インペリウム『皇国物語』

funky45

86話 Escape

 ミスティアの都市はすっかりと雨と水の都へと変貌し、空は曇天。町の雰囲気も以前とは違いスラム街のような重苦しい空気が漂う。そんな空気の中で住民もまるで影に隠れるような生活を強いられているかのように自宅に篭りっきり。水音が滴る中、何名もの武装した傭兵紛いの格好をした人物たちがなにやら物々しい様子で『巡回』している。

「そっちはどうだ?」

「鼠一匹見やしない。問題は保全派の連中だがどうする?」

「ブレジステンの若旦那が言ってただろ。『一人も残すな』と」

「見つけ次第捕まえて投獄しろ、第一区域のは終わったからな」

 その様子を宿屋の窓から覗う金色の髪の青年、行商人のラムザ。彼らの話す内容もなにかしら理解しているといった様子。

「あちゃー…取引する相手間違えちゃったかなぁ。ドラストニアが勢力図を書き換えてくれる事に期待してたんだけど。まぁこれはこれでアリかな」

 一人事を話している彼の元へ、扉がノックされる。入ってきたのは以前ミスティアの社交場にいたあの屈強な男だ。険しく渋い声とは裏腹に丁寧な口調でラムザへと報告を行う。

「案の定クルス教徒です。兵器自体、『前世紀』の代物の上、ほとんどはドラストニアの軍に配備されておりますので憂慮の必要はさほどないと思われますが」

「カメリアは?」

「…はっ…偵察に出ておりますが…」

「違うだろ?」

 彼は彼女のことを良く知る。それゆえに彼女の行動も把握している。男も隠し通せないと思ったのか、少し溜め息をつき呆れた様子で「…雨に当たりに行っております」と答えた。

「そうか…ならそっとしておいてあげてくれ」

 ラムザは彼女の自由を許すも男の方はというとそうでもない様子。小言を言ったところで彼女の性格が変わるわけでもないのだがラムザに付き従うからにはを全うして欲しいものだと心のなかで呟く。

 轟音と共に閃光が走り、雨雲から落ち行く雫の勢いが増す中で宿屋の屋根で天を仰ぐように目を閉じて雨水を浴びる。ブロンドの髪の毛も濡れて雫が伝うと濡れた洋服へと染み込む。どこか浮世離れした雰囲気が漂う女性。

 彼女の『目』には周囲の雨が遅く感じるのかまるで止まって見えてくる。音も無音でただ自身の鼓動音を静かに感じ取る。明鏡止水の如く、周囲の感じられるもの全てを彼女の感覚は捉えていく。髪の毛を振り下ろすように勢いよく首を立てに振ると静かに目を開いて―…。

「そろそろね…」

 微かに聞こえてきた子供達の声を聞き分けて、その方角へと目線を向けた。



 同時にロゼット、シェイド、シンシアは都市から抜け出して王都へ戻ろうと行動に移していた。しかし先ほどから何度も武装組織の巡回と出くわし、鉢合わせにならないよう物影に隠れてやり過ごすことを繰り返す。息を潜めた命がけのかくれんぼだった。

「さっきからなんなの…なんで見回りなんて」

「魔物の殲滅を目的とした過激派かな…。でもなんで彼らが仕切っているのか、派兵されたにしても軍の人間がいないわけじゃないはず」

 確かに都市に入り込んだ際には守衛はドラストニアの正規軍だったが、都市内部に入り込んでからはあの私設武装組織が指揮を執っている。いや―…もっと言い方を変えれば支配しているといって差し支えない。魔物掃討作戦にほとんどの兵力が駆り出されていたにしても彼らが我が物顔で支配していることには何か理由があるはず。

