それは冒瀆的な物語

だく

その6-4 これからのこと、いままでのこと


 ディオ達も街の近くまで戻って来た時、ギルの姿はなぜか街から少し離れた場所にあった。
「…ど、どうした? こんなところで…。」
 ディオは隠しきれない戸惑いと共に尋ねた。
 ギルは街からはちょうど死角となる岩場の影で、なぜかたき火をしていた。そして何より、どうしてだか壺を頭からかぶっている。もちろんディオお気に入りの例の一品だ。本当はこちらを先に聞くべきなのだろうが、ここまでぶっ飛んだことをされるといくらディオといえども突っ込みにくい。
「あっ! アニキ! 実はさっきハッパを拾ったんですよ! だからその品質チェックです! へへへっ! こうすればケムリが充満してくれますからね! うけけけけっ!」
 なぜかギルのテンションはとんでもなく高い。だが壺のせいで声がくぐもってしまって何を言っているのかまるで分からない。しかし、どうやら拾って来た物の検分をしているらしいとはディオにも分かった。ギルのすぐ隣にはさっき彼が馬車の中にせっせと積み込んでいた大きな麻袋が転がっている。
「ふ、ふーん…。…だけどこんな端っこでやる必要なんて無いだろ? あっちの方が明るいんだから向こうでやるぞ?」
 なぜかギルの周りが輝いたようにディオには見えた。やはり理由は分からないのだが、強烈なほどの憧れの気持ちがこちらに向けられているらしい。
「アニキやっぱりすごいです! やっぱりとんでもない大物ですよ! 器の大きさが計り知れないです! 分かりました! あっちで盛大にやりましょう!」
 感激の色を含んでいてもまた聞き取れないくぐもった声が聞こえてくると、ギルは大きな麻袋を担ぎ上げ、よたよたと街の方へと歩き始めた。もちろん壺はかぶったままだ。
「…ちょ、ちょっとディオ、なんかあいつ様子がおかしいわよ?」
 ギルが立ち去ったところでやっと、決して関わらないよう遠巻きに眺めていたキャロルとポロロがやって来た。
「う、うーん、それは俺も分かっているんだけど…。」
 キャロルにそう言われようともディオだって困惑することしか出来ない。
「……まさか本当に呪われた品とかがあったんじゃないの…? それに触っておかしくなっちゃったとか…。」
「…えー? そんな変な物なんか見てないぞ、俺…。」
「だけどおかしいですよ、あんなの…。あの人が一人でなにかに触っちゃったんじゃ…? ほら、何か集めたいって言っていましたし…。」
「だけど、あいつ家の外をうろうろしていただけなんだぞ…? なんだか草むらでごそごそと…。」
「じゃあいったい…? あ、あれ? なんだか頭が――。」
 ポロロは急に頭痛に襲われたらしく額に手を当てた。それを気遣っているキャロルもこの状況に対してかなり不安そうだ。
 当のギルはふらふらしながら街に向かって歩いている。当たり前なのだが被っている壺のせいでほとんど前が見えないらしい。腕を突き出しながらよたよたと歩くその姿はまるでゾンビみたいだ。
「…ま、まあ、たき火をしたいみたいだし、ちょっとやらせてみよう…。…悪霊みたいなのがくっついているんだとしても、好きなようにやらせておけばその内満足して勝手に出ていくだろ…。」
 実際に呪いだとしてもディオ達だけでは打つ手がないのだ。素人考えなのは分かっていてもこう言うしかない。
 今朝、ギルたちと初めて出会った辺りまで戻って来た。ギル一人だけがせっせと働いている。他の品々はとうに荷下ろししていたらしい。いくつもの麻袋などが一角を占領して山積みだ。
「アニキ! さっきの種火をください!」
「お、おう…。」
 ディオが手渡すと、ギルはさっきの麻袋に直接火を付けた。
 すぐさまそれはメラメラと燃え上がる。
「うっひょー! すごいでしょアニキ! うひゃひゃひゃひゃっ!」
 そしてギルは狂喜乱舞し始めた。
 けたけた笑いながら、まるで一人でキャンプファイアーをやっているかのように、ギルは燃え盛り始めた炎の周りをぐるぐる回る。そして踊り狂う。
「じゃ、じゃあね、ディオ。ちゃんと自分の子分の面倒は見ておくのよ?」
 もう関わるべきでは無い、そう判断したキャロルが背を向けた。
「ちょ、ちょっと待て! 俺にあれをどうしろって言うんだよ!」
 しかしディオとて一人残されるわけにはいかない。ギルの踊りはさらに激しさを増し続けているのだ。
「し、知らないわよ。一緒に踊ってあげれば良いんじゃないの? ほら、あんたたち良いコンビじゃないの」
「やめろ! 俺にだって嫌なことくらいはあるんだからな! あっ! そういやあいつ、お前の事気に入っているみたいだったぞ!」
「や、やめてよ! 変なこと言うの! 私は真面目でちゃんとした人が良いの!」
 悲しいかな、至極控えめと言っても良い希望なのにギルではとてもかなえられそうもない。
