それは冒瀆的な物語

だく

その5-1 大きな出会い


 あさってしまった部屋の中を元に戻すと、ディオとサンは屋敷の外に出た。
「じゃあ今度はダーレスを探すとするか。たぶん行くとすれば街の方だろ、ほかに行先なんて無いようなものだからな。」
「え、ええ。そうですね。よ、よし…。」
 ディオはごく普通に言っただけなのだが、サンはひどくそわそわしていて落ち着きがない。どうやら家に勝手に上がってしまった事をダーレスに伝えるのがかなり不安らしい。
「…さっきも言ったけれど、この件に関しては俺がダーレスと話すからな? サンは後ろでその『巻き込まれただけなんです』って顔をしておけば良いんだから。そんな緊張する必要なんて無いと思うぞ?」
「で、でも、やっぱり私もちゃんと謝らないといけませんから…。」
 ここまで真面目で健気なところを何度も見せられると、さっき企んでいた悪戯の事なんか脇に置いて、ディオとしても出来るだけのことはしたいと自然と思ってしまう。
「大丈夫だって、絶対うまく行くから。ここまでは宿代の事もあって俺の話だったけれど、ここから先はサンの話なんだ。ちゃんと切り分けて見て貰えるように俺からも言っておくから。」
「…は、はいっ」
 頷きはしたがそれでもサンの表情はまだどこか強張っている。
「もー、だからそんな顔するなよなー?」
 ディオは彼女の頬をつっついた。
「うっ、わ、分かりましたから!」
 サンはすぐさま飛び退いたが、その少しの怒り顔の後にはいつもの柔らかい表情を見せてくれた。
 二人はそのまま門を抜けていったん街に戻ろうと歩き出したのだが、ちょうどその時、うめくような声が後ろから聞こえて来た。振り返ってみると、さっきディオが泥棒呼ばわりして蹴り倒した男の子がもぞもぞと動いている。
「あ、そうだ」
 ディオの頭に一つ名案が浮かんだ。
「サン、あいつの事を起こしてやれよ。ここを見張っていたみたいだし、もしかしたらそいつがダーレスの行き先の事を知っているかもしれない」
「…え、ええー……。さっきのことを疑われません…? もし、ばれちゃったりしたら…。いや、それ以前にもし騎士だったとしたら…。」
「姿は見られていないし、『森で意識を失っていた所を女の子に助けてもらう』なんてシチュエーションにしちゃえば絶対こっちに疑いが向くことは無いから大丈夫だって。男なんてそんなもんなんだから」
「え、いや、子供相手にそんなこと…。」
「お、おお…、大人の男相手ならいけるという自信はあるのか…。」
「えっ、な! ち、違いますよ! それズルいですって! ディオさんが先に言い出したのに!」
「う、ううーん……」
 二人で言い合っていると、その子のうめき声がもう一度聞こえた。あまり時間は残されていないみたいだ。
 二人は目配せしてから、声を潜めてもう一度話し始めた。
「…それに、騎士だとしてもあの山賊騒ぎの事だってこっちは無実なんだから、びくびくする必要は無いんだぞ?」
「……そんな簡単に納得してくれます? それに泥棒かも知れないって話だってあったのに…。」
「すぐ後ろに俺が付いててやるから。あ、待てよ。その格好からして金を持っている事だけは間違いなさそうだな。起き出す前に失敬しておこう。ついでに失くした剣の代わりも手に入るな」
「大丈夫ですか!」
 ディオが手を伸ばし始める前に、サンがその倒れている子に駆け寄った。
(おお、迫真の演技だ)
「…う、ここは……?」
 揺すられると、ほとんど目覚めかけていたこともあってか、その少年は体をすぐに起こした。だがサンの方はすぐさま逃げ帰って来た。
「起きたか? ここはダーレスの屋敷の前だ。俺はディオで、こっちはサン。俺たちはダーレスに会いに来たところなんだけどいないみたいだし、その上お前がそこに倒れていたんだ」
 入れ替わるように今度はディオが近づいた。
「うわあ、本当に図太い…。」
 後ろからサンの呟く声が聞こえたがディオは無視した。
「そ、そうなんですか?」
 彼はすぐに立ち上がってきょろきょろと辺りを見回している。
「あ、あれ、一体何があったんだろう…? あ、すいません、ありがとうございます。助けて頂いたんですよね? えっと、僕は騎士をやっているポロロといいます」
