イレンディア・オデッセイ
第34話 闇にうごめくモノ
サンドワスプを無事に倒したジャシードたちは、昼食を済ませてからドゴールに向かって歩き出した。
スネイルは相変わらず、二人よりも三十メートルほど離れた場所を歩いていた。
「ああ、まだ目がチカチカする」
「もうちょっと休めば良かったのに」
「虫の国から早く帰りたいんだよ。分かっておくれよ」
「冒険者になったら、虫みたいな怪物もきっといるよ。大丈夫?」
「自信ないなあ……」
ガンドのおでこの辺りに、もううんざりと書いてあるような言いっぷりだ。
それもそのはず、サンドワスプの部品は、ガンドが背負っているのだ。今はさぞ嫌な気分だろう。
昼が過ぎてから、辺りの気温は更に上がってきていた。空気が揺らめき、水を飲む回数が増えてきた。水はたくさんあるので無くなることはないが、暑さのため、気持ちが萎えてくるのは否めない。
「砂が本当に熱いね……」
我慢強いジャシードも、上から下から暑く熱くなってくるのには堪えた。
二人は黙って歩いた。スネイルだって歩いているのだから、自分たちだけ弱音を吐けない、そんな気分だろう。
ジャシードは、ふと気づいた。
「スネイルが見えない!」
「え……あ、本当だ」
「もっと慌ててよ……!」
「どうせ先に行きすぎたとか、そんな事じゃないのかな」
「そんな事、今までなかったじゃないか。走るよ!」
「暑いのになあ」
ジャシードは全力で、ガンドはドタドタのんびり走り出した。
熱い砂に足を取られながら走って行ったジャシードは、大きなすり鉢状の凹みを見つけた。
そこには、砂を掛けられて今にも落ちそうなスネイルが、必死で這い上がろうとしていた。
「スネイル!」
「来んな!」
「なんで!」
「お前も出られなくなる!」
スネイルのその言葉を聞いた瞬間、ジャシードは凹みに飛び込んでいた。
「来んなって言ったろ!」
「僕を気遣ってくれる仲間を見捨てろって言うのか! 僕は戦う!」
「バカかよ! バカかよ! バカかよ!」
「なんとでも言えばいい! それでも僕は君を見捨てない!」
ジャシードはそう言い切って、凹みの中心部にいる、巨大なアリジゴクに向かっていった。
巨大アリジゴク。その顎――いや鋏と言うべきか――の大きさはジャシードの身長ほどもある。ジャシードは、スネイルに砂を掛けているその鋏を斬ろうと試みた。
ガキン!
弾かれるジャシードの剣。しかしそれはジャシードの想定内だ。
まずは、自分の方にアリジゴクの注意を向け、スネイルを安全にすることが先決だとジャシードは考えていた。
そしてその通りに、アリジゴクの興味はジャシードに移った。大きな鋏で捕らえようとし始めた。
ジャシードは、敢えて鋏の中心へと飛び込んだ。長剣を真下に構え、一撃必殺の体で飛び込んでいった。
自分の後ろの方で鋏と鋏がぶつかり擦れて、得も言われぬ音を出しているのが分かる。
だがその音を無視しつつ、『さて餌が食べられる』とお待ちかねの口へ、長剣を奥深くまで刺し込んでやった。
アリジゴクは何も音を発することなく、ビクビクと身体を捩り始めた。砂の中にあった本体が、徐々に外へと出てくる。
ジャシードは、そのタイミングを見逃しはしなかった。素早く短剣を腰から引き抜くと、砂の中にあった柔らかい胴体へ、何度も短剣を刺しては抜き、そしてまた刺した。
ガンドはハラハラしながら、すり鉢状の砂の上でジャシードの戦いを観戦してしまった。正直自分が飛び込んでも何かできる気はしなかったが、すり鉢の外側にいてはいけなかったと後悔した。
ジャシードは、巨大なアリジゴクを倒し、砂の坂を掘ってなだらかに加工しながら、スネイルを引っ張るようにして上がってきた。