「むぐぐ…! お、おいポロロ! ああいうちょっとヤバい奴を前もって捕まえておくのも騎士の仕事なんじゃないのか!」
「うっ……! い、いや! ちょっと奇行が目立つという理由だけでは――!」
 三人でこそこそと押し付け合いをしていると、当のギルがやって来た。
「あっ! ああ! 姉さん!」
 ギルは初めて気が付いたようにキャロルの方を向いた。相変わらず壺は被ったままだが、大きなひびから少しは外が見えているらしい。
「……………おっぱいさわらせろー!」
 ギルは両腕を突き出してキャロルに飛び付こうとした。
 だが、次の瞬間にはその腕はキャロルに絡め取られ、同時に強烈な膝蹴りを腹に打ち込まれていた。鉛筆の様に細いギルの身体がポッキリと折れ曲がり、それとは正反対の鈍く、低い音と共にギルは宙を舞った。
 もはや一切の身動きも取れない彼がまるで墜落するように地面へと叩き付けられ大の字になって倒れると、壺に入っていた亀裂はみしみしと大きくなっていき、ぱかん、という音を最後に真っ二つに割れた。白目を剥いたギルの顔、それと共に中から現れた毒々しい紫色をしたケムリがもくもくと空に昇って行く。
「……ひでえ…。」
 今までのことなど忘れて、思わずディオは呟いた。
「痴漢とか最低ね」
 キャロルはただそれだけを、本気で腹を立てている時の低い声で言った。
「ど、どう見たって正気じゃ無かったんだからあそこまでしなくとも…。」
「なに? あいつの肩を持つわけ?」
「い、いや、別に…。」
 もはや彼女からはさっきまでのきゃあきゃあ騒いでいた様子が微塵ほども見られない。わざわざディオだってそのおっかない目に逆らおうとも思わない。こういう騒ぎが大好きなはずの街の人々でさえも、彼女の様子を見て今回は寄り付きもしない。
「ふんっ」
 キャロルは鼻を鳴らして続けた。
「痴漢なんて全員檻の中で大人しくしていれば良いのよ」
 ポロロが慌てて、倒れたままのギルの方へと駆け寄った。
「つ、詰所の牢屋に入れておきます!」
 キャロルの言葉を命令だと受け取ったのか、ポロロはきびきびと、しかし多分に焦った色を含んだ上擦った声で応えた。そのまま彼はぴくりとも動かないギルの事を引きずり、逃げるように去って行った。
「あっ! ま、待って! 待ってポロロ君! 違うの! 今のは違うのよ!」
 その姿にショックを受けたようで、キャロルは追い掛けることも出来ずに叫んだが、ポロロが立ち止まることは無かった。
「ど、どうしよう…! 今の話がイノセントさんに伝わったりしたら…!」
「…諦めろよ。むしろ今までその凶悪さを隠し通せていた方が奇跡じゃないか」
「か、隠してなんかいないもの! そんな所なんて私には無いんだから! それに今のだってあいつが悪いんじゃない! だいたい痴漢なんてあれくらいされたって――!」
 何だかんだと抗弁しつつも案じているのは自分の事ばかりで、蹴り飛ばしたギルの心配などは全くしない辺りやっぱりキャロルだなあ、とディオは思う。
「――で、でも…! あ、ああ…! どうしよう…! 私の作り上げて来たイメージが…!」
 今度は頭を抱えて呻き始めた。こんなことを言う時点で自分だって意識しているものがあるんじゃないかと思うのだが、指摘したらきっと藪蛇になるだけだ。
(…ダンスといい、ギルといい、こんなやつのどこが良いのだろう…。)
 そしてなぜ自分はこんな楽屋裏の様子を見せられなければいけないのか。
「…まあ大丈夫だろ。一応ポロロだって一部始終見ていたんだから。そこまで変な話に発展することは無いだろうし」
 あんまり落ち込まれてもそれはそれで面倒なのでディオは適当な慰めの言葉を送っておいた。だが本当は、自分の事を何度も殴っていたのだし全部今更だとも思う。
「――そ、そうよね! ただの自己防衛だもんね! ――いや、むしろ自立した女性って事にならないかな…?」
 しかしそれでも自分に甘いキャロルには十分な言葉だったらしい。きっと他の男がいつもちやほやし過ぎるのだ。
「よ、よし! 大丈夫! 全然問題ないじゃないの! そもそもみんな騎士なんだもん! 犯罪者捕まえたならむしろ褒められたっておかしくないわよ!」
 さっきまで一緒にいた仲間の事を平気で犯罪者呼ばわりしているものの、キャロルはもう立ち直ったようだ。キャロルは人の事をいつも破天荒のように言うが、これを見ているとディオは自分の方が遥かに真面目な人間であるような気がして来る。
「ま、まあポロロ君には後でフォロー入れておかないといけなそうだけど…。…でもこれも後で詰所に寄った時で良いかな…? よ、よし…! やっぱり私の方は大丈夫…! ――ところで、あんたの方はこれからどうするの? そのゴミの山を売って本当に不死鳥の卵とか言うのを買うつもり?」
「ん? あっ! しまった…! ギルを連れて行かれたらまずかったのか…!」