「あの人達、突然やって来て…『魔物は全て邪悪なる地獄の使い』って叫びながら、牧場一帯を…。酷すぎるよあの人達、頭おかしいよ」

「クルス教徒か……まぁ納得はしたよ。連中は『人間唯一論』を唱えて、トチ狂ってるカルト宗教と実際変わらない」

 シェイドの言っていた『人間唯一論』はクルス教徒の教典に出てくる用語の一つ。人間以外のものを『蛇』が呼び寄せた悪魔とし、人間だけが彼らの信じる神に救いを求め許しを請うことができる。だからそれ以外のものは有象無象に『悪魔』という考えから来ているのだとか。

「人間の言葉を話すことが出来ないから…?」

「どうかな…? どうしてそんな捻じ曲がった考えを持てるのか、俺は信者じゃないから知らないし理解したくもないね」

 三人は警戒しつつ下水路へと侵入を試みる。路地裏を歩いていてもいずれ見つかってしまうだろう、ならば少しでも時間を稼げるように下水路から近道をしていくほうが確実性と安全面を考慮した結果だ。とは言っても安全の面では少々不安ではあるのだが―…それでも行くしかなかった。特にロゼットは…。

 彼女が抱える小さな命も魔物であることには変わりない。彼らに見つかればどうなってしまうかなど容易に想像できる。そんな恐ろしい想像を頭の中でしてしまうが気にしないようにと別の事を必死で考えながらロゼットは重い足を運ばせる。

「思ったより暗いな…」

「電気なんてないよね…?」

 二人が足を止めて話している横でロゼットは「ちょっと待って」と言って手をかざす。澄華をシンシアに預けて彼女は左手に意識を集中させていると、灯火のような明かりを放つ。シンシアは驚き、シェイドは以前見たことのある彼女が使っていた火炎魔法を思い出していた。

「あれから練習したの?」

「ちょ、ちょっとだけ…ただそんなに長くは続けられないかも」

 少し疲れた様子を見せるロゼット。素人魔法の『灯火』といえど今のロゼットに制御できる唯一の魔法で展開し続けるには当然維持するための魔力を使い続ける。

「ヴェルちゃん…魔法使えたの…?」

 シンシアに少しだけ得意気な笑顔で頷くが、どこかやせ我慢しているような表情も入り混じっている。蓄積した疲労も相まって彼女の体力が続く限りでしか灯火することはできない。澄華は楽しんでいるのか彼女の灯火魔法を見て短い鳴声を上げて喜んでいる。

「とうの本人は楽しんで気楽なもんだよ」

「せめて…油かなんかあればいんだけどこんなところにはないか…」

 シェイドとロゼットが先頭に立ち、シンシアが後ろに下がる。何かが出てきたときのために戦闘が出来るのも二人で、灯火で周囲を照らさなければならないこいともあるが、戦闘経験がこの中でも豊富なロゼットならば敵の接近そのものに勘付けるのではないかとの判断。

「そこまで私の感覚をアテにされても…」

「逃げ足は早やそうじゃん」

「いや…まぁ確かに逃げるのは得意だけど…」

 否定はしないがどうも釈然としないといった表情で頬を膨らませる。二人の会話を聞いていて不思議そうに見つめているシンシア。二人の関係がどうもイマイチよく分からずにいた。

 ロゼットは有識者の出身といえど相手は公爵で他国を治める代表。そんな相手に対してこんなに気さくに話しかけることが出来る彼女の度胸もそうだがいろんな意味でどこか世間離れしているところに常々彼女は胸中で疑問に思っていた。

「シンシアさんっ!」

 ロゼットの潜めた声に驚いて反応が遅れるも、腕を引かれて物影に隠れる。何事かと思い彼らの方を見ていると角からなにやら明かりのようなものが見え、誰かの話し声も入り混じる。

「こんなところの駆除までやらされるのかよ」

「しょーがねぇ、教典もあるし、文句ならこんなところに巣くう『鼠』共にぶちまけるぞ」

 地下の下水路まで巡回の手が回っているとなるとモタモタしている場合ではない。丁度隠れた物陰に梯子がありそこから今すぐにでも地上へ上がる判断を下して上っていく。どこに出るかは分からないがそれでも暗闇の地下で不意打ちを食らうよりは地上の方が幾分かマシである事には違いない。それに見つかるリスクも上がるが逃げ場の限られる地下よりは逃げ道の確保に長けている。