「いやあ、何とかなったね」
ジャシードは走ってきた汗と合わせて、戦いでかいた汗を腕で拭った。
「たす…………がとう」
スネイルが何か言った。
「ん? 何か言った?」
ジャシードはスネイルに言った。
「助けてくれて、ありがとう」
スネイルは言った。本当にそう言ったのだ。
「あはは。同じパーティーの仲間だろう? 当たり前だよ」
ジャシードはスネイルに微笑んだ。
「助けになんか、来ないと思ってた……」
「何を言ってるんだい。今まで助け合ってきただろう?」
「でも、嫌なこともたくさん言った」
「そうだね、そこは反省した方がいい」
ジャシードはそう言いながらも、笑顔だった。スネイルが自分に向き合って、話をしてくれるのが嬉しかった。
「ごめん」
「いいさ。何かもう、僕にとってはこの旅で、スネイルもガンドも家族みたいな感じに思えているんだ。まだ、会って少ししか経ってないのに。不思議だね」
「じゃあ……、アニキだ」
「え?」
「ジャシードのアニキ、よろしく」
「な、なんかそれは……呼び方のせいかな、実感湧かないけど……。スネイルがそうしたいなら、それでもいいよ」
「よろしく、アニキ」
スネイルは初めて、屈託のない笑顔を見せた。
「な、何だかよくわかんないけど、どういう事なんだろう……。なんか、いつの間にかアニキって?」
ガンドは、急なスネイルの変わり身が理解できなかった。ジャシードがスネイルを助けたのが良かったのか、それとも他に何か含むところがあったのか。彼には分からなかった。
「僕も良く分からないけど、スネイルがそうしたいんだから、いいんじゃないかな」
「そうだ、そうだ。虫には関係ない」
「はいはい。関係ないね。ないない」
もうガンドは、虫と言われてもどうでも良くなっているようだ。
「それじゃ、アニキからスネイルに二つ、聞いて欲しいことがある」
「何?」
「一つ、前に行きすぎないこと」
「わかった。行きすぎないようにする」
「もう一つ、ガンドを虫呼ばわりした事を謝って、もうしないこと」
「…………わかった。ごめん」
ガンドの方を向いて、スネイルはぺこりと頭を下げた。
「ま、許してあげるよ」
ガンドは、小さな子供がやったことだと自分を納得させることにした。
三人は、更に砂地を進んでいった。目標を達成し、問題児スネイルが急にジャシードに懐いたため、問題そのものが無くなった。
気温が上昇して辛い環境の中だったが、足取りは軽くなっていた。
「スネイルはどうやってあの蜂……サンドワスプだっけ……を見つけたの?」
「よくわかんないんだ。なんか、蜂がいる気がして行ってみたらいたんだ」
「それって、集中したらできるのかな」
「わかんないよ」
「僕の父さんは、怪物の場所とか数を感じるのが得意なんだ」
「父さん、か……」
「スネイルのお父さんは、どんな人なんだい?」
「……いない。顔も知らない。ネクテイルの孤児院で育った」
スネイルは、消え入りそうな声で呟いた。
「そっか……スネイル。ごめんよ」
「いいよ。アニキになってくれるんだろ」
「あっはは。そうだ、僕がアニキだよ。今度うちの父さんと母さんに紹介しよう……弟ができたって言ったら、きっと驚くよね」
「アニキの家は、幸せそうだから羨ましかった」
「そっか、そうなんだね。でももう、キョーダイだね」
スネイルは、ジャシードの言葉を嬉しそうに聞いていた。
ジャシードの発する一語一句が、これまで感じたことの無い感覚だった。スネイルは、肌に染みこんでくるようなその感覚を楽しんでいた。
◆◆
「おい、お前。ちゃんと殺してこないと、お前を殺してやる。あの子供を食い殺せ。きっとまだ肉が軟らかい。お前好みの味に違いないぞ。しっかりかみ砕いてこい」