 自分の方が一段落したキャロルから話を振られたこの時になって、やっとディオは気が付いた。ギルがいなければその卵を売っている人物が誰なのかが分からないのだ。
「あ、ああー……、ええー………?」
 今度はディオの方ががっくりとうなだれた。せっかくこれだけのものを集めて来たというのに、気が付けば全部無為に帰してしまっていた。
「ご、ごめんって…。落ち込まないでよ…。」
 その卵の事は信じていなかったはずなのに、へこんだこちらの様子にキャロルからも謝られてしまった。
「…でも、本当にこのゴミの山はどうするのよ? 呪いなのか何なのかは知らないけれど、あいつの様子がおかしかったのは事実なんだから。他に危ないものがいくつも隠れていたっておかしくないってことなんじゃないの?」
「う、うーん…。」
 これでは頑張って売って歩き、小銭を稼ぐという事さえ出来やしない。怪しいものの目星でも付いているならサンに鑑定してもらえば良いのだが、どれも似たり寄ったりの程度のものだからそれも手間ばかりが掛かるだけだろう。しかし危険なものをこのまま放置しておく訳には流石にいかない。
 何より不死鳥への道が途絶えてしまった事で、目の前にある一山も今となっては黄金を運んで来てくれるお宝では無く、キャロルの言う通りただのゴミの山にディオにも見え始めてしまった。
「…仕方ない。このままにも出来ないし、燃やしちまうか…。」
 ディオは泣く泣く決断した。
 せっかく集めて来たものを適当にばらして、二人で並んでしゃがみ、たき火をつついているとどうしても寂寥のようなものを感じてしまう。
「せめて石レンガとかは売れないかなあ…?」「…うーん、拾って来たものの中だと一番望みがあるかもね。でも、手間と比べるとあんまり良いお金にはならないような気もしちゃうかな…。」「むう、そんなものなのか…。」「いや、私もさすがに石レンガの原価がどのくらいなのかなんて分からないんだけどね…? ……金策だったらサンちゃんと考えてみたら? サンちゃんはお手製の魔法薬でお金を稼ごうとしているみたいよ?」「いや、そういうのってなんだかサンの小間使いみたいな形になっちゃいそうでなあ…。」「…う、うーん…、確かにね…。サンちゃんに対してこっちの提供できるものが少なすぎるかな…。」「でも、だからと言って適当な日雇いの仕事とかこなしてもあんまり金にはならないんだよな。ある程度効率よく稼げないと、ただこの街にいるだけってなっちゃうし…。正直それなら俺一人で適当に旅を続ける事にして、他にダーレスみたいな魔法使いがいないか探しておいた方が良いかなとは思うんだ。実質的にサンの旅を引き継ぐことにして」「………。」「な、なんだよ、その顔は…。」「いや、先に言っておくけど、本当にからかうようなつもりなんて無いからね? ただ、せっかくサンちゃんと組むことになってくれたんだから、出来るだけちゃんとした形で続いて欲しいなあ、って思っていたから…。なんかちょっと嬉しいかも」「ダーレスに会えてサンの旅は一気に進んだみたいだけれど、結局のところ全部サンが一人で解決しただけだからな? 俺はまだ何していないようなもんなんだよ、今のところ」「…ふふふっ。あんたそういうところあるからズルいわよね、ホント。んふふっ」「な、なんだよ、変なこと言って…!」「ふふっ、訳も分からないくせにまた照れて…。――ねえ、ディオ。それだったらやっぱりサンちゃんと一緒に何か新しいこと始めた方が良いわよ、きっと。変な話だけどサンちゃんの抱えていた問題の大半が解決しちゃった分、せっかく組んだのにその意義が薄れて来ちゃっているような気がするから。サンちゃんは絶対にこういう薄情なこと言わないだろうけれど、客観的に見てね?」「む、むう…、そうかな…?」「うん、傍から見ての感想だけどね? それで、改めてこれから一緒にどうしていくかって意味で、やっぱり一緒に出来る何かを考えた方が良いんじゃないかって思うんだけど…。――さっき言った話だけど、やっぱりサンちゃんの考えている魔法薬の販売って良いんじゃないの? ただね、ディオの考えている案と混ぜちゃって――。えっと、まずダーレスさんはここで街医者やっているわけだから、よくよく考えてみればサンちゃんがこの街で魔法薬の販売とかするのってちょっとまずいじゃない?」「…まあ言われてみればそうだな。師弟で商売敵になる訳にもいかないんだから」「だけど、サンちゃんだってお勉強の事も含めてこの街から離れるわけにはいかないでしょう?」「…あっ! なるほど! 俺が他の町にサンの魔法薬を輸出すれば良いんだな! それならただ商売するだけじゃなくて、同時に別の魔法使いを探す事だって出来るはずだ!」「ね! これ良いアイデアよね! んふふーっ、やっぱり私ったら頭いいんだからー。ま、でも実際これならサンちゃんにも十分にメリットあるし、お互いにちゃんと提供できるものがあって良い関係じゃない? ね!」
