インペリウム『皇国物語』

funky45

79話 責務を果たす声

 合同会談が開かれ、静寂な夜に包まれている周辺とは対照的にドラストニア王都は賑わっている。一日中お祭り騒ぎのように人々は賑わい、王宮でもさながら社交会の様相で各国の要人達は各々の自身の繋がりを広めるための交流を行っている。特に長老派は各国に手を広げ、支持を得ようと躍起になっている様をラインズはバルコニーから眺めている。


 たまたま見かけただけなので本人としてもどうにかするつもりもなくただ見ているだけで本来の目的は別にあった。首脳陣との親睦を深めてきたセバスが彼の元へと戻り、報告がてらに料理を運んできた。


「お食事は取られましたか? 親睦会が開始されてからお姿が見えなくなりましたので」


「心配しなくてもたらふく食ったよ。会談は順調だが長老派はどうするつもりなのか、ちょっと見物だな」


 グラスを片手に酔っているのか小馬鹿にするような物言いで彼の持ってきた皿を手すりに置いて眺めている。来賓としてやって来ていた貴族や王家に縁のある美女を見てセバスに品定めするような話を持ちかけたりと、らしいといえばらしいのだが何処か不自然なものを感じる。


「先ほど、報せを持った飛竜が二頭ほど」


「ああ、知ってる。紫苑が知らせてきた」


 彼の反応を見るに内容も知っているのだろう。こういう状況でも冷静でいるのは彼らしいが端から見れば冷淡。彼も王位継承者である以上、ロゼットやシャーナルの存在がどのように映って見えるのか、自身の王位継承は望んでいないが着々と権威を集中させ地盤を固めているのは先代国王の意志、もといロゼットが王位継承するためのもの。


 体裁上はそうである…―が彼が心底では何を考えているのかセバスにも分からない。そもそもこんな時期、状況下でロゼットをわざわざ慣わし通りにハウスキーパーとして送り込むこともいささか疑問が残る。シャーナルに危険を冒さしてまでガザレリアへ送り込んだこと、その彼女達からの連絡もないことは彼の疑念を一層強める要素としては十分過ぎる。一連のラインズの動き、セバスの目にもどう映っていたのか想像に難しくないが、自身までもが彼を疑うようになっては国王派の根幹を揺るがす。おそらくこれもラインズの想定の範疇ではあるのだろう、セバスは口を閉ざすしかない。


 ロゼットの行方不明。王宮内の国王派に知られることとなれば会談どころの話ではなくなってしまう。ラインズも内密に数千ほどの捜索隊を派遣はしたが実際発見できる希望は薄い。セバスにとってロゼットの身は誰よりも案ずる立場にあるが軍の総動員での捜索も気が進まない様子。というのも現状ドラストニアより南に位置するビレフとベスパルティアの二国間で領土問題による紛争が勃発している。そんな中でドラストニア軍が動きを見せれば彼らに下手な刺激を与えかねない。ロゼットが国王だと正体が知られるきっかけを作ってしまう。


 彼女の正体を隠しつつ、軍を動かす方法が取れるならば取っているがそれも難しい。そもそも彼女の生存確認が困難な上、捜索も何もあったものではない。再び王位継承のための紛争が国内で勃発する可能性も考えられる。やっと安定がもたらされ、諸外国との国交も回復しつつある。そんな中での今回の問題という。


「イヴ王女はよくやってくれてる。彼女のせいじゃない。まさかブレジステンの邸宅でクルス教徒がいたとはな」


「なぜクルス教徒が関与してると…?」


 グラスを少し傾けて、ラインズは不敵な笑みを溢しながら魔物の討伐を王都へ要請してきた組織の事を話し出す。確かに魔物の被害が広がりつつあったので他の住民からも依頼は多かったが、討伐だけでなく軍による殲滅戦などかなり過激な内容で要請してきているものも散見された。そのほとんどがある人物達の要請だというのを理解しているからだ。


 イヴの性格上ロゼットを参加させることなどまず考えられない、とするならば預けていたブレジステン邸の人物の推薦か、何らかの形で彼女の剣術、もしくは魔力を知られたために戦力として投入された可能性が高いと見ていた。良識ある人物がいくら剣術に長けているとはいえそのような幼子をかり出すなんてことをまずありえないし、ましてや王宮のハウスキーパーを連れ出すなどとても常人の考え方ではない。


