それは冒瀆的な物語

だく

その2 実は案外どっちもどっち


「いやー、今日はずいぶん走ったなー、あははは」
 やっと足を止めてくれた彼のすぐ後ろで、サンはぜえぜえと息を切らしながら膝をついた。
「…う、…うう、………、ううっ…。」
 空は真っ青なのに気持ちは暗い。体力が切れかけているしんどさも相まって余計に辛い。
「…ひどい、ひどすぎる……。それは、大変な事もあるとは分かっていたけれど、まさか…、まさか、ただ道を歩いているだけでこんな目に遭わされるなんて…。」
 そのまま身体が地面の中へずぶずぶと沈み込んで行ってしまいそうな気さえした。
「あははははっ、サンの魔法すごかったな! あの数の騎士達を一瞬で蹴散らしたじゃないか!」
 天にまで伸びていくような能天気な笑い声にサンはすっくと立ち上がると、ぎっと睨みつけるように目を上げた。
「あ、あなたはいったい何者なんですか! 何で騎士なんかに追われていて…! 私の事まで巻き込んで……、な、なんで…! う、うううっ…!」
 しかし自分で口にしている内に理不尽さを改めて目の当たりにすると、堪え切れなくなって目からは涙が勝手に零れ始めた。尻すぼみになってしまい、問い詰める事さえ満足にできない。そのことが余計に情けなく思えて、ぽろぽろと落ちて行く涙が止まりそうもなくなってきた。
「わ、悪かったって、そんな泣くなよ。あいつら俺の事を山賊だと勘違いしていただけなんだ。あんな奴らに追い掛けられたら何も悪い事なんてしていなくとも逃げたくなるのが普通だろ?」
 そんな事を彼は言うがどうして信じられるだろうか。しかし不信の表情がありありと顔に出ていたのか、彼は付け加えて続けた。
「大丈夫だって。確かに間違えてこっちを追い掛けてきたとはいえ、いくら何でもあのまま本物の山賊を取り逃がすはずは無いだろうから。そっちを捕まえればすぐに俺たちが何も関係ないってことは騎士たちにだって分かるはずだ」
「でも、もしかするとこのまま追われることになってしまってもおかしくないかも――。」
「それも大丈夫だって。確かにド派手ではあったけれど、あれはただの正当防衛なんだから。サンだってあいつらに直接の被害は出ないような魔法を選んでくれたじゃないか」
「でも――。」
「それに、山賊が暴れていた時期のアリバイだって探してみればサンにだって一つくらいはあるんじゃないか? そもそも女で、魔法使いで、山賊だなんておかしいっていくら何でも気付くだろ。山賊の中に魔法使いがいたならそれこそ噂になっていなくちゃおかしいし」
「………ほんとうにそう思います?」
 災難を押し付けて来た当人からの言葉だとしても、弱っている心ではどうしても縋りたくなってしまうものがある。
「ああ、もちろんだ」
 少し現金な気もするのだが、そこまではっきりと言い切ってもらえるとなんだか本当にその通りに思えてちょっとだけ安心してしまった。
「まあ、迷惑をかけたのは事実だから今回の稼ぎを分けてやるよ――あ、あれ? ああ! 袋に穴が空いてる…! …まあ、仕方ないか、落っことしたものを拾って歩いてくるわけにもいかなかったんだし…。だけどサンも後ろ走っていたんだから教えてくれたって良いじゃないか…。じゃあほとんど失くなっちゃったんだけれども――。」
「ちょ、ちょっと待って下さい! それ! その麻袋は何なんですか!」
 ずっと担いでいた麻袋がぺしゃんこになっている事に今更気が付いて騒いだかと思えば、すぐに立ち直って彼は話を続けようとしたのだが、サンは慌てて割り込んだ。
「それ怪しすぎるんですもん! 言い出せるわけが無いじゃないですか! そんなの担いで追われているなんてまるで本当に山賊みたいじゃ――。」
「これはさっきまでの俺の仕事の成果だ。人を見た目で判断するのはいけないんだぞ」
「うぐっ」
 ちょっとむっとした様子で急にまともな、もっともらしいことを言われるとなんだか追求しにくくなってしまう。
「でも…。」
「よし、じゃあ改めて報酬の話だな。ほれ」
 それでも漏れ出て来たこちらの不満の声は無視されて、きらりと輝く何かが彼から投げ渡された。反射的に受け止めたそれは一粒の美しいルビーだった。日の光にも負けることなく、むしろ自らこそが燃え盛っているのだと言わんばかりの真紅の輝きを放っている。
「………、あっ! だ、駄目です! 受け取れません!」
 だがなんとか我に返ると慌ててそれを彼へと押し返した。
「えー、なんだよ。見惚れていたくせに」
