イレンディア・オデッセイ

サイキハヤト

第14話 憧れの背中

セグムのハンドサインを見たソルンは焦った。急いで駆け付けたいが、息子を置いていくわけにはいかない。
息子と供に行くわけにもいかない。それらは、どちらもサーペントの注意を引いてしまう結果になる。

ソルンは動けなかった。オンテミオンにその機会を作って欲しいと願った。

ソルンの願いが無くても、オンテミオンは落ち着いていた。ソルンが狼狽しているのを感じ、セグムが治癒魔法を受けに行くことができるよう、サーペントの意識を自分だけに集中させるために行動を開始した。

サーペントの目の前に立ったオンテミオンは、長剣を地面に突き刺して両足を踏ん張ると、力場を展開し始めた。オンテミオンの周囲に紅い靄が出現し、僅かな地鳴りのような、肌にピリピリするような振動が伝わってくる。

サーペントは目の前で無防備になっている、あまり肉が美味そうでない衰えた人間を取り敢えず始末しようと、首を狙って噛み付いた。

幸運なことに、このサーペントは力場という物を知らなかった。今までかなり慎重に行動してきたため、獲物を得る戦いで苦戦したことなどなかったのだ。

人間の肉汁を味わえると確信していたサーペントの牙は、力場で止められた。牙を伝う肉汁が感じられず、何度も噛み直すが結果は同じだった。

「ソルン、ジャシードを置いていけ。わしが守る!」
「わかったわ!」
オンテミオンの声に、ソルンが応えた。

噛むのに夢中になっているサーペントを抱きかかえるようにして、オンテミオンは、腰の短剣を抜いて全力でサーペントの首に刺し込んだ。メリメリと筋肉が裂けていく感触が手に伝わってきた。

「シャアァァァァ!」
サーペントはこの戦いで、生まれて初めて本当に苦しい傷を負った。オンテミオンを首から振り払い、地面を転がり痛みに悶えた。

「くそ、最近いいとこ無しだ……すまない……いてて」
ソルンが駆け寄って来たのを見て、セグムは申し訳なさそうに言った。
「じっとしてて」
ソルンはセグムの脇腹に手を当て、強化治癒魔法を使った。強い緑色の光がソルンの手から漏れ、僅かに辺りを照らす。

「ジャシード、そこを動くなよ。何か来たら声を上げろ」
オンテミオンがジャシードの方を向かずに言うと、わかった、と返事が返ってきた。

オンテミオンは長剣を地面から抜くと、うねうねとのたうち回るサーペントに近づいた。



サーペントはオンテミオンを近づかせまいと、苦し紛れにオンテミオンの右足に噛みついたが、やはり力場に阻まれた。
力場は生命力を基礎としたチカラであり、単純に物理的な破壊をする事はできない。そして、使い手の生命力が強ければ強いほど、力場は強力になる。
オンテミオンは力場の使いこなしを知っているし、コツも掴んでいる。そこいらの怪物に、力場を破られる事は無いと知っていた。

サーペントは一体何が起こっているのか、理解できずにいた。一つ分かっているのは、自分がこれまで体験したことのない、生命の危機に瀕していると言うことだ。
だが、自慢の牙があの人間には、どう言うわけか刺さらなかった。
サーペントとしてはかなり長い間生きてきたが、この怪物の思考はここまでだった。肉がまずそうな人間が斬りかかってきたからだ。



オンテミオンはサーペントの胴体へ、胴に沿って剣を走らせた。サーペントは躱そうとしたが、太刀筋の半分ぐらいを命中させた。すると、横に斬ったときと違い、皮と肉が裂け、バックリと傷がついた。

「もういいぞ。ありがとう、ソルン」
セグムは妻の背中へ軽く腕を回し、背中をポンポン、と叩いた。
「今度は気をつけてね。私はちょっと休憩」
「ああ。だが美味しいところはオンテミオンに持っていかれたな」
ソルンから離れるように、軽く飛ぶように、セグムはひょいっと立ち上がると、剣を握って音もなく走り出した。