「王女でも今の立場としては実質従軍なわけだし、イヴも強く抗議に出られる立場じゃなかった。やむを得ず彼女も同行することになったと…考えるのが妥当じゃないか?」


「見識あるブレジステン殿がそのようなことを…」


「いや、当人は当主じゃないな。送り込んでから思い出したんだがブレジステンは確か再婚したばかりだったな。もしかするとその親族辺りが今回の発端かもしれん」


 ラインズの推測は鋭く、実際その息子のポットンが原因ではあった。可能性がないとは思えなかったがまさかロゼットを魔物討伐に連れ出すとまでは読んではいなかったためにこの事態は完全に予想外であった。送り出したラインズにも責任の目が向けられるような問題でもあるが預かったのはブレジステンであって、その責任も彼にある。たとえ身内の強行であったとしても免れられるものではない。


 ラインズはセバスのグラスに酒を注ぎながら続ける。


「こっちの大局も見て欲しいが、地方は地方で自分達のことを考えることしかしようともしないからな」


 セバスは眉を少しだけ上げ、グラスの中身を口に含む。そういう割には軍を動かすことに対して抵抗があるような素振りはないのだ。むしろ動かすことさえやぶさかではない様子。彼の察する態度に気づいたラインズが酔った勢いで彼の内心を突く。


「俺がお嬢様方を暗殺しようとか考えてるとでも思ったか?」


 少し黙った後、セバスが口を開く。


「今回の動きで多少の疑念はございましたが、わざわざ国が乱れるようなことを皇子殿下ともある者が行うとは思えませんな。ロゼット様を送り込んだ理由がいささか解せませぬが」


 それは淡々としたもので焦りも慌てぶりもない至って平静。彼の言葉にラインズも観念したのか本音を漏らす。ロゼットの件は完全に予想外の出来事、雨季の魔物が活性化することでむしろ外へ出歩く機会は損なわれると考えたからこそこの時期でもよいと判断したと話す。セバスも彼を信頼して仕えているからこそ、そこに完璧を求めてしまう。だが考えてみれば彼も人間であって完璧な存在とは到底呼べない。自身もそうであるように誰かの支えと助け無しでは成り立たないのだ。


「この四カ国の関係も同じことだ。何処か一つの国だけで全てが成り立つわけじゃない。それぞれに強みがあるからこそ成り立つ関係。バランスを保っているから成り立つ」


 ラインズに対する疑念、それらの非礼を詫びて彼は頭を下げる。彼は左右に軽く手を振って止めるような仕草を見せて、空になったセバスのグラスに酒を注いだが彼らの平穏を崩す声が舞い込んでくる。


「殿下!! し、失礼致します。至急会議室へおいでください!」


 彼らは何事かと、伝言に来た高官に訊ねるがそれは想像もしていなかった内容であった。




 ◇




「ん…こ、ここは…?」


 そこは雷雨もなく、闇夜の空に星々と月の輝きが誇っていた。長い間見てなかったような感覚、少しだけ堅い感触を覚えて大きなあくびをしながら眠っていた場所を寝やすい形に整えるように叩いて、再び眠りに就こうと身体を横にする。


 少し横になった後、突然頭が冴えて先ほどまで目にしていたものを思い出したかのように飛び起きる。体を少し身震いさせて自分が眠っていた場所に驚嘆する。漏れ出る声を手で抑えて、目を丸くしながら寝床を凝視していた。あの時光の中から出てきた正体には違いないのだが想像からあまりにもかけ離れており、それは本来邪悪な存在として語られていたものだったからだ。


 爬虫類のようなきめ細かな鱗に鋭く大きな爪。後頭部からは大きな二本の角から枝分かれするように角の突起があり、自分が見たことある動物など比べ物にならないほどの巨体を誇る。その造形は郵便用の飛竜のようではなく手足が生え、巨大な翼を背中から生やしており正しくその名に相応しい見た目。十メートルいや全長で考えれば二十メートル以上はあろうその黒色で筋肉質の身体つきは正に御伽話に出てくる『それ』であった。