 まだ混乱しているようでしどろもどろになっているが、彼が騎士だと名乗ると、サンはそそくさとディオの背中に隠れた。
「え、えっと、僕はどうしてこんな所に倒れていたのでしょう?」
「さあ? 頭に隕石でも落っこちて来たんじゃないか? ここは魔法使いの家なんだし、そのくらいの不思議現象が起きてもおかしくないだろ」
「い、いや、さすがにそれは死んじゃう気が…。」
 適当な事を言うディオにポロロは戸惑っている。
「サン、そのくらいの事は起こるだろ?」
 ディオが同意を求めてサンの方へと首を向けた。同時にポロロの方も、サンが羽織っているそのローブから彼女が魔法使いだと分かったようで、答えを求めるように見つめた。
「………………そういうこともあるかもしれません……。」
 本当は何も言いたくないのだがしぶしぶ、といったような小さな声でサンは答えた。
「ほらな、やっぱりそうだ」
「え、ええー…。…いや、うん、とにかく気絶するくらいで済んで良かったです」
 納得はしていないようだが、今更何が起こったのか追究しても意味が無いと思ったらしい。
「それで、ポロロはここで何をしていたんだ?」
「え、あっ。僕もダーレスさんに会いに来ていたんです。えーっと、あっ、良かったあ。手紙失くしてなかった…。」
 懐の中からディオ達にも見えるように手紙を取り出すと、心底ほっとしたようにポロロは口にした。
「これを届けようとしていたんですけれど、ダーレスさん留守みたいで…。道を聞きながら来たんですけれど、話好きなおばさんに尋ねちゃったみたいで、ダーレスさんは心臓を悪くしたことがあるとか、この屋敷には幽霊が出るとか、色んな話で脅かされたものだからどうしたら良いかと思っちゃって…。だけど、いつの間にか気を失っていたみたいだし一体何がなんだか……。」
「別に中には死体も幽霊も転がっては――いでででっ!」
 家に勝手に上がっていたことが分かってしまう発言は、サンに背中をつねられて止められた。
「えっ、ど、どうかしましたか?」
「ん、いや、なんでもない」
 これ以上サンに怒られないようにとディオは首を振って誤魔化した。いきなりの大声にポロロは目を丸くしているが、そっちに意識を取られたのか口走ってしまったことには気付かれずに済んだらしい。
 しかし、どうもポロロの話によると彼自身もダーレスがどこに行ったのか知っているわけでは無いようだ。彼のいきさつとしては、聞いてしまった話の内容から万が一の想像をしてしまい、ダーレスの家の前でどうしたものかと困り果てて、それでもなんとか中の様子を伺ってみようと柵にしがみついていたらディオに蹴り飛ばされてしまった、というものみたいだ。
「…うーん、そうなると困ったなあ。ポロロもどこかダーレスの行先に当てがある訳じゃないんだろ?」
「ええ、そうなんです…。だから、どうすれば良いかと……。」
「むう、やっぱり一旦街に戻るしかないか。この辺で他に行くとすればそのくらいしかないからな」
 話が行き詰ってしまった所で全く別の方向から、嬉しそうな、黄色い声が響いた。
「あ、ディオ!」
 昨日と同じようにクリスが突然現れた。
 そして彼女は弾丸のごとくディオの腹へと突っ込んだ。
「ごふうっ!」
「ねえ! なにしてあそんでいるの?」
 背中を丸めているディオの様子など気にも留めずに、クリスはディオに引っ付きながら目を輝かせて見上げてくる。
「…仕事をしているんだよ」
 ディオは声を絞り出して何とかそれだけを口にすると、クリスのことを引き剥がそうとした。しかし、彼女はしがみついたまま離れない。
「この…! 離れろ!」
「やだっ」
 ディオが嫌がっている事がクリスにとってはとても面白いらしい。楽しそうに笑ってじゃれついて来る。
「あの、その子は…?」
「クリスちゃんです。私たちも昨日知り合ったばかりなんですけれど…。――こっちにおいで?」
 なぜかサンの言う事は素直に聞いて今度はそちらで甘え始めた。今は大人しくして頭を撫でて貰っている。サンの方もさっきまでポロロが騎士だと知ってびくついていたのに、クリスに構っていることで少し気持ちが落ち着いたらしい。やっと会話に参加し始めた。
「クリスちゃんはここで何しているの?」