「――おっ! 兄ちゃん達たき火しているのか!」
 ゆったりとたゆたうようだった話が徐々に勢いを増してきたところで、街の人が一人、気さくに寄って来た。
「ん? ああ、まあそんなところだ」
「よし! じゃあちょっと待ってろ! 芋持って来てやる!」
「おっ! ほんとか!」
 ディオがお礼を言うよりも先に彼は走り去って行ってしまった。
「…え? この火で焼き芋するつもりなの?」
「そりゃそうだ」
 ディオは当然のものとして頷いたが、たった今まで饒舌だったのにキャロルは言葉を失っている。
「…え、いや、だって、呪われているものがあるかもしれないって事で燃やしていたんじゃない…。」
「もうこうなっちゃえば関係ないって」
 そう言ってディオがたき火をさらにつつくと、急にぼわっと紫色のケムリが上がった。
「わ、わわわっ! なに今の!」
「おお。やっぱりそういうものがあったのかもな」
 ディオはそう受け取ったのだが、飛び退いたキャロルはその場で固まったまま戻って来ない。
「…ねえ、なんかまだもくもくとケムリが上がってない?」
「うまくお焚き上げ出来ているってことだって」
 疲れた様子のキャロルに、ディオはあっけらかんと応えた。
「………あんたと一緒にいると、ほんと、とんでもない事ばかり起こるわね…。…起こしている、と言うべきなのかもしれないけれど…。…お腹空いちゃったし、ご飯食べて来る」
「さっきの奴が芋持って来るって言ってくれたのにもったいない」
「…もうお腹いっぱいだからいらない」
 キャロルはほんの一瞬前と正反対の事を言っている。
「…あーあ、なんか馬鹿らしくなって来ちゃうなあ……。あの魔法の事も、あんた見てるとなんだかどうでも良い事のような気がして来ちゃうし…。……これからどうしよう…?」
 ほとんど独り言のようにキャロルは口にした。
「それだったらさっさと金を受け取ってくればいいじゃないか。本当だったらわざわざその騎士の奴を待つ必要も無いんだろ?」
「そ、それは……、だって今更格好悪いじゃないの…。まるでお金に困っているみたいで…。」
 見栄っ張りな部分が邪魔をしているらしい。だが自覚はあるのか、その言い方はごにょごにょと、はっきりしないものだった。
「…で、でも、イノセントさんには会っておきたいかな。ちょっと改めて色々とお話しておきたいし…。あ、あの痴漢の件も話しておかないと…。いや、そもそもディオが騎士の人をやっつけちゃった話もあるわね…。」
「い、いや! それは必要ないだろ! 波風立てず穏便に、って方針だったじゃないか! 俺が捕まるだろ!」
「だってディオがここまで馬鹿やっているとは思わなかったんだもん。それに、本当に山賊だと思われていたらそれこそ大変じゃないの。少なくともみんながこの件についてどこまで正確に把握しているのか知っておく必要はあるでしょ? サンちゃんのためにも」
「む、むぐ…。」
「もちろんひどいことにはならないように手は貸してあげるから。あんたはここでお芋でも食べて大人しくしていなさいよ。私も後で宿に戻るから」
 キャロルは最後にそう一言付け加えると、軽く手を振りながら、そのまま街の中心の方へと歩いて行ってしまった。
「……ま、まあ信頼しても大丈夫だろ…。あんなんだけど仕事は出来るんだから…。」
 行ってしまったキャロルと入れ替わるように、さっきの彼が芋を両手に抱えて戻って来た。ディオの興味もすぐにそちらへ移った。
 ディオ達が二人で焼き芋の準備をしていると、それに惹かれるように人が集まり始めた。中には追加の食糧まで持って来てくれる人もいて、自然と規模が大きくなって宴会の様になってしまった。
「人数増えて来たんだしこっちでも火を焚いておこうぜ。兄ちゃんが言うにはこれ全部燃やしても良いらしいから。」
 わざわざディオが応えるまでも無く、街の人たちは拾って来たものを火にくべていく。すぐに新しい炎までもがいくつも燃え盛り始めた。
 ディオの目の前でも、赤い光がゆらゆらと揺れていた。
 それを漠と目で追えば、つられるようにこちらの頭までふらふら揺れてしまう。
 いつしか自らの心までもが、あたりの炎の間を当てもなく、ふわふわと漂い始めてしまったように思えた。
 こんなたき火の小さな炎でも、あの家を焼いたのと同じ炎なのだろう。
 あの廃村の村人たちはきっと、自分たちの幸福がずっと続くことを誰一人として疑いもしなかったに違いない。
 その魔法使いにとってはどれほど不条理に思えても、他の村人はそれをずっと当然の道理としか考えていなかったのだろうから。破綻の前兆がいくつあったとしても、村人たちはまるで気が付きもしなかったはずだ。
 魔法使いがあの村を去ると決めた時、きっとそれが彼らには唐突な裏切りにしか思えなかったのだろう。だからただ、激高することしか出来なかった。
