それは冒瀆的な物語
その6-1 姉
さらに一夜明け、新しい朝がやって来た。
「では、行ってきます!」
弾けるような笑顔と共にサンは口にした。今からダーレスと魔法の話を出来ることが嬉しくてたまらないのだろう。
「おーう。一応例の騎士には気を付けろよー」
「あ、サンちゃん、ちょっと待って」
椅子に座ったままディオは見送る声を掛けたが、キャロルがサンのことを引き留めた。
「山賊騒ぎのことで騎士の人達に何か言われたら私の名前を出してね? イノセントさん達がやって来たのもただの応援って形だけれど、万が一って事もあるからさ」
「あっ、はい」
「まあ、イノセントさんだったら絶対にちゃんと話を聞いてくれると思うんだけれどね」
キャロルは午後から詰所に行って簡単に話を聞いて来てくれるそうなのだが、取り敢えずそれまでは穏便に済ませておきたいらしい。今日はサンもいつものローブではなく白いブラウスだ。変装とまでは言えないが印象はだいぶ違うだろう。ダーレスから授業を受けるという本来の予定も踏まえて、全体的に清楚にまとめられている。
「ただ、サンちゃんの方が大丈夫でも、こいつはどうせ叩けばいくらでもほこりが出て来るだろうから」
そう口にするキャロルにディオは小突かれた。
「失礼な奴だな、ほんと」
「それに、ちょっとしたトラブルを手の付けようのない大事にすることに関してこいつは天才だからね。独りで放っておくと何を仕出かすか分かったものじゃ無いから出来るだけ騎士の人達とは関わらせたくないのよ。…私の方まで巻き添えにされそうだし」
ディオは文句を付けたがキャロルには無視された。
「だから遠慮なんかせずに私の名前を出してね?」
「はいっ、ありがとうございます!」
もう一度、辺りを照らす様な笑顔を見せてからサンはダーレスの家へと向かって行った。
「…なんか仲良いな、ほんとに」
どうやら今日のサンの格好もキャロルが一枚噛んでいるようなのだ。ただし関われば感想を求められる危険性があったので、ディオも詳しく知るわけではない。
「ま、共通の話題としては最高のものがあるからね。ね、ディオ?」
キャロルはこちらを見てにこにこ笑った。
「それにしたって、ディオもほんといいところあるんだからー。サンちゃんから話聞いたわよ? ほんとに魔法探し手伝ってあげているんでしょ?」
「な、なんだよ急に…。別にただ面白そうだからって、それだけの話だし…。それにまだ何もしていないようなものだし…。」
なぜかとても上機嫌で嬉しそうなキャロルに押されて、なんだか非常に答えにくい。
「んふふ、また照れ隠しでそんなこと言ってー。ほんとは結構真面目にサンちゃんのこと考えてあげているくせにー。」
「べ、別に俺はいつも通り変わらず――!」
話が変な方向にいきそうな気配にディオの声は少し大きくなったが、キャロルは意にも介さずほころんだ表情で続けた。
「だってディオ、この街に残る事を考えているでしょ?」
「う、ぐ…!」
突然、当のサンにさえまだ話していないことをずばり指摘され、ディオは言葉を詰まらせた。
「ふふっ、ほんと分りやすいんだから。だってディオ、今なんてほとんど手持ち無沙汰なのに大人しくしているんだもの。冒険大好きで、いつもだったらもうじっとなんてしていられないはずなのに。ね?」
「ぐ、それはその…。…た、たまには拠点を持っても良いかと思っただけで…。」
キャロルが嬉しそうな理由はここにあるらしい。こちらまで伝わって来るその想いの純粋さは、少しきまりが悪くなってしまうほどだ。
「ふふっ。きっと楽しいわよ? 同じところで、同じ人たちと何度も顔を合わせるというのも。常に新しい場所、初めて会った人との間でしか面白いことが起きないなんて事は決してないんだから。特にディオだったら、なんでもない日常も面白おかしく過ごせるに決まってる」
「な、なんだよ、急に…。」
