冷寧である俺は戦争に行かないし、救護手当てもしない。~完結済み~

青篝

また涙した俺は

体育館での練習を終え、
昴達は部室に戻ってきた。
練習終わりの部室は、
男達の汗の臭いで充満する。
梅雨が明け、本格的に夏が
始まろうとしている今の時期は
特に酸っぱい臭いが漂う。

「はぁ~。今日も疲れた~」

背もたれにギシギシともたれかかり、
気だるげな声でそう吐くのは散原だ。
散原のこの言葉を聞くと、
昴は練習が終わった気になる。
散原は練習の後、
必ずこの言葉を口にするのだ。

「決まった言葉で…
決まった感情に…気分…」

「お、おい…桝北がついに
エア友達と話し始めたぞ。
誰か話しかけてやれよ」

「嫌過ぎだろ、怖ぇし」

昴が独りでブツブツ言っていると、
左白と軽追が引く。
いや、昴以外の全員が引いていた。
ただし昴は別にエア友達と
喋っている訳ではない。
誰かの決まり文句、
つまりは合言葉のような物で
気分や気持ちが左右される、
そんな構想を昴は思い付いたのだ。

「こうしちゃいられねぇ…!」

思いついたら忘れない内に即行動。
昴は練習着から
急いで制服に着替えると、
諸々の荷物を引っ掴んで
足早に部室を出ていく。

「そんじゃ、お疲れ」

「おう、お疲れ」

「お疲れ~」

部活が終わった後の
決まり文句を背に聞き、
昴は部室の扉を閉めた。



家に帰った昴は、ノートを広げ、
鞄に入れていた古びた青いペンを握る。

「決まり文句…合言葉…
気分…感情…思い出…」

頭に浮かんだ言葉を
次々とノートに書き写す。
昴は作詞をする時、必ずこの作業をする。
とにかく沢山の言葉を並べ、
その中から気にいった単語や
使えそうなフレーズを選ぶ。
そしてそれらを組み合わせ
文に、文章に、物語にする。
こんな作詞の仕方をするのは、
昴くらいだけだろう。

「…ふぬぅ」

一通りノートに書き写した昴は
ここからどうするか悩んでいた。
せっかくのコラボ企画。
いつも通りやるには勿体なさすぎる。
しかし、慣れないことをして
失敗する訳にもいかない。
それならどうするべきか。
いつも以上のクオリティが
求められることに加え、
それぞれの個性が光るような、
そんな作品にしなければならない。

「ちょっと聴いてみるか」

それぞれの個性を活かすには、
それぞれの特徴を知らねばならない。
中でも最も視点を置くのは、
ボーカル担当の東真だ。
しかし、
そこで昴はスマホを手に取り、
動画アプリを開く。

「東雲小町っと…」

そう検索をかけ、
出てきた画面をスクロールする。
最近話題になっていたからか、
どの動画も再生回数が多い。
中には『ストレリチア』を
大きく上回るものもあった。

「解せんな」

昴は迷わずその動画を再生した。
曲のタイトルは『傲慢な望みでも』。
幸せなはずだった家族が、
父親のDV等によって壊れてしまう。
幸せだったあの日々を
取り戻したい主人公は、
この望みは傲慢なのかと自身に問う。
その歌詞のストーリーも然る事乍らさることながら
昴は東雲小町の歌声に
懐かしいような感覚を覚えた。
ああ、そうか。
この声は、実の母が毎晩のように
俺と葉月に歌ったくれた、
子守唄の時の声に似ている。
いや、似ていると勝手に
思い込んでいるだけかもしれない。
コメント欄を見ると、
昴と同じような錯覚に
陥っている人がたくさんいた。
「幼い頃を思い出した」
「お母さんみたいな声」
「いつの間にか目から汗が…」
このような流行り物には
常にアンチが付きまとうと言うが、
この場にそんな輩はいなかった。

「…あれ?」

気づけば、昴の頬を
一筋の滴が流れていた。
その涙は一粒二粒と流れ落ち、
静かな川のようにすぅっと昴の頬を滴る。
東雲小町の歌声のせいか、
歌詞の繊細さのせいか、
ストーリーに自身の過去を
重ねてしまったからか、
はたまたその全てか。
昴は流れる涙を止められず、
しばらく同じ曲を
ずっとリピートしていた。
こんなにも泣いたのは、
朱空が死んで以来だった。

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