「斬るなら『縦切り』だ」
オンテミオンは、独り言を言うかのように言葉を発した。それは、今から走り込んでくるセグムの接近を、怪物に気づかせないようにする配慮だった。

そして音もなく走り込んできたセグムは、サーペントの背後から剣を突き刺し、『縦に』剣を走らせた。それは脇腹のお返しだ。
これでもかと、自分の身長よりも高くまで切り上げ、サーペントの背に大きな裂け目を作り、セグムはサーペントから噴き出た体液をその身に受けた。

「くそが、こんなモンじゃねえぞ!」
セグムは身を捩るサーペントの首に刺さっている短剣を掴み、それも体重をかけて下へと引っ張った。サーペントが苦しみに悶えて強く動いたため、真っ直ぐにとは行かないが、大きな裂け目を作った。

「シュウゥゥゥァァァ……」
サーペントは苦しみ悶え、その声も尻すぼみになってきた。

ソルンはジャシードの近くへと戻ると草原に腰掛け、深呼吸をした。治癒魔法は、傷の程度が大きければ大きいほど、魔法行使者の生命力を必要とする。ソルンは戦況を見て二人に任せれば良いと判断し、自己の回復に専念することにしていた。

「母さん、大丈夫?」
「平気よ。ちゃんと休むから安心して」
ソルンは、心配して顔を覗き込んできた息子に愛おしさを覚え、満面の笑みで頭を撫でてやった。

オンテミオンとセグムは、最後の仕上げに取りかかっていた。サーペントの動きはかなり鈍くなっており、尻尾の攻撃も、牙での攻撃も精彩を欠いた。

「やっぱり、みんなすごいや……」
ジャシードは、先輩冒険者たち全員に感心していた。

セグムはうっかり傷を負ったが、自分の命をしっかり守りきったし、治癒してからの攻撃は凄まじかった。
オンテミオンは言うまでもなく、どんな時も落ち着いており、力場を操る時を心得ている。
ソルンは電撃の魔法だけでなく、セグムの傷をもしっかり治すことができるだけの治癒魔法も行使できる。

――ぼくは、何ができるんだろう。

ジャシードは、巨大なサーペントが動かなくなるのを遠く感じながら、ぼんやりとそんな事を考えていた。その視界の中心にいた人物を意識しながら……。

「ふう、漸く倒したな……」
オンテミオンは少し粗く息をしながら、溜息交じりに声を絞り出した。
「すまん、オンテミオン。不覚を取って手間を取らせた」
セグムは素直に言った。

「なあに、八年も衛兵を、やっていたんだ……。少しは感覚が、鈍っていても、おかしくは無い。気にするな、セグム。背後からの攻撃は、さすがだった。剣のキレは、衰えておらんな……」
オンテミオンは呼吸を整えつつ、言葉を細かく切りながらセグムの働きを労った。

「それにしても、なんつうデカさだ。こんなの、おれたちが冒険している間には見たことがないな」
セグムは、何となくサーペントの身体を真っ直ぐに伸ばしながら言った。

「皮を剥いで行けば、いい値で売れそうだな。デカいだけあって、皮一枚の大きさも申し分ない。ただ、目玉と牙はわしが貰っていくぞ」
オンテミオンはそう言って、サーペントの頭部に取り付いた。
「い、いや、そんなモンは要らないが……」
セグムは、オンテミオンが目玉をくり抜いている様を見ながら、何とか言葉を紡いだ。

四人は、分担してサーペントの身体を分解し始めた。オンテミオンは相変わらず頭部に集中し、セグムは皮を剥がした。
ソルンは肉を切り、ジャシードは肉を葉っぱで巻いた。ジャシードは肉をあとで食べると聞いて耳を疑ったが、オンテミオンが意外と美味いぞ、などと言うものだから従うしかなかった。