 実際はまるで積み木崩しのように、着実に日々一歩一歩不安定に向かって歩んでいたとしても。本当は毎日、自ら平和を蝕むようなことを繰り返していたとしても。
 きっと彼らにとって、すべての崩壊は突然のことでしかなかった。
 そうなると致命的な破滅というのは、実は一瞬の出来事ではないのかも知れない。そこに至るまでの連続した出来事の積み重ねが、最も分かり易い形で表に出て来た瞬間というだけのことであって。
 そこからさらに続ければ、あの焼けた家というのは、彼らが繰り返して来た自らの生活を破壊する瞬間瞬間の結晶だ。実際に、あれは時間をも超え得るものと成り得ているのだから。
 目の前の炎がまたゆらりと揺れ、ちろりと炎の先が割れた。
 それはなぜか、蛇の舌のように見えた。
「――君、祭りで神子をやってくれたあの魔法使いの女の子と一緒にいたよね? 今日は一緒じゃないのかい?」
 ディオは声を掛けられてはっと我に返った。どうやら火に当たり過ぎてのぼせてしまったらしい。似合いもしない感傷的な物思いに囚われていたような気がする。
「ん? あ、えっとサンのことだな? 今はダーレスの所に行っているぞ」
「あ、そっか。魔法の保護をしているんだもんね」
「なんだ、もうその話も知っているのか」
「うん。もう持ち切りだもの。魔法の保護に力を注いでいるんだろう? 今だったら魔法使いなんて王都ですごく優遇されているのに、それを蹴ってこんな遠くの街にまでやって来て」
「………。」
 ディオは何も答えず、ただ深く息をついた。
(…あいつのこと、まだ何も知らないな…。)
 実はあの焼かれた家を前にして、ふと思った事があるのだ。
 サンと初めて会った時、彼女の口にした「何の痕跡も無かった」というのはこういう状況を言っていたのではないだろうか、と。
 半日離れていただけなのだが、話したいことが本当にたくさん出来てしまった。今までのことも、これからのことも。
「ダーレスさんは昔からこっちに住んでいた人だからまだ分かるけどさ。――あれ? どうかしたかい?」
「いや、別に…。……ん? あ、いや、ちょっと待ってくれ。…何か引っかかるぞ…?」
 まだまだサンのことについてさえ知らないことがたくさんある。とはいえ、すべては後で直接聞けば良いことだ。最初はそう思ってディオもただ流すように首を横に振ったのだが、ふと湧いて来た違和感が立ち止まることを選ばせた。
「それってつまり、王都では魔法の研究が活発ってことだろ?」
「う、うん。そうだと思うよ?」
 彼は戸惑いながら少し曖昧に頷いただけだったのだが、それはディオの中で霞のようにおぼろげでしか無かったその疑問に形を与えるには十分な肯定だった。
「じゃあなんでサンは王都を離れて…? それこそ、そういう所の方が魔法を集めそうなものなのに…。」
「え、えっと…?」
 彼は首を傾げている。そもそも彼に訊いたところで分かるはずも無い。
 だがここには重要な、決して欠かせぬ何かがあるようにしか思えなかった。
 初めて会った時の、笑っているもののどこか寂しそうな愁いを含んだ、張りつめているような、あの時一瞬だけ見せたサンの表情がディオの脳裏をよぎった。
 廃村で幾日も積み上げられていった積み木崩しのような日々。
 どうして自分がその上に立っていないと言えるだろう。
 外から見れば崩壊が確約された結末であろうとも、そこにいる当人にとっては未知のことでしかないのだから。
「…あ、それだったらもしかすると――」
 ディオの思考は突然湧き上がって来た不安感に急き立てられるようにもう別のところへと奔り出そうとしていたが、さっきの話が耳に入っていたのか、一人の女性が立ち止まって王都のことについて教えてくれた。
「その王都の研究機関のことが関係あるかも。なんかね、そこって体質的なものなのか結構傲慢なところがあるんだって。騎士の人が言ってた」
「傲慢?」
 それは分かり易くあるようで、どこか意味の取りにくい言葉だ。
「うん。ほら、今回やって来た騎士の隊長さん、魔法を使えるらしいんだけれど、その組織の外の人間だからって理由で全然手を貸してくれないって話も聞いたし…。最初は色んな魔法を集めてプールしておこうって組織だったはずなのに、いつの間にか自分たちの研究を絶対視するようになっちゃって、外の世界にまだある魔法をないがしろにするようになっちゃったんですって」
「それで見捨てられそうな魔法が出て来たのか…。」
「うん、そういうことらしいよ。あ、あとね、魔法使いを一か所に集めて発展させようとした結果、各地に散らばりながらも細々と受け継がれて来た魔法が一気に絶滅しそうになっちゃっているんですって。長い時間を越えて来た物だから絶対に有用なものも多く在るはずなのに、って。まあ、これも全部騎士の人が教えてくれた話なんだけれどね」