彼女が時折見せる、切なささえも感じさせるその優しい瞳に、ディオはどうしても逆らえない。
「だってさ、ディオ、一人でどこまでも突っ走って行けちゃうじゃない? それこそ本当に、まばゆい流れ星みたいに。…だから、ふと気が付いた時にはディオの姿がもうどこにも無いなんてことがいつかあるんじゃないかって、ずっと不安だったんだから」
「な、なんだよ、もー!」
心配されるのは苦手だというのに、こんな話をされてしまったらこれ以上何も言えない。
「んふふっ、なにー? 照れてるのー?」
一転してキャロルは楽しそうにころころ笑っている。彼女がいつも内に秘めているあの深い想いは、また普段通り奥の方へと姿を隠したようだった。
「ふふっ。やっぱりディオったらかわいいんだからー、もー」
にこにこした彼女に頬をつままれた。
「や、やめろ! さわるな! 子ども扱いするな!」
ディオはすぐにその手を振り払った。気恥ずかしさを覚えるのはこちらばかりなので、本当に勝ち目がなくて理不尽だ。
「あはは。相変わらず照れ屋なんだから」
「そもそも男に向かってかわいいとか言うな!」
「弟扱いしているんだからいいの。ふふっ、こんなに美人で気立ての良いお姉ちゃんを持てたことを喜びなさいよ」
キャロルはふざけて笑っている。こちらはきまりが悪いばっかりだ。
「あ、そうそう。ところで、サンちゃんとはほんとのところどうなの?」
「ふぐっ…!」
まるで明日の天気を聞くかのような気軽さで、今度はまたとんでもない話題が飛んで来た。
「べ、べべべ別に全然そんなのじゃ…!」
うまくかわさないととんでもないことになる。それは分かっていたのだが、むしろ焦ってどう見ても不自然な答え方になってしまった。
「…ふーん? ふふふっ」
キャロルはやっぱりにこにこと嬉しそうだ。しかしどこか悪戯っぽい笑みがそこには混じっている。
もうどうしようもなくなったのは分かっていても、ディオの頭の中では警報がけたたましく鳴り響いた。
「サンちゃん、とっても素直で優しい良い子だと私だって思うもん。頑張り屋さんなのに、実はちょっと甘えん坊なところとかもすっごくかわいいと思うしね? さっきのあの格好なんて、ディオも気に入ってくれていたみたいだし」
「な、なんだよ! 別に俺はなにも言ってなんかいないからな!」
「はいはい。あ、でも、昨日サンちゃんがディオとは全然そんなのじゃないって言っちゃったの、あれって私が変なタイミングで入って来ちゃったせいだからね。そこはちゃんと汲んであげないと駄目よ? 絶対サンちゃんだってディオのことそこまで悪くは思ってないんだから」
「な、ななななにをさっきから訳の分からないことを…!」
ディオは声を大にして叫んだ。こんな話を続けられたら、次にサンと顔を合わせる時まで変に気まずくなってしまいかねない。
「やめだ! やめ! この話は終わり!」
すべての流れを断ち切るようにディオは声を張り上げて宣言した。
「もー…。もしそうなら応援してあげるって言っているのに…。」
「う、うるさい! この話は終わりだって言ってるだろ! サンともそうじゃないって!」
未練がましいキャロルを追いやるようにディオは一気に畳みかけた。
「もー…。あ、じゃあ、といっても結局サンちゃんに関する話になっちゃうんだけど、なんであんた騎士の人たちに追われていたのよ?」
「…――ん?」
キャロルは不満そうでも話を変えてくれたので、それには大人しく乗っかろうと思ったのだが、その質問にはつい首を傾げてしまった。
「それはあいつらが俺の事を山賊だと勘違いしたからだ。というか、この話ってサンから聞いたんじゃないのか?」
これまたディオが関わった訳ではないのだが、昨日二人がこそこそと自分のことについて話していたのは知っている。