「み、見惚れてなんかいませんもん!」
 図星だからこそムキになるしかない。
「わがままだなあ、じゃあこっち」
 彼に手を取られ、何かを手渡された。
 一枚の銅貨だ。
「バ、バカにして…!」
 サンはその銅貨を彼に投げ返した。ぺしっという軽い音がした。一体次は何なのだろうと、ちょっと期待してしまっていた自分にも気が付いて猶のこと腹立たしい。
「だってこれとさっきのルビーしか残っていないんだぞ? ほら」
 また先ほどのルビーが手元に戻って来た。
「………。」
 さすがにこれを投げ捨てるような事は出来ない。
 はっとして顔を上げてみれば、彼が目の前でにこにこしている。
(う、ぐぐっ…! なんだが全部見透かされているような気がする…!)
 ぐいぐい来る彼に押し出されたように、自分の中から小悪魔までもがひょっこりと飛び出して来た。
『下手な話が出てくる前に貰っちゃえば良いじゃん。気前よくくれるって言うんだから。出所探って藪蛇になったらそれこそ受け取れなくなっちゃうよ? 今ならまだ何も知らないもん。だから私なにも悪くないもん。ぜんぶこの人が悪いんだもん。』
 サンは頭をぶんぶん振ってから、彼の事をじっと見つめた。
「い、いったい何をして手に入れたんですか…?」
「だから仕事の成果だって」
「その仕事って、……その、山賊みたいな泥棒とか強盗とか、そういうやつじゃないですよね?」
「失礼な奴だな。俺は山賊なんかじゃない。泥まみれの汚い服なんか着ていないだろ?」
「じゃ、じゃあこのルビーはほんとうに怪しいものなんかじゃ無いんですよね?」
 邪な考えは振り落としたつもりだったのだが、受け取らないという選択肢までには至らなかったらしい。
「ああ、もちろんだ」
 彼はまたしてもはっきりとそう言い切った。その言葉が真実か確かめようとサンは最後に彼の目をじっと覗き込んだが、その瞳が揺れるようなことは決してなかった。それどころかこちらの意図を察したらしく真っ直ぐに見つめ返されると、むしろサンの方が気恥ずかしくなって先に目を逸らしてしまった。
「よし! 納得したな!」
 彼は嬉しそうに笑っている。サンは少し赤く染まってしまった頬のまま、手元のルビーに目を落とした。まるでそのルビーが放つ光に照らされているせいで顔が火照っているかのような錯覚さえも覚えさせてくれる。
(納得したというよりは手詰まりって感じだけど…。でもちょっとでも後ろめたい事があるならあんな目なんて出来るはずが無いし…。滅茶苦茶な人なのは間違いなさそうだけれど、思ったより悪い人じゃなさそうだし…。………。…それに、私に出来る事はもうないもん。ちゃんと質問して嘘かどうかも確かめたもん。だからこれはもう受け取っても大丈夫。)
「…えへへ」
 自然と笑顔がこぼれた。
『待って! あんなトラブルに初対面の人間を平気で巻き込むような人なんだよ! この人にとっての問題ないっていうラインがどこまでなのか全然分からないんだよ!』
 小さな天使の声が聞こえたような気がしたのだが、今更もう遅い。サンはにこにこと笑顔のままルビーを懐にしまい込んだ。
「それで、どうしてサンはあんな所を一人で歩いていたんだ? あの辺りには特に何もないだろ?」
「あ、えっと、あの辺りに魔法使いの方が住まれていたという話を聞いたので、私はその家を探していたんです」
「そ、それは悪いことしたな…。邪魔しちゃったみたいで…。」
「い、いえ、そんなことは…、結局なんの痕跡も見つからなかった後でしたので…。」
「…ん? その魔法使いを訪ねる所だったんじゃないのか?」
「あ、え、えっと…。」
 サンは今になってやっと、ごく普通に彼と会話をしてしまっている自分の姿に気が付いた。どうもルビーを受け取ってしまったせいなのか、口が軽くなっていたらしい。
「ん?」
 やっと仕事を思い出した警戒心が言葉を止めさせたのだが、彼はそんなこちらの様子を不思議そうに、そして続きを求めるように首を傾げて見つめていた。
「う……。」
 …なんだかもう、引っ込みが付かなくなってしまったのかもしれない。
 一度会話の流れを切ってしまったせいで変な緊張まで覚えてしまったのだが、小さく息を吸って覚悟を決めると、サンは改めて自身の旅について切り出した。
「――私は、少し古い魔法を探しているんです。」
 非常に簡潔な答え方でしかなかったはずなのだが、実際に口にしてみると、一歩一歩進むような訥々とした語り方をしていた。
