転生少女は自由に生きたい

ひさら




ウィスタリア領に着いて翌日の朝、ゆっくりと朝食をとってから領主館に向かう。
 
ロートゥス領とオルキス領からの紹介状はあるけれど、高位な方とお会いすると思うといつも緊張する。
癒しに用がなければお会いする事もなく、門衛さんに書簡を渡してもらうだけで終了だけれど、ウィスタリアのご領主様はご高齢と聞いている。それならばどこかしら悪くなっていると考えられるものね。
 
国境を守るこの地のご領主様は穏便な外交でこの地を守っているのだとか。
なかなかの策士だから気をつけるようにと、ロートゥスとオルキスの皆さまに注意された。
 
私は、普段は服の下に入れてあるペンダントトップを服の上に引っ張り出してよく見えるようにした。
二つあるうちのひとつは、薄紅色の宝石にロートゥス領の紋章が金色で施されている。もうひとつは、半透明な乳白色の宝石にオルキス領の紋章が赤色で施されている。これは両家から庇護されているという、目に見えてわかりやすい証の物。
庶民には高価に見えるだけの宝石だからいつもは服の下に隠しているけれど、貴族方が見れば一目瞭然、貴族限定だけれどこれだけでだいぶ身の安全は守られる代物との事。
 
 
 
門衛さんに要件を告げて紹介状を預ける。
門衛さんは、ここで待つようにと言ってお館に向かって行った。
少し待つと、門衛さんと一緒に威厳のある、たぶん家令さんがやってきた。
 
「旦那様がお会いになります。おいでください」
「はい」
 
返事をして後に続くと、通された先は豪華な応接室で、ソファから立ち上がった人はウィスタリアご領主様と思われる温和に見えるご老人だった。
でもこの方、一癖あるわね・・・。
なんて事はおくびにも出さず、丁寧にお辞儀をして声がかかるのを待つ。
 
「ロートゥス領とオルキス領からの書状は見た。癒しの力が使えるとあるが、どのようなものか?」
 
私は今までの具体例を挙げて話した。
ご領主様は少し考えて、続けて問う。
 
「そなたの言った事は、病もケガも身体を癒すものであるな。心を癒した事はあるか?なかったとして、心を癒す事はできるか?」
 
・・・心?
 
私は、言われた事が理解できるまで時間をかけて考えた。勘違いや、私の勝手なイメージで判断してはいけない。その上で、過去のすべてを思い出してみる。
ダメだわ。心を病んだ人、あるいは心にケガをした人を今まで見た事はないし、癒した事もない。
私は正直に答えた。
 
「心を病んだ人やケガをした人を今まで見た事がありません。そういう人がいるという事さえ考えた事もありませんでした。そういう症状を癒した事はないので、無責任に癒せますと言えませんが、私のできる力いっぱい尽くします」
 
ご領主様はジッと私を見て、しばらくして、ついてくるようにと先に立って歩き出した。
そしてひとつのドアの前で立ち止まると、この先にある見るもの聞く事は他言無用と、その部屋に入った。
 
 
 
部屋は全体的に可愛らしく子供部屋のように見える。可愛らしいといっても、すっきりとした色でまとめられているので男の子の部屋かと思われる。
それは当たったようで、部屋の中央には大きすぎないソファが置いてあって、そこにはちょこんと、この部屋の主と思われる男の子が座っていた。
 
私はウィスタリア領主のお孫様に丁寧にお辞儀をして、声がかかるのを待った。
 
「姿勢を戻すがよい。孫からは声はかからん」
 
ご領主様にそう言われて頭を上げる。どういう事かしら?
促されて向かいのソファに座る。お孫様と並んで座るご領主様に控えめに視線を向けると、お孫様の姿も正面から見えた。
十歳くらいの・・・、そのくらいの年の子にある元気というか、生気が感じられない、目が・・・。
開いているのに何も見ていない目が、何もない空間に向けられていた。
 
「孫のレンシェルだ。半年程前になる・・・」
 
重々しく口を開いたご領主様の話によると。
半年程前、レンシェル様はご両親と(ご領主様のご子息夫妻)馬車の事故に遭った。予定の時刻になっても帰ってこないので捜索されたけれど、発見されたのは翌朝だった。レンシェル様は一晩、亡くなったご両親と横転した馬車の中に閉じ込められていて、助け出された時にはすでに今の状態だった。当時は外傷もあったから今よりもっとひどかったらしい。そして外傷は治っても、心は治らないまま今に至る・・・。
 
