想像力で空を飛ぶ

ふじゆう

手に入れた非日常

 すると、カーテンレールが激しい音を立て、窓から引き剥がされた。僕の小柄な体躯でもカーテンレールは、耐えることができなかったみたいだ。僕の体が乱暴にフローリングに叩きつけられている。まるで、操り人形の糸を切られたように、手足が床に投げ出されている。暫くすると、激しい足音が接近してきた。乱暴に開かれた扉からは、ゴルフクラブを握りしめた母親が顔を出した。母親は血相を変え、ゴルフクラブを投げ出すと、死体のように床に倒れている僕へと慌てて歩み寄る。何事かを叫び、急いで階下へと降り、また戻ってきた。僕は茫然とその光景を眺めていた。しばらくすると、遠くの方から救急車のサイレンが聞こえてきた。窓を閉めたまま顔を外に出すと、家の前で救急車が停車した。二人の救急隊員が、僕の部屋へとやってきて、丁寧な所作で僕の体を担ぎ上げた。
 僕は救急車の後を追いかけると、病院へと運ばれた。様々な処置をされ、ベッドで横たわっている僕の体。医師と母親の会話を僕もすぐ隣で聞いた。
「今のところ、命に別状はありません。しかし、予断は許されない状態です」
 医師が神妙な面持ちで告げた。
「命に別状はない?」
 僕は首を傾げた。つまりどういうことだ? もしかしたら、復活してしまう恐れがあるということだろうか? それは、非常にまずい。僕は寝静まる自分の顔を覗いた。僕がこいつに引っ張られると、意識が戻るということなのだろうか? 僕は急いでその場を去ることにした。意識が戻る・・・生き返るなんて冗談じゃない。地獄に叩き落されてたまるか。
 病院から抜け出すと、僕は歓喜に震えた。まさか本当に、空が飛べるなんて。想像が現実を飛び超えた。空は思っていたよりずっと眩しくて、とても美しい。やっと手に入れた夢の世界に涙が溢れてきた。僕はしばらく、辺りを飛び回った。もう嬉しくて嬉しくて、堪らなかった。こんな世界があるだなんて。ひとしきり飛び回ると、この町で一番背の高い鉄塔の天辺に腰を下ろした。もう、笑いが止まらなかった。これまでの辛いことが、嘘だったかのように晴れ晴れとした心地だ。僕は静かに目を閉じて、幸せを噛み締めていた。そして、目を開けた―――
 目の前には、先ほどまでの広い空は消え失せていた。僕は茫然と天井を眺めている。何がなんだか、思考が追い付いてこない。
「あ! 目を覚まされましたか? すぐに先生を呼んできます!」
 突然、大声が響いて僕は驚きながら、声の方へ顔を向けた。そこには、慌てて部屋から出ていく、白衣を着た女性の後ろ姿があった。数分後、白衣をきた男性医師がやってきて、僕に質問しながら体に触ってくる。瞼をこじ開けられ、光を照らされた時は、さすがに苛立ちを覚えた。色々質問されるが、思考がまったく回らない。僕が混乱していると、左頬に痛みが走って、体が横に流れた。何事かと顔を上げると、恐ろしい形相で母親が鼻息を荒くして仁王立ちしていた。医師や看護師が母親を宥めている。どうやら、母親から平手打ちを食らったようだ。その後、色々まくしたてられた。母親の言い分は、多くの人に迷惑をかけて、本当にみっともない。と、いうことであった。
 どうやら僕は、死んでいないようだ。生き返ったと言った方が正しいのだろうか?
 僕が先ほどまで見ていた夢のような景色は、本当に夢だったのだろうか?
 落胆するほかなかった。地獄へと引き戻されてしまった。検査入院する為に、病院に一泊することになった。しかし、そんなことは、どうでもよい。先の事を考えると、吐き気をもよおしそうだ。僕は現実逃避をする為に、固く目を閉じる。先ほど見ていたまさに夢のような世界。美しい風景を脳内に蘇らせる。
 真っ暗な病室のベッドの上で、僕は仰向けで眠っている。両手を胸の前で組み、何かをお祈りしているような格好をしている。まるで死んでいるのではないかと思えるほどに、ピクリとも動かない。僕を見ていたら、無性に悲しくなってきたので、せめて僕だけでも僕を労ってあげたくなってきた。僕は自分の寝顔に接近した。寝顔に手を伸ばしたところで―――気が付いたのだ。
 僕は、僕から抜け出していた。病室の中で宙に浮き、僕は歓喜に震えた。大声で叫びたい衝動を抑え込むことができずに、力の限り声を出した。大声を出す快感と周囲の無反応で、笑いが止まらない。すかさず、病室を飛び出し、夜空を駆け回る。まだ見たことのない景色を堪能したい。
 翌日、とくに問題のなかった僕は、自宅へと強制送還された。しかし、前ほどの悲壮感はない。
「お前、人が変わったみたいだね。気味悪い」
 帰宅後の母親の第一声だ。だが、何も感じなかった。むしろ笑いを堪える為に、必死で奥歯を噛んだ。母親の言うことは、あながち間違いではない。僕はあの時、死んだのだ。体は不本意ながら、生き残ってしまった。だが、死を決意し実行した心は、死んだのだ。不幸中の幸いとは、このことだろう。あの出来事のおかげで、僕はこの特異な能力を身に着けたのだ。俗にいう『幽体離脱』という現象だ。オカルト系で眉唾ものだったが、実際に体験してしまっているのだから、仕方がない。信じるほかにない。目を閉じて、体の前で手を組み、体から抜け出すイメージを思い浮かべると、精神が体から抜け出すのだ。色々試してみたのだが、このスタイルが一番効果的であった。目を閉じ手を組む所作が、最もイメージが容易い。効率的でもあるが、その一連の動作が、まるで離脱トリガーのようでカッコイイと思い、採用している。

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