夢源華守姫のノエシス

ノベルバユーザー347503

月影グループと量子コンピューター

☆2-A 教室

「はぁ、ぜぇ、ま、間に合った~」
 
 狐松明達をデータとして【エンコード変換】した後2-A のホームルームが始まっていないのを確認し、教室に滑り込んだ五月は現在窓側の自分の机に突っ伏していた。
 
「よっ! 我が従妹五月よ。オハヨウゴザリスー」
 
 前の席で椅子に後ろ向きに座り、背もたれに肘のせたまま、頬杖をついた、鋭利な相貌の少年が五月に声をかける。アシンメトリーのカラスの濡れ羽色の髪、精悍な顔立ち、羽織った黒のポンチョがが特徴的なこの少年は月影醒夜つきかげせいや。五月とは従兄弟の関係にある。
 
「せ、醒夜くん、おは……何で、げほっ……みや……ぎ、はぁ、ほうげん……?」
 
「何で宮城の方言なの? か。普通の挨拶だと、どうにも面白味に欠けると思ってな。マンネリ化した日々の挨拶に俺なりの工夫をこらしてみた。……にしても、朝から虫の息だな。五月」
 
「う……げほっ、あの半分嫌がらせみたいな急な勾配を全力疾走した上、さらにその頂から教室までのコースを猛ダッシュして来たからね」
 
「はは、その程度で音を上げてちゃあな、この月影なら十倍の荷物持って十往復出来るぜ」
 
 五月はそこでようやく息が整い、顔を上げた。
 
「確かに、体力が無いのは認めるけど、でもそれは人の得手、不得手ってものだよ」
 
「へっ……得手不得手ねぇ、ま、お前のTCGノエシス についてのタクティックス用兵術の部分は、俺の中では高評価ではある」
 
「あれ、そこは認めてくれるんだ。何だか照れちゃうな」 
 
「その分野についても六六一勝六五六敗。つまり俺の方が勝っている、ということになるが」
 
「くっ……やっぱり醒夜くんとは白黒はっきりさせなきゃいけないみたいだね。一桁くらい今日中にでも覆してみせるよ」
  醒夜の愚弄に五月は頬を膨らませ、抗弁する。
 
「……言ったな? じゃ、今日の昼休みにでも。それまでにせいぜい念入りにデッキを編成しておくがいいぜ」
 
「了解だよ」
 
 昼休みの約束に意気込む二人は、挨拶運動を終え端然と廊下側の席に着いていた凪斗がちらり、と二人の方を斜視していたことなど、気づくべくもない。
 
彼女達が口約を交わしたところで担任がホームルームの始まりを告げ、五月は姿勢を正し、醒夜は気だるげに前に向き直るのだった。


現代においてパラダイムシフト概念の変化に伴い、学校、学園等では五教科の他に【SIT】 (スピリチュアルインフォメーションテクノロジーの略)の授業が導入されている。
 
 これは、より身近になった【SIT】(形而上学と情報科学を混合された学問)の教養を身につけるためのものだ。かくして、一時限目の授業はSIT 。
 
 五月が栗色の髪をポニーテールにくくった柔和な笑みの教師、一条清美にに催促され開いた教材のページには【量子論、フォンノイマン型と非フォンノイマン型のコンピューターの違い、サイバースペースについて】といった語句が並んでいる。
 
「今日は皆さんも慣れ親しんだ量子コンピューターそして、サイバースペースをその要となった量子論の観点からその歴史をつぶさに説明していきたいと思います」
 清美がブラックボードを背に前置きを口にする。
 
(量子コンピューター……月影本社にあるブレインコンピューターの事、だよね)
 
 五月は定春が時偶用いる難解な専門用語について理解が深まるSIT の時限は嫌いではない。五月にとってこの授業は知的好奇心を満たしてくれるものだ。


「量子論とは元々、光の研究から生まれたものです。そこで、質問です、光とは粒子でしょうか、それとも波動でしょうか? ――はい! 授業開始早々一番前の席で堂々と船をこいでいる……月影くん!!」
 
