イレンディア・オデッセイ

サイキハヤト

第77話 スノウクロッド

新しく買ったブーツが、雪の鳴き声を響かせる。キラキラと輝く粒が舞い降りて、積もった雪と共に眩く輝いている。時折風が吹き抜けては、積もった粒を巻き上げ、粒はまたゆっくりと舞い降りる。

ごくありふれたメリザスの日常は、初めてこの地を踏む者たちの記憶に、強く深く刻み込まれる。もっとも、一般市民にはその機会はなく、勇気と実力の伴わぬ冒険者にもその機会はない。

かつてセグムやソルン、オンテミオンを初めとするその仲間たちもこの道を通り、メリザスへと向かったことがあった。その道を、冒険者となったセグムの息子ジャシードが行く。
冒険者とは、かくも険しい道のりを行く立場だ。何の後ろ盾もなく、自らが決めた目標へ向けて、多くの場合は命を賭して行かねばならない。

多少なりとも緊張感のあるスノウブリーズたちとは対照的に、ヒートヘイズの四人は殆ど旅行を楽しんでいる旅人のようだ。少なくとも、彼らを深く知らない者にとってはそう見える。

「アニキ、何か来たぞ」
旅人のように雑談を楽しんでいた小さな少年は、突然雑談を遮って言葉を発し、両腰の柄から短剣を抜く。微かな金属音を立てた二本の短剣は、陽の光を反射してキラリと光った。

街道から外れ、かなり遠い場所にあった白い煙があった。その煙はまるで生き物のように動き、真っ直ぐこちらへと向かってくるように見える。

「スノウクロッドだな。ヤツらは群れで行動する。この辺りのヤツらは氷の魔法を使うから、そのつもりでな」
ナザクスは剣を抜き、戦闘態勢を取った。

「休んでれば? て言うか邪魔すんな」
スネイルが冷たくナザクスに言い放った。

「邪魔はしねえよ。動けるから戦う。一応おれはこの辺りには詳しいし」
「邪魔しないならいいけど。あとアニキを襲おうとしたら殺す」
「何度も言うけど、もうやんねえよ……疑われても仕方ないけどさ……」
ナザクスは、ジャシードを補佐しやすそうな右後方に立って、いつでも出られるように準備を整えた。その状態でも、スネイルの視線だけでない視線を感じていた。

スノウクロッドは、スネイルが呼び寄せる必要すらなく、真っ直ぐに向かってきた。その数、四体。雪のようなものが渦巻いているような怪物だ。
クロッドと呼ばれる怪物は、何で構成されているかによって、その形を変える、不思議な怪物だ。もっとも、全てのクロッドが同じ種類なのかは誰も知らないのだが。

「メリザスの怪物どもには、街道の魔法が効いていないものが多い。あるいは街道の魔法なんて掛かっていないのかも知れないが……とりあえず、一体引き受けるぞ」
ナザクスは一撃入れようと剣を構えた。大剣でない剣は余り慣れていないようで、どことなく所作がぎこちない。

「じゃあ、魔法に気を付けて! ガンドは魔法警戒、治癒魔法中心でお願い」
ジャシードはウォークライを放ち、スノウクロッドの注意を自分に集めた。

ナザクスはそのタイミングに合わせて、スノウクロッドの雪が一番濃い場所に剣を振り下ろした。細身の剣であるのを忘れるほどの轟音が鳴り響き、スノウクロッドが半分に別れる。

「スノウクロッドの弱点は、濃い雪を吹き飛ばすと見えやすい」
ナザクスは予告通り、スノウクロッドの注意を引いて、ジャシードから一体引き剥がした。

ジャシードは、スノウクロッドからの氷の魔法を躱し、そのモヤモヤしている雪の濃い場所にファングを叩き込む。しかしスノウクロッドは確たる実態を持たないため、ジャシードの剣はその中を通り過ぎて反対側から出てきた。
剣の軌道にあった雪は剣筋に沿って切れ目ができ、中身を何とか見ることができる。そこには何もなく、更に向こうのスノウクロッドがいるのが見えるのみだ。

「くっ!」
ジャシードの肩に氷の欠片が突き刺さった。彼がまともに攻撃を受けることは非常に珍しい。攻撃を受けたと思っても、部分的な力場を発動させているか、武器で受け止めているかだ。

スノウクロッドの魔法は、ジャシードが避けられない、視界の外側からタイミングを見計らって放たれていた。それは明らかに今までの怪物たちと違った、賢さのようなものを感じることができるものだ。

「油断すんなよ、神経を研ぎ澄ませるんだ!」
ナザクスは、目の前のスノウクロッドから目を離さずに声だけ張り上げた。

ジャシードに突き刺さった氷の塊は、すぐにジャシード本人によって引き抜かれ、ガンドの治癒魔法で傷が塞がれる。

「ありがとう、ガンド」
「ジャッシュに傷をつけるなんてね。メリザスの怪物たちは本当に強いんだなぁ」
ガンドは素直に驚いていた。そして今後、こう言うことも増える可能性があると認識し、気持ちを整えた。

