インペリウム『皇国物語』

funky45

91話 星々の欠片

 宿場に戻ってきたシェイドはどっと疲れた様子を見せて重い足取りで階段を上っていく。カブスには「子供の癖に疲れた中年みたいな顔をするな」と言われ、口を尖らせている。外では兵達が装備を固めて次の襲撃へ備えるが恐らく今夜辺りに押し寄せてくるとは分かっていた。持ちこたえられるかは不明だが議会の場で領主ブレジステンの話していたことを頼りにするしかなかった。

 部屋へ戻るとロゼットはすでに起き上がっており、頬に大きなガーゼを貼り付けて大きく丸い瞳を見せて彼の帰りに応える。

「おかえり。どうだった?」

「話はついたよ。知事も承認したし、領主の判断で援軍も到着するみたいだからね」

「えっと…領主ってことは……え、大旦那様が?」

 彼女にとっては派遣されてきたハウスキーパーとしての立場なので主従関係なのは致し方ないこと。ドラストニアの一皇女、しかも国王になる人間が国内のたかだか領主一人相手に『主』と呼ぶ状況がシェイドには滑稽に見えたらしい。

 含み笑いを浮かべてから、概要は食事を済ませてから簡単に話すと彼は伝えて、食堂へ向かうよう誘う。

 彼女の手を取った時、ロゼットの掌がボロボロで皮膚も少し堅い肌触りだったことに少しの間握り続けるシェイド。ロゼットが少し困惑しながら食堂に行かないのかと訊ねる。

「……ごめん。お前のこと…何も守ってあげられなくて」

「え?」

 雷雨の中の逃亡。クルス教徒の手練だったナーヴに一方的に付けられた彼女の傷跡を見て己の力の無さを噛み締める。ロゼットはボロボロになりながらもシェイドには付いていけない剣術で戦っていた。それに対して自身は魔力もなければ剣術でもロゼットに遠く及ばない。自身の役割を分かっていてもせいぜい時間稼ぎが良いところ。

 ただ男としての意地で彼女を守りたかったという気持ちが強かった。自分の力で―…。

 ロゼットは彼の顔を覗きこんで彼の頬を両手で支えながら静かに強い言葉を投げかける。

「自分の出来る事をやるだけ…なんでしょ? だったらそれはきっとシェイド君のすべきことじゃなかったんだよ」

「男の子ってそういうところあるよね…。女の子の前で格好付けたいっていうの」

「でも…それが出来るのも男の子なんだよね」

 珍しく元気のない少年に今度はロゼットが元気付けるように言い放つ。困ったように笑うシェイドは「格好悪かったけどな」と答えたが即座に彼女は「格好悪くなんかない」とはっきりと否定した。

「どんなにピンチでも…助けてくれようとしてくれたシェイド君を格好悪いだなんて思わない」

「私には…格好良いヒーローに見えたもん」

 強い真っ直ぐな目を向けるロゼット。いつになく真剣な目で自身の勇姿を語る彼女に豆鉄砲でも食らったようにシェイドはその場で止まっていた。ロゼットはそのまま自室を出て日差しの中へと消えていったがシェイドは一人ポツリと―…。

「だから…守りたくなるんだよ」

 一室の中で彼の呟きが響き、時はあっという間に魔物との戦いへと流れていく。


 ◇


 夕暮れ時、物資搬入が滞りなく行われ、後は出陣を待つのみとなった。作戦の最終確認を行ない、各々持ち場につき食事にありつこうとする時。兵達は静寂に包まれゆく中でひと時の安らぎを堪能していた。

 彼女がふと陣に目をやるとから歩いてゆくラインズとセバスの姿を目撃する。この作戦自体、作戦会議の場で初対面だったシルヴィアが考案したものを採用したことにイヴは少なからず疑問を感じており、彼に直接伺い立てようと駆け寄って行ったそのときであった。

「皇子殿下! 失礼を承知で申し上げます。すぐに皇女殿下の救援へと向かうことをお許しください!」

「無茶を言うなよ…。向こうには皇女が直々に選出した人材が側にいる。それにお前の役割はこの国の民のためだろう。お前の領地の住民も被害に遭うかも知れない瀬戸際にその住民を置いていくことが領主のすることか?」

