イレンディア・オデッセイ

サイキハヤト

第12話 異変の予兆

欠伸をしながら、ジャシードは目覚めた。窓の向こうで鳥のさえずりが聞こえてくる。とても気持ちが良い朝だ。
窓を開けて外の景色を眺め……ようとしたが、窓は蔦が絡んでいて開かなかった。

久しぶりにジャシードは、本当の意味でぐっすりと眠ることができた。
旅の途中では、大人達が交代で見張りをするため、どうしても夜中に一瞬起きてしまう。中途半端な睡眠で、昼間に眠たいと感じることも何度かあった。
それに比べて今日のスッキリした感じは、とても気分がいい。

「おはよう、ジャッシュ」
「おはよう、母さん」
ソルンと朝の挨拶を交わしたジャシードは、ベッドでだらしなく鼾をかいているセグムが目に入った。

「……昨日飲み過ぎたからね。そろそろ起こそうかしら」
「でも楽しそうだったよ」
「そうね。道中ずっと気を張っていたから、少し羽目を外したくなったのかも」
ソルンはセグムを揺らして、揺らして、揺らして……ようやく起こした。



「さて、準備はいいか」
ボサボサの頭をしたままセグムが言った。
「父さんの準備が一番できてなさそうだけど」
「本当ね」
「まったくだ」
ソルンとオンテミオンもジャシードに同意した。

一行はエルフの衛兵たちに別れを告げ、ケルウィムを出発した。
約一名の寝坊の影響で出発はやや遅くなり、もう日の光がだいぶん高く昇っていた。

「夜になる前にラジャヌ湖を抜けたかったというのに、まさか寝坊するとは。お前は夜襲のことを忘れたのか?」
オンテミオンは静かにおかんむりの様子だ。それを見たセグムは、面目ない、とボサボサの頭を掻いた。

その日は、少し歩く速度を上げて進むことになった。恐らくラジャヌ湖には、ウォータークロッドがまた待ち受けているに違いないのだ。
ケルウィムの勢力範囲である森を抜けると、再び平原が広がった。暫く海辺に進路を取ることにして、四人は先を急いだ。

「オンテミオンさん、この間の夜に襲われたときに、力場を使わなかったのはどうして?」
ジャシードはふと、一昨日の戦いを思い出した。
「んん、そう思うのも不思議ではない……。力場というのは生命力を使うものだから、使いすぎてしまっては途中で力尽きてしまう可能性がある。それでは戦士失格なのだ。どうやって戦い、どうやって守るか。常に考えながら戦う必要がある。君を戦わせることはできないが、戦いを見て記憶しているのであれば、自分ならどうするかを考え、心の中で戦え、冒険者ジャシード」
「わかった。ありがとう、オンテミオンさん」
ジャシードはオンテミオンの言葉を、しっかり心の中に刻み込んだ。



「遠吠えの森が見えてきたな……。そろそろ、北へ折れるか……。おや……?」
セグムは目を凝らして遠くにある森を見つめ、ラジャヌ湖の方へと視線を滑らせると、途中で顔を止めた。

「平原に怪物の気配が無い。変だな……。いつも怪物が多いはずなのだが。オンテミオン、良く来るんだよな。これは最近良くあることか?」
セグムは、オンテミオンの知見を頼りにして訊いた。

「んん、滅多にないことだな。わしは一人の場合、なるべく見つからないように、平原は通らないようにしているが」
オンテミオンは、髭を引っ張りながら答えた。

セグムはしばらく考え、目を閉じて再び周囲の気配を深く探った。
「よし、平原を進もう。気配があったらすぐに進行方向を変える」
セグムの言葉を聞いて、それぞれ頷いた。

平原を選択したため、進行速度は上がった。ラジャヌ湖を左側に遠く眺める位置、遠吠えの森を右に遠く眺める位置。
怪物たちがたくさんいるはずの地域は、遅くなった昼食を摂る余裕があるほど何もいなかった。