「言われている事はわかるのだ。世話をする乳母の呼びかけで朝は起きるし、介添えをすれば食事も入浴もできる。歩くよう促せば歩きもするし、ひとりで座っている事もできる。だが一言も話さない。この通りの無表情だ。宮廷の治癒魔法使いには何度もみてもらったが・・・。 何かわずかでもいい、この子が少しでも元気になれるなら。頼む」
 
心を病む、心がケガをするとは、こういう事なのかと目の当たりにして初めて知った。
なんてむごい事なのかしら。
自分もケガを負って痛くて苦しい中、亡くなっていく両親を感じながらどんなに助けを願っただろう。願っても叶えられず、過ごした真っ暗な一晩はどれほど長かっただろう。
 
想像しただけでも胸が痛くなる。
でもレンシェル様の痛みはこんなものではない。不健康に痩せていて髪にも肌にも艶もなく痛々しい。
 
「触れた方が癒しの力を発揮します。レンシェル様に触れる事をお許しいただけますか?」
 
ご領主様は頷くと、立って席を譲ってくれた。
 
「ありがとうございます」
 
レンシェル様の隣に座る。少し考えて手を取った。心のイメージは胸だけど、合っているかわからなかったから。
手を触れた途端、こちらの心なのか頭なのか、ものすごい哀しみが流れ込んできた。大きな哀しみは厚い氷のようなもので覆われていて、哀しみと一緒に凍るような寒さも襲ってくる。
 
何て哀しみなの・・・。
 
気づくと、私は泣きながらレンシェル様を抱きしめていた。
身分差を考えれば不敬だと罰せられる事だけど、私は抱きしめる力を緩める気になれなかった。こんなに寒いままでおいておけないわ。
 
誰も私の行為を止める人も咎める人もなく、どのくらい時間がたったのか。
盛大に溢れていた涙が止まると、小さくご領主様の声がかかった。
 
「レンシェルはどうなっているのだね? 何故そなたは泣いて、レンシェルを抱きしめているのだ?」
 
私はレンシェル様から流れてくる哀しみや冷たさを説明した。
 
「まだどのように癒したらいいのかわかりませんが、まずはこの寒さをどうにかしてさしあげたいと思います。心が凍っているようです」
「そうか・・・。やり方はそなたに任せる。 それはそうと、しばらくそのままの体勢だが辛かろう。時間も昼だし、休んではどうか」
 
私は身体を捻って隣にいるレンシェル様に腕を回している体勢だった。言われてみれば腰やら脇腹やら首が痛い。
これは長期戦だと考えて、お言葉に甘えて休ませてもらう事にする。癒し方も考えなければ・・・。
 
「はい。それでは少し休ませていただきます」
 
そう言って腕を解き、立ち上がろうとした私は、引っ張られる感覚にソファに尻餅をついた。 
見ると、レンシェル様が私のスカートを握っていた。
 
え?
 
「ぼっちゃまが! 旦那様!ぼっちゃまが自ら動かれました! あぁ、神様・・・!!」
 
レンシェル様の側に控えていた、たぶん乳母さんが、涙を流しながら手を組んで天を仰いだ。
 
「そなたの癒しはどういうものなのだ・・・。これまで宮廷魔法使いが何度来てもレンシェルはまったく変わらなかったというのに。 ・・・どうかレンシェルを癒してくれ。頼む」
 
 
 
そうして、私たちは並んで昼食をとっている。
私たちとは、私とレンシェル様ね。とはいってもレンシェル様は乳母さんの介添えで食事をしているのだけれど。
 
レンシェル様が自ら動いたといってもスカートを握っただけで、他は変わっていなかった。それでもこの半年の中では大きな変化だったようで、あの後大騒ぎになった。
 
ちなみにルークは最初からずっと私と一緒にいる。先払いの護衛だと言ったので、ここでも私付きの許可をもらっている。
ただし従者のような見られ方なので食事は一緒にとれない。これはオルキス領でもそうだったし、あまりこちらの要求ばかり言っていられないので了承した。
 
ルークもお腹が空いているでしょうに・・・。私ばかり美味しい物をいただいて申し訳ないわ。
チラリとルークを伺うと 『問題ありません』 と視線が返ってくる。
後から従者用の食堂で食事がでるんだそう。
 
私だって平民なのに。
治癒魔法使いの地位って本当にすごいわ・・・。自分の事なのに、いつも他人事のように思ってしまう。
 
 
 
その日の夜。
離れようとすると服のどこかを握られるので(お手洗いや入浴の時はそう告げると離してくれた)レンシェル様とはずっと隣どうしに座っている。
就寝の時間になったけれど、さすがに同衾する訳にもいかず、ソファに柔らかいクッションを並べて寄りかかるようにして眠る事にする。大きい毛布も用意してもらった。
 