「――今まで細々と受け継がれて来たものの、次の世代への継承が出来ず、このままだと失われてしまいそうな魔法がたくさんあるんです。私はそういった魔法を探していて――。」
「…ふーん? まあ、それだとサンは魔法を探すトレジャーハンターみたいなものなんだな?」
「え?」
 うまく成果を挙げられていない旅の現状に、言葉の内には隠しきれない弱気の色が乗ってしまっていたのだが、自分ではとても考えたことの無いような彼の言い回しにサンは顔を上げた。だが、もしかすると彼のまとめ方はある程度的確なのかもしれない。なによりサン自身、さっきの弱音を打ち消したいという思いもあって、ここは努めて明るい表情を見せてからその冒険譚をも思わせてくれる言葉に対して頷くことにした。
「…ええ!」
「おおっ! …うん! 面白そうだな、それ! よーし! 俺も手伝うことにするぞ!」
「………え?」
(こ、断らなくちゃ!)
 また彼の予想外の言葉に頭の中にはただそれだけが浮かんで、何の用意も出来ていないまま青い顔で慌てて口を開いた。
「あ、あのですね、これは真面目にやっているので――。」
「…どういう意味だよ、それ」
「あ、いや…。」
 さすがに今のはまずい。いくらこの人相手でも失礼だ。
「で、でも、まだ何も見つかってもいないので、その、手を貸していただいても期待外れになっちゃうだけだと思いますし…。あ、いや、まだ旅を始めたばかりというのもあるんですけれど…。」
 彼の気を変えるため改めて言葉を続けようとしたのだが、弱音を許さない意地っ張りな心につつかれると、結局自分でも何が言いたいのかよく分からないようなセリフになってしまった。
「むふふ。未知の魔法を探すなんて面白いに決まっているな。本当に何が出て来てもおかしくないような気がするぞ。…だけどまずはやっぱお金かな。今回だって結局稼ぎはほぼゼロみたいなものなんだし…。あ! そういえば、触れたものを何でも金塊に変える魔法っていうのを聞いた事があるぞ…!」
「…それ、強欲がたたって破滅してしまうおとぎ話ですよ…――あっ、違っ…!」
 今度は言うべきセリフを間違えた。本当なら突っ込むのではなく、自分の話を聞いてくれないことへの文句を付けなければいけない所だったというのに。ついさっきあんな目に合わされたというのに、自分の事のように目を輝かせてくれたいうその事だけで警戒心がまた仕事をサボり始めている。
「え、えっとですね、私はそんな大魔法ばかりを探している訳じゃありませんので…。その地域だけに伝わるような小さな魔法もちゃんと集めたいと思いますし…。だからその、想像されているよりもずっと地味なものになっちゃうと思いますので…。で、ですので、その――」
 それでもなんとか理性を働かせ、ころっと態度を変えて尻尾を振りながらそのまま彼の方に近付いて行こうとしている無防備な自分の心を止めるためにもサンは口にした。
「分かってるって。そういうのをコツコツ集めて行かないと、その上のレベルにはなかなかたどり着けないものだからな」
「い、いや、そういうことを言おうとしたんじゃなくて…。」
「そもそもこっちは魔法自体に大して詳しくも無いからな。見つけた魔法の高度さがどうとかって話は俺にとっては大して関係ないんだよ。未知の世界を開拓していくっていう、その目標が何より面白そうだと思ったんだ」
「うっ…!」
 …こういうことを言うのはズルいと思う。
「ふふん。それに俺は旅慣れしているからな。そういった方面でのことならかなりのものを提供できるぞ?」
「む、むむむ…。」
 …正直、この提案もかなり魅力的だ。現状、思っていた以上に雑務で時間を取られてしまっているのだ。魔法を探すという本来の目的に、実はそこまでリソースを割けていないのも旅に進展が見られない理由の一つだろう。
「…な、なんでそんな協力するなんて言ってくれるんです…? あっ! お金なんて持っていませんよ!」
「べ、べつにそんなの要求してないだろ? 面白そうだと思ったから俺も関わってみたいって話なんだし…。…まあ、確かにこっちだって金なんてほとんど持っていないんだけれども…。」
 なんだか一人旅のせいで猜疑心が強くなってしまっているのだが、彼はむしろ少し困ったように答えるだけだった。
(……あれ? お金もいらないって言ってくれるなら、私にはメリットしか無いんじゃ…。)
 気が付けば彼を突っ撥ねられるだけの理由が瞬く間に消えて行ってしまっている。
(……え? ほんとに? ほんとうにそうなっちゃうの…?)
