑顔になりきれていない、中途半端な顔のままで言った。

「そうね、仕方ないわ。でも笑顔の練習はしてみてね」
「なるべく、やってみよう。すぐできるかは……分からないが」
困ったようなことを言いながらも、ファイナの表情は変わらない。あまりにも長く、表情を出さなくても良い生活が続いていたファイナには、表情を変化させるのが難しかった。

「すぐできなくても良いのよ。努力し続けることが大切なの」
「そうか。弓の練習と同じだな」
ファイナは合点がいったように頷いた。

「そう、そうよ! ファイナさんは、弓の名手じゃない!? どうやって練習したの?」
「日々の練習だな」
「初めから上手かったの?」
「私は不思議と下手ではなかった」
淡々と、ファイナは言う。

「まあ……嫉妬しちゃうわ。そんな人もいるのね……それともエルフだから?」
「エルフが皆、弓が上手いわけではない。私は元々下手ではなかったが、それでも、今ほどの腕ではなかったな」
ファイナは遠い遠い、昔のことを思い出しながら答えた。

「練習して、今みたいに凄腕になったのね」
「まあそうだ」
ファイナは真顔で頷き、マーシャは微笑みながら頷いた。

「笑顔も、話すのも、弓も、練習あってこそよ!」
大したことではなかったが、マーシャは言いたいことを言えて満足した。ファイナなら、きっとやってくれるに違いない、そう思えた。

「そうか。うん、分かった。やり続けてみよう」
ファイナは、マーシャの期待通りの返事をした。きっと彼女は、少しずつ努力を始めることだろう。

「まずは、普段から話すのに慣れることね。慣れるまで『敬語は必要ない』は禁止よ。相手が敬語でも、仲良くしていれば、きっと自然と敬語じゃなくなるものだから」
「そういうものか。お前は凄いな、マーシャ」
「慣れれば、ファイナさんにもできるわ」
「そうだといいが」
「信じてやる事ね」
「そうしよう。『やり続けることが大切』だ。若いのに、良いことを言う」
「私もそうしてきたからね」
マーシャがそう言ったとき、ファイナの表情が少し緩んだような、そんな気がした。

◆◆

何となく仲良くなったマーシャとファイナは、特訓に出ている男たちのために、ラマで運んできた食料を使って食事をこしらえ始めた。
ファイナは単独で行動していた時期が長いためか、料理の手際も良く、マーシャと共にそつなくこなした。

料理の途中、ナザクスがどこかの家から借りてきたという、簡素なテーブルと椅子を持ってきた。ナザクスは、彼なりのやり方で贖罪をしているのかも知れないとマーシャは思った。

「ほら、ガンドもう一息!」
「もうだめ、もうだめ……」
「情けないぴっかりん!」
「痩せちゃう、もう痩せちゃうよ……」
「痩せるためにやってるんだろ!」

ナザクスが戻っていき、料理がそろそろ終わるという頃、外が騒がしくなってきた。

「なかなか、鼻がきく奴らだな」
「ホントね」
マーシャとファイナは、顔を見合わせた。

ドアを乱暴に開ける音がして、倒れ込みながらガンドが家に入ってきた。

「邪魔どけ」
スネイルがガンドの尻を引っぱたく。

「痛い……スネイル……覚えてろおおお」
「何を?」
「一瞬で忘れたふりすんな!」
「元気なら動け通れない」
スネイルが倒れているガンドの脇腹を持ち上げると、ガンドは床をごろごろと、ラマを繋いでいる岩まで転がった。

「ラマあ、僕を労ってよ……」
ガンドはラマに癒やしを求めたが、残念ながら、ラマは鼻を鳴らしただけであった。

「今日はよく頑張ったね、ガンド」
ジャシードは身体に着いた雪を払ってから、家の中に入ってきた。

「ジャッシュの特訓はキツすぎる。死んじゃうよ」
ガンドはまだ、息も絶え絶えだ。彼の身体に着いていた雪は、上がった体温で溶けていき、床にシミを作っている。

「これくらいはやらないと、筋肉はつかないと思うよ」
ジャシードは多少息が上がっている様子だが、まだまだ余裕がありそうに見える。

「特訓は何をしてきたの?」
マーシャは、ちょうど出来上がった食事を皿に盛り分けた。

「ロウメリスは初めて来たから、街の周りを二周、走ってきたんだ。それから、草を育てている人のところに行って、草に被っている雪を取り除いたり、道の雪を脇によけたり」
「殆ど仕事だよ……特訓って言うよりさあ」
ジャシードの説明に、ガンドが不満のひと言を被せた。

「ぴっかりんは文句多すぎ」
「うるさいなあ」
スネイルとガンドは、相変わらずだ。

「街はどうだったの?」
マーシャは、テーブルに皿を配置しながら尋ねた。

「見たとおり、とても貧しい街だね……。家はみんな古くて、壁に穴が開いたのを土で塞いであったりしてた。どういうわけか、ロウメリスの近くには怪物が来ないけれど、もし来てしまったら、この街は壊滅してしまう気がするよ。僕は、ロウメリスをこんな風にしているグランメリスの人は酷い人だと思う」
ジャシードは語気を強めて言った。その言葉には、静かなる怒りが含まれていた。

「ジャッシュは、ロウメリスを何とかしたいと思っているのね」
「もし僕たちに何かできるのなら、やってあげたいと思ってる」
ジャシードの表情は真剣だった。

「もしかしたら、それは凄く危険な事かも知れないけど、それでもやるの?」
「やれることはないか、探してみたい」
ジャシードの言葉を聞いて、マーシャは少し笑ってしまった。

「ん、何かおかしなことを言った?」
「ジャッシュはそう言い出したら、止まらないのよね、と思って」
「誰かの役に立ちたいから、僕は冒険者になったんだ。少しも変わってないよ」
「ううん、悪いわけじゃないのよ。私たちはジャッシュについて行くわ。ナザクスが止めてもね……さ、食べましょ」

草の臭いのする鹿の糞によってほんのり暖められた部屋で、豪華ではないが身体が温まる食事をし、心を落ち着けてゆっくり休むことができた。

◆◆

翌日早朝、一行は街の入り口に再び集まった。
そこには、『スノウブリーズ』がいた。弓を持ったシューブレン、杖をついていないレリート、大剣を担いでいるナザクス、少し元気を取り戻したミアニルス。四人が万全の様子で、集まってきていた。

「これからグランメリスまでは、きっちり戦うぜ」
ナザクスは、ヒートヘイズたちにそう宣言した。

「もう護衛は要らなさそうね」
「ああ、マーシャ。正直もう要らないが、お前たちはどうする?」
ナザクスはヒートヘイズたちを見渡しながら言った。

「僕たちもグランメリスまで行く。そういう依頼だったから、最後までやり切る」
「そうか、分かった。よろしく頼むぜ、ヒートヘイズ」

スノウブリーズと商隊、そしてヒートヘイズたちは、グランメリスへ向かって出発した。

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