学園一のお嬢様が風呂無しボロアパートに引越してきたんだが

きり抹茶

第三十話 この志賀郷家が許さない……ですわっ!

「それはいくら何でも暴論過ぎるだろ!」

 俺は反論せざるを得なかった。やむを得ず志賀郷を連れて帰省する理由を作るために恋人同士になれというのはあまりにも酷だと思う。しかし、四谷は名案だと言わんばかりに話を進めていく。

「もちろん恋人のをするだけで良いんだよ。それともまさか……既に二人は付き合ってるとか!?」
「付き合ってねーわ!」
「付き合ってませんわっ!」

 志賀郷との息がぴったり合い、見事に声が重なってしまった。今のは偶然だが、四谷はニヤニヤと笑いながら続ける。

「いきなり親の前に女子を連れてきたとしてもさ、彼女を紹介したかったって言えば不自然じゃないでしょ? あと泊まる事については咲月ちゃんの両親の許可は取れてるって言えば良いんじゃないかな」

 四谷の言い分は理解できる。志賀郷が俺の隣の部屋に住んでいる事を打ち明けずに実家へ連れていくには正直恋人のフリをするしかないと思う。

 だが……。いくらとはいえ志賀郷が俺の彼女になるのは無理があるのではないだろうか。見た目からして不釣り合いだし、志賀郷も俺の彼氏役を務めるのはかなり抵抗があるだろう。俺はともかく、まずは志賀郷の意見を尊重するべきだ。

「仮に四谷の案を採用するとしても志賀郷が嫌がるだろ。そんな無理をするくらいなら他の案を考え――」
「待ってください」

 俺の声を遮ったのは志賀郷だった。見れば随分と真剣な表情で考えている様子だ。

「狭山くんのご実家の近辺なら学園の生徒に見られる心配はありませんよね?」
「そうだな……。何も無い田舎だし、知り合いにバレる危険は無いと思うけど……」
「なるほど……」

 志賀郷は小さく頷き、再び考える素振りを見せる。そして改めて姿勢を正してからこちらに向き直って一言放った。

「夏休みの間は狭山くんのご実家にお邪魔させていただきたいですわ」
「え、でもそれには……」
「恋人の演技についても承知の上ですわ。狭山くんの彼女役に相応しい振る舞いができるか分かりませんが、私のできる限りを尽くしますので」

 志賀郷は嫌がるどころか、寧ろ乗り気のようだった。
 好きでもない相手の恋人役なんて絶対に引き受けないと思ったのだが……。それとも実は志賀郷は俺に気があるのだろうか。
 ……いやいや有り得ない。単に志賀郷が利益重視の考え方をしているだけだろう。ボロアパートでの節約生活を強いられた結果、ある程度の羞恥は飲み込めるようになったのかもしれない。

「もし家に来るとしたら一ヶ月くらい寝泊まりすることになるけど、それでも耐えられるか?」
「耐えられるって……何をですか?」
「それは……俺の恋人役を……」

 声を大にして話すのは恥ずかしいので若干どもりながら答える。すると志賀郷は意図を理解したのか、クスッと小さく微笑んだ。

「平気に決まってるじゃないですか。耐えられないって言ったら狭山くんに失礼でしょう」
「さ、さいですか……」
「私が心配しているのは知人にバレることと狭山くんのお相手として粗相をしてしまわないか、の二点だけですわ」

 さも当然のように答える志賀郷だが……。この人、マジで天使ではないだろうか。そこらの女子とはまるで格が違う。

「さーくん良かったじゃん! これで咲月ちゃんと合法的にイチャイチャできるよ!」
「うるせぇ。犯罪者予備軍みたいな言い方をするな」

 そこらの女子代表である四谷がからかってくるが無視しておく。当事者ではないのに何故か一番楽しそうにしているが、やっぱり無視しておく。

「あらもうこんな時間。そろそろ帰って夕御飯の仕度をしなくちゃいけませんわね」
「お前まだ食うのか」
「当たり前です。ここでいただいたハンバーガーは間食ですので」

 せっかく1380円払って食わせたハンバーガーも志賀郷にとってはただのおやつだったのか。本当に金のかかるお嬢様だよな……。

  こうして、期末テストの打ち上げは夏休みに向けた打ち合わせに変化し、俺の財布は軽量化して幕を閉じるのだった。


 ◆


「今日はありがとうございました。お金まで出してもらって……」

 帰り道。帰宅ラッシュで混み合う列車を乗り越え自宅に向かって歩く中、志賀郷が呟いた。

「気にするな。偶には奮発しないと精神が持たないし」
「そうですわね。でも……。今日は私の気を紛らわす為に打ち上げを開いてくださったのでしょう?」
「ぐっ……。ま、まあな」

 優しく微笑む志賀郷と目が合ったが、気恥ずかしくなったのですぐに視線を逸らす。
 本人に言われると照れくさいが事実なので否定できないんだよな。

「ありがとうございます。お陰様で少しだけ気が晴れました」
「……そりゃどうも」
「ですけれど……。学費免除の件は変わらないですわ。これ以上お金は払えないし、もう諦めるしかないのでしょうね……」