 頭上のマンホールと思しき蓋を二人ががりで開けてると裏通りへと出て安全確保をした後に駆け上がったシェイドはすぐにロゼットへ手を伸ばす。ロゼットを引き上げてからすぐに彼女はシンシアから澄華を受け取るが―…すぐ近くに巡回と思わしき人物たちの話し声が響くように聞こえてくる。

 声の大きさから距離的に十数メートルもない―…。

 近付いてくる足音の数から三人はいると確認できる。

「シェイド君はシンシアさんを引き上げたら澄華連れて逃げて…!」

「馬鹿っ…出来るわけないだろ!?」

「私が時間を稼ぐからっ…」

 覚悟を決めてロゼットは澄華を下ろして剣を構えた―…。



「おい! そこで何してる!?」



 シェイドとシンシアも目を閉じて覚悟を決めたが、声は思わぬ相手に向けられていた。

「ん―…何か? こんな日でも巡回とは熱心ですね…。雨の中ご苦労様です」

 声の主は巡回している三人に向かって歩いてゆく。丁度こちらの路地を塞ぐ形で右から歩いてきて一瞬だけこちらを見てそのまま歩みを止めた。

「何をしていた?」

「何もしてませんよ。ただ散歩をしていただけなんだがな」

(あの人…役場で)

 男はロゼットが盗み聞きをしていた時に出会った役人だ。彼に見つかるのも十分に危険だというものの彼はただロゼットのを方を見ただけに過ぎなかった。澄華も目に付いて下手をすればそのまま捕らえられてしまってもおかしくない状況だった。

「外出禁止令を出したはずだがな」

「おかしいな、そんな法令は役所からは出ていないが?」

「我々が出して住民はみな従っているぞ」

「それはあんたらが脅してやらせているだけだろ」

 しかしなにやら彼らの様子がおかしい。役人の主張は彼らが勝手に行なっていることであって、関知しているものではないとのこと。一方で彼らは一方的な意見をあたかも法令とだと言わんばかりに捲くし立てて、仕舞いには役人を罵るような罵声を浴びせるだけの何の理もない。

 匂わせるようなものはあったが、本当に武力を背景にしているとはシェイドも想像していなかった。あくまで役所ぐるみのことなのだと考えていたがどうも単純な話ではないようだ。

「いいか、お役人さん。あんたを異教徒として吊るし上げる事だって出来るんだぞ。大人しく教典に従う、俺たちを見たら今度からはそうするんだな」

 その脅しようはまるで賊か何かと聞き間違うようなものだ。とても聖職者の表現とは思えないもの。それに怯むことなく役人も白けた表情で淡々と毒を吐く。

「悪いが聖書も持ち合わせていないからその教典とやらがなんなのかさっぱりわからんし興味もない。崇拝のごっこ遊びをやりたいなら…教会に行って懺悔でもしてくるんだな」

 彼らの間で漂う一触即発の空気。ロゼット達は固唾を飲んでその場で身を潜めるしかなかった。交戦ともなれば彼女も戦う覚悟で剣を構えるがシェイドに止められる。

『余計な手出しはするな』と声を潜めて聞こえるように耳元でわざわざ訴える。


 だがそんな憂慮も空振るように彼らの元へと届く声。

「第二区域で魔物が発見された! かなりの数だからすぐに応援に来てくれ!」

「ちっ…運が良かったな役人さん」

 三人は捨て台詞を吐いてその場を後にした。ロゼット達も安堵してその場でへたり込む。見つかっていたら間違いなく命はなかっただろうが、一番の本人は首を傾げてへたり込んでいる三人を不思議そうに見つめていた。

「おい」

 安堵したのも束の間で役人の呼びかけに身体をビクつかせて彼に視線を合わせると、「付いて来い」と言わんばかりに首で合図を送ってくる。三人は顔を合わせて警戒しつつも、他に逃げ道を知らぬ彼らは後を付いていくことにした。

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