 ――「ふーん、そんな話があるんだ…。」「うん、そうらしいよ。そんな裏方の事情なんてこっちじゃ分からないもんね」「まあ、こんな田舎だとね…。あ。そういえば魔法の話で思い出したんだけれど、ダーレスさんの魔法結晶とかってやつ、どうなったのかな?」「あー…、確かに私も最近聞かないかも…。」「えー、そっかあ…。みんな魔法を使えるようになるかも知れないなんて、すっごく面白そうなんだけどなあ…。」――
 二人はまだ何か話しているようだったが、ディオの耳には入らなかった。
(…サンは本当にここにいたいのだろうか…? いくらその研究機関に横柄なところがあると言ったって、あれだけ魔法が好きなサンにとっては王都の方が環境は良かったんじゃないのか…? それなのに向こうでの道を捨ててこちらを選ぶなんて、まるで、魔法の保護を自分がやらなければいけないと思っているだけのような…。それこそ、自分のことを犠牲にしてでも――)
『手を伸ばせば、その消えてしまいそうな魔法を救うことが出来るかもしれないのだ。それならば、出来る限り救いたい。――出来てしまうのだから、救わなければいけない』
 ふと予期せぬ形で、固く、縛り付ける様な、義務感にも似たサンの思いの欠片を覗いてしまったような気がした。
 破綻が訪れるのはいつだって唐突だ。その前兆に気付けぬ限り。
 自分は今までずっと薄氷の上にいながらも、あの村の人々と同じように何の手も打たずにここまで来てしまったのではないだろうか。
 まるで足元の氷をあぶっているかのように、目の前で炎がゆらゆらと揺れていた。
「悪い、俺はもう宿に戻ることにする。後始末は頼むぞ」
「うん、準備は任せっきりだったからね。後はこっちでやっておくよ」
 ディオは最後のその返事を聞くよりも先にその場を後にした。
 そして駆けた。
 サンはきっと、自分のことを簡単に後回しに出来てしまう。さっきの廃村の状況を見るに、それなりの苦労はあったはずなのに絶対に自分からは言おうとしないのだから。
 他人に心配を掛けたくなくて、自分一人ですべて抱え込もうとしてしまう。
 ――今、サンがここにいるのは本当に彼女の本心なのだろうか?
 ――もし、そうでないとしたら? 
 ばんっ、というドアを叩きつける音と共にディオはアルベの宿まで駆け戻って来た。
 しかし、そこにはディオの様子に驚いたアルベの姿しか無かった。
「ど、どうかしました?」
「サンはまだ戻っていないのか?」
「え、ええ。まだですけれど…。何かありましたか?」
 すぐさま踵を返し、その勢いのままダーレスの家まで足を向けようとしたのだが、アルベに背を向けたところでディオはふと立ち止まった。
 ここでダーレスの家まで押しかけるのは果たして正しいことなのか?
 サンはあれほどこの時を楽しみにしていたというのに。
 朝だって、彼女は本当に晴れやかな顔で出掛けて行った。もしここで自分がダーレスの家を訪ねてしまったら、サンの授業の邪魔になるだけではないのだろうか。
 今になってやっと、アルベの言葉がちゃんとした意味を伴って耳に届いた。
 そう。アルベの言うことは正しい。まだ何も起きてなんていないのだ。実際彼女はあれほど嬉しそうな様子でダーレスの家へと向かって行ったのだから。
(…そ、そうか。そうだよな。別に今すぐどうこうって話では無いんだ…。帰って来てから話を聞けば良いだけなんだから…。)
 そう、今は勝手に一人で不安になっているだけなのだ。その解消のためにサンの邪魔をするなんて筋違いも甚だしい。むしろ、今は彼女の帰りを待つことこそが最善ではないのだろうか。
 地に足を付けようと、半ば意図的に身体の中の空気を大きく入れ替えるための深い一息をついた。本当のことを言えば、それでもまだ幾分落ち着けずにいる部分はある。だが火から離れたおかげなのか、先ほどよりは頭を冷やすことも出来たらしい。
 そうしてやっとのことでアルベの方へと振り返ってみると、彼はそんなこちらの様子をまだ不思議そうに見つめていた。
「う、ぐ…! べ、別に何でもなくて…! た、ただその、急に――」
 サンに会いたくなっただけ。とんでもない言葉が勝手に口を衝いて飛び出しそうになり、ディオは慌てて口を噤んだ。多少なりとも普段通りになれたような気がしていたのだが、やっぱりまだちょっと調子がおかしい。
「う、ぐ、ぐ…! あ、アルベの方こそ何してるんだよ!」
「い、いや、私はただの店番ですけれど…。」
 八つ当たりなのは十分わかっているのだが、気恥ずかしさを隠すためにもここは噛み付くしかなかった。アルベはあまりにも当然なことを聞かれてむしろ答えにくそうだ。
「あ、でもディオさんに渡すものがあるんですよ」
「…ん?」
 しかし意外にも会話は続いた。アルベはカウンターの奥で屈んで、ごそごそと何かを引っ張り出し始めている。
「これなんですけれども――」
 そう口にしてアルベが取り出したのは、一振りの剣だった。
「おっ! なんだそれ! そんなの持っていたのか!」
