学園一のお嬢様が風呂無しボロアパートに引越してきたんだが

きり抹茶

第三十四話 ピーピー鳴いてます……ですわっ!

 一年で最も期間が長く待ち遠しい夏休みがやって来た。
 多くの生徒はこのパラダイスの始まりに様々な夢を抱くことだろう。

 海やプールではしゃぐも良し。山でバーベキューをするも良し。エアコンをがっつり効かせた部屋でゲーム三昧するも良し……。膨大な量の宿題から目を瞑れば希望に満ち溢れたスタートになるはずだ。

 かく言う俺も縛られた学校生活から解放されることに喜びを感じていた。…………感じていたはずのだが何故だろう。夏休み前の日常に戻りたいと思っている自分がいるのは。

「狭山くん、コピー機がピーピー鳴ってますわっ!」
「ポテト売り切れたから早く揚げてくれ!」
「もう二便のトラック来たよ! 品出ししなくちゃ」

 ここはコンビニという名の戦場だ。普段シフトに入ることの無い平日の昼時は特に混雑が酷く、昼食を求めるサラリーマンやOLでごった返していた。

 とりあえずレジから離れられない。行列が途切れず、弁当を温めて弁当を温めて弁当を温める繰り返しだ。その上でホットスナックの補充をしたり荷出しをしなくてはならず、どう考えても人手が足りない状況なのだがどの仕事も後回しにはできない。
 しかし、これだけ忙しいにも関わらず時給は夜の暇なシフトと同じなのだ。この時間に働いているおばちゃんパートには頭が上がらないな。

 ただ、夏休みの大半は予定通り志賀郷を連れて実家で過ごすことになっているので、毎日バイト三昧という訳ではない。しかし働かなければ収入が絶たれるので、店長と相談して東京にいる間は可能な限りシフトに入るようにしてもらった。その結果鬼のようなスケジュールになった。こんな殺伐とした労働をあと五日続けねばらないない思うと溜め息しか出ない。金は欲しいけど働きたくないでござる。

「狭山くん! 今度はコーヒーメーカーがピーピー鳴いてますわっ!」
「ああああああ分かった分かった」

 志賀郷の鳴き声報告(コーヒー豆の補充サイン)を受け、レジからの脱出を試みるが客は全く途絶えない。まさに地獄の時間であった。


 ◆


 一段落ついたと思ったら時計の針は既に三時を超えていた。ようやく店の安寧を取り戻した俺と志賀郷、石神井先輩の三人は雑務をこなしつつ雑談をしていた。

「それにしても、二人はこの夏で大人の階段を登るわけだね。お姉ちゃんは嬉しいよ、うんうん……」
「だからやむを得ない事情なんですって」

 俺と志賀郷はしばらくバイトに出られないと伝えていたが、一緒に帰省する事は伏せておいた。ところが数日前に志賀郷がうっかり口を滑らせたらしく、言い訳を重ねるうちに自分が貧乏である事も含め、洗いざらい先輩に話してしまったという。
 今回は他校で信頼出来る石神井先輩だから良かったものの、この調子で学園の生徒に知られたらどうなるか分かったもんじゃない。志賀郷は抜けてる所があるから時々釘をさしておかないといけないな。

「そうですお姉様。他に居場所が無かったですし、恋人というのもあくまでフリですから」
「またまたそんな嘘まで付いちゃって〜。それに、私の家なら預かる事もできたんだよ? 私達は姉妹なんだから!」
「お姉様……!」
「いや何その設定」

 弱みを握られたからなのか知らんが、石神井先輩のお姉さんごっこに志賀郷が巻き込まれているようだった。しかし身長差や成長具合を踏まえると、先輩の方が(年の離れた)妹にしか見えない。だがこれもまた癒しだ。背伸びしたいお年頃の先輩を横目に俺は雑務を処理していく。

「おっと、狭山くんいじけてるの? でも大丈夫。狭山くんも私の大事で可愛い弟だからね!」
「つまり三兄弟……ですわね!」
「その通りだよ志賀郷ちゃん!」
「あの勝手に盛り上がらないでくれませんかね……」

 女子のノリはよく分からないな。兄弟と言われたところで何か変わる訳でもないし……。

 だが、もし志賀郷が妹だったらどうなるのだろうか。毎朝「お兄様っ!」って呼んで起こしにきてくれたり、料理作ってくれたり……。愛想が良くて懐いてくれたら絶対に可愛いよな。でも反抗期っぽく罵られるのも悪くない。例えば「洗濯物は兄さんと別々にしてくださる? 汚らわしいので」…………って何を想像しているんだ俺は。

「狭山くん……? どうされましたの?」
「……えっ!?」
「私の顔をずっと見ておりましたが……」
「ああいや、なんでもないから!」

 慌てて両手を振って誤魔化す。危ねぇ、こんな良からぬ妄想が志賀郷にバレたら妹じゃなくても罵られるぞ。煩悩を焼き払うんだ、俺!

 一方、横から見ていた石神井先輩は小声で一言呟いた。

「……これは放っておいても上手くいくパターンだね」

 今のは先輩の単なる独り言なのか、俺達に向けた投げかけだったのか……。わざわざ聞く必要は無いと思ったので、真相は分からなかった。


 ◆


 バイト漬けの地獄週間を乗り越えた俺と志賀郷はいよいよ帰省の準備に入っていた。と言っても、着替えや衛生用品等をリュックに詰め込むだけなのだが。

「狭山くん、仕度はもう終わりましたか?」

 ノックもせずに部屋に入ってきた志賀郷が問い掛けてくる。最近は男の部屋に対しての抵抗が無くなったのか、まるで自分の家のように入ってくるんだよな。

「あと少しで終わる。電車の時間には間に合うから安心してくれ」
「分かりました。ではここで少し待たせていただきますわ」

 すると革靴を脱いだ志賀郷は部屋の隅まで進んでから腰を下ろした。女の子座りになっており、警戒心は皆無なようだった。

「あれ、お前は制服で行くのか?」
「ええ。初めて御両親に顔合わせしますし、本来ならドレスコードが望ましいと思いますが……。今はそんな服持ってないので、できる限りの格好にしてみた結果ですわ」
「そんなかしこまらなくても……。本当に恋人になった訳じゃないんだからラフな服装でいいのに」
「ですが御両親は交際の報告も兼ねてるのだとお思いなのでしょう? でしたら相応の配慮をしなければ私が無礼な人だと思われますわ。これは狭山くんの顔に泥を塗らない為にも必要な手段なのです」

 律儀な奴だなあ……。金持ちの家はそういう礼儀にうるさいのかもしれんが、俺の親なんて「挨拶さえできれば誰でもウェルカム!」みたいなノリだからな。志賀郷を連れてくる事を報告した時も「失礼の無いように出迎えなくちゃね」なんて言ってたくらいだし。

「分かってると思うけど、うちは普通の下流家庭だからな。親も大して厳しくないし俺と話すような感覚で気楽に接してくれれば大丈夫だぞ」
「ふふ、お気遣いありがとうございます」

 志賀郷はふわふわのウェーブ髪を少しだけ揺らし、にっこりと微笑んだ。そんな彼女を俺は直視できず、視線を逸らす。
 毎度の事だが、箱入り娘の元お嬢様が放つ素直な表情は余りにも可憐で、見つめていると脈打つ鼓動が速くなってしまう。そして、この破壊力抜群の笑顔に俺はきっと振り回されているのだろう。

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