イレンディア・オデッセイ

サイキハヤト

第16話 戦いの選択

四人は、強くなってきた向かい風に逆らいながら、守衛所を目指した。
北から吹いてきている風は少し冷たく、毛皮を外套代わりにしなければ、体温が下がってしまいそうだった。

吹きすさぶ風が、やがて空を覆っていた雲の一部を吹き飛ばし、日の光が差してくるようになった。
目まぐるしく移動する雲の隙間から差し込む日の光は、大小様々な光の柱となり、辺り一帯を荘厳な雰囲気に変えていった。

ジャシードはキョロキョロしながら、街では見ることができない自然が織りなす不思議な光景を眺め、その規模に圧倒されていた。

レムリスでは、上がることが許されていない城壁の上に上がり、周囲の風景を見ることを何度もやっていたジャシードだった。しかし、すぐ見つかって怒られてしまうため、風景をじっくり眺める機会には恵まれていなかった。

街の外にあるサイザル湖の輝きや、街の南西にあるトポール山のゴツゴツした岩肌を目にする機会は滅多になかった。街の人々は殆ど、外の世界を知ることは無いのだ。

そんな中で、街の外の世界を知っているのは、衛兵、商人、そして冒険者たちだけなのだ。

幼い冒険者となったジャシードは、マーシャの不調が切っ掛けの旅だったが、特別な経験をしているのだと言う事実を噛みしめているようだった。



一行は、殆ど話すこともせず黙々と歩き続けた。しかし北からの向かい風のせいで、なかなか思うように歩を進めることができなかった。

しかし風は、昼に近くなるにつれ弱まってきた。

突然セグムが立ち止まり、すぐ後ろを歩いていたジャシードは、セグムが背負っている荷物の角張ったところに頭をぶつけた。
「痛っ……。父さん、急に止まらないでよ」
ジャシードは、頭をさすりながら抗議した。

「いた……いたぞ!」
セグムは珍しく、酷く狼狽している様子だった。
「なにが?」と頭をさすりながらジャシード。
「怪物……怪物『たち』がいる。この先……守衛所の方向だ。足跡もある」
セグムは、前方を指さしながら言った。

「んん……。どれぐらいいるか、分かるか」
オンテミオンは既に剣に手をかけ、いつでも戦闘態勢に入れるという状態になっていた。

「少なく見積もっても、ワーウルフとオーガが何体か、オークとゴブリンとコボルドは……恐らく多数だ……」

「守衛所は無事だろうか?」オンテミオンが言った。
「分からない……。とにかく急ごう」
セグムは先ほどまで抗議していた息子の頭を、詫びとばかりに撫でてから、前を向いて早足で歩き始めた。

「走らないの? 急がないと」
ジャシードは、話を聞いて走る気満々だったが、早足だったので拍子抜けしていた。

「走りたいのは山々だが、今体力を使うのは得策じゃない。……戦うことになる場合に備えて、温存しておかなければ、勝てる戦いも勝てないぞ」
セグムは、前方に目を凝らしながら、早足を維持したまま答えた。

「そうか……。そうだね」
ジャシードは、できるだけ歩幅を広く保って、早足を維持しようと頑張った。歩幅の違いがあるため大人の早足は、彼にとって小走りに近くなる。

「疲れたら言うのよ」
ソルンは、そんな息子の様子を見て声をかけた。
「うん、でも母さんには負けないよ」
振り返りながらニヤリとする息子を見て、ソルンは安心した。この旅で息子は成長しているのだ。



一行は、守衛所まであと少しというところで、少しだけ休憩する事にした。早足で歩いてきたこともあり、足が少し重いような気がしていた。

「休憩して待っていてくれ。様子を見てくる」
セグムはそう言うと、低い姿勢を保ちながら足音も立てずに、近くの茂みへと分け入っていった。

「もしかすると、守衛所で戦闘になるかも知れないから。今のうちに少し食べておきましょう」
ソルンはそう言って、硬いパンを一切れずつ、オンテミオンとジャシードに渡した。

硬いパンに齧り付きながら、ジャシードは少し緊張してきた。あの守衛所の衛兵達はどうなったのか、気が気ではなかった。

三人が硬いパンを食べ終えた頃、セグムが茂みをかき分けて戻ってきた。

「守衛所は見えたか?」
「見えた。正確には、守衛所だったものを確認した」
オンテミオンの質問に、セグムは絶望的な回答をした。

「守衛所の周囲には、ワーウルフが二体、オーガが三体、オークが五体、ゴブリンが十体前後、コボルドが十体以上だ。守衛所は恐らくオーガに木っ端微塵にされて、瓦礫の山になってる……。戦うにしても、敵の数が多すぎる」
セグムは、ソルンから受け取ったパンをちぎって口に入れた。

「んん……。これは援軍が来ないと厳しいが、呼びに行く余裕もないな」
オンテミオンは難しい顔をした。大人たちは無言になり、どうするべきか考えているようだった。

「……力場でなんとかならないの?」
ジャシードは沈黙を破って、素朴な質問をした。

「んん……。守衛所だけなら、何とかなるかも知れん。守衛所だけならな……」
「おれも同じ事を考えていた……。守衛所がやられていると言うことは、北西のレムリスか、南西のドゴールか。或いは両方が襲撃を受けている可能性がある」
オンテミオンの言葉を受けて、セグムが言った。

「街が!?」
ジャシードの脳裏にマーシャの顔が浮かび、取り乱しそうになったが、必死に抑え込んだ。

「ドゴールまでは徒歩で五日日、レムリスなら一日の距離だ。オンテミオンには悪いが、おれたちの目的は、マーシャの回復だから、ドゴールには行けない」
セグムはオンテミオンに顔を向けた。