怪物は、命令されると暗闇の中を動き出した。
暗闇の中にいたのは、いくつもの傷を身体に刻み込んだ醜い存在、二つの赤い目を持つフグード。
脅威の再生能力を得たこの生物は、二年前にレムリスを乗っ取ろうとして、怪物たちに街を襲わせた張本人だ。
しかし、レムリスの衛兵たちの協力と、セグム、ソルン、オンテミオン、そしてジャシードの活躍によって瀕死の重傷を負った。普通の生物なら、間違いなく死んでいた。
しかしその再生能力はフグードを殺さなかった。徐々に、何ヶ月もかけて、フグードは再生した。
それでも、ジャシードに切断された手首が再生することはなかった。こうしてこの怪物は、これまでに受けてきた傷の一つ一つに怨念を刻み込み、人間たちに復讐しようとしている。
「……我を苦しめた人間……我の手を奪った人間……この傷は忘れぬぞ……殺す、ころす、コロス……」
暗闇の世界、砂の下に潜っていたフグードは、命令した怪物の動きを追うように、砂を掻いて動き出した。
◆◆
ジャシード達は、今日出発した時の険悪さがまるで嘘のように、和気藹々と帰路についていた。
例の三つ叉の場所へと近づき、巨大アリの話をしながら、ガンドは虫を嫌いになった理由を二人に話したりしていた。
性懲りもなく彼らを見つけた巨大アリを、殆ど同じやり方で倒した。
殆ど、と言うのは、ガンドが頑張って参加しようとしたことだ。アリの足を棒で殴って、すぐに退避していたが、それでも進歩と言えるだろう。
――だが、平和な雰囲気は、一瞬にしてかき消されることになる。
突然、三人の背後の砂が盛り上がり、巨大なミミズのようなものが飛び出してきた。スネイルは背中を大量の砂に押されて倒れ、ジャシードとガンドも砂まみれになった。
「スネイル!」
「平気、押されただけ」
「良かった」
「良くないよ……ジャッシュ、スネイル……あ、あれ……!」
二人は、ガンドが指さす方向へと顔を向けた。
そこには、まるでレムリスの城壁のような高さを持ち、人間三人分ぐらいの太さがある、巨大なミミズのような怪物が存在していた。先端には大きな口と、その口全体にギザギザの歯が生えている。しかも、胴体は砂の中にあるようで、全体はもっと巨大な怪物であることが分かった。
ゴォォォォォォォォォォォ!
ミミズの怪物は、凄まじい音圧で三人を威嚇した。
「こ、これは逃げよう!」
ガンドは、二人の腕を引っ張った。二人もすぐに同意して、後ずさりして走り出した。
しかし、ミミズの怪物は砂に潜り、彼らが走っていこうとした方向の砂を巻き上げながら、彼らの逃げ道を塞ぐように出現した。
「逃げ切れない……」
ジャシードは呟いた。
ジャシードは長剣を構えつつ、どうするか考えていた。だが、答えが出ない。前に行くも、後ろに行くも、砂地である以上、自分たちに逃げ場はないと感じていた。
「二人とも……。僕があのミミズを引きつける間に逃げるんだ」
「一人でどうにかなる相手じゃないだろう!」
ガンドは、ミミズの怪物から目を逸らそうとしないジャシードに言った。
「分かってる。でも、誰かが逃げないと、助けを呼ぶこともできないよ」
「でもあんなの……」
「ガンド、スネイル、やるんだ。そうじゃないと、全員食べられちゃう……早く!」
ジャシードは、ミミズの怪物から目を離さずに叫んだ。
「わ、わかった」
「スネイルとガンドは、別々の方向に走るんだ。でも、必ずドゴールに行けるように」
「わかった、アニキ」
「いけ!」
ジャシードの号令で、二人は別々の方向に走り始めた。同時にジャシードはミミズの怪物へと走り込んだ。最大の勇気を振り絞って、家族のような二人を守るために。
ゴアァァアァァァァッァアァ!