 青白い街灯に照らされた志賀郷の表情は険しいものに変化していた。
 まだ決まった訳ではないが、志賀郷の成績が特待生レベルに達する事はないだろう。そうなれば毎月数万円かかる授業料やその他諸々の費用を恐らく九月にまとめて支払う事になる。当然だが、親の力を借りなければ到底捻出できない金額だ。しかもそれを一人の高校生だけで賄うなんて非現実的過ぎる。

 だけど……。諦めるのはまだ早い。

「弱気になるなよ。どうにもならないと思っても「どうにかする」のが俺達貧乏人の掟だぞ」

 真っ直ぐ正面を向いたまま話す。今のは節約家である母親の口癖その②だ。
 いくつもの無理難題を乗り越えてきたからこそ今がある。最後まで足掻くんだという両親の背中を見て過ごした俺にとっては、志賀郷の学費についても何とかなるのではと思っていた。というより何とかしなくちゃいけない。志賀郷が退学してしまう事だけは意地でも避けなければならないのだ。理由は勿論ある。

「どうにかするって言われても、解決策が無ければ意味が無いですわ」
「策はこれから探せばいい。大体、金が払えないから学校辞めるってなったらお前だけじゃなくて俺も困るんだよ。あのボロ家に住んでる事がバレるかもしれないからな」

 志賀郷が生み出す社会的影響は他の生徒より群を抜いて大きい。その上で退学というインパクト超大なイベントが発生したら、彼女への注目は最大限に浴びることになるだろう。
 つまりそれは志賀郷の素性がバレるリスクが高まるわけで、同時に隣人である俺にも火の粉が飛んでくる恐れがある。貧乏人という身分の低さが露呈するかもしれないのだ。だから必死になっている。

「……確かに狭山くんにも迷惑が及ぶかもしれません。ですが迷惑にならないかもしれませんわ。退学理由なんていくらでも誤魔化せるでしょうし、住んでる部屋も秘密にしていれば公には出ない情報だと思います」
「でも万が一情報が漏れたら取り返しがつかないぞ」
「……私は後戻りできなくなるでしょうね。ただ、狭山くんは大丈夫なはずです」

 志賀郷は俺より数歩前に出て立ち止まる。そこは築六十年のボロアパート我が家の前だった。

「以前もお話しましたが、狭山くんは私の秘密を守ってくれました。お金のない私に安くて美味しい食べ物も教えてくれました。成績が悪いと知ったら手助けしてくれました。しかも自分の身まで削って助けてくれました」

 落ち着いた口調で一語一句を丁寧に口にする。
 俺はどう反応して良いのか分からずその場で突っ立っているだけだったが、志賀郷は気にせずに言葉を紡いでいく。

「狭山くんはもっと自分を誇るべきです。例え家の事がバレてしまっても狭山くんの人柄が守ってくれるはずです。それでも責められたり悪戯されるような事があったら、この志賀郷家が許しませんわ」

 最後にニコッと微笑む志賀郷だが、さらりと恐ろしい発言をしていたような……。まあ、両親に逃げられた今の志賀郷に多大な権力があるのか定かではないが。
 それより、いきなり褒め称えられるのは困る。俺は自分の身を守るために渋々志賀郷の面倒を見ているだけだし、褒められる義理は無いと思うのだ。
 だから、都合が悪くなった俺は冗談で誤魔化すことしかできなかった。

「貧乏お嬢様が怒ったところで何も変わらなさそうだけどな」
「何回も言ってますけど、その呼び名はやめていただけます? そういう意地悪な所は直した方が良いと思いますわ」

 笑ったと思ったら今度は頬を膨らまして怒りの表情を見せる志賀郷。こいつの素直さを利用したのは申し訳ないが、ころころと表情を変える姿を見ると安心する。

 しかし同時に今の志賀郷をずっと見ていたい、壊したくないとも思ってしまった。自己中心的な考えだけど今の生活が続いたら嬉しい。その為にも志賀郷の退学は避けたいところだよな。

「とりあえず、打てる手は全て打つぞ。俺も作戦を考えてくるからお前も諦めるなよ」
「ありがとうございます。お気持ちは凄く嬉しいですが……。私は今の学校に通えて、皆さんに出会うことができただけで十分満足しています。ですから、例え悪い結果になったとしても後悔はしません。狭山くんも無理はしないでくださいね」

 それから「おやすみなさい」と笑顔で締めた志賀郷は踵を返し、錆びた鉄製の外階段をゆっくりと上り始めた。

 俺は特に引き止めようとせず、志賀郷の後ろ姿を下から眺める。コツコツと響く音と共に彼女のスカートの中が段々と見えそうになったので、俺は慌てて目を逸らした。

「……無理なんかしないっての」

 誰にも聞こえない声量で呟く。
 志賀郷は俺を褒め称えて気遣ってくれたが、それが不思議と他人行儀のように思えてきて妙に納得がいかなかった。更に考えれば考えるほど苛立ちが募ってくる。理由は分からない。

 でも、志賀郷の力になりたいという思いは今まで以上に強くなった気がした。

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