「ジャッシュに傷をつけた罪は重いわよ!」
マーシャは杖の先と左手に、それぞれ大きな火球を作り出し、連続で放った。

大きな火球はそれぞれ別々の軌道を描きながら、スノウクロッドに迫る。すると、スノウクロッドの一体が後ろに下がって、火球に対して氷の魔法を連続して放ちだした。
火球は次第に小さくなって、氷の魔法に打ち消されたが、もう一つの火球がスノウクロッドに命中した。火球が命中したスノウクロッドは、ボフッという音を立てながら雲散霧消した。

「私の魔法を打ち消すなんて、生意気な奴!」
マーシャは頬を膨らませている。

ヒートヘイズの面々が『いつもの調子』を崩されている中、スネイルはいつも以上のチカラを発揮していた。スネイルにはよく見えたのだ……スノウクロッドを支えている場所がどこなのかが……。

スネイルはワスプダガーを突きだし、スノウクロッドの『核』を狙った。スノウクロッドの核を貫こうとする腕は、戦闘しやすさを重視して服装が薄くなっているために、凄まじい冷たさに襲われる。しかしスネイルは、その冷たさをものともせずに核を貫いた。

核を貫かれたスノウクロッドは、すきま風が強く吹き抜けるような音を立てながら、核の回りに纏わり付いていた雪をまき散らして消え去った。

ジャシードとナザクスは、雪を退けることで精一杯になっていた。ナザクスは通常、こうしている内に仲間の支援があるのだが、今はその支援がない。手負いの二人はまだ傷が回復しきっていないし、ミアニルスは連日の治癒魔法の使いすぎで、昼間から目が虚ろになっている。

しかしそんな中、スネイルはあっという間に、ジャシードの目の前にいるスノウクロッドの核を貫いた。更に、流れるような身の熟しで、ナザクスの目の前にいるのスノウクロッドの核をも貫いた。

「ふう、たったの四体だと思ったら、思いのほか大変だったね」
ジャシードはファングを鞘に納めつつ、小さく溜息をついた。

「どんな怪物でも油断できないぜ。スノウジャイアントも、油断していると殺されるぞ。お前たちがやられると、おれたちもやられてしまう。頼むぜ、ヒートヘイズ」
ナザクスはそう言って、彼の仲間の近くへと戻っていった。

「スネイルは大活躍だったね」
ジャシードは、スネイルの頭をポンポンしてやった。

「えへへ。おいらはいつも大活躍だよ」
「そうだな。頼りにしてるよ、スネイル」
ジャシードにそう言われたスネイルは、嬉しくなって変なステップを踏みながら歩いた。

一行はそれから怪物に出会うこともなく、テーウェ湖と呼ばれる湖まで到達した。テーウェ湖は、湖と言っても、表面は殆ど薄い氷で覆われている。ナザクスが言うには、湖の中には湧水があり、その流れがあるおかげで表面の氷が厚くなることはないのだという。
そもそも、湖が凍っているという事象そのものが珍しいヒートヘイズの面々は、湖面の薄氷を見て感嘆の声を上げていた。

その日の野営地は、テーウェ湖から少し北へと進んだところにある山地にある洞穴だった。その洞穴は人の手によって掘られたものであり、野営ができる場所が見当たらないメリザスでは、このような場所は貴重だ。

洞穴の中は、かなり広くなっており、吹き込んだ雪で覆われていた。全員が洞穴の中に入った後、洞穴の中に置いてあるスコップで、雪を入口に積んでいった。入口を雪の壁で覆い隠せば、かなり目立たなくなる。

「入口を塞いだら、息苦しくならないの?」
マーシャは心配になって、ナザクスに言った。

「そこら辺は心配ない」
ナザクスはそう言いながら、彼らの荷物に入っていた大きな瓶と青白い玉を取り出した。瓶の中に玉を入れ、瓶を振ると玉が割れた。すると、瓶の中からそよ風程度の、やや暖かい空気の流れが発生しているのを感じられた。

「この玉には魔法で空気が閉じ込められていて、割ると半日ぐらいは、ほんの少し暖かい空気を出し続ける。メリザスで行動するのには必要な魔法の道具だ。お前たちもグランメリスまで行ったら、仕入れた方がいいぞ」
「生活の工夫なのね。魔法が発達しているのは、ネクテイルだけじゃないのかしら?」
マーシャは少しグランメリスに興味がわいた。もし魔法が発達しているのであれば、見学しなければならないと感じたからだ。

「いや。グランメリスで凄いと思える魔法の道具は、この『空気の玉』だけだな。必要だから作って、高値で売りつけるのがグランメリスだ」
「何というか、欲に塗れているのね……」
マーシャの想像は打ち砕かれてしまい、ちょっと残念な気分になった。

「グランメリスに、何か良いことは期待しない方がいい。どんな奴らにも欲が渦巻いている」
ナザクスはそう言いきった。

その夜は、寒い夜に慣れていないヒートヘイズたちにとっては、厳しい夜になった。マーシャはジャシードに、スネイルはガンドに寄り添って、毛皮と厚手の布に包まって何とか眠りについた。

