あやかしばかり ~現代妖怪譚~

そらねこ

4話

 満開の桜。

 洋風な建物。

 情緒溢れる庭園。

 和の装い。

 そして美人。

 これらが揃ったことにより幻想的かつ神秘的な光景が出来上がっていた。
 それは一枚の絵画のようで。物語の中に入ったようで。
 あまりの現実離れした美しさに、まるで知らない世界に来てしまったような錯覚さえ抱いてしまう。

 真正面から見る彼女は、やはり綺麗で、それでいてどこか儚げな印象を受ける。
 さらに驚くことに、俺を真っすぐ射貫くその瞳は、深く澄んだ紫色をしていた。
 日本人離れした色ではあるが、彼女の雰囲気と袴の色も相まってか、不思議と違和感は感じない。

 その瞳に吸い込まれるように見惚れていると、カロン、と音が鳴った。

 それは彼女の下駄の音。心地良い高めの軽い音を響かせながら、一歩、二歩と歩み寄り、残りおよそ三歩ほどの距離で立ち止まる。
 そして数秒、じっと瞳をみつめたかと思うと、ゆっくりと笑みを浮かべた。


「貴方、好かれてるのね」

 唐突な言葉に思わず固まってしまう。

「え、と……」

 どんな返しが正解か分からず困り果てる俺を見て、彼女はさらに笑みを深める。
 そして、おもむろに両手を差し出してきた。
 そういえば、さっきも同じようなことをしてたな。桜の花弁でも掬ってたのだろうか。
 そんなことを考えながら何の気なしに差し出された掌を見る。

 そこには、花弁とはほど遠い、白くてふわふわとした一つの毛玉が乗せられていた。

 うさぎの赤ん坊か何かなのだろうか。両の手にすっぽりと収まるサイズのその毛玉は、触ると気持ちよさそうなほどモコモコとしている。
 それに時折身動ぎするところを見ると、うさぎとは断定できないが、生物であることには間違いないのだろう。
 ただ、あまりにも真ん丸なため、どっちが顔でどっちが尻かは見ただけでは判別できない。

 世の中には不思議な生き物がいるものだなとまじまじと観察していると、真っ白なその毛玉から黒い点がふたつ、現れた。

「これは……目?」

 ぱちぱちと瞬く、そのふたつの目のような黒胡麻は、心なしか俺のことをじっと見上げているようにも思える。
 その様子がなんだか愛くるしい。

「可愛いうさぎですね」

 素直な感想が、口から発せられる。
 わざわざ俺に見てくれと言わんばかりに目の前で毛玉うさぎを差し出されたんだ。そこで無視をして会話もせず立ち去るなんて無粋な真似は出来ない。
 そう、これは当然の流れであって、美人なお姉さんと仲良くなれるチャンスだなんて全く思ってなどいない。
 しかし、俺より頭一つ分背の低い彼女が目線を合わせるために上目遣いでこちらを見てくるのは、女性耐性の弱い男にとっては非常に破壊力がある。
 心の臓を高鳴らせながら地面を転げ回りたい衝動をなんとか抑え、自分の中で最上級の微笑みを彼女に向けた。

 だが、そんな微笑みも彼女の言葉にあっさりと崩れ去る。

「いいえ。この子はケサランパサランよ」

「けせ……?」

 聞きなれない言葉に眉を顰めて聞き返す。
 なんだ? うさぎではないのか、こいつは?
 それにしても初めて聞く名前の動物だ。ガラパゴスゾウガメなどのように、ごく一部にしか生息していない種類なのだろうか。

「この子は、気に入った人に幸せを運んできてくれるの」

 どことなく浮世離れしている雰囲気を纏う彼女も、そんな可愛げのある冗談を言えるらしい。
 最初は近寄りがたい高嶺の花のような人だと思ったが、意外と親しみやすい性格をしているのかもしれない。
 そう思うと、一気に親近感が湧いてきた。ここで仲良くなれるなら、是非ともお願いしたい。

「へぇ、なら僕のこと気に入ってくれたら幸せになれるかな」

 そっ、とケサランパサランとやらの頬にあたりそうな部分を指先で撫でてみる。
 思った以上の触り心地だ。
 ふわっとした毛並みは、動物というよりかは綿毛などの植物に近い。
 気持ちよさげに小さな目を細めている様子を見ていると、得も言われぬ充実感が身体の奥底から湧き上がってくる。
 この感じには覚えがあった。うちの黒猫を撫で繰りまわしている時の感覚と似ているんだ。
 数年前、実家の庭先で迷子になってミーミー鳴いていたところを保護したが、何故か俺にしか懐かなかったため、わざわざペット可のアパートを借りて一緒に引っ越してきた。
 きっと今頃あいつは、陽の当たるベッドの上で快適な睡眠を楽しんでいることだろう。

「これで、えにしは繋がった」

 柔らかな体毛を楽しんでいた手を止め、彼女の言葉に視線を上げる。
 すると彼女は、ケサランパサランを乗せたまま両腕を広げるではないか。

「えっ、ちょ……!」

 このままでは落ちてしまう。そう考えるより先に反射的に手が前に出ていた。
 だが、いくら待っても差し出したこの手に重みを感じる様子がない。
 それどころか、ケサランパサランの身体は落ちることなくその場に留まっている。むしろ重力を忘れてしまったかのように上昇していく。

 支えもなくふよふよと空中を漂う姿を、中腰の情けない恰好のまま見上げる。
 その奥で、愉しそうな声で嗤う彼女と視線がぶつかった。

「愛し子よ、申し子よ。貴方と私は結ばれた。また六道で逢いましょう」

 手を伸ばせば届きそうな距離に居るはずなのに、その声はどこか遠くの方から聞こえてくるようで。
 彼女の姿も、空も、建物も、木々のざわめきすら霞にかかったようにだんだんとぼやけてくる。

 次の瞬間、霞の中から大きくまばゆい輝きが溢れ、弾けた。
 強い視覚的刺激に思わず閉じた瞼を開けると、ぼやけた視界には鮮やかさが戻り、樹や風は再び囁きだす。
 しかし、数瞬前には目の前に居た彼女は、どこを見渡しても見つけることが出来ない。ケサランパサランもどこかへいってしまったようだ。

 まるで狐につままれたような出来事に、脳内の処理が追いつかず、その場にぼーっと立ち尽くす。

 暫くして、考えることを諦めた俺は家路につこうと来た道を戻り始めた。

 そこに、柔らかく暖かな風。


 愛し子に幸多き旅路であらんことを――――


 その風に乗って、彼女の声が聞こえた気がした。

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