ミミズの怪物は、ジャシードの方へ大きな口を開けて迫った。
ジャシードは、ミミズの怪物と接触するタイミングを見計らい、全力で砂を蹴って進行方向を変え、ミミズの怪物の食いつき攻撃を躱しつつ、長剣をその口へ向けて振った。
しかし長剣はミミズの怪物の歯に当たって、ジャシードの手から離れて飛んでいった。
素早く短剣を抜き、ジャシードは自分の左側を通り過ぎる胴体に全力で短剣を刺し込んだ。
しかし、刺し込んだのは良かったが、ミミズの怪物の胴体に刺さったまま、短剣もその手から離れてしまった。
ジャシードは長剣を拾い上げようと走ったが、その方向からミミズの怪物が大口を開けて迫ってきていた。距離が近すぎ、もはや避けきれない所まで来ていた。
殆ど無駄だと思いながら、ジャシードは横っ跳びに跳んだ。しかし、距離が足りなさすぎた。
身体の半分は、ミミズの怪物の口に入り込もうとしていた。
少年は、その瞬間のことをきっと忘れないのだろう。自分がもうダメだと思ったその瞬間のことを……。
ジャシードは、ゆっくりと過ぎていくように感じられるその瞬間に、自分の短い人生の期間で接してきた人々の顔が、次々と浮かんでは消えていった。
スネイルは相変わらず、二人よりも三十メートルほど離れた場所を歩いていた。
「ああ、まだ目がチカチカする」
「もうちょっと休めば良かったのに」
「虫の国から早く帰りたいんだよ。分かっておくれよ」
「冒険者になったら、虫みたいな怪物もきっといるよ。大丈夫?」
「自信ないなあ……」
ガンドのおでこの辺りに、もううんざりと書いてあるような言いっぷりだ。
それもそのはず、サンドワスプの部品は、ガンドが背負っているのだ。今はさぞ嫌な気分だろう。
昼が過ぎてから、辺りの気温は更に上がってきていた。空気が揺らめき、水を飲む回数が増えてきた。水はたくさんあるので無くなることはないが、暑さのため、気持ちが萎えてくるのは否めない。
「砂が本当に熱いね……」
我慢強いジャシードも、上から下から暑く熱くなってくるのには堪えた。
二人は黙って歩いた。スネイルだって歩いているのだから、自分たちだけ弱音を吐けない、そんな気分だろう。
ジャシードは、ふと気づいた。
「スネイルが見えない!」
「え……あ、本当だ」
「もっと慌ててよ……!」
「どうせ先に行きすぎたとか、そんな事じゃないのかな」
「そんな事、今までなかったじゃないか。走るよ!」
「暑いのになあ」
ジャシードは全力で、ガンドはドタドタのんびり走り出した。
熱い砂に足を取られながら走って行ったジャシードは、大きなすり鉢状の凹みを見つけた。
そこには、砂を掛けられて今にも落ちそうなスネイルが、必死で這い上がろうとしていた。
「スネイル!」
「来んな!」
「なんで!」
「お前も出られなくなる!」
スネイルのその言葉を聞いた瞬間、ジャシードは凹みに飛び込んでいた。
「来んなって言ったろ!」
「僕を気遣ってくれる仲間を見捨てろって言うのか! 僕は戦う!」
「バカかよ! バカかよ! バカかよ!」
「なんとでも言えばいい! それでも僕は君を見捨てない!」
ジャシードはそう言い切って、凹みの中心部にいる、巨大なアリジゴクに向かっていった。
巨大アリジゴク。その顎――いや鋏と言うべきか――の大きさはジャシードの身長ほどもある。ジャシードは、スネイルに砂を掛けているその鋏を斬ろうと試みた。
ガキン!
弾かれるジャシードの剣。しかしそれはジャシードの想定内だ。
まずは、自分の方にアリジゴクの注意を向け、スネイルを安全にすることが先決だとジャシードは考えていた。
そしてその通りに、アリジゴクの興味はジャシードに移った。大きな鋏で捕らえようとし始めた。
ジャシードは、敢えて鋏の中心へと飛び込んだ。長剣を真下に構え、一撃必殺の体で飛び込んでいった。
自分の後ろの方で鋏と鋏がぶつかり擦れて、得も言われぬ音を出しているのが分かる。
だがその音を無視しつつ、『さて餌が食べられる』とお待ちかねの口へ、長剣を奥深くまで刺し込んでやった。
アリジゴクは何も音を発することなく、ビクビクと身体を捩り始めた。砂の中にあった本体が、徐々に外へと出てくる。
ジャシードは、そのタイミングを見逃しはしなかった。素早く短剣を腰から引き抜くと、砂の中にあった柔らかい胴体へ、何度も短剣を刺しては抜き、そしてまた刺した。
ガンドはハラハラしながら、すり鉢状の砂の上でジャシードの戦いを観戦してしまった。正直自分が飛び込んでも何かできる気はしなかったが、すり鉢の外側にいてはいけなかったと後悔した。