 ちらっと彼の目を再び覗いてみた。色よい返事が返ってくることを心待ちにしてきらきらしている。
(う……。そんな目で見られると断れないよ…。)
 思わず助けを求めて辺りを見回してしまったが、当然自分たち以外には誰もいない。
(で、でもなあ…。私、人見知りしちゃう方だし…。知らない人と一緒に旅をするなんて、やっぱりちょっと怖いし…。――あ、あれ…? そう言えばなんで私、この人とは気兼ねせずに話せちゃっているんだろう…。)
 脇に逸れた思考がつい変なことに、または余計なことに気付いてしまった。どうもあまりにもひど過ぎる目に合わされたせいで、むしろ距離感を一気に詰められてしまったらしい。だがそうなると、今度はこの繋がりが非常に貴重なものにさえ見えて来てしまう。もしここで断ってしまったら、引っ込み思案な自分はこんな風に協力を申し出てくれる人とこれからいつ出会えることになるのだろう。
(う、ぐ、ぐ…。そ、そうなるとやっぱり良いお話なのかな…? ちょっとだけ、変な方向に話が進んじゃったような気もするんだけど…。)
 今まで自分の生きて来た世界から大きく外れた事がこの短い時間に連続し過ぎたせいで、ここまで来ると非常な大胆さでそんなことを思ってしまった。
(…う、うん。そうだよね。ちょっと怖くても、勇気を出さなくちゃいけない時ってやっぱりあると思うし…。…そ、それにその、そんな悪い人じゃないよね? きっと…。)
「じゃ、じゃあ、その…。よ、よろしくお願いします…。」
「おう! よろしくな!」
 勇気を出し、自身の直感を信じてみることにしたとはいえ、変な恥ずかしさを覚えてしまってうまく言えない自分に彼は気持ちよく答えてくれた。


「ところで、どうしてディオさんは旅をしているんですか?」
 今更と言えば今更なのだが、組んでみる事にしたというのに結局彼の事はほとんど何も知らない。初めて彼の名前を呼ぶことにさえも実は少し緊張してしまう。
「ん? んー、特に目的がある訳じゃ無いからなあ。面白そうな話があったらそこに行くだけで」
 そんなこちらの様子は気付かれずに済んだようで、彼は一緒に道なりに並んで歩きながら、思い出すように空を見上げて答えてくれた。
「意識していた訳じゃないけど、今は魔法生物にはまっているかな。この前はユニコーンがいるって村に行ってきたぞ」
「えっ…! 私、ユニコーンなんて話の中でしか聞いたことありませんよ!」
 正直想定していたよりも遥かに素敵な答えが返って来てサンは目を輝かせた。やっぱり組むことにしたのは間違いなんかでは無かったのかもしれない。
「いや、それがさあ、どれを見ても角が生えていないんだよ。『こいつはまだ子供だから』とか、『今は角が生え変わる季節だから』とか村のやつらは言い訳するし」
「あはは、なんですかそれ」
「ひどい話だよな。絶対ただの馬だぞ、あいつら。後は、不死鳥がいるって山に行ったこともあるな。近くに住んでいるやつが言うように、確かに紅いキレイな鳥だったから試しに石をぶつけてみたんだけれど、落っこちちゃうし、その上その村の奴らはみんな怒り出すし、あれも散々だった」
「それは怒りますよ…。」
 最初は笑っていられたのだが、もう話がきな臭くなって来た。
「不死鳥ならそのぐらいで死ぬはずないだろ? というか、やっぱり一番見たいのは燃えながら生き返る所じゃないか。他には、どこかの街の領主が吸血鬼だって話を聞いたな。だから夜中にそいつの屋敷へ忍び込んで鼻の穴にすりおろしたニンニクを詰め――。」
「じゃあ! 私のせいでディオさんの旅の邪魔をしてしまうなんて事はありませんね!」
「ああ、そんな心配なら無用だぞ」