 清美が月影に向けてチョークを投げ放つ。放たれたチョークは針の穴に糸を通すようなコントロールで醒夜の机に命中し、砕けた。
 
「うぉっ!? 何だ!?」
 流石の醒夜も破壊音に気がつき、飛び起きる。
 
「何だじゃありませんよ、もう」
 
 清美はヒクヒク青筋を立て、無言の圧力をかけつつ醒夜を睨める。《まさか、熟睡していて、質問も聞いていなかった分けじゃないですよね?》そう私怨のこもった眼力で。
 
 勿論、夢の中を漂っていた醒夜に問いの中身など、皆目見当もつかない。醒夜が疑問符を浮かべていると、五月がそんな彼に耳打ちした。
 
『醒夜くん、光が粒子か波動なのかって質問みたいだよ』
 
 発問の実体を理解した醒夜は素早い所作で起立する。
 
「あ、あぁ、そうだな。光は影が出来る事から、当初粒子とされていたが、後に物理学者ヤングが光の干渉という現象を発見し、光の波動説が多く指示されるようになっていった」
 
「ふむ……続けなさい。月影くん。間違ったら…………二投目のチョークがあなたを襲う事になるかもしれないけれど」
 
 ビシッとチョークを月影に突きつける清美。
 
「か、干渉は波に特有の現象だったからだ。しかし、そう考えると光の媒質は? そのあたりに疑点が残る。音波に対する空気のようなものは? そういった問題点に導きだされた答えが――光量子――光子は粒であり、波でもある、という答えだった……らしいです」
 清美の嚇しにやや、冷や汗をかきつつも醒夜が伸べ終える。
 
(醒夜くん……因果応報だと思うな……)
 
 五月が呆れつつも多少同情する一方、他の生徒達はいつもの流れなのか、然有らぬ体でその様子を見送っている。凪斗に限っては『フッ』と鼻で笑っているしまつだ。
 
「ずいぶん長舌な答えでしたが、正解です。流石【インターナショナルインダストリーズ】(世界的大企業)CEO の子息だけのことはありますね」
 
「は、はは、そいつは、どうも……」
 
 清美は醒夜が着席するのを見届けると、突きつけていたチョークでブラックボードに今論じられた内容を書き込む。

【光子は粒であり波でもある。そう考えると一応辻褄は合う。媒質の謎を解決できる。そして一八九七年にイギリスの物理学者トムソンが原子の千分の一程度の質量しかないミクロの物質電子を発見し、ニールス・ボーア等の唱えたコペンハーゲン解釈が量子論の主流となる。ミクロのつまり、素粒子は人が観測していない時は可能性の波であり、人が観測すると、波はどこか一点に収縮し、粒子として確定。波である電子を人は見ることができず『ただそうであるらしい』と解釈する】
 
(見ようとすると見えない波……人が観測した時にだけ確定する粒子、かぁ。うぅん……でも――)
 
 五月はふと、疑問に思う。 
 
「ふふ、至宝さん、不思議そうな顔ですね? 何か質問でしょうか?」
 
「えっ!えぇっと……はい。極論、私達人間――いや、この世界のありとあらゆる物がミクロの物質の集まりでできていると言えると思うのですが、波だとか、ちょっと実感無いなぁ……と」
 