ジャシードは、巨大なアリジゴクを倒し、砂の坂を掘ってなだらかに加工しながら、スネイルを引っ張るようにして上がってきた。
「いやあ、何とかなったね」
ジャシードは走ってきた汗と合わせて、戦いでかいた汗を腕で拭った。
「たす…………がとう」
スネイルが何か言った。
「ん? 何か言った?」
ジャシードはスネイルに言った。
「助けてくれて、ありがとう」
スネイルは言った。本当にそう言ったのだ。
「あはは。同じパーティーの仲間だろう? 当たり前だよ」
ジャシードはスネイルに微笑んだ。
「助けになんか、来ないと思ってた……」
「何を言ってるんだい。今まで助け合ってきただろう?」
「でも、嫌なこともたくさん言った」
「そうだね、そこは反省した方がいい」
ジャシードはそう言いながらも、笑顔だった。スネイルが自分に向き合って、話をしてくれるのが嬉しかった。
「ごめん」
「いいさ。何かもう、僕にとってはこの旅で、スネイルもガンドも家族みたいな感じに思えているんだ。まだ、会って少ししか経ってないのに。不思議だね」
「じゃあ……、アニキだ」
「え?」
「ジャシードのアニキ、よろしく」
「な、なんかそれは……呼び方のせいかな、実感湧かないけど……。スネイルがそうしたいなら、それでもいいよ」
「よろしく、アニキ」
スネイルは初めて、屈託のない笑顔を見せた。
「な、何だかよくわかんないけど、どういう事なんだろう……。なんか、いつの間にかアニキって?」
ガンドは、急なスネイルの変わり身が理解できなかった。ジャシードがスネイルを助けたのが良かったのか、それとも他に何か含むところがあったのか。彼には分からなかった。
「僕も良く分からないけど、スネイルがそうしたいんだから、いいんじゃないかな」
「そうだ、そうだ。虫には関係ない」
「はいはい。関係ないね。ないない」
もうガンドは、虫と言われてもどうでも良くなっているようだ。
「それじゃ、アニキからスネイルに二つ、聞いて欲しいことがある」
「何?」
「一つ、前に行きすぎないこと」
「わかった。行きすぎないようにする」
「もう一つ、ガンドを虫呼ばわりした事を謝って、もうしないこと」
「…………わかった。ごめん」
ガンドの方を向いて、スネイルはぺこりと頭を下げた。
「ま、許してあげるよ」
ガンドは、小さな子供がやったことだと自分を納得させることにした。
三人は、更に砂地を進んでいった。目標を達成し、問題児スネイルが急にジャシードに懐いたため、問題そのものが無くなった。
気温が上昇して辛い環境の中だったが、足取りは軽くなっていた。
「スネイルはどうやってあの蜂……サンドワスプだっけ……を見つけたの?」
「よくわかんないんだ。なんか、蜂がいる気がして行ってみたらいたんだ」
「それって、集中したらできるのかな」
「わかんないよ」
「僕の父さんは、怪物の場所とか数を感じるのが得意なんだ」
「父さん、か……」
「スネイルのお父さんは、どんな人なんだい?」
「……いない。顔も知らない。ネクテイルの孤児院で育った」
スネイルは、消え入りそうな声で呟いた。
「そっか……スネイル。ごめんよ」
「いいよ。アニキになってくれるんだろ」
「あっはは。そうだ、僕がアニキだよ。今度うちの父さんと母さんに紹介しよう……弟ができたって言ったら、きっと驚くよね」
「アニキの家は、幸せそうだから羨ましかった」
「そっか、そうなんだね。でももう、キョーダイだね」
スネイルは、ジャシードの言葉を嬉しそうに聞いていた。
ジャシードの発する一語一句が、これまで感じたことの無い感覚だった。スネイルは、肌に染みこんでくるようなその感覚を楽しんでいた。
◆◆
「おい、お前。ちゃんと殺してこないと、お前を殺してやる。あの子供を食い殺せ。きっとまだ肉が軟らかい。お前好みの味に違いないぞ。しっかりかみ砕いてこい」
怪物は、命令されると暗闇の中を動き出した。
暗闇の中にいたのは、いくつもの傷を身体に刻み込んだ醜い存在、二つの赤い目を持つフグード。
脅威の再生能力を得たこの生物は、二年前にレムリスを乗っ取ろうとして、怪物たちに街を襲わせた張本人だ。
しかし、レムリスの衛兵たちの協力と、セグム、ソルン、オンテミオン、そしてジャシードの活躍によって瀕死の重傷を負った。普通の生物なら、間違いなく死んでいた。
しかしその再生能力はフグードを殺さなかった。徐々に、何ヶ月もかけて、フグードは再生した。