「つまんないからおうちまでもどって来たの!」
「…おうち?」
 クリスの気になる言葉をサンが繰り返した。
「ここがクリスちゃんの家なの?」
「うん!」
 元気いっぱいにクリスは頷いた。
「え、なんだよ。じゃあお前の父親がダーレスなのか?」
「うん、そうだよ?」
 当たり前の事を聞かれるのが不思議、といったような顔をクリスは向けた。
「ということは、お前が今回の幽霊騒ぎの原因だな?」
「なにそれ? ユーレイ?」
 クリスは首を傾げている。そんなうわさが流れていた事自体を全く知らないらしい。
 だが、ほぼ間違いなさそうだ。真っ白な容姿の彼女がダーレスの家を出入りするところを誰かが見かけて、そこから勝手に噂ばかりが大きくなっていったのだろう。さっきのポロロの言い分から想像するに、みんなで話を面白くしようと進んで尾ひれを付けて行ったのかも知れない。ディオから見てもいい加減な所のあるこの街の人々なら十分に有り得る話だ。
「じゃあお前は貰われっ子ってところなんだな。――いだだだだっ!」
 デリカシーの欠片も無い発言はサンに許されなかった。
「それダーレスさんの前で言ったら絶対にダメですからね!」
 クリスには聞こえないようにとサンは小さな声だったが、ディオはまた怒られた。
「今はいないじゃないかよー」
「クリスちゃんの前でもダメに決まってるじゃないですか!」
 しかしクリスは楽しそうだ。何の話をしているかまでは分かっていないらしい。
「わたしもやるー!」
 サンの真似をしてクリスもディオのことをつねり始めた。
「やめろ! お前のちっこい手でも十分に痛いんだよ!」
 ディオはクリスのことを引き剥がして抱き上げた。嬉しそうにきゃっきゃっと笑っている。
「ねえ、クリスちゃん。ダーレスさん、お父さんが今どこにいるのか知らない?」
 その様子を見てサンがにこにこと、ディオに向けていたのとは全く違う笑顔で抱えられたままのクリスに尋ねた。
「さっきまでね、わたしといっしょにアルベっていう人のおうちに行っていたの」
「え、なんだ。俺達とすれ違いになっていたのか」
「なんかね、だいじなお話があるんだって」
「たぶん、お前の話をしているんじゃないか?」
 そうだとしたらアルベはディオ達にこのような依頼をする必要は全く無かったのかもしれない。
「お前は何でこんな所にいるんだよ?」
「なにを言っているかよく分からないし、おもしろくないからにげてきたの。だけど、外に出たら人がいっぱいいるから、いつものこっちまでもどってきた」
 つまり、抜け出して来たは良いものの、一人で見知らぬ人たちの中にいるのが怖くなったらしい。
「…もしかして――。」
 小さな声でサンはそう漏らすと、自分の胸を示しながら不安そうな面持ちで、ディオに合図を送るような視線を向けて来た。
「いや、たぶん大丈夫だろう。確かにさっきポロロの言っていた病気の話を聞いた後だとなんだか嫌な感じがするが、自分から外に出歩く事も出来ているんだ。それは関係ないんじゃないか?」
 サンの考えを察してディオは応えた。確かに病気が悪化してしまったためクリスのことを友人であるアルベに頼みに行っている、という話を組み立てることが出来てしまうが、なんとなくそんな事では無いような気がする。そもそも病状が良くないというのならクリスを引き受けること自体が不自然だ。
「なんのおはなし?」
 ディオに降ろされたクリスがサンとディオの方を交互に見上げながら尋ねた。
「賢い大人にしか分からない秘密の会話だ」
「お姉ちゃんのこと?」
「…なんで当然のごとくそこに俺を含まないんだよ…。」
「ねえ、クリスちゃん、お父さんは元気?」
 不満を漏らしているディオの代わりにサンが尋ねた。
「うん! 元気!」
 クリスの笑顔につられるようにサンも微笑んだ。やはり、そういった裏があるような話では無いようだ。
「よし、じゃあ俺達もアルベの宿に向かうか。ポロロもその手紙を渡さなくちゃいけないんだろ? 一緒に来るか?」
「え、ええ。じゃあ、ご一緒させてください」
 突然現れたクリスに戸惑っていたようだがポロロは頷くと、さっき取り出した手紙を大事そうにしまい込んだ。
「その手紙ってなんなんだ?」