 名指しで呼ばれ五月は、すっと手を上げ応答した。
 
「よい着眼点です。至宝さん。はい月影くん私達のような大きなもの、つまりマクロの物質に波の性質が表れ無いのは何故でしょう?」
 
「また俺か。先生」
 
「今日の授業は全て月影くんに当てます」
 
 くすくすと声を殺して笑い合う生徒達。
 
 醒夜は『当てるって何だ。まさか……チョークの方の意味合いも含んでるのか……?』などと、ぼやきながら再び立ち上がる。
 
「マクロの物質波はその波長があまりに短く、そして収縮している上、物質は波長が短くなるほど、波の広がりが小さくなる、という特徴があるからだ」
 
「正解です」
 
(へぇ、じゃあそれでマクロの物質は【確定している】んだ。うーん、それにしても博識だな……醒夜くん。……あんまり勉強してる姿とか見たこと無いのに)
 
 彼月影醒夜は上位に立つ者の嗜みを帝王学として幼少の頃から叩き込まれている。様々な分野の学識もその一環だ。彼の性格の歪みの根底もその窮屈な教育、待遇、立場にあるといっでいいだろう

「では、コペンハーゲン解釈の話に戻ります。ダブルスリットと電子銃、スクリーンを使った、ある面白い実験について語っていくとしましょう」
 
 清美がブラックボードに2つの穴が空いた板状の物【ダブルスリット】とその先にスクリーンをそしてダブルスリットの前に小さな丸【電子一個】を書く。
 
「この二つの細長い窓(スリット)を電子一個が通った時どのようにスクリーンに投射されるかを見る、というものです。元はヤングが光の干渉を発見した時に行われたもので、もし電子が波であるならば、干渉をおこしスクリーンには干渉縞ができます。そうでないなら、点が表れるだけです。もし、電子一個を電子銃で発射したとき、スクリーンにはどのように写し出されるでしょう? 月影くん」

「答えは右を通った状態と左を通った状態二つの可能性が重ね合わさって干渉縞が表れる、だ。コペンハーゲンではな」
 
 月影の答に『一つで二つの窓を通るってどういうこと?』のような事をこそこそ話し合うクラスメイト。
 
「実にミステリアスな話なのですが、それが正解なのです。月影くんが言ったように、コペンハーゲン的には、ですが。ですが、中には今の皆さんと同じように疑念を抱いた学者も少なからずいました。物理学者シュレディンガーはその一人で量子論が抱える問題を指摘します。それが、かの有名な思考実験【シュレディンガーの猫】なのです。ここでシュレディンガーの猫の解決案の一つとされる【多世界解釈】についても黒板にまとめてみましょう」

清美がブラックボードに書き綴った【シュレディンガーの猫】と【多世界解釈】のあらましはこのようなものだった。

【まず箱の中に放射性物質、放射線検出装置、毒ガス発生装置、猫を入れる。放射性物質が原子核崩壊を起こすと放射線を出す。それを検出した装置は信号を毒ガス発生装置に送り毒ガスを発生させる仕組みになっている。

 そこで蓋を閉める。一時間以内に原子核崩壊が起こる確率は50%とする。原子核崩壊はミクロの現象、猫はマクロ。さて、箱の中の猫は死んでいるか? 生きているか? 
 
 コペンハーゲン的に考えれば、猫は半死半生の状態。『重ね合わせ』にあり、蓋を開け人が観測したとたん生死はどちらかに決まるということになる。シュレディンガーはそんな非常識を認めるのか?  と問うているのだ。
 
 箱の中にミクロとマクロが同時に存在し連動している以上ミクロとマクロを切り離して考える、という言い分は通用しない。

 このパラドックスを解く最も有力な仮説というのがヒュー・エレベットが博士論文として著した多世界解釈パラレルワールドであった。簡潔に伸べると宇宙は確率的に枝分かれし、それによって無数の宇宙が同時進行している、という解釈でこれに基づいて考えるとシュレディンガーの猫での不自然は起こらなくなる】

(重ね合わせに多世界解釈……奇妙な話だけど、何となくロマンも感じられる話だよね。可能性のぶんだけの世界、か。――もしも、そんな世界があるなら)
 