◆◆

朝方になって冷たく頬を撫でる風に無理矢理起こされた。空気の玉から出ている少しだけ暖かい風も
、閉鎖空間に充満すると、洞穴の入口に積んで置いた雪の壁を少し溶かすほどになるらしい。雪が溶けた場所から冷たい風が吹き込んできていた。

「ちょうど良いタイミングで……入口が溶けたなァァァ……」
ナザクスは口を大きく開け、大欠伸をしながら言った。

全員の準備ができたことを確認すると、注意深く、少しずつ入口の雪をどけて外に出た。雪が眩く目の奥に刺さるように輝きを放っている。目が慣れてくると、再び真っ白な世界だ。街道が山と山の間を縫うように伸びているのが見える。

一行は、街道沿いに北を目指して歩き行く。街道の魔法がほぼ効かないのは分かっているが、街道沿いに行かないのは自殺行為になる。わざわざ狙われに行くような愚行は避けるべきだろう。

「ナザクス。この辺りの怪物のことをもっと良く教えて欲しいんだ」
ジャシードは、この後の戦いのために情報が欲しかった。これまではバラルがその役目を果たしてくれたが、今頼れるのはメリザスのプロフェッショナルである、スノウブリーズの面々だけだ。

「まず言うべきは、スノウジャイアントだな。ヤツらの大きさは、小さくても十メートルはある。主な攻撃は、拳と、岩だ。岩をぶん投げてくるのは、正直キツい。だからなるべく、ヤツらに遭遇したら、岩の無い場所で交戦すべきだ。だがヤツらは、地面を掘ってでも岩を取り出す。逆に言えば、地面を掘っているときは隙になる。そして何より、ヤツらは傷つくことを恐れない。これも正直キツい。恐怖のない敵の怖さは、お前も分かっているんじゃないのか、ジャシード」
ナザクスは、ジャシードが放つ紅のオーラを思い出して、寒さからではない身震いをした。

「他には、ゴブリンとコボルドの類だ。ヤツらは数十と言う集団で動いている。だが、個体毎はそれほど強くは無い。ただ、魔法やら弓矢と言った飛び道具がある。注意しないといけないのは同じだ」
ナザクスは、更に続ける。

「氷のゴーレムなんかもいる。それらは雪を凍らせて投げつけたり、雪に拳を同化させて、離れた場所から出現させるような攻撃もある」
「それは、サンドゴーレムと同じ」
スネイルが記憶を掘り出して言った。

「だね。飛び出てきた手を溶かしたらどうなるかな」
「まさにその辺りが倒しやすい方法だな」
ガンドの言葉にナザクスが応じた。

「他にも居るが、今のところ遭遇する可能性があるのはこの辺りだ。ウラハンス橋を越えたら、また説明しよう」
ナザクスは、そう締めくくった。

「止まって!」
スネイルが片手を水平に上げて一行を止めた。その視線の先には、微かに煙り立つような物が見える。

「スノウクロッドかな?」
ガンドが囁くように言った。

「いや、あれは違うな……こりゃ、見つかるなってのが無理だ……」
ナザクスが観念したような声を上げる。その様子に誰もが気づいた。その雪煙の向こうにいるのが、スノウジャイアントであろう事を。

僅かだった雪煙は、次第に大きくなり、次第に早くなっているのが分かった。スノウジャイアントは、スネイルが気づくよりも前から、こちらの集団に気づいていたと見える。

「ミア、全員後ろに下がらせろ。ヒートヘイズたちのラマも連れてだ」
ナザクスは剣を抜きながら、南へ指を向けた。

「う、うん」
ミアニルスは、ガンドからラマの綱を受け取ると、すぐに南へと向かい始めた。ラマは何度か北を振り向いては首を上げ下げしていたが、諦めたのか素直に綱の引かれる方へと進んでいった。

「さあ、本当の戦いが始まるぜ……生き残れよ」
ナザクスは、後ろに下がっていくミアニルスたちを確認すると、前へ向き直った。

「ナザクスも無理しないようにね」
「ふん、バカ言うんじゃねえよ。無理しないで勝てる相手だと思うなよ」
ジャシードの言葉に、ナザクスは鼻で笑いながら言う。

「三体いる」
スネイルは立ち位置を変えて、これから戦うべき敵の数を確認した。

「さ、三体だと……こ、こりゃあ……マズいな……」
ナザクスは、三体と聞いて戦慄が走った。スノウブリーズとして、経歴があるのは二体までで、その時は死ぬような思いをして勝利を収めたのだった。
しかし目の前にいるのは、明らかにスノウブリーズよりも強い存在だ。それでも、何とかなるかも知れないという希望と、やはり三体は無理だという絶望がナザクスの心に渦巻いた。

スノウジャイアントは、雪煙を上げながら、容赦なく突撃してきた。逃げることはできない。戦うしかないのだ。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品