「えっと、僕たちの隊長のイノセントさんが、ダーレスさんに見せてほしい魔法があるそうなんです」
「なあんだ、てっきり山賊でも出たのかと思ったぞ」
 なぜ騎士がここにいるのかも含めて探りを入れるためにディオは言ったのだが、誰よりもサンが過剰に反応してびくりと震えた。
「…本当は、この近くで他の隊が取り逃がした山賊がいるという話があって、その応援で僕たちはこの街の警備に来たんですけれどね。でも、これはたまたまなんですけれど、前々からイノセントさんはダーレスさんと色々とやり取りしていたみたいなので、この機会に直接面会しておきたいそうなのです。」
 話の前半辺りからもうサンは震え始めていた。
「お姉ちゃん、どうかしたの?」
「う、ううん? 何でもないよ?」
 サンはそれだけ言ってからクリスのことをぎゅうっと抱きしめた。心の安定を図ろうとしているらしい。くっつかれたクリスも嬉しそうに抱き付き返している。
「ふーん? そんな偶然もあるんだな? どのくらいの山賊に逃げられちゃったんだ?」
「え、えっと…。その、ごめんなさい、一応あんまり詳しいことまでは言えなくて…。」
 ポロロは言葉を濁したが、それでも知りたいことは十分に分かったような気がする。本物の山賊たちは一応ディオが伸して来たのだが、不本意ながら騎士たちを一時的に引き付けてしまったのでその間にあの洞穴から逃げ出した者たちがいたのかもしれない。もしそうなら騎士たちの言う「取り逃がした山賊」とはディオとサンの事などでは無く、そのままの意味で彼らを指している事になる。特に無理な所のない推測であるはずだ。わざわざ自分たちも山賊扱いされているのではないかと気にする必要も無いだろう。
 それにポロロ自身、騎士がこの街に来た理由は「警備」と言っていたのだからそこまで積極的に山賊を探しているわけでは無いようだ。とりあえずあの街道での山賊被害は無くなるだろうから、騎士たちにとっては一応仕事を果たしたようなものでもあるのだ。逃げを打たれてしまった山賊たちを追い詰めるほどの労力を割くつもりはないのかもしれない。もしかしたら別の隊では捜索を続けているのかもしれないが、少なくともポロロのいるこの隊は街の安全を守る事に集中するのだろう。
「まあ、とにかく街に戻ろう」
 サンは追われているのは自分では無いだろうかと疑心暗鬼に陥って怖がっているものの、ポロロはその様子に気付いてはいなそうだし心配するような事では無さそうだ。ディオはそう結論付けた。
 そんな風に考えられないサンにはたまったものでは無い。


「いや、こっちだって昨日の聖霊祭には行きたかったんだよ。だけど、カイゼルにやっつけられたみんなが手当てをしてくれって次々と家にやって来るし…。みんな大した怪我じゃないんだから、そのまま泉に行っていれば聖霊のおかげで自然と治る程度なのに、『あれはすぐに治るけれど余計に痛いから嫌だ』って騒ぐから。そんな事を言い出すなら初めからケンカ祭りになんかしなければ良かったのに…。そうこうしている内にクリスも家に帰って来ちゃったから、見に行くタイミングを逃したんだ」
「あはは、なんだ、そんな事だったのか」
「大騒ぎし過ぎなんだって、昔から」
 そう言いつつも彼は呆れているというよりは、むしろ楽しそうに笑った。
「ただ、クリスのことは悪かった。もっと早くに話すべきだったとは思う」
「いや…。だけど、明るくて元気で、良い子そうだね?」
「…うん、ほんとうに。――いろいろと特別に見えるかもしれないけれど、それでも間違いなくうちの子だ」
「……うん」
 それは付き合いの長い良き友人との間にだけに生まれる、心地よく、優しい、それでいてどこかしんみりとした空気だった。
「ただ、つまらなかったみたいですぐに出て行っちゃったけれどね」
 その空気を少し変えるように、アルベはそう言って微笑んだ。
「うん、いつも知らないところで大冒険を繰り広げているみたいだ。昨日は友達が出来たって言っていたよ。確かディオ君と、サン君だったかな?」
「え? 実はさっき話していた紹介したい二人というのもその二人なんだ」
「おお、それはすごい偶然だ」
「…ただ、そのディオ君の方がちょっととんでもないかも……。」
「ははっ、どういう意味だよ。どうせまたせこい事でも言ったんじゃないのか」