距離を稼ぐために、できる限り安全な野営地まで進むことにした一行は、再び早足で歩き始めた。

「本当に何もいないね」
ジャシードは、早歩きで上がった息を整えながら言った。大人の早歩きについて行くのは、ジャシードにとっては、殆ど小走りに近い速度で歩かなければいけないことを意味していた。それでもジャシードは、特訓の一環だと考えて付いていった。

「全く気味が悪い」
セグムは周囲を窺いつつ同意した。だいたい常に怪物たちがいるはずの場所は、掃討したばかりでなければ、いつ来ても怪物がいるのは常識だ。

「この間の襲撃も変だったし……。何も関係なければ良いんだけど」
ソルンは、息が上がっている息子を気にかけつつ、できうる限り警戒していた。

しかし、全く何事もなく、一行は街道の先端までやってきた。既に日は落ちてから、だいぶん時間が経過している。曇り空で星は見えないが、とても静かな夜だ。

セグムは、この場所で野営することを宣言した。

「一回り周囲を警邏してくる。先に食事していてくれ」
セグムはそう言うと、闇に溶け込むようにして出て行った。

レムリスを出て一週間。ジャシードはこの野営生活にもかなり慣れてきていた。比較的快適に過ごすことができているのは、熟練の冒険者三人がいたことが大きい。
食べられる物に関する知識、テントの張り方、野営の心得、どんなところで野営するべきなのか……。ジャシードは、おおよそ八歳の少年が身につけることのない知識と体験を、自分も参加することでしっかりと身につけていた。

そして、彼にとって最も大きな収穫は、熟練の冒険者がどのように怪物と戦っているか、を間近に見てきたことだ。
今のジャシードには到底真似できないような、非常に高度な身の熟し、敵の攻撃を予測し先手を打って動く方法、そして彼らの特殊な技能。それらを実戦として常に最も近い場所で観察し、学習できた。

ジャシードは、ケルウィムで買ってきたばかりの柔らかいパンを頬張りながら、これまでの戦いを思い出した。
自分ならどうするのか、どう戦えばいいのか、どう戦えるのかを本気で考えていた。レムリスでやっていた、机上訓練の石が頭の中に浮かんだ。

オンテミオンも、ジャシードを気に入っていた。まだ子供であることは間違いないが、セグムに育てられたのであろう、努力の結果は申し分ないと考えていた。
そして彼には非常に高い向上心がある。そして何より……。

「やっぱり、殆ど周囲には怪物がいないようだ」
セグムが周囲の警邏を終えて戻ってきたことで、オンテミオンの思考は遮られた。

「何処に行っちゃったのかな。衛兵さんがいたところだと、夜寝るのを待って襲ってきたけど」
ジャシードは、何気なく記憶を辿って言った。殺されかけた恐ろしい記憶だが、次は同じにはならないと思っていた。幼い冒険者は、既にあの出来事を乗り越えていた。

「守衛所の時は、恐らく元々ジャッシュを食べようと思っていた奴が追ってきたのだとは思うが、今は状況が違う」
セグムは分析してそう言った。今回は、元々いないのだ。いるはずのものがいない……また夜襲か……いや、そうじゃない。もし夜襲なら、今回の警邏で見つけても良いはずだ。

「とりあえず食事なさい、セグム。何かあったら食べられないし、チカラが出ないわよ」
パンを差し出しつつ、ソルンが言った。大切な戦力の健康管理はとても重要なことだ。

「今日の深夜帯は、朝までおれが見張りにつこう。それまでの時間は、半分にして二人で分担してくれ。おれは先に休ませてもらうよ」
セグムはそう決めて、パンを一つ食べてからテントで横になった。

「オンテミオンさん、お願いがあるんだけど……」
「んん? なんだ」
「ぼくに剣を教えて欲しいんだ」
「いいだろう。まずは今の腕を見せてくれ。そこの木の枝でかかってこい」
「おねがいします!」