寝心地のいい位置を探す。しばらく微調整しながら姿勢を変えていたけれど、どこもしっくりこないわ。何となくレンシェル様も寝辛そうに見える。
 
「レンシェル様、寄りかかったほうが楽ならどうぞ」
 
どうぞと腕を広げると、レンシェル様はコテンと腕の中に入ってきた。
そのまま一緒にクッションに埋もれる。
 
軽い。
 
私はまた哀しくなった。
これはレンシェル様から流れてくる哀しみではなく、軽すぎるレンシェル様に対しての私の哀しみだった。教会の同じくらいの男の子はもっと重かったもの。
それからルークを見上げる。
 
「ルークは隣に座って、私を支えてね」
「・・・はい」
 
ルークは何かあればすぐに支えられるくらいに、拳ひとつ分を開けて隣に座った。
こうでも言わなければ、ルークは一晩中立っているでしょうから。
 
「おやすみなさいませ、レンシェル様」
 
そう言うと、レンシェル様は目蓋を閉じる。少しすると静かな寝息が聞こえてきた。
 
レンシェル様の哀しみが癒えますように・・・。
 
小さな男の子を大事に抱きしめて、祈りながら目蓋を閉じた。
 
 
 
フッと、浅い眠りから目が覚める。まだ薄暗いけれど、夜明けの気配がする。
教会の朝は早かった。旅に出てしばらくたつけれど、長年の習慣はすぐには変わらず、私の朝は早い。
 
レンシェル様は安らかな寝息を立てている。レンシェル様と私が寄りかかっていても頼もしい体温を感じる。
ルークを見ると、しっかり目が合った。
ルーク、眠ってないのかしら?
 
「すっかり寄りかかっちゃってるわね。ごめんなさい重いでしょう」
「いいえ。まったく」
 
レンシェル様と向かいのソファで眠る乳母さんを起こさない様、ヒソヒソ小声で話す。
いつもなら、レンシェル様がお休みになれば乳母さんも自分の部屋に引き上げるそうだけど、変化のあったレンシェル様を心配して付添を申し出た。私たちも、レンシェル様の容体が急変したら困るから、そうしてもらえるなら助かった。
 
「身体が固まっちゃったわ。何だかギシギシする」
 
苦笑いしながら言うと、ルークが視線を横に向けた。
何かしら?私もそれを追うと、レンシェル様が目を開けていた。
 
「あら。レンシェル様、起こしてしまいましたか。申し訳ありません」
 
昨日と同じ、何も映していない瞳。
子供らしい高めの体温と、男の子だから女の子よりはしっかりした、でもまだ柔らかい身体。軽すぎるけれど、教会にいた子供たちと変わらない姿なのに、生気だけがない。
 
私は哀しくなる前に、気持ちを引き立たせようと明るく話しかけた。
 
「レンシェル様、もうすぐ夜明けですよ。変な姿勢で眠ったせいで身体が痛いですし、新鮮な朝の空気を吸いにいきましょう」
 
小声でそう言って立ち上がる。
ギシギシする身体を伸ばして、手を繋いでバルコニーに出た。
この前まで暑かったのに、最近では朝晩はかなり涼しくなってきた。
少し肌寒いかしら?でも気持ちいいわね。
 
空には群青に消えていく星、そこから薄い紫へ、その下はミルク色。境に淡いオレンジが混ざった不思議な光景が広がっていた。
 
「綺麗な空・・・」
 
思わずつぶやく。
生き物の目覚める前の静かすぎる時間。少し肌寒いくらいの空気。何もかも現実離れしているように感じる。
 
その時、サッと黄色い光が射した。
オレンジの一点から、広がっていく眩しい黄金。
 
「夜明けですよ、レンシェル様。新しい一日の始まりです」
 
微笑んでレンシェル様を見ると
 
レンシェル様の瞳には朝日が映っていた。
新しい始まりの光。
 
そこから唐突に涙が零れだした。
 
「レンシェル様?! 乳母さん! 乳母さん!!」
 
レンシェル様と手を繋いでいて動けない私の代わりに、すばやくルークが乳母さんを起こしに行った。
ルークに起こされた乳母さんは飛び起きてバルコニーに走ってくる。
 
「ああぁぁぁぁ!!! 父上!母上!! 死なないでほしかった!!」
 
血を吐くような慟哭。
こんな小さな子が、こんな泣き方をするなんて。
 
胸が締め付けられて涙が止まらない。
乳母さんもレンシェル様の足元にすがりついて号泣している。
繋いだ手から、哀しみや悔しさや不安や怒りが流れ込んでくる。
全部憶えておこう。
私は零れる涙をぬぐいもせず、ただただレンシェル様を見ていた。
 
 
 

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