「どのみちこの状況では、わしもドゴールへ向かうわけにはいかん……。恐らく、ナイザレアに渡るマッシオーベ橋も、その手前のマッシオーベ砦も落ちているかも知れん」

頷くセグムとソルン二人の顔を見て、オンテミオンはつづけた。

「で、だ。レムリスに行くとして、仮にここで力場を使ってしまうと、レムリスに怪物が多数いた場合に力場を使えなくなる。果たしてここで使うべきか、決めなければならん」
オンテミオンは、髭を引っ張りながら考えていた。

「力場って、たまにしか使えないんだね」
ジャシードは、漸く大人たちの悩みを共有した。

「そうだ。相当な修練を積まない限り、一日に一度が精一杯だな。わしもそうだ。二日に一回の者もいるし、それ以上の者もいる。いずれにしても、生命力の限界を超えてしまうと、死線を彷徨うことになる」
オンテミオンは、そう言ってゴクリと水を飲んだ。

「少し戻って、トゥール森林地帯を抜けて北へ行き、海岸線に出るのはどうかしら」
ソルンが、頭の中に描いた地図を駆使して、進路を提案した。

「そうだな……もはや助けるべき兵士もいない守衛所を攻め落としても、大した意味はないだろう。おれもソルンの意見に賛成だ。一日余計にかかるが、守衛所と、更にその先にも伏せているかも知れない怪物どもと戦いながらレムリスに戻るのは、考えるだけでも気が重くなるし、ジャシードを守り切れなくなる可能性すらある」

「んん……致し方ない。そうしよう。後で必ず、守衛所の怪物どもを一掃しよう」
セグムの言を受けて、オンテミオンはも同意を示した。



こうして一行は、一旦道を戻って守衛所から距離を開け、それから森へと入っていく事になった。
本来、森は危険だが、今の状況を考えると、森には何もいない可能性が高かった。

「さて、これからトゥール森林地帯に入るわけだが、森が初めての冒険者に、一応忠告しておこう」
セグムは、人差し指を立てながら冒険者ジャシードに向けて言った。

「森で怪物に出会いそうになったら、まず伏せて様子を窺う。回避できるなら怪物とは戦いたくないからな。もし、既に見つかっていたら当然戦闘になるが、その時は、ソルンの側で木や茂みに隠れているんだぞ」

「うん、わかった。今までとあんまり変わらないけど」
ジャシードは思ったことをそのまま口に出した。

「取り立てて言うほどの説明でもなかったな。もっと森にしか無いものの説明でもしたらどうだ」
オンテミオンもジャシードに同意しつつ、批判を付け加えた。

「よ、よし。行くぞ!」
ばつが悪くなったセグムは、森へと先陣切って入っていった。

「あ、逃げた」
「逃げたわね」
ジャシードとソルンは、顔を見合わせて笑った。



トゥール森林地帯は、森林地帯とは言え、鬱蒼としていて真っ暗い森ではない。寧ろ程よく光が入っているが、少し暗い感じのする、湿り気を感じる森だ。

そこかしこに様々な植物や、キノコなんかが生えている。必要以上に大きく育った葉っぱは、比べてみるとジャシードの顔よりも大きかった。

そして大方の予想通り、森にも怪物の姿はなく、奇妙なことに森を『安全に』進むことができた。

「波の音が聞こえてきたね」
ジャシードは、耳に手を当てて、前方の音を聞いた。
「この辺りは、森の幅が狭いところだから、そろそろ森を抜けるわ」
ソルンは、木々が途切れている東側を指差した。

彼らが森を出ると草原があり、その奥には海が見えた。
海風が頬を、髪を撫でていった。

「ここからは、海岸線に沿って北へ行く感じね……三叉路の守衛所から見て、真北の辺りに岬があるから、その辺りまで行きましょう」
ソルンは、行程を指で宙に描いて説明した。



昼を過ぎてからしばらく経ち、日の光がやや傾いてきたように思えた。せっかく晴れてきたところだったが、西側が森になってしまったため、今日の夕日は見られないだろう。

「念のため、森からの怪物に注意しておいてくれ」
セグムは前方に注意を向けながら、先頭を進んでいった。

東には広い海が広がり、何処までも続いている。ぼんやり遠くに陸が見えるような気がするが、揺らめいてはっきり見ることはできない……。

そんな風景を眺めながら、冒険者達は海岸線を早足で歩いた。

「ねえ、あれは何?」
ジャシードは、平原にうごめく半液体の何かを発見して言った。

「この辺には珍しいな。ありゃスライムだ」セグムが言った。
「スライム?」
「ああ、まあ、怪物の一種だな。いてもいなくても、どうでもいい怪物だ。とは言え、スライムの仲間には危険な奴もいるが……。あれはどうでもいい方だな」
「へぇぇ……なんか気持ち悪いね」
幼い冒険者は、スライムがうねうねするのを興味深そうに眺めていた。

「おい、冒険者ジャシード。あのスライム、倒してこい」
セグムは、今思いついたように言った。

「え?」
「だから、倒してこいって」
「でも、レムリスへ急がないといけないのに」
「どうせあと一日あるんだ。やって来いよ」

ジャシードは、セグムから助けてくれと、オンテミオンに視線を送った。しかし、オンテミオンもニッコリしていて、今にも『ほれ、やって来い』と言わんばかりだ。

「今やらなくてもいいじゃない」
ソルンは、幼い冒険者が助けを求めているのに気づいて言ったが、セグムに押し切られた。

初めての戦いは、この旅ではない時に、もっと緊迫した状態を想像していた。しかしどうだろう。今、彼の目の前にいるのは、気持ち悪い、うねうねだ。しかも、観戦者までいる。

ジャシードは観戦者を恨めしそうに見遣り、仕方なさそうに短剣を抜いた。

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