「え? いえいえ。カイゼルがさっきディオさんの物だろうという事で届けてくれて――。」
 アルベはまた頭に疑問符を浮かべながら何かを口にしたのだが、それはまたもやディオの耳を素通りしてしまった。剣へと近付く間に思考はあたかも連想ゲームのように別の考えへと飛んで行き、瞬く間にその剣のことまでもが頭の中から消え去ってしまっていた。
(…そういえばサンのやつ、ちゃんと杖持って行ったのかな? 今日はいつものローブじゃなかったけれど…。あ、あの杖は大きさ変わるんだったっけ。じゃあ隠して持ち歩いていたんだな、いつもみたいに。いや、そもそも魔法の勉強しに行ったんだから持って行っているに決まっているか。う、うん。だからそう、変なトラブルとかに巻き込まれるはずもないし、絶対に大丈夫だ、うん。)
「――ディオさん?」
「…へ?」
 アルベがこちらの顔を覗き込んでいる。またぼーっとしてしまっていたらしい。
「え、あっ! いやいやいや! なんでもない! なんでもないぞ!」
 ディオは我に返って慌てて首を横に振った。どうしても目の前のことに集中できない。お気に入りだった剣がどっかに行ってしまったこともあって、ずっと新しいのが欲しかったというのに。
「あっ! そ、そうだ! さっき、この剣を俺にくれるようなことを言っていなかったか?」
 とりあえずその剣へと話が戻りそうなことを急いで言ってみた。
「え? え、えっと、あげるというか、まあそれは構わないんですけれど――」
「そ、そうか! ありがとな! よ、よーし! じゃあちょっと素振りでもしてくるかな!」
 アルベはほとんど困惑しきった様子で何か答えようとしていたが、ディオは必要以上に大きい声を出すと半ばひったくるように剣を手に取り、いったん逃げ出すために外へと飛び出した。なんでアルベがこの剣をくれるのかは結局よく分からなかったが、そんなのこの気恥ずかしさからすれば些細なことでしかない。
「水、水、水! 速く、速く!」
 しかしなぜかそこでは騎士と思しき男達が水の入ったバケツを手に右往左往していた。彼らの行く先へ目を向けてみると、見覚えのある紫色のケムリがもくもくと空へと昇っている。ここからではそれだけしか見えないものの、例のたき火が原因であることだけは確実だ。
「え、えー…? もうバカだなあ…。他の家にでも火を移したんじゃないのか、あいつら…。」
 ディオがいる時でさえも彼らは勝手に新しい火をいくつも用意していたのだ。後始末は彼らに頼んだのでもうほとんど他人事のようなものなのだが、空に昇って行くケムリの太さからして火の勢いが増していることだけは間違いない。
 アルベのくれた剣が初めて持ったとは思えないほど手に馴染むこともあって、サンを待つ間の気晴らしにでも本当に素振りをしていようかと思ったのだが、こんな風に騎士にうろつかれてしまってはそれも出来そうにない。往来で何をしているのかと絶対に怒られる。
「う、うーん…」
 仕方なしに宿の中へともう一度戻り、サンの帰りを大人しく待つことにした。
 幸いと言うべきなのか、アルベもそれ以上は何も聞かずにいてくれた。
 十分待ち、十分待ち、さらにもう十分待った。
 サンはまだ戻って来ない。
「むぐぐ…。」
 今は待つしかないのだ。だから待たなければいけないのだ。
 それは分かっているのだが、どうしたってそわそわしてしまう。話したいことはそれこそ尽きないほどにあるのだから。そんな自分を落ち着かせるための言葉がいくつも浮かんでは、またひとりでに消えて行く。心の中ではそれが何度も繰り返されていた。
(ま、まあ確かにちょっと遅いけれど、たぶん昼食は向こうで食べて来るんだろう。う、うん、そうだな。サンのやつ、気を遣えるくせにちょっと鈍くさいところがあるからな。料理なんて出来ないくせにポイント稼ごうとして、ダーレスに迷惑でもかけているのかもしれない…。
 うん、そうだ。十分あり得そうな話じゃないか。さっきは火に当たり過ぎてのぼせちゃっていたから変な考えが出て来たんだ、うん。こんな風にそわそわしちゃうのだって、その時の名残みたいなものであって…。
 …でも…。…まさかあいつ、帰って来る途中であのボヤ騒ぎに巻き込まれたんじゃないだろうな…。い、いや、いくらサンとは言え、ぼーっとしたまま火の中に突っ込んでいくなんてことあるはず無いか…。ちょっと前まで俺だってあの場にいたんだし、そのすぐ後には騎士が騒ぎ始めたんだからそんなこと起こるはずも無いし…。
 …うん、そうだな。…そうだよな! そうなるとやっぱり、サンはまだダーレスの家にいるってことじゃないか! 向こうは森の中なんだから、街中の火事とはほとんど無関係みたいなものだし! それに、もう空に上がっていくケムリも見えないんだから、騎士たちもちゃんと鎮火出来たみたいだし! だから飛び火の心配なんかをする必要も全然ないんだし…!
