この世界で魔法が生まれた日

東雲一

「ようこそ、MRSの世界へ」

 勇者に、誰でもなれる。でも、だとしても―。

 僕は、バスに揺られながら、考えていた。聞こえはいい。ただ、皆が勇者になれるかもしれないけれど、実際に勇者になれるのかは別問題だ。僕の中ではまだ、勇者はフィクションのなかの空想上の存在だった。

 勇者が勇気を持っているか、持っていないかの違いならば、臆病者の僕は、一生、勇者にはなれないということではないか。

 そもそも、勇気とはなんなのだろう。僕にはまだ分からない。前進したようで全然、前進していない。さっそく大きな壁にぶち当たって、飛び越えることもできず、ただ壁を見つめている状態だ。

 男に勇気とは何かと尋ねたけれど、こう返された。

「すぐに答えを求めようとするな。答えを見つけるまでの道のりが面白いのに、答えを見つけてしまったら、面白くないだろう。お前は、結末だけがかかれた小説を読んで面白いと思うのか。まあ、お前自身で、考えて見つけないと意味がないとだけは言っておこう」

 こうあれこれと言われてしまった。

 慣れてしまっているのかもしれない。どんな問いにも、正解があって、答えを教えてもらうことに。

 学校に勉強していることにはすべて答えがあって、答えに至る過程を丁寧に先生が教えてくれた。

 でも、大切な道の歩み方には、答えがない。答えを教えてくれる先生だっていないんだ。
 
 バスが、ゆっくりと止まり、扉が開く音がした。

 だったら、自分で、答えを見つけ出してやる。自分でこれってなにかを見つけ出して歩んでいこう。

 人々が一斉に席から立ち上がると、前方にある運賃箱の方に、動き出す。

 僕たちが席から立ち上がった時にはすでに運賃箱の前に列ができていた。

「何てことない。散歩に出掛けるような感じで気楽に行けばいいさ」

 男は、僕の肩をぽんと叩くと先に列の後ろまで歩き出した。先ほど会ったばっかりで、馴れ馴れしい気もしなくもないが、正直、僕は嬉しく感じた。
 
 ※※※

 見た感じ、列に並ぶ乗客の半分くらいは現金で支払うのではなく、ICカードを使用しているように見える。バスの利用額に応じてポイントが付与されて、運賃が割引になることもある。ICカードを利用する人も増えてきているのだろう。

 現金だと、両替しないといけない時があるから、面倒だ。5000円しか持ってなかったりすると、両替できないから、その時は、一体どうすればいいのだろうか。

「なんだと!?5000円の両替ができないだと」

 別に伏線を張ったつもりはなかったのだが、さっそく、考えていた場面に遭遇してしまった。それが全くの他人だったら、まだ、面倒ごとに巻き込まれず済んだんだけどな。

 両替できないと叫んだのは、隣に座っていた、おじさんだった。まるで小説を絵に描いたような流れだ。

 気持ちの問題なのだろうけど、現実は、たいてい、小説のようにはいかないものだが、なんとなく悪いことに限っては、その原則に当てはまらないような気がする。

「すまない。小銭持ってないか」

 案の定、男はこちらを見て、小銭を要求してきた。

「仕方ないな」

 僕はしぶしぶ受け入れると、財布から小銭を取り出し、男に渡した。

「悪いな。ここに来たのはここ最近でな。両替できないとは知らなかったぜ」

 男の言葉に少し違和感を感じた。バスは、ここじゃなくても、たいがい走っているはずだし、5千円以上の高額紙幣が両替できないというルールも全国的なものだと思う。男のいうここがどこを指しているのかは分からないが、変な感じだ。

 男は小銭を運賃箱に入れてバスから降りた。僕も、小銭を運賃箱に入れバスから降りる。ちょうど、小銭が財布にたまっていて、重く感じていたので、小銭をいくらか減らしておきたかったからだ。

 僕は、決めていた。
 バスを降りたら、 MRSを開くと。
 
「開くのか」

 横で見ていた男が言った。男以外には、誰も人は立っていない。この男も、信用していいのかは疑問だけど、僕のかんが信用してもいいと言っていた。かんを信じて、駄目だったらその時はその時だ。

「ええ、開きます。ずっと、開くのが怖かった。つまらない日常であっても、失ってしまうかもしれないと思ったら、不安で仕方なかった。だから、自分のなかで考えているふりをして、最もらしい理由を並べ立てて開かないようにしてたんです」 
 
「臆病な奴だな、お前は。だけど、その判断は間違ってはいないかもしれないぜ。まあ、とりあえず、開いてみなよ」

 僕は、スマホの画面にあるアプリに指を近づける。

 もう僕は躊躇わない。変えるんだ。ありきたりな日常なんか消えてしまえ。

 迷わずアプリのアイコンを押し開いた。すると、スマホの画面が真っ黒になり、一瞬見たこともない変な文字が上から下に移動していくのが見えたかと思うと消えた。

 そして、画面の真ん中に日本語が浮かび上がった。

―ようこそ、MRSの世界へ。

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