「いや、そんな事は…!」
 アルベは少し口ごもったが、改めて話の流れを戻した。
「…だけど、よくよく考えてみると、頼みは快く引き受けてくれたんだから悪い子じゃないのは確かなんだけれど、なんというか…。初めて会った時はちょっと面食らうかも…。」
「はは、話だけでもクリスがなつく理由が分かりそうだ」
「…まだ帰って来ないところを見ると、頼んじゃったこともあるし、もしかすると家の中を調べているかもしれないよ…?」
「えっ…。あー、そう言えば鍵を掛けて来なかったな…。…うん、まあ良いか。治療目的の人も中で待っていられるように、いつもそうしているんだし……。」
 二人がそんな内容の話をしている所に、サン達はやって来た。
 一階は酒場兼レストランとなっているアルベの宿で、空席ばかりの中、一人カウンターの席に座ってアルベと話している人物がサンの目に留まった。
「おとうさん、ただいま!」
 予想通り彼にクリスが飛び付いた。
「おっ、おかえりクリス」
 彼も立ち上がると自然な動作ですぐにクリスのことを抱き上げた。その姿は若々しく、力強い。妻子を亡くす不幸に見舞われたというアルベの話から想像していた姿とは、ある意味かけ離れているように見えた。
「わざわざクリスのことを送ってくれてありがとう」
「じゃあ、やっぱりあんたがダーレスだな?」
「ああ、そうだ」
 ディオの方へと振り向いて彼、ダーレスは頷いた。
「私を探しているという事は君がディオ君だね?」
「ああ。だけどまずは先にこっちの方だ。」
 ディオもダーレスに答えたが、ポロロに先を譲っている。
「あ、すいません」
 ポロロが手紙を取り出して一歩前に出た。
「私は騎士のポロロです。イノセントさんからお手紙を預かって参りました」
 年に似合わぬほどしっかりそう言うと、ポロロはその手紙をダーレスに手渡した。
「ん? 騎士? もしかしてイノセント君もこの街に来ているのかい?」
 クリスを降ろしてダーレスもそれを受け取ると、ポロロに訊き返してその手紙に目を通し始めた。
「ええ、急に仕事でこちらの街に来ることになったのです。それで、突然で申し訳ないのですが伺わせていただけないでしょうか、と」
「…それなりの期間、君たちはここに滞在することになりそうなのかい?」
「はい、恐らく二週間前後は」
 少し考えてからダーレスは頷いた。
「……そうか。うん、分かった。訪問してくれて構わないとイノセント君に伝えておいてくれないかな。時間は――うん、明日の朝方で」
「あ、はい! ありがとうございます!」
 自分の仕事を達成できた喜びからか、ポロロの返事はとても元気が良い。
「……ただ、イノセント君の期待には応えられないと思う」
 ダーレスは少し暗い声で続けたが、ポロロもすぐにしっかりとした答えを返した。
「ええ、そうおっしゃるんじゃないかとイノセントさんも話していました。ただ、それでも一度お会いしたいと」
「…うん、分かった。手紙は確かに受け取ったよ」
 ダーレスからその言葉を受け取ると、ポロロは大事な仕事を果たせたことが少しだけ誇らしいような表情で、ディオ達にもお礼を言ってから立ち去った。
「うーん…。あ、ごめんよ。次は君たちだったね。だけどクリスを連れて来てくれたって事は、だいたいの所は分かっているのだろう? 頼まれたのはついさっきのはずなのに驚きだけど」
 ダーレスはポロロと話していた件で少し考える様な素振りを見せていたが、すぐにディオ達の方へと向き直った。
「ふふん。そいつが幽霊騒ぎの原因だろ」
 ディオは自慢げに鼻を鳴らして答えている。
「うん、どうやらそうらしい。私もついさっき聞いたばかりだから、アルベがこの件で尋ねに来た時も本当に何を言っているのか分からなかったんだよ。気が弱いのに探りを入れるなんて慣れない事をしようとしているものだから挙動不審になっているし…。」
「…それだってあの時にクリスちゃんの事を話してくれれば良かったのに……。」
「こっちだっていつ話すべきかとは思っていたけれども、あの様子を見たら誰だって次の機会にしようと思うんじゃないか?」
 そう言いつつも笑い合っている二人を見るに、もう誤解は解け、全ては解決したようだ。
「わたしのおはなし?」
