四季怪々 僕らと黒い噂達

島倉大大主

Final Chapter 3:雪の後ろを歩むもの

 四つ目の雪塊を崩すと、やっぱり烏の死骸が転がり出てきました。思わずそれを爪先で止めます。分厚い長靴越しなので、感触はまったく伝わってこないんです。それ故、モニター越しに遺体の解剖を見ているような、遠い生々しさしか感じない自分がいます。靴先が羽毛を撫で、まだ柔らかい体に少しだけめり込むと、雪で滑って死骸はくるりと半回転しました。首がぐにゃりと伸び、捻じれて瞼が微かに開きました。

 早く家に帰れ! と頭の中で警報がガンガンなりますが、一方で、何が起きているのか見極めて、皆に知らせる義務があるんじゃないか、という、これは今思えば驕りだったのかもしれませんが、そんな感情がぐるぐると渦巻きます。

 息を止め、ゆっくりと姿勢を低くします。寒さの所為か、緊張の所為か、体が鉄みたいに固くて、思うように動いてくれません。それでも体重をかけると膝が思いの外大きく、ぽきんと音を立てました。その音にびくっとなって辺りを見回しました。

 遥か遠くで何かが動いたように思えました。

 しゃがんだまま目を凝らすと、細かい雪が風に巻かれ、やけに大きなつむじ風のような物が一瞬見えました。
 僕は手を伸ばすと、烏の死体を突きました。……柔らかい? ゆっくりと軍手越しに、仄かな暖かさが伝わってきました。テロリストがいる部屋に踏み込んだ映画の主人公が、料理に触れ、そのぬくもりに『まだ近くにいるぞ』と叫ぶシーンが頭に浮かびました。

 僕は立ち上がって周囲を見回します。

 何もない。誰もいない。真っ白な世界。だけど、何かがここに、多分――いや間違いなくいた。
 そいつは欄干にいた烏達を殺して、雪に埋めた。

 しかも、『ついさっき』。

 ぼぞっ。

 弾かれたように振り返る。

 何もない。

 目を凝らす。

 自分の足跡以外、やはり何もない。だけど、確かに音が聞こえた。重い物が雪を押し固める音。

 足音。

 轟々と風が唸り、地吹雪が視界の下半分を奪ってきます。気がつけば、足が寒さ以外の理由で震えています。
 戻るか? でも、音が聞こえた方に行くのは……。なら、橋を渡って、そうだ、確か先に大きな工場があったはず。で、門の所に守衛所があった。あそこに助けを求めよう。
 僕は再び歩き始めました。吹雪の向こうから、欄干が次々と現れ、その下に雪塊が次々と現れます。どれからも羽がはみ出しています。だのに足跡は無い。真っ白で滑らかな雪が平らにどこまでも広がって――

 いや、待て!

 よく見れば、何やら楕円形の跡があります。それはとても浅く、雪面が少し凹んでいる程度ですから、降りしきる雪で見る間に埋まっていってしまうんです。
 だが、確かにある。
 交互に一対。車道の方から、歩道の方へ、間隔は1~2メートルぐらい? 大きさは、僕の長靴よりもやや大きいくらいかな?
 皆さん、これ、見えてますか? と声を落としながら実況し、いつの間にか足を止めていたことに気づき、また歩き出そうとした、その時――

 ぼぞっ。

 音と同時に、目の端に何かがちらりと! 

 さっとそちらを向くと、車道の真ん中にその跡があります。間違いなくさっきまで、そこには無かった。あれは、できたてほやほやだ、とカメラをズーム。すると、風が凪ぎ、視界が広がりました。
 対岸の歩道と欄干が見えます。その前には羽が飛び出している雪塊。更に、幾つもの楕円形の跡と、さっき見た、雪が大きくえぐれたような跡。

 いる。

 今目の前に、そこにいるんだ。
 僕は傘を畳むと、さっと振り返って走り出しました。再び風が吹き、叩きつけてくる雪に顔を伏せ、足を滑らせながら橋を渡りきります。ゆるい下り坂になり、横に鉄柵が復活します。ここを過ぎれば工場の敷地まであと少し!