散々捌いて、骨と肉だけになったサーペントの残骸から、コロリと青白い結晶が転がり落ちたのにジャシードは気づいた。

「なにこれ?」
ジャシードは青白い結晶を手にとって、掌で転がした。
「おお……。それはマナの欠片だ。こんな奴の身体から出てくるとは」
オンテミオンは目を丸くして驚いていた。
「じゃあ、オンテミオンさんは、これ必要だね」
ジャシードはマナの欠片を差し出したが、オンテミオンはそれを断った。
「君が持っていけ。戦利品だ」
「わあ、ありがとう!」
ジャシードは、マナの欠片を眺めたり、空にかざしてみたりしていた。何だか、チカラが湧いてくるような、そんな感じがする石だ。

セグムとオンテミオンは湖に気をつけつつ、布を濡らして返り血を拭き取ってから、サーペントの残骸を湖に投げ捨て、すぐにその場を離れて街道へと戻ってきた。湖に他の怪物が棲んでいた場合は、捨てた肉に誘われてくる可能性があった。

彼らが色々とやっている間に、日は高く昇り、気温が上がってきた。
昼食はその場で採ることにし、周囲に怪物が居ないのをいいことに、先ほど採取したサーペントの肉を焼いて食べることになった。

「なんか……なんか、やだなあぁぁぁ」
ジャシードは、先ほど葉っぱに巻いた肉をソルンに渡しつつ言った。
「食べてから言いなさいよ」
ソルンは魔法で小さな火をおこして、ジャシードが集めてきた枯れ葉を燃やした。
枯れ葉は元気に燃え上がり、その上に石を組んで乗せてある、大きめの石が熱を帯びてきた。

石の上でジュウジュウと音を立てる肉。そしてそれが醸し出す香り……。
それは、レムリスを出てこのかた、肉を食べていなかったことをジャシードに思い出させた。

「涎出てるわよ」
ジャシードはソルンに指摘されるまで、涎が垂れていることに気がつかないほど、焼けていく肉を凝視していた。
とても恥ずかしくなって、苦笑いしながら涎を吸って、顎に着いた分を腕で拭った。

サーペントの肉は、ジャシードが思っていたよりも何百倍も美味しかった。
塩と胡椒、そしてその辺りに生えている香草だけで焼き上げられた肉……。それは少し硬いものの、いつも食べている硬いパンよりも柔らかく、噛めば脂が滲みだしてきた。
育ち盛りの少年にとって、この上ないご馳走であったことは言うまでもない。
ソルンは、多めにとっておいて良かったわ、と息子の食べっぷりを見て吹き出していた。

こうして、本来なら危険なため絶対にできない街の外でのバーベキューは、怪物の襲撃が一度もないまま無事に終了した。全員がとても満足する食事だった。

◆◆

少し休憩して昼下がり……。一行は再び、元気に、とても元気に歩き出した。次の三叉路を越えれば、レムリスはすぐそこだ。

その前に、守衛所のある三叉路でオンテミオンとお別れだ。
ジャシードは、前を歩く二つの大きな背中を見比べながら、少し寂しい気持ちになっていた。
憧れの背中、追いかけたい背中は、街の中で感じたものより、この旅で感じたものの方が大きかった。

マーシャを助けるために出てきたこの旅だったが、レムリスでは決して経験することのない体験をする事ができた。
掛け替えのないこの経験を、絶対に忘れない。ジャシードは心に強く思った。

あと二日ほどの距離で、ジャシード達の冒険が終わる。

マーシャは今頃、どうしているだろうか。エルフの霊薬『トゥープコイア』が必要ないほど、元気になっていてくれると良いのだが……。
早く薬を届けてあげたい。少年の思いは、湧いて出る水のように延々と続いていた。

「ジャッシュ、ちゃんと歩いて。一人になっちゃダメよ」
ソルンは、物思いにふける息子の歩みが遅いのに気づいて声を掛けた。

「うん、分かってるよ」
ジャシードは少しだけ走って、大きな背中に追いついた。

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