「ですが…王家をお守りすることも我々の使命では…!」

 何名もの武家出身と思われる軍人が彼に直談判していた。彼らはおそらく長老派というよりはイヴの目にはシャーナル自身の派閥の人間と映る。

「シャーナル皇女の…救援…?」

 イヴも彼らの話をその場で聞き入っている。その影からポットンが今度はラインズ達の元へとやって来た。

「失礼致します。皇子殿下、配置は完了致しました。それから皇女殿下の救援にはこちらから斡旋いたしました」

 彼がそう言うと武家の軍人は一斉彼に詰め寄る。どうやらガザレリアからも距離の近い場所の領地を収める知事に依頼し軍を派兵した模様。ほとんど接点のない、ましてや南の辺境のミスティアの領主の息子でしかない子供に面子を潰されたと思ったのか軍人の一人は胸倉を掴んだ。決戦前での刃傷沙汰に発展させては士気の低下を招くとしてイヴは胸倉を掴む男の手を掴んで制止。

「今は与えられた命を忠実にこなすべきではございませんか?」

「他所の国の人間は黙っていてもらおうか」

「今は私もこの国で任を全うする一個人です…」

 イヴの手に力が入る。とても女性のものとは思えない握力に軍人は顔をゆがませて手を離す。しかしそれでも納得している様子ではない軍人達は今度は分散させてでも救出に向かわせて欲しいと懇願する。しかし他国の王女に対して働いた非礼にラインズは謝罪するように軍人に促し謝罪させるだけだった。彼らは
 納得できなかったが持ち場に着くようにその場を立ち去っていく。

 だがラインズは命も下していないのに派兵を他の地域へ依頼した点に関してはポットンを咎めた。ポットンも独断で先行したことに関しては謝罪するが、シャーナルが実質行方不明であるということを独自の情報網で握っていたようでそのことを突かれるとラインズも黙するしかなかった。

「勝手であったことは十分に承知しておりますが、出来る事なら皇子殿下も彼女の派閥勢力に勢いが増すことは避けたいとお考えだったのでは?」

「そんなことはないさ、国に尽くしてくれるならどんな勢力でも構わないよ。『ドラストニア』に尽くしてくれるなら…な」

 ラインズの言葉に含まれた意味。ポットンも察してなのかそれ以上は言及せずに今度は自身の要求を徐に話し出す。

「皇子殿下、今回の作戦、やはり先行部隊には我々の手の者も加えていただきたいのですが…」

 ポットンがラインズに直談判で部隊編成の変更を願い出ていた。クルス教の人間である彼らが先行部隊に加わるのは、正規の軍人である先ほどの武家やドラストニア軍にとっても良いとは言えない。大方今回の功績で躍進を目指しているのだろうが、それは恐らくドラストニアのためのものではない。彼らの思想信条、あくまで『クルス教』としての信仰のためでしかない。

 子供とはいえ、ラインズとも歳が近いために彼も一蹴までは出来なかった。その上、彼は今回の魔物討伐で実績は非常に高く、ミスティアにおいても部隊を率いて多くを討伐していた。そのことを軽視し、クルス教だからという理由で排斥することも出来ないため条件を加えて彼の反応をみるという対応を取った。

「志願してくれるのは大いに感謝しますよ。ただ条件として指揮を執っている貴方が部隊から離れることは出来れば避けたいので、後方支援の榴弾砲で指揮官という立場でいて欲しい」

「部隊指揮官として手腕を振るっていたそうだし、そのほうが士気の低下も避けられるでしょう。そちらから人員を選出して欲しい」

 ポットンはラインズの条件を快諾、すぐさま編成部隊を組むために持ち場へと戻っていく。イヴが終止やり取りを見ていたことに気づくと彼女の方を見てウインクをして見せた。彼女は表情一つ変えず事後報告と今後を伺い立てる。

「こちらも配置は完了しております。現在待機中でいつでも戦闘可能です」

「あんた達は後方支援だからドカドカ榴弾砲を打ち続けてくれ。出来る事なら接近して直接戦闘なんて避けたいからな。被害を増やしたくない」

 嫌味を言われたのかとイヴは少し不機嫌な表情へと変わる。彼女の率いている部隊も寄せ集めの人員にドラストニアの兵力二千程度の榴弾砲主軸の支援部隊。ほとんどが大砲、マスケット等の兵ばかりでイヴのように先陣を切って剣を振るう兵科ではない。彼女としても不得手とまではいかなくとも経験の浅い支援部隊としての戦闘は初の実戦。緊張はないがどのように立ち振る舞うべきか、考えさせられる局面に本当のところはラインズから助言を受けたかったのかもしれない。