 自分の名前が出たことで、クリスはダーレスの事をその足元から見上げながら口にした。
「ああ、そうだよ。今日はクリスを紹介する日だから」
 ダーレスは大きな手で、クリスの頭にぽんぽんと手を触れた。
「だけど、もう二人も良い友達がいるんだもんな。すごいな、クリス」
「んふふっ」
 誉められたクリスは得意顔だ。
「これで宿代はただで良いんだろ?」
「ええ、もちろん。約束ですから」
 アルベの答えにディオは満足げな表情で頷いていた。これで彼の要件はすべて解決だ。
 つまりそう、ここから先は自分が頑張らなければいけない番だ。
「それと、ここからは別件なんだけど、サンが魔法を教えてもらいたいそうなんだ」
 しかし自分が緊張のあまり固まってしまっていることに彼は気付いてくれたのか、先にダーレスまで言葉を導いてくれた。
「…――」
 だが自分の声はそこにうまく続いてくれなかった。
 彼が中心となって会話を進めてくれている間も、期待と不安からずっと胸が痛いほどに鳴っていた。早く自分の番が回ってきて欲しい、もう少しだけ落ち着ける時間が欲しい。正反対の気持ちがぶつかり合って作り出した渦に、自分の声は引きずり込まれてしまっていた。
 その時ふと、ディオと目が合った。
 なぜか彼と初めて出会った時のことを思い出した。
「ご、ごめんなさい!」
 朝からずっとダーレスに伝えたかった言葉がついに出始めた。
「私、ダーレスさんのお家に勝手に上がってしまったんです…。それなのにこんな事をお願いするのは図々しいと自分でも十分に分かっているのですが、もしよろしければ魔法を教えてください、お願いします…。」
「俺が無理矢理に引っ張って行ったんだ。サンは悪くない」
 ダーレスが声を発するよりも先にディオが口を開いた。深々と頭を下げたサンにはディオの様子は見えないが、きっとダーレスに向かって真っすぐに目を向けてくれているのだろう。
「ははは」
 だがサンの予想とは反対にダーレスは笑っていた。
「いやあ、本当にパワフルなんだね。だけど実際、自分にはどうしようもない幽霊騒ぎを調べてくれ、なんて頼まれてしまったら君たちのように動くしかないとも思うから。君たちの謝るような事では無いよ」
 ダーレスは和やかに、鷹揚に構えてそう口にしてくれた。
「え、じゃあ…!」
「もちろん、私の知っている魔法で良ければ教えてあげられるよ。アルベから聞いたよ、失われそうな魔法を守ろうとしているのだろう? それなら喜んで協力するよ」
「あ、ありがとうございます!」
 サンはもう一度、深々と頭を下げた。
 すべては想像していたよりも遥かに簡単に運んでくれた。どうやらアルベが前もって自分のことをダーレスに紹介してくれていたらしい。それでももう一度、サンはけじめとして改めて自分のことを彼へと話した。一度は快諾してくれたもののそこにはやはり不安があったのだが、彼はやはりおおらかに頷いてくれた。
 そうしてすぐに彼の家で魔法を教えて貰えることになり、すぐに日取りを決める事となった。
「じゃあ、明日からでいいかな?」
「――…、あ、あの、明日は騎士の方とのお約束がありませんでしたか?」
 喜びで弾けてしまいそうな思いと共に頷きそうになったのだが、頭を過った冷静な疑問の方が何とか先回り出来た。
「彼との約束はもう少し早い時間だからね。やっぱり忙しい人なのもあるだろうし。それに、この件については私の方も早めに済ませてしまいたいというのもあるから…。」
 ダーレスは言い難そうに続けた。
「実は、彼が見せて欲しいというある魔法についての論文があるのだけれど、これだけは本当に危険なものだからどうしてもそういう訳にはいかないんだよ。だからもし、君との約束の時間まで彼との話が長引いてしまうようだったら、君が来ることを理由にいったん話を切り上げたいな、と。話がずっと終われずにいるってことは、どちらも譲れずにいるって事だろうから…。その時はお互いのためにも仕切り直した方が良いと思うし…。」
「え、えっと…。」
 サンはちらっとディオの方を見た。
「ちょっと待ってくれ。作戦タイムだ」
 少し離れたところでクリスと遊んでいたディオも、こちらの視線に気付いてくれた。