「いや、まあ聞きはしたんだけど…。だってあんた、麻袋いっぱいにお金詰め込んで走ってたんでしょ? いったいどこが出所なのよ、そのお金…。サンちゃんだって知らないみたいだし、そもそもあんたがどうして騎士たちに山賊だと思われたのかもよく分からないし…。」
「えー…? サンに聞かれたと思ったんだけどなあ…。」
サンが麻袋を指差して山賊呼ばわりして来たので、むっとして何か言い返したような覚えはあるのだ。流れからしてここで伝えていてもおかしくない気がするのだが、そうなってはいなかったらしい。
「それで、どこから手に入れて来たの」
「あの辺りに山賊が出るっていう話があったんだよ。だからそいつらにお仕置きをして没収してきた」
「………あー…。」
キャロルは頭を抱えている。
「どうなんだろ、これ…。セーフなのかなあ…。」
「何の問題も無いだろ? 山賊に奪われたお宝が返ってくることなんてまず無いんだから。あの時点ではもう誰の物でもないようなものだぞ」
「…うーん……。…正直その理屈はちょっと分かっちゃうんだけどね…。取り返したところでそれを返して回るなんてほとんど出来ないようなものだろうし…。そんな話持ちかけたら本当は無関係な人だって自分の物だって言い張っちゃうような気もするから…。
…うーん…、でもなあ、なんか釈然としないなあ…。話の流れから言って、そのすぐ後にそれを正当に取り戻しに来た騎士たちと鉢合わせちゃったんでしょ? 騎士の人たちにとっては全部ディオに横取りされちゃったようなものだし、そうなればほとんど山賊と差なんて無いような気もするし…。…あー、なるほど、それこそ本当に山賊に見えちゃったのね…。山賊退治しようと思っていたのに、それを察知されて逃げ出されてしまったように…。」
「まあタイミングが悪かったって言うのは俺も認めるけどな。」
追われることになったもっと直接的な理由もあったはずなのだが、都合の良いディオの脳みそは結局思い出そうともしなかった。
「際どいと思うならこれも騎士に直接聞いて来てくれよ。絶対に俺が正しいって言うだろうけどな。だけどそうなれば良いお墨付きが貰えるかも知れない」
「いや…。軽く様子を伺うくらいならまだしも、これはちょっと核心のところに直結し過ぎている感じがするかな…。下手すれば余計なトラブル招くことになりかねないし…。…う、うーん…、なんか私の舵取り一気に難しくなっちゃった気が…。…まあ、サンちゃんにも言ったことだけど、何かあったら一応弁護してあげるから」
「ふふん、まあ俺が捕まる理由なんて無いけどな」
「…お願いだからこれ以上トラブル起こさないでよ? 騎士の人たちと何かあった場合は自分で解決しようとしないで、私の事をちゃんと呼びなさいよ?」
「なんだよ、今度は保護者みたいなことを言って…。」
「いいから分かった?」
ディオはそっぽを向いた。いくら何でも馬鹿にし過ぎた。
キャロルは諦めたように大きなため息を一度ついた。
「正直なところ、ギリギリでセーフだとは私も思うんだけれどね? これが駄目なら自警団も駄目になっちゃうもん。とても推奨できた事なんかじゃないのは間違いないけれど。でもグレーゾーンなのは確実だからサンちゃんに言わなかったのは結局のところ正解だったかもね。初対面でトラブルに巻き込まれた上にそんな話まで聞かされたら絶対嫌われているわよ? サンちゃん真面目そうだもん。相変わらずディオは何も考えていないだけなんだろうけれど」
「むぐっ、なんだよ馬鹿にして…。サンだって調子の良いところあるんだからな。魔法で俺の事を叩き潰しに来たのは昨日だけじゃないんだぞ?」
サンと仲良くなったのは分かるが、それでも自分ばかりがけなされていれば言い返したくもなってくる。簡単に買収されたりそのすぐ後に裏切ろうとしたりがサンと出会って最初のやり取りだ。ダーレスの家に侵入した時だって最初は駄々をこねていたものの、最後には結局ディオ以上に無邪気にはしゃいでいたのだ。こちらの言い分にだって結構な理がある。