 …いや、でも…。……。…やっぱり、火事があったって事にかこつけて、迎えに行ってみるか…。さっきのたき火の辺りを通って行けば、もし万が一巻き込まれていたんだとしても見つけられるだろうから…。せっかくの授業を急かすような形になっても悪いとは思うんだけれど、少し様子を見るくらいならきっと大丈夫だろ、うん。)
 不安にせっつかれながら宿を出たり入ったりして待つのはもう止めにして、サンを迎えに行くため外へ出ようとしたちょうどその時、宿の扉が開いた。
 だがそこにいたのはサンではなく、ダーレスだった。
「あ、ディオ君。クリスを見なかったかい? 大人しく昼寝をしていたはずなんだけれど少し目を離してしまったらその隙にいなくなっていて…。もしかすると君やサン君に会いに来たんじゃないか思ったんだけれど…。」
 開口一番、ダーレスはそう口にした。
「えっ? まだサンは戻って来ていないぞ?」
「え? あれ? おかしいな…、確かに私やクリスは裏道を使ってしまうんだけれど、それでももう着いていてもおかしくないのに…。」
「え、えー? なんで迷子になっているんだよ、あいつ…。」
 軽口のように言いながらもディオはすぐさま宿を飛び出そうとした。先ほどからずっと焦れた気持ちでいたのだ。もうこれ以上じっとしてなどいられない。
「あ、ディオ君ちょっと待って。それなら二手に分かれよう。私もクリスを探しているから」
「ん、そ、そうだな。その方が良いか」
 しかしダーレスの提案にいったん足を止めた。とりあえずさっきのボヤ騒ぎの所に行こうと思っていたのだが、そこにいなかった時のことも踏まえて探す場所もある程度は決めておいた方が良いかもしれない。片田舎とはいえそれなりに広い街なのだ。
「実はついさっきなんだけれど、街の入り口あたりでみんながやっていたたき火に幻覚作用のある変な毒草が紛れ込んじゃっていたみたいなんだ。だからもしかするとサン君もそっちのトラブルに巻き込まれちゃって――。」
「もー、あいつ本当にぼーっとしてるんだから…。じゃあ俺はそっち見ておくぞ? もしいたらクリスも捕まえておけば良いんだな?」
「うん、ごめん。お願いできるかな。ただ、自分もついさっきまで詰所の方でみんなの様子を診ていたんだけど、そこにはサン君の姿は無かったからまた別の場所かも。騎士のみんなもちゃんと交通整理とかしていたみたいだし…。」
「いや、それでも一応見ておくぞ? サンの事だからしっかりとトラブルに巻き込まれていそうな気もするし。ダーレスはどこ探すつもりだ?」
「…そうだな。それだったら、私はもう一回森の方に戻ってみるよ。ちょっと家を空けた隙に逃げ出しちゃったみたいだからそこまで遠くには行っていないと思うんだ」
「泉の方は見たのか?」
「いや、あっちは危ないから一人で近付かないようにと言ってあるんだけど…。…でも、サン君もいないとなると、二人で一緒にそこにいてもおかしくないか…。うん、ありがとう、私はそっちの方を見てみるよ」
 手早く話を済ませよう、ディオ自身もそう思っていたのだが、クリスがいつも一人で勝手にうろうろしていたことを考えると、今のダーレスの様子にはどこか違和感があった。
「どうしてクリスを探しているんだ? …もしかして、昨日の手紙の奴が関係あるのか?」
 昨日までと違う点というと、そこ以外には思い当たらなかった。
「…うん、そうだね」
 ダーレスは少し伏し目がちにしながらも頷いた。
「ただ、騎士のイノセント君、彼は本当に良い人だよ。優しく、強く、正義感もある。きっと、多くの人が物語の中で思い描くような理想の騎士なのだとも思う。…だが、その、なんというか、クリスとは相性が悪いはずなんだ」
「相性?」
 予想もしていなかったような、不思議な事をダーレスは口にした。
「…うまくは言えないんだが、ただ、彼とクリスのことを会わせたくはない」
「お、おう、分かった…。」
 その言葉の中には異様な響きがあった。
「じゃあアルベも、もしクリスがここに来たら引き留めておいてくれ」
「う、うん、分かった」
 まだ大きなことは何も起こっていなくとも、嫌な気配を感じ取ったのかアルベは少しおどおどしながら頷いた。
「じゃあ私はもう行くよ。街の方をお願い」
「ああ、任せろ」
 別々の方角に向かって二人は駆け出した。
 彼らが再会するのは、あまりにも多くの事が起こってしまった後になる。

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