 サンは話の流れを断ち切るように声を張り上げた。ただ話を聞いているだけなのに、このままでは自分の身にまで危険が降りかかって来てもおかしくない。数瞬前とは正反対に、やっぱり大きな間違いを犯してしまったような気がして来た。
(少し心細くなっていたのは確かにあったし、場の雰囲気に流されちゃったような気がする…。そこにうまくすっと入り込まれてしまったような…。)
 そんな考えがふと頭を過ったがサンは慌てて首を横に振った。あまりにも的を正確に射過ぎている。一度認めてしまったら絶対に否定出来なくなる気がした。…正直、少しだけとはいえもうすでに後悔し始めている。
 だがディオの方はこちらのそんな気持ちにはまるで気が付いていない様子だ。彼はこれから待ち受けている旅の方が気になっているらしい。
「それよりも、具体的にはどうやって魔法探しをすれば良いんだ?」
「えっと…。たぶん大体の場合はさっき私がやっていたみたいに、魔法使いがいたという噂や、痕跡を辿っていくことになるかと思います」
「ふーん、結構大変そうだな」
「本当は、まだ広く共有されていない魔法を使える人を見つけられれば一番なんですけれどね。王都から離れて暮らしている魔法使いの方がいてくれれば良いな、とは思うのですけれど…。ただ、魔法使いの絶対数が少ない事もあるので…。」
「ん? いや、そういう魔法使いなら知っているぞ?」
「え、本当ですか!」
 ディオは何の気なしに言ったのだろうが、それはサンにとっては本当に知りたいことなのだ。思わぬ展開に飛び付いた。
「えーと、確かあいつは横領かなにかで捕まったからたぶん今もどこかの牢屋に…。」
「ごめんなさい。やっぱり良いです」
 サンはすぐに耳を塞いだ。どこをつついてもまともな話が出て来ない。
「もー、何だよー。自分で聞きたいって言った癖に…。」
「だって…。」
 ディオは拗ねたように口を尖らせていたが、サンだってそんな話を聞かされても困る。
「あれ? 魔法使いのフリをして詐欺を働いたから捕まったんだったかな?」
「………。」
 その時、二人の後ろから馬の蹄の音が聞こえて来た。
「…え、嘘? 騎士の人達?」
 ぴたりと足を止めてサンは恐る恐る振り返った。だがその姿はまだ見えない。わずかにある起伏のせいらしい。しかし馬の走る音は確かに今も近付いて来ている。
「うーん、しつこいなあ。俺達が山賊じゃないのは少し調べればすぐに分かるだろうに…。」
「た、『達』って一緒にしないで下さいよ! 追われていたのはディオさんだけですからね!」
 薄情の言葉が自然とサンの口から飛び出した。きっと今までに聞かされた話がひどすぎるせいだ。
「あーっ! ずるいぞ! さっきコンビを結成したばかりなのにもう裏切ろうとしているだろ!」
「だ、だって私はもともと無関係ですもん!」
「何言っているんだ! 平和だった草原を火の海に変えたくせに! それにさっきだってルビーを受け取っただろ!」
「ち、違いますもん! そんなつもりで受け取ったんじゃないですもん! それに最初の魔法だってディオさんに騙されたからで――!」
「いいからさっきの魔法をもう一回使えよ! すぐそこまで来ているじゃないか!」
 こちらの弁明はディオの大声に遮られた。当然だが彼も譲る気はないらしい。騎士たちの姿が見えるようになるのもきっと本当にすぐのことだろう。さっきよりも確実に蹄の音は大きくなっているのだ。
 サンは意を決して杖を取り出すと、自分の頭上で円を描くようにくるりと振った。白い光がきらきらとサンの事を包み込む。光が消えた時にはサンの姿も消えていた。
「なっ…! どこ行った! おいサン!」
「話しかけちゃ駄目ですって! ばれちゃいますから!」