それでも、ジャシードに切断された手首が再生することはなかった。こうしてこの怪物は、これまでに受けてきた傷の一つ一つに怨念を刻み込み、人間たちに復讐しようとしている。
「……我を苦しめた人間……我の手を奪った人間……この傷は忘れぬぞ……殺す、ころす、コロス……」
暗闇の世界、砂の下に潜っていたフグードは、命令した怪物の動きを追うように、砂を掻いて動き出した。
◆◆
ジャシード達は、今日出発した時の険悪さがまるで嘘のように、和気藹々と帰路についていた。
例の三つ叉の場所へと近づき、巨大アリの話をしながら、ガンドは虫を嫌いになった理由を二人に話したりしていた。
性懲りもなく彼らを見つけた巨大アリを、殆ど同じやり方で倒した。
殆ど、と言うのは、ガンドが頑張って参加しようとしたことだ。アリの足を棒で殴って、すぐに退避していたが、それでも進歩と言えるだろう。
――だが、平和な雰囲気は、一瞬にしてかき消されることになる。
突然、三人の背後の砂が盛り上がり、巨大なミミズのようなものが飛び出してきた。スネイルは背中を大量の砂に押されて倒れ、ジャシードとガンドも砂まみれになった。
「スネイル!」
「平気、押されただけ」
「良かった」
「良くないよ……ジャッシュ、スネイル……あ、あれ……!」
二人は、ガンドが指さす方向へと顔を向けた。
そこには、まるでレムリスの城壁のような高さを持ち、人間三人分ぐらいの太さがある、巨大なミミズのような怪物が存在していた。先端には大きな口と、その口全体にギザギザの歯が生えている。しかも、胴体は砂の中にあるようで、全体はもっと巨大な怪物であることが分かった。
ゴォォォォォォォォォォォ!
ミミズの怪物は、凄まじい音圧で三人を威嚇した。
「こ、これは逃げよう!」
ガンドは、二人の腕を引っ張った。二人もすぐに同意して、後ずさりして走り出した。
しかし、ミミズの怪物は砂に潜り、彼らが走っていこうとした方向の砂を巻き上げながら、彼らの逃げ道を塞ぐように出現した。
「逃げ切れない……」
ジャシードは呟いた。
ジャシードは長剣を構えつつ、どうするか考えていた。だが、答えが出ない。前に行くも、後ろに行くも、砂地である以上、自分たちに逃げ場はないと感じていた。
「二人とも……。僕があのミミズを引きつける間に逃げるんだ」
「一人でどうにかなる相手じゃないだろう!」
ガンドは、ミミズの怪物から目を逸らそうとしないジャシードに言った。
「分かってる。でも、誰かが逃げないと、助けを呼ぶこともできないよ」
「でもあんなの……」
「ガンド、スネイル、やるんだ。そうじゃないと、全員食べられちゃう……早く!」
ジャシードは、ミミズの怪物から目を離さずに叫んだ。
「わ、わかった」
「スネイルとガンドは、別々の方向に走るんだ。でも、必ずドゴールに行けるように」
「わかった、アニキ」
「いけ!」
ジャシードの号令で、二人は別々の方向に走り始めた。同時にジャシードはミミズの怪物へと走り込んだ。最大の勇気を振り絞って、家族のような二人を守るために。
ゴアァァアァァァァッァアァ!
ミミズの怪物は、ジャシードの方へ大きな口を開けて迫った。
ジャシードは、ミミズの怪物と接触するタイミングを見計らい、全力で砂を蹴って進行方向を変え、ミミズの怪物の食いつき攻撃を躱しつつ、長剣をその口へ向けて振った。
しかし長剣はミミズの怪物の歯に当たって、ジャシードの手から離れて飛んでいった。
素早く短剣を抜き、ジャシードは自分の左側を通り過ぎる胴体に全力で短剣を刺し込んだ。
しかし、刺し込んだのは良かったが、ミミズの怪物の胴体に刺さったまま、短剣もその手から離れてしまった。
ジャシードは長剣を拾い上げようと走ったが、その方向からミミズの怪物が大口を開けて迫ってきていた。距離が近すぎ、もはや避けきれない所まで来ていた。
殆ど無駄だと思いながら、ジャシードは横っ跳びに跳んだ。しかし、距離が足りなさすぎた。
身体の半分は、ミミズの怪物の口に入り込もうとしていた。
少年は、その瞬間のことをきっと忘れないのだろう。自分がもうダメだと思ったその瞬間のことを……。
ジャシードは、ゆっくりと過ぎていくように感じられるその瞬間に、自分の短い人生の期間で接してきた人々の顔が、次々と浮かんでは消えていった。
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