 ぼぞっ。

 ぼぞっ、ぼぞっ。

 音に振り返れば、見えない『あれ』は遠慮するのを止めたのか、さっきよりも深い楕円形の跡が飛ぶように僕を追ってくる!
 僕は傘を杖がわりにしながら走り続けます。
 風は向かい風で、歩き出してすでに一時間弱。疲れていない、と自分に言い聞かせても足はやはり重く、加えて急激に寒くなってきた気がします。軍手に染み込んだ雪の所為? それとも長靴に穴? 
 いや、ダウンの背中側が寒い! 『あれ』は冷たい! 『あれ』は歩幅が広い! 『あれ』はどんな形なんだろうか? あの雪の上の妙な文様は――
 まさか、烏を埋める為に雪を集めた跡? となると、知能があって、足があって、おまけに『手』もあるのか!
 足元が大きく滑りました。僕は尻餅をつくと、仰向けのまま坂を滑り降ります。視界の上半分、道路側に、強い風で吹き散らされた粉雪が舞いました。
 あれは――

 酷く大きく、縦に長い『形』が空間に浮き上がりました。

 詳細はよく思い出せません。ただ、一瞬で全部を理解できる形をしていなかった、と思います。僕は慌てて起き上がるも、『雪の後ろを歩むもの』は、雪で渦巻く、長い腕と思われるものを振り上げ、僕に掴みかかりました。
 痺れたような僕の体に、不意に熱い物が広がります。ダウンのポケットに入れておいたポットの蓋が外れて、お茶がこぼれていたのです。
 僕の眼前まで迫っていた渦巻く指が、びくりと動きを止めます。僕は何か叫びながら、熱いお茶を『歩むもの』がいると思われる辺りにぶち撒けました。雪面に茶色い染みが広がります。と、甲高い、悲鳴とも風の唸り声ともつかないものが耳に刺さってきました。耳を抑え、はっと気がつくと、辺りはしんしんと雪が降っているのみです。
 ですが、僕の目の前の雪面は乱れに乱れています。カメラを構え、一体どこに消えたのかと周囲を撮りますが、何も映りません。
 今、何が起きたのか? あれはお茶に弱い? いや――僕は出かける前に見たニュースを思いだしました。

 そうだ、間違いない! 

 家に戻って早くネットに対策を――いや、家に帰るまでどのくらいかかるか判らない。なら、今ここで、とスマホを自分に向けると録画を開始しました。

「皆さん、こんにちは。僕は、ついさっき、『雪の後ろを歩むもの』に襲われました。まあ、名前はどうでもいいんですよ。今、雪が降っている地域できっと暴れてる見えない化け物の事です。連中は見えません。でも弱点があります。それは――」

 録画を終えると、丁度アンテナマークが圏外から一本になりました。
 今だ! とばかりにSNSに動画をアップします。ですが、中々、いかない! 重い! こんなにネットが重いなんて初めての経験です。

 クラクションが鳴らされました。

 吃驚して、本当に吃驚して振り返りますと、真っ白い車が道の端でアイドリングしています。運転席には――立浪医師が座っていました。

 ぼぞっ。

 また、どこかであの足音がしました。それは確実に段々と近づいてきます。立浪医師は運転席でニコニコしながら、手招きをし、またもクラクションを鳴らしました。

 車に乗らず、無事に家に帰れるだろうか? 
 車に乗ったら無事に降りられるだろうか? 

 どっちの確立も酷く低いと思いました。
 でも、体は疲れ切っていて、さっきみたいなスピードではもう走れません。お茶も、もうありません。『歩むもの』に追いつかれたら、いや、もう十メートル以内にいると思うのですが、対抗する手段は皆無です。ですが、立浪医師なら、まあ、ワンチャン……。

 ぼぞっと大きい音がすぐ後ろでして、僕は立浪医師の車の助手席に滑り込みました。

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