 透明になった状態でサンは答えた。しかし透明と言っても完全では無く、陽炎のような影がその場に見えてしまうのだ。注意して目を凝らすことでやっと違和感を覚える程度だとは思うものの、騎士たちから意識を向けられてしまうような状況はやっぱり困る。
 当然だが魔法の掛かっていないディオの姿は丸見えだ。
「その魔法俺にも使えよ!」
「い、いや、これは自分にしか出来ないですし…。」
「だったらあの炎をもう一回出せば良いだろ!」
「いや、騎士だと分かっているのにああいうのを使うのはやっぱりまずい気もしますし…。」
「自分だけ安全圏に逃げ込んでおいてなにわがままと言い訳ばかりを…! …ん? …そこにもういないな…! どこ行った! おい!」
 怒鳴り散らしているディオをそのままに、サンは姿を消したまま脇の草むらへこそこそと隠れた。彼も自分の事を見失ってくれたらしい。きっとこれでもう自分は大丈夫。
 何もない道端で一人騒いでいるディオの姿は危ない人にしか見えない。サンの理性的に戻って来た審美眼からそう遠くないとはいえ。
(ここでお別れになってしまったら、……うん、それはまあしょうがいないかな。どうしようもないんだもん。やっぱり縁が無かったという事で…。)
 助ける手段が無いのだ。だからこれは仕方ない。
 ついにその蹄の音ばかりを響かせていた馬が現れ、ディオを轢いてしまう寸前の所で急停止した。今度は馬の嘶き声が辺りに響いた。
 さすがにディオも身体を固めてゆっくりとそちらへと振り返っている。サンもドキドキしながら草むらの中から頭だけを出して覗いていた。
 だが、そこにいたのはただの乗合馬車だった。
 サンもディオもほっと一息つくことが出来たのだが、その手綱を握っていた男から悲鳴が上がった。
「さ、山賊…!」
「なっ! 誰が山賊だ!」
 青い顔をしている彼にディオが怒り顔で言い返している。
「ふふっ、やっぱりそうとしか見えないですって」
 サンは魔法を解いて街道へと戻った。ほっと胸を撫でおろすと、自然と笑みがこぼれてしまった。
 あー、良かった。危ない目に合わずに済んで。
「こいつ…! しれっと戻って来やがって…!」
「いたい、いたい、いたいっ! ごめんなさい、ごめんなさいっ!」
 しかし緩んだ頬をディオにつねり上げられた。


「ははは、さっきはごめんよ。最近、この辺りで山賊が出るっていうからさー」
 馬を操りながら御者の男、ダンスが言った。今はもうその顔も血色が良くなり、おしゃべり好きな様子を見せている。
「お客さん、馬車止めるように道の真ん中に立っているし、なんか大声あげているし。それは山賊だとも思っちゃうよー」
 からかっているつもりなど無いのだろうが、あけすけに取り繕うことも無くダンスは言う。サンはそれが面白くて仕方の無いように隠れてくすくす笑っている。だがディオからは丸見えだ。
(こいつ、後で覚えていろよ…。)
 ディオ達はすぐに誤解を解くと、御者である彼以外には誰も乗っていなかったその乗合馬車に同乗させてもらっていた。山賊の噂のせいで利用者がいなくなってしまったらしく、拠点とする街を変える事にしたのだと彼は言っていた。今はその引っ越し中らしい。
「それに山賊の噂だけじゃなくて、あんなものも見ちゃった後だし」
「なんだ、それ?」
 サンを見ていても腹が立つだけなので、ディオは別の話題へと移りそうなダンスの方へと向き直った。
「それがさあ、遠くからしか見ていないんだけれど、何もないはずの街道に巨大な炎の壁が突然現れたんだよ。進行方向だったからおっかなびっくり進んでみると、血走った目をしている騎士達がいるし、辺りは焼け焦げたような臭いが充満しているし。思わず迂回しちゃったよ」
 がたりと音を立ててサンが顔を上げた。一目で狼狽えているのがよく分かる。