「私たちは後方からの支援だけで宜しいのですか?」

「ああ、実際指揮を執るのは初めてだったな」

 彼女は静かに頷く。だが、ラインズ自身も大部隊を率いての戦場はこれが始めてであった。

「あんたはグレトンと一度遣り合ってるだろうし、俺は戦闘に関してはルーキーだから支援部隊の指揮権はあんたに一任するよ」

「え…? けれどそれではさきほど…彼は納得しないのでは?」

「あの宗教家に一任できると思うか? いくら魔物と戦闘経験あっても正規の軍人じゃないし、こういう場でも肩書きはある程度必要だろう?」

 イヴは表情を曇らせる。肩書きだけの置物としてならすでに『姫』という立場でも同じこと。ここでもそれを演じなければならないこと、自分の弱さに唇を噛み締める。

 しかしラインズが言った事はそういう意味ではなかった。彼女の実力も認めているからこそ、指揮官として臨んで欲しいということだった。

「悔しく思うなら、この場で証明してやれば良い。軍人である以上あんたの言葉ならウチの軍の人間も従う。俺はあんたみたいに芸達者じゃないからな」

 イヴの肩に手を乗せて励ますとそのまま陣へと戻っていく。結局シルヴィアのことに関して言及は出来ずに置かれた肩に手を当てて、拳を握り締めると彼女の曇っていた表情は決意のものへと変わり、強く踏みしめて持ち場へと戻っていく。

 彼女もまた己の成すべき事を成し遂げるために―…。

 そして―…ふと夜空を見上げると黒い影が飛び立っていく。

「あれは…ドラゴン…?」


 ◇


 日の光はあっという間に駆けてゆき、日の入りを迎えて徐々に城壁外で魔物の姿が散見されるようになった。手薄い北部に最も警戒網を敷いてそれぞれ東西に手堅く兵力を置いている。

 夕暮れ時となってようやく援軍としてやってきた傭兵部隊が続々と到着し、その数は二千を超えていた。この近辺でも名の知れた傭兵が集い魔物との交戦経験も豊富な猛者たちが目立っていた。その様子を城壁から見ていたシェイドと少女二人組。

「こんな名の知れた連中をかき集められるなんてあの、領主大したもんだな」

「そんなに凄いの?」

 ロゼットは首傾げて彼に訊ねると少し興奮気味に話し出す。十数年、東の地方で『吸血病』という病は流行した際にアンデッドと化した魔物と人間の撃退討伐を行なった際の傭兵達が彼らの中に紛れていたという。現在の魔物襲撃の規模ほどではなかったが人間さえも感染させてしまう恐るべき感染力を恐れ当時は焼却以外に手段がなかったため食い止めることで精一杯であった。

 そんな状況の中で食い止める事に成功し、感染の拡大を断ち切ったことで有名になったと話す。

「感染拡大を阻止するにしても彼らの力だけでなく医者の力も必要だったからね。ただ医者に関しては当時の記録では名前までは記載されていなかったけど。傭兵達は表彰されるほどに英雄視されて中には正規軍に登用されるものもいたからね」

「『吸血病』かぁ…なんかゾンビみたいで怖いね。どっちかといえば吸血鬼なんだろうけど」

 ただ最も貢献した医者の名前が記されていなかったことに疑問を呈するとシェイドからは「色んな国が引き抜くことに躍起だった」と答えたことで察していた。

 戦力が続々と揃い、役場の正面入り口ではブレジステンとラムザが話しこんでいた。

「しかし、彼らを集めたと議会の場でおっしゃられた時は驚きました」

「知事に仕事を押し付けてしまっておりましたから…まさかこのような事態になるとは」

 ブレジステンは魔物の襲撃のことも含めていたが彼にとっての大きな誤算はクルス教が勢力を増して、より過激さを増したことにあった。危険な因子を僅かに含んでいるだけでも、きっかけとなることが起こってしまえばそれに歯止めをかけることは困難。しかもミスティアにやって来たナーヴとヒュケインは相当過激な思想の持ち主。