「ど、ど、ドラゴン…!?」


 極力声を抑えたものの素っ頓狂な声が指の間から零れる。背を向けたら襲われてしまうと本能的に思い、ドラゴンと思しき黒い生物から目を離さないように後ずさりしていくが背後に人の気配を感じ振り返ったと同時に声を掛けらた。その主は美しい女性、すらっとした長身で青白い素肌だけれど不健康そうには見えない。むしろ艶やかで女性らしさ、特に胸のあたりがそうなんだけど…それでも清楚、というより全体的に落ち着いている。


 全身が隠れるフードのようなマントを被っていてわかり辛かったけれど、水着のような局部を隠したような衣装、薄い衣と葉で作られたスカートのような装飾。これまでほとんど見たことのない民族衣装のようなものに身を包む女性は静かでどこか近寄りがたい神秘的な雰囲気を纏っており思わず息を呑んでしまう。


「目覚めは宜しかったようですね。お加減いかがですか?」


「よ、良すぎるどころか心臓止まりかけました」


 この女性が助けてくれたのかと思い、頭を下げて感謝の言葉を述べるが彼女は微笑みながら首をクイっと動かして私の背後へ向ける。背後に動きを感じ取った私は恐る恐る振り返ると先ほどのドラゴンが腰を下ろしたままで首だけを起こしてこちらを凝視している。


「あ、や、そ、そその…わ、私なんか食べてもお、美味しくなんかありませんよっ…」


 慌てて訴えかける私を見てドラゴンは不思議そうな目で見つめ、首を傾げている。女性も笑いながら私の肩に手を乗せて、そのままドラゴンの方へと近づいて行く。しどろもどろになりながら女性にしがみ付く私にドラゴンは顔を近づけて頬擦りをするように優しく擦る。敵意がないということを知り、安心した私は手で擦って行為に応える。沼地で沈みかけていた私を察知して救い出してくれたのはこのドラゴンで普段は人間に懐く事はほとんどないのだと話してくれた。安心してしまったせいかお腹の虫が鳴ってしまい、笑いながら女性は屋内へと案内してくれる。


 その時に気づいたが私も彼女のような薄着に着替えさせられていた。よくよく考えればあの泥溜まりでボロボロになった服装じゃ見た目も匂いのせいもあって出歩くことも出来ない。折角仕立ててもらったお気に入りの服だったのが少し残念に思いながら同時に自分の衣装を見ていると顔に熱が帯びていく。


 就寝時はともかくとして、普段はメイド用の服や外出用の衣類などが中心で肌を晒すような機会があまりなかったがこの衣装はまるで水着を着て生活しているみたいで腕も肩まで露出し、お腹も太ももも晒しているので恥ずかしさが込みあげてくる。女性は自信も十分に持てるくらいに容姿端麗、彼女はとても似合っていたけど自分に置き換えるとその差を感じてしまい恥ずかしさが虚しさに変わっていく。


「元気が無くなるほどお腹を空かしていらっしゃいましたか。食事はもう出来上がっておりますのでどうぞ中へ」


 私がお腹を空かして落ち込んでいるものだと思った女性は気遣ってくれて、その気遣いがむしろ大人との差を見せ付けられるようで自分がまだ子供なのだと思い知らされる。そんなことを思いながら入室するが中の作りは質素で一人で生活できる程度の広さ。最低限の家具のようなものが置かれ、電気のようなものは当然通っておらず明かりは部屋の中心にある小さな釜にくべられた焚き火と周囲に灯された蝋燭だけである。


 王都でも電気は既に普及しており、魔法や魔物が蔓延るこの世界で鉄道や電気が存在している事が当初は不思議に思えていた。技術レベルは現代にもどこか通ずるところがあったけれど車のような存在がまだなく馬車での移動だったり、飛行機はないけれど飛行艇とよばれる技術があったりと随所でファンタジーのような風景を感じさせるが、彼女の住んでいる場所は正にそうであった。


 外装はレンガ、異民族が住み暮らすような内装、絨毯や室内に掛けられている布など独特な模様を持つ編み物があり、薄暗さと暖かい火の輝きが身に染み渡る。ふと目立った模様の木製の間仕切りパーテーションに目をやると私が着ていた服装がきちんと畳まれて椅子の上に置かれ、隣には愛剣が立て掛けられている。