 ダンスが話しているのは間違いなく、ついさっき二人が巻き起こして来た騎士達との一騒動についてだろう。
「ほーん?」
 適当な相槌を返しながらも、ディオの頭にサンへの良い仕返しが閃いた。
「もしかしてドラゴンでも出たんじゃないのか?」
 サンの方を見てにやにやと笑いながらディオはダンスに尋ねた。言い返したくて堪らないような顔をサンはしているが、ダンスに変な疑いを向けられるのが怖くて何も言う事が出来ないらしい。ディオはそれを見て馬鹿にするようにベーっと舌を出すと、サンは歯噛みして一際悔しそうな顔をした。馬車を操るために前を向いているダンスには後ろで何をやっても気付かれずに済みそうだ。
「えー、こんな所で出たら怖いなあ…。でもあんな巨大な炎を出せるのってドラゴンくらいなのか。ドラゴンのブレスって凄いらしいからね」
「ああ。たぶん騎士達にちょっかい出されて火を吹いたんだろ」
「人の事を巻き込んでおいてよくもそんな事が……!」
「ん? サン、どうかしたのか?」
「…いえ、何でもありません…。」
 当て擦られても結局何も言い返せないサンを見て、ディオは満面の笑みを浮かべた。
「それか、あいつら光物が大好きだからな。騎士達がたまたま持っていた宝石にでも目を付けたのかもしれない。ルビーで目の色を変える奴なら俺も見たことがあるぞ。なあ、サンも知っているよな?」
「う、ぐぐぐ……!」
 何を言われてもサンはただ唇を噛むだけだ。
「へえ、ドラゴンにもそういった好みなんてあるものなんだ?」
 ディオとサンの間でしか通じていない言葉の裏の意味には気付かずに、ダンスは素朴に尋ねて来る。
「ああ、あるらしいぞ。金よりは宝石とかの方が好きらしい。金ではぴくりとも動かなかった一見大人しそうな奴でも、宝石となると飛びついてきたのを見たことがあるからな」
 だがそれに対しての返答は全てサンを経由している。
「こ、こんな所にドラゴンなんかがいる訳無いじゃないですか!」
 いよいよ我慢できなくなったらしいサンが大声を張り上げた。
「まあ確かに、この辺りでそんな危ない生き物が出たなんて話は聞いたことは無いけれど…。…うん、まあだけどその通りかもね。さっきまであそこにいたのなら飛び去って行く姿も見えただろうし。そうなるともっと小さい生き物かも?」
「そ、そうですよ!」
 危ない生き物、という言葉にサンは一瞬ぐさりと来ていたようだが、その後にダンスが出してくれた助け船に今度は飛び乗ることにしたらしい。
「本当は全然危なくなんてないんだけれど、悪い人に騙されてけしかけられただけであって――」
「ほお、じゃあサンは何だと思うんだよ?」
 しかしディオは余裕たっぷりにサンに続きを促した。もうどうあっても自分の勝ちが揺るがない自信はある。
「う、それはきっと…!」
 サンは一瞬言葉に詰まった。だがここが唯一反撃に出られるチャンスだとは分かっているようだ。すぐさま慌てつつ言葉を続けた。
「きっと、無邪気な妖精とかですよ!」
 ディオは口をあんぐり開けた。
「………サンすげえな。」
 吹き出すのをこらえて何とかそれだけを口にした。
 そう言われてサンもやっと自分が何を口走ってしまったのか気が付いたらしい。無邪気な妖精らしく、頬にリンゴのような赤みが差していく。
「あははは、悪戯好きな妖精と言ったって、さすがにあそこまで滅茶苦茶なことはしないって」
 軽く笑いながらサンに突き刺さる一言を放ったダンスの後ろで、ディオは腹を抱えていた。
 もう何も言い返すことが出来ずに、サンは目に涙を溜めたまま真っ赤な顔をして俯いる。
 馬車はそのまま二人をまだ見ぬ街へと運んで行く。

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