「あ、ごめん。もし先に用事があるのだったら、そっちを優先してくれて良いからね。こんなの私のわがままみたいなものだから」
 ダーレスの言葉に頷きながらも、そそくさとサンはディオの元へと向かった。
「ど、どうしましょう…?」
 みんなからは背を向け、ディオにだけ聞こえる様な小さい声でサンは尋ねた。すぐ後ろでクリスが二人の真似をしてこそこそと話す格好をしているが、こちらはきっと大丈夫。
「俺がついて行っても良いけど、その方が怪しまれるんじゃないか? 男女二人組で、女の方は魔法使いなんて情報が騎士の間で出回っていたりすると。ポロロは下っ端だからまだそんな話を知らなかったのかもしれないけれど、そのイノセントとか言うやつはちょっと偉そうな感じがするぞ?」
「う…、た、確かにそうかも…。」
 サンもその事は認めざるを得なかった。騎士との間にあった事は半分以上事故のようなものだと信じているものの、それでも出来るだけ無用なトラブルは避けたい。ポロロから聞いた事もあるので、何がどう転んでしまうのか分からないのだ。しかしそうなると、騎士がいようとも一人で行かなくてはいけないという点だけは絶対だ。安全策として違う日にしてもらうことも出来るが、ダーレスは笑って許してくれたものの勝手に家に上がってしまったという落ち度がある分やはり少し断り辛い。そもそも騎士だってまだまだこの街にはいるようなのだ。きっとその騎士の方も何度かダーレス宅を訪問することになるだろう。明日以外にも同じような場面は何度も出てくるはずだ。サンとしてもせっかくダーレスは了解してくれているのに、騎士の影が見えるたびに予定を変えてもらう、という訳にもいかない。
 しかし――。
「…いや、これはチャンスかもな」
「え?」
 どうしても不安を拭い切れずに思考がぐるぐると回っていたところで、ディオはそう口を開いた。口調からしてその「チャンス」というのは単にダーレスに魔法を教えて貰える機会の事を言っているわけでは無いらしい。
「その騎士はダーレスに何か頼みごとがあってやって来るんだろ? それだったらダーレスに対しての無礼に当たるような、例えばダーレスの客を捕まえるといった事は出来ないはずだ。少なくともただ魔法使いだから疑わしいなんて理由では。おっかないかもしれないけれど、ダーレスの家でそいつとすれ違えるならむしろ身の安全を確保できるようなものだぞ」
「な、なるほど…!」
 自分には到底思い付けないような、とても大胆な考え方をディオはする。
「本当のことを言えば、あいつらが追っているのは俺達じゃ無くて本物の山賊だと思うんだけど…。だが万が一の場合でも、騎士達がちゃんとあの件について調べ始める機会を用意できるとすればやっぱりラッキーだ。そうなればもう捕まるかどうかなんて心配する必要は無くなるからな」
 サンの中に、一歩踏み込めるだけの勇気が湧いて来た。
「まあ、それでも心配ならやっぱり俺も付いて行っても良いけど…。あ、むしろこの作戦なら俺も一緒に行った方が良いのか。騎士に適度な疑いを持たせることが肝心なんだもんな。うん。さすがに一緒に授業を受けるつもりはないけど、やっぱり家までは送るぞ」
「い、いや、そんな――」
 ここまで言ってもらっておいて今更かもしれないが、さすがに少し甘え過ぎだ。
「――や、やっぱり私一人で行きます」
 さっきディオが言ってくれたようにこれは自分の話なのだ。自分がしっかりしないと。
「そうか? まあ、もし捕まっちゃったらちゃんと助けに行ってやるから」
「も、もう…、またそうやって――」
 やっと決心できたと思ったのにわざと人を不安にさせるようなことを言うんだから。
 一瞬そう思ってしまったのだが、きっと彼はすべて本当のことを言ってくれているのだ。
 そんな考えに思い至ってしまった自分が急に恥ずかしくなってしまって、サンは彼から慌てて逃げるようにダーレスの元へと戻った。
「ダーレスさん、やっぱり明日、伺わせてください」
「いいのかい? さっきも言ったけれど――」
「いいえ、明日でお願いします」
 カチリ、という小さな、しかし確かな音を立てて、全てが回り始めようとしていた。

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