 五月は目を伏せる。例えば、母――幸恵が今も生きていられる世界も――? 杳然とした夢想に意識を引き込まれそうになった五月の焦点が教本の上に載せてあったガーベラの栞へと移ろう。そこで、はっとなった五月は断想を振り払うように、かぶりを振る。
 
(……ガーベラの花言葉……お母さんが好きだった言葉。そうだ、私は前に進まなきゃ。そうだよね。お母さん)
 
 五月は頭を切り替えブラックボードに書かれた文字を写していく。

「長くなりましたが、ここまでが量子論の基本的な流れです。そして、コンピューターの心臓部、半導体部品は量子論上に成り立つものなのですが、時間に余裕が無いのでその話は割愛します。ここではミクロの物質が持つ不可解な性質を頭にいれておいて下さい。次に従来のPCと現代のPCの違いについてですが、従来のPCがあらゆる情報を二進数で計算処理を行うのに対し、量子コンピューターは0と1をΔ……無数に用意し並列処理を行うのです。かつてイギリスの物理学者ドイチュが『量子コンピューターが並列処理を行えるのは同時平行して存在する複数の世界で計算が実施させるからだ。つまり量子コンピューターが完成すればそれは多世界解釈の正しさの証拠になる』と言わしめたほどの夢のPC。そんな絶大な演算能力を持った非ノイマン型のコンピューターの開発に着手、完成させたのが――はい、月影くん」
 
「月影圭介が創立した巨大複合企業コングロマリット月影グループってわけだな」
 
「ふふ、簡単すぎましたか? お父上は最高経営責任者ですものね」
 
「……。親父のことは実業家としては認めてやる所だ」
 醒夜は父について言及され眉をひそめ肯定する。
 
(醒夜くんってばまた叔父さんをあんな風に言ってる……。うぅんやっぱり二人には何か確執みたいなものを感じるんだよね。でも本人も語ろうとしないことだし、従兄とはいえなんとなく踏み入りにくい問題だよ……)
 
 五月が勝手に頭を悩ませている間にも清美による解説が継続される。


「月影グループが発見した、素粒子、霊子により此れまで解明出来なかった霊的構造体【スペクター】類の存在が確証付けられる事になりました。月影社の提供により【リビルト】されたファミリア【シンボル】物に宿る神霊【ツクモガミ】等ははその一例ですね。それとは他に霊子にはいくつかの種類が確認されていて、学術用語でいうスピリチュアルエーテルとは人間の精神活動時に生成されるまだ未知の部分の多い【半物質】とも呼ばれる新素粒子です。万事の情報の媒介となり内部、実空間に性質を変えて作用し、情報の伝播を可能とする特質をそなえています。月影グループは霊子の応用技術を確立し今ではその技術は生活のはしはしに影響を与えているのです。その最たるものがサイバースペース【プシコイド】【トランスデューサーポッド】と言えるでしょう。トランスデューサーポッドに収まった人間の体は月影本社の【ブレイン】から送られてきたに信号シグナルよって変化し量子情報レベルで認識され【重ね合わせ】の状態となり、その意識を形成する情報のみが内部空間プシコイド内で収縮されます。この様に物質を量子情報へ変換、物質への再構成を総じて【エンコード技術】というのですが……まぁ、物を情報化し、出し入れするというのは現代を生きる皆さんには馴染み深いものでしょう」
 
 清美がそこまで話終わると、そこで予鈴が鳴り響く。
 
「あら? 終わりですか。もう少し進めたかったのですが。……月影くんの長広舌のせいかしらね?」
 
 との清美のからかいめいた言葉に醒夜が「……短い受け答えを期待するなら他の生徒に発問してくれつーの。俺は一から順序立てて説明しないときがすまないんだ」と応じる。
 
「はいはい、そうして欲しいなら、次からは真面目に授業を受けてくださいね。では皆さん、次の授業はこの続きからとなります」
 
 清美が宣言すると、日直(五月)が起立礼を号令し【SIT 】の授業は終業となった。

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