「あはは、やっぱりサンちゃんすごいなあ」
しかしなぜかさっきの一言でキャロルの中ではサンの評価が更に上がったらしい。
「なんだかんだディオと対等にやり合えているんじゃないの。いやあ、なんかちょっと感動しちゃう。ねえディオ、本当にサンちゃんとはなんでもないの? あんな子そうそういないわよ? 実際仲良しじゃない」
「だからそうじゃないって言っているだろ」
また話が戻ったがさすがにディオも慣れて来た。より正確に言えば、もうそろそろ相手しているのが面倒くさくなって来た。
「でも、昨日だって私が入って来た時なんかちょっと良い雰囲気だったじゃない。本当に邪魔しちゃったかと思ったんだから。あ、でもダメなんだからね。目の前で自分と仲良く話している男の子が急に別の子の方を向いたりしちゃったら嫌なものなんだから。いくらその相手が私と言っても、あの時点じゃサンちゃんと私は初対面だったんだし」
今度はめちゃくちゃ言い始めた。あれだけ目の前で大騒ぎされて無視できるはずがない。とんでもなく理不尽な駄目出しだ。
「それよりさ、あの良い雰囲気の時ってなに話してたのよ? ねえねえ?」
目の前でキャロルは楽しそうに待ち構えている。
(…別にいつまでもこいつにかまっている必要も無いか…。放っておけばそれこそずっとこの舌は廻り続けるだろうし…。)
「…もう俺も出掛けるからな」
「ああっ! ごめんごめん! 分かった! もう言わないから!」
ディオは逃げようとしたのだがキャロルは追いすがって来た。
「いや、というかお前の相手しているのも正直もう面倒くさいし…。」
「うぐっ! ほ、本当にストレートに言うわね…。でも私もついて行くからね!」
「…えー……。」
「そ、そんな嫌そうな顔しないでよ、さすがに傷つくから」
そんな事を言うがほとんど軽口みたいなものだ。
「イノセントさんと会えるまで私だって退屈なんだもん。あの人もまだ色々と忙しいだろうし。それにあんた一人で放っておいたら、騎士の人達と揉め事を起こしかねないでしょ。そんな事になったら私の方までとんだ巻き添えにされかねないもの…。というか、そもそもディオ、お金とか持ってるの?」
「あ、無いんだった…。まあ金なんかなくてもなんとかなるだろ」
「…宿代とかはどうしているのよ?」
「いや、仕事の報酬として宿代はただで良いらしいからな。」
「………ほんとうはあの一泊だけのつもりで言ったのに…。」
カウンターの向こうで朝食の片づけなどをしているアルベが呟いたがディオの耳には何も届かなかった。しかしキャロルはそちらに目を向け、次いでディオに冷たい目を向けて来た。
「どうした急に?」
「…いや、やっぱりディオだなあと思っただけ。」
言っても無駄、とでも言うようにキャロルはただそう答えた。
「よーし! じゃあ今日はどこ行こうかな!」
席を立つと、さっきまでキャロルにやり込められっぱなしだったディオも、いつも通り余計なまでの元気が出て来た。
「…ま、それならとりあえず街の入り口にある馬車の停留所の方に行きましょうよ。この街に流通しているものは一旦全てあそこに集まるんだろうし、変わった荷物を降ろしている商人さんでもいたら、その人のお店に行けば面白いだろうから」
「おっ! じゃあ小遣いくれるのか!」
「そうは言ってないからね!」
「…それ、俺ただの荷物持ちにされるパターンだろ?」
「べ、別にそんなこと無いし。ほら、とにかく行ってみましょうよ。あ、アルベさん、ここに宿代置いて行きますからね」
「あ、ありがとうございます」
二人はなんだかんだ言いながらも一緒に宿を出た。
アルベはまだ気付いていないが、そのテーブルの上には二人分の代金が置かれていた。
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