学園一のお嬢様が風呂無しボロアパートに引越してきたんだが

きり抹茶

第二十一話 趣味が○道でもいいじゃないか……ですわっ!

 巨大な湯船に男二人。もくもくと立ちのぼる湯気の中、木場さんが感慨深そうにゆっくりと頷いた。

「なるほど。流石は金持ちの娘さんだなぁ。俺とは全然違う考えを持ってる」
「はい。……あいつは普通の人の普通の生活に憧れてるみたいで。変わってますよね」

 セレブな志賀郷が何故庶民派の銭湯にやって来ているのか。そんな当たり前の疑問に答えるために俺は木場さんと俗に言う『裸の付き合い』をしている。
 普段は言えないような事が言える雰囲気ではあるが、志賀郷の両親が夜逃げした話は何があっても打ち明ける訳にはいかない。だから俺は「志賀郷が一般人の生活を体験してみたいと自ら言ってきた」というていで木場さんを納得させていた。
 事実、志賀郷は俺のような人間の暮らしに興味を持っているようだし、あながち間違ってはいないのだ。

「変わってるって言ったらお嬢さんに失礼じゃないか? 向こうの立場なら俺らのような泥臭い連中も十分変わってるって思われるはずだぞ」
「んまあ……そうかもしれませんけど……」
「世の中には色んな人がいる。俺もサラリーマンを辞めてから気付いたんだ。世界は俺の想像よりも遥かに広いってね」

 そう言って笑顔でこちらに振り向く木場さん。筋肉質な見た目と反してキザな事を言うもんだなと思ったが、この人の経歴を踏まえると謎の説得力がある。

「木場さんはどうして前の会社を辞めたんですか? 志賀郷の親と取引する程の仕事なら生活に困ることも無かったでしょうに」

 今よりも沢山お金が貰える仕事に変えるのなら納得できる。しかし一流の商社とトラックドライバーだったら年収の差は歴然だろう。わざわざ給料が安い所へ転職するなんて俺だったら絶対にしないはずだ。

 木場さんは真面目な顔で問う俺を見て笑いながら答えた。

「そうだよな。金の亡者の涼平ならそう考えるよな」
「金の亡者って……。でも俺だけでなくほとんどの人が思うことじゃないですか? 誰しもより良い生活をするために働くんですから」
「まあ涼平の言い分は間違ってないけどな。だが……金だけが目的と言ったら人生つまらないだろ?」

 それから「良い機会だから教えてやる」と付け加えた木場さんが続ける。

「理想は自分のを仕事にすることだと思うんだ。世の中そんな甘くねぇよと言われればそこまでだが、楽しみながら働けたら最高に違いないと思ってな。だから俺は年収うなぎ登りの嫌な仕事を蹴落としたって訳さ」
「というと……木場さんはトラックドライバーになりたかったんですか?」
「そういうことだ。笑えるかもしれないが、安月給の底辺が俺の『好き』だったんだよ」

 木場さんは立ちのぼる湯気を見上げながら自嘲気味に笑う。

 確かに自分の好きなことを仕事にできたら素晴らしいと思う。でも俺は木場さんのような決断ができるのだろうか。お金以上の価値があるものが俺の中に存在するのだろうか……。

「木場さんは凄いですね。それに、トラックドライバーなんて国を支える大事なインフラじゃないですか。底辺だなんて言わないでくださいよ」

 通販で注文して翌日に届くような便利さを提供しているのも物流業界が生きているからこそなのだ。ネット通販が普及した昨今、物流の需要は年々増しているのだと聞いたこともある。

「おいおいそんな褒めるなよ。照れるじゃないか」
「いえ事実ですし。誇っていいと思いますよ」
「涼平も喋るようになったなあ。……まあ、お前も好きな事や夢を目標に頑張ってみろって」
「好きな事、ですか……」

 ぼんやりと遠くを見つめながら考える。俺の『好き』って一体何だろう。
 大人になったら生活に困らない程の給料を手に入れて暮らすという目標を掲げて努力してきたつもりだったが、俺は趣味なんてないし、不必要な娯楽は全て金の無駄だと考えて生きてきた。思えば、俺って凄くつまらない奴なんだな。貧乏生活を抜け出すことしか頭になかったから全然気付かなかったんだ。

 それから風呂を上がるまでの間、俺は自分の将来について黙々と考えていた。


 ◆


 帰り道。湯上がりのせいか、ほのかに顔を赤く染める志賀郷と共に路地裏を歩く。

「志賀郷って好きな事とかあるのか? 趣味でも何でもいいけど」
「ん? どうしたのですか急に。今更よそよそしい質問なんかして」
「いや、単純に聞きたかっただけだよ。深い意味は無い」

 普通の人なら趣味の一つや二つくらいあるはずだ。志賀郷が普通の人に当てはまるかは悩ましい所だが、俺と違って何もないということは無いだろう。

「そうですわね……。強いて言えば茶道、とかでしょうか。気持ちも落ち着きますし、私は好きでしたわ」
「うわ凄いお嬢様っぽい趣味じゃねぇか。カップラーメンどか食いするお前が茶道をねぇ……」
「……何か文句ありますの?」

 志賀郷は目を細めて俺を睨んでくる。お嬢様、ご機嫌斜めのご様子。

「文句はないよ。好きな事があるのは良いと思う。俺なんか趣味も何も無いし」
「え、無いのですか……! あの豚小屋のような住処に敢えて住むという特殊な好みが――」
「あれは趣味じゃねぇ。金があったらあんなボロアパート今すぐにでも出てってやるわ!」

 ボロ家に住みたいという特殊性癖があれば一件落着かもしれないけどな。生憎あいにく俺はそんな残念な人間ではない。

「俺の話はいいとして……。志賀郷はどうなんだ? 茶道が好きなら、将来もやっぱりその道を極めたいとか思ったりするのか?」
「いえ、そんな大それた目標を持つほど茶道を嗜んではおりませんし。それに……私の将来は私が決めることではありませんから。…………どうせまた……達に連れ戻され……継がされるはずだし」
「え、最後なんて言った……?」
「……! な、なんでもありませんわ!」

 小声で何か呟いていたようだったが上手く聞き取れなかった。しかも自分の将来は自分で決めることじゃないって……。一体どういうことだよ。
 だが慌ててまくし立てる志賀郷を前にこれ以上問いただすことはできなかった。なにやら聞き捨てならない言葉もあったように思えたが……。きっと気のせいだろう。

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