オンテミオンは鞘を、ジャシードは棒きれを、それぞれ持って向かい合った。

若かりしセグムが剣を教えてくれ、と頼み込んできたときのことを、オンテミオンは思い出していた。その時のセグムの姿が、この少年と重なる。
年齢は違うが、血は争えぬかと、オンテミオンは頭の隅で考えていた。

オンテミオンの思考を遮り、ジャシードは、地面を蹴って瞬間的に加速した。オンテミオンの左側、利き手の反対側へ飛び込んでいく少年。
そのまま木を振るって一撃、と思ったのも束の間、オンテミオンは長剣の柄をちょいと動かして木を弾き、ジャシードの手の甲を鞘でコツンとやった。

「いたっ!」
ジャシードが痛がっている間に、オンテミオンは柄でもう一度、今度は肩をコツン。

「痛がっている暇があったら動け。お前は今の一瞬で、手を失い、腕を失ったぞ。戦いは、敵がいなくなるまで続いているのだ。これは絶対に忘れてはいけない」
オンテミオンは容赦しない様子だった。

宝石を磨くには、最初から細かく磨きはしない。完成形をイメージして、最初は粗くそぎ落としてから磨くのだ。
オンテミオンは今、恐らくセグムがやってこなかったであろう、粗くそぎ落とす作業をしていた。

ジャシードの目が真剣になった。いや、ジャシードは最初から自分は真剣だと思っていた。しかし何度も実戦を目の前にしても、それが示す意味を、実戦の意味をまだ分かっていなかった。
もう一度しっかり木を握り直し、オンテミオンと向き合い、頭の中に今まで見た戦いとその動きを、頭に描き始めた。

再び手合わせが始まった。

ジャシードは再び、オンテミオンの左側へ飛び込んだ。オンテミオンが反応して鞘を動かそうとする瞬間を見極め、瞬間的に勢いを殺して後ろへ飛び、今後はオンテミオンの右側へと飛び込んだ。
オンテミオンは難なくそれに反応して、鞘を起こしながら右へと振った。
ジャシードは、迫り来る鞘をギリギリまで引き寄せてから避け、オンテミオンの手に一撃入れようと棒を振った。

が、ジャシードの頭に鈍痛が走った。オンテミオンが空いた手で、ジャシードの頭をゴツンとやったのだ。
「頭が割れたぞ。お前の負けだ」
「いたた……ずるいよ、剣で戦ってたのに」
「戦いに『ずるい』を持ち出すなら、お前は戦士に向いていない。一人に対して怪物十体と言うことだってあり得るのだぞ。その時、怪物に『ずるい』と言って何とかなるのか」
「……ならない……」
「そう言うことだ。今日はこれで終わりにしよう」

ジャシードは、余りの不出来と認識の甘さに、少し気持ちが沈んでしまった。だが、それはただの悔しさでは無かった。思った通りにできない自分への、残念な気持ちだった。

ジャシードは、もっと強くなりたいと念じるように頭の中で戦いを反芻しながら、セグムの隣に寝っ転がった。



散々警戒していたが、その夜は何もなかった。静かに夜が更け、静かに朝になった。今までと違うのは、弱い雨が降ってきたことだけだった。

それぞれ皮の敷物を頭に被り、先へと進んだ。
アベナ湖が街道の東側に見えた頃に、ガーゴイルが一体、また石のふりをしていた。しかし、前回と同じように一瞬で倒された。

サベナ湖を通り抜ける頃には雨も上がり、夕刻が近づいて来ていた。そのため、先日野営した三叉路で、再び野営することになった。
見張りの順番は前日と同じだ。何も無かったからと言って、セグムは警戒を緩めようとはしなかった。

そしてその夜も、ジャシードとオンテミオンは剣の訓練をし、そしてまた何も起こることなく朝を迎えた。

本当にこのまま、何も起こらないような気がしていた。


          

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