 悪く言えば狂信者だ―…。

 結局、彼らとも話し合いは平行線を辿り彼らは別で行動を行なうというもので、都市部から離れた場所に野営地を仮設していたためそこを陣とし、一応『援護』という名目で今回の防衛に参加する模様。

「人間とは自分の信ずるものを否定する者には敵意が生まれるように、共通の認識はあれど相容れぬ存在というものは絶対に存在してしまいます」

 そこにどう折り合いを付けていくかが人間である。端的に言えば理解し合うというよりも結局のところ譲歩する事でしか和解は出来ない。双方どちらにもそれが欠けてしまえば争い、『戦争』へと繋がる。

「今まさに危機に瀕するという時に戦争を起こしてしまうのが『人間』…ですか」

 ブレジステンは少し虚しくもやりきれない表情で夜空を見上げる。

「ええ、ですがそれを阻止しようとすることが出来るのも『人間』…ですよ」

 ラムザは続けて彼の言葉に被せる。自身の信ずるものが正しいと誰にも言えない。答えなどない中でも人間は前と進んでいかなければならない。

「人間とは―…どうしてこうも…愚かに出来ているのでしょうか…」

 ブレジステンはため息をついて嘆く。こんなにもエゴにまみれた人間が地上の支配者として我が物顔で君臨していることに哀れみさえも見せるように。だが彼の嘆きに対して放ったラムザの『意志』は意外なものであった。

「私はそうは思いませんよ」

 彼の言葉とは全く異なる。互いに同調し合っていたかのように思えたものだが彼の答えはそうでない。

「確かに理解するということは容易なものではありません。自己があり続ける限り全ての人類が理解し合うなど不可能とさえ」

「だが私はそれでのだとも思うのですよ」

 ラムザの言葉にブレジステンは疑問符を浮かべる。理解し合える存在と互いの考えを共有できること。それが広まればやがて人から争いはなくなるだろう。

「意思を共有し、意思を一つへと変えていく。確かに紛争、戦争といったものはなくなるでしょう」

「―…しかし、同時に『競争』もなくしてしまうということになりませんか? そこに果たして『次のステージ』というものは訪れるのでしょうか?」

 ラムザの素朴な疑問。それは争いをなくしてしまえば互いが考えや意思を共有し合う。全く異なる性質を持つもの同士であっても同じだということ。全てを一緒くたに変えてしまうのだ。

「同時に異なる考えは排除されて、共通の認識だとしてあたかも自分達の意思だと思いこんでいく。そうなるためには中心となる思想が必ず存在する」

「果たしてそこに『個人の意志』とはあるのでしょうか?」

 一つを共有・共用し合うものがやがて『強要』と『強制』へと変わる。どんな思いで生まれ出たとしてもそこから外れたものはどう扱われるだろうか―…。これまでの人類の足跡を見渡せば答えなど簡単に出る。

「これまで有史以来、王が重税を強いて、重労働を強制し、国のために尽くせと洗脳する『独裁者』とどう違いがあるというのでしょう。自分達の信ずるものだけを広めようとする者達と―…どう違いがあるというのでしょうか?」

 ブレジステンは彼の言葉と考え方の異なるものに対して問いかける。

「意思を一つにしていくということは…愚かであると。そうおっしゃられるのですか?」

「考え方の一つとしてあるべきというだけの話ですよ。同じものばかりになってしまってはこうして意見を交える事も出来ませんからね」

 ブレジステンは気づかされたかのように表情を変えて、考えを改めようとする。だがそれもおそらくラムザは肯定はしないだろう。彼はブレジステンに自身の考えに染まることを望んでもいないし、ましてやそれでは結局同じことでしかないのだから。

 あくまで彼はブレジステンにも個人の意思を持ち続けて欲しいというものが望みであるからだ。

「確かにラムザ殿おっしゃる通りかもしれませんね…。人から意思を奪うということは誰にも許されるべき事ではない。意思を持って生きていくことの難しさを痛感させられます」

 悲哀の表情を見せるブレジステンの横でラムザは笑顔を見せた。

「命は生きるという『責務』を与えられ、生きるという『自由』も手にする―…。私はそう考えています」

 その言葉を残して夜風と共に彼は立ち去っていった。彼の後ろ姿をただ目で追うことしか出来ず、暗雲の切れ目から見え隠れする月光を見つめる姿に哀愁が漂った。

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