「ロゼット殿の生活していた場所とは違い少し不便かも知れませんが、どうぞこちらの席へ」


 そう言って女性は釜を囲むように置いていた椅子へと促す。彼女がどうして私の名前を知っていたのか問おうとしたが愛剣に自身のファーストネームだけ彫られていたことを思い出し、そのことを伏せて内装の事を話しながら席へと就いた。


「あ…ありがとうございます。すみません、助けていただいたのにまだお名前を伺っていませんでしたね」


 女性から器を受け取りその中へ暖かいスープが注がれる。トマトをメインとした野菜や山菜を含んださしずめミネストローネといったところか少しとろみが目立つ。


「シルヴィアです。失礼ながらロゼット殿のお名前はあちらの剣で伺いました」


「あ、やっぱりそうですよね」


 とろみを帯びた赤いスープを口へと運びながら話し始める。彼女はエンティア各地を旅して回り放浪を続けているそうで常に移り住んでいるため固定の棲拠のような場所を持たないそうだ。放浪者といって良いのかな。あのドラゴンに乗って自由に空を飛びまわれるのは確かに気持ちよさそうである。何も考えずにただ空を飛び回る、色んな場所へと飛び回り様々なものを見て回るのはさながら冒険者を彷彿させる。


「そういえば…国境はどうしてるんですか…?」


 しかしよくよく考えればあんなドラゴンが税関をどうしているのか気になって聞いてみたけど案の定想像通りの答えが返ってくる。


「野生ということなら渡る事にも文句は言えませんでしょう」


 そう半目で言いながら飼っているわけではないとルールの穴を付くようなことを言っていたと思う。確かにあんなに巨大なドラゴン、飼うという表現自体が似つかわしくないけれども彼女に隷従しているという点では彼女が責任者ということになるのだろうが、彼女達の関係はむしろ友人関係に近いのだそうだ。


「私も色々と干渉されかねないのであまり税関も通りたくはないのですよね」


「ま、まさか犯罪でも!?」


 おっかなびっくりに伺う私に何食わぬ顔でそう言って見せるが凶悪犯という悪意のようなものは感じられない。仮にそうであるなら私を助けたりもしないだろう。それに国境といっても何も壁があちこちに張り巡らせているわけでもない。


 税関を通るのはそもそも安全面の担保という意味合いの方が強く商人や外交官等の要人や一般人の重要な交通網でもある。逆に自分達で安全確保できる人間や他国の軍などの類なもので、大概は魔物の襲撃を恐れて関所を通る人間の方が絶対数が多い。それにまさか空から入り込んでくるなんて誰も思わないだろうし、ドラゴンもとい龍族自体が幻とまで言われているのだとか。


 そんなものが空を飛んでいたと目撃した人がいても飛竜と見間違えただとか言われてしまいそうだ。実物を見なければ私でも疑っていたかもしれない。


「ビレフやベスパルティアなんかはそうもいかないかもしれないですね。あのあたりは防衛力の要として空軍を持っておりますし。黒龍単騎で突破も難しいでしょうし、南へ連れては行けないので黒龍とはこの地でお別れかもしれません」


「黒龍…確かに黒いですよね」


 彼女の言葉を確認するように開いている扉から顔を覗かせるように外に顔をやる。黒龍が静かに眠っているのを確認でき、こちらに気づいて目だけ開いて再び眠る。


「シルヴィアさんはどうして各地を点々と旅しているんですか?」


 私の問いかけに彼女は少し困った顔を見せて答えを考えている様子。彼女にとって目的はなく、旅をする事自体が目的となっていたそうだ。


「どこへ飛んでも、どこへ歩いても見るものは同じでしょう。実のところ私自身も目的がないのではないか…と考えています。なんのために渡り歩いているのかを知るために旅をしているのかも知れませんね」


 困ったように笑った彼女の笑顔はどこか寂しげで儚く見える。ただ旅先での出会いを大切にしていたいと彼女は語る。命の輝きはその瞬間にしかない、その輝きと出会い思いを伝え思いを受け止めること。生きることそのものが全ての命に与えられた自由なのだと彼女は私に伝える。


「私が再び同じ地に足を運んだ時にはもう―…。だから出会いを大切にしていきたい、人だけでなく全ての命に平等に与えられた輝きを大切にして欲しい。きっとロゼット殿とのこの出会いも…そうなのでしょうね」


 ―再び同じ地に足を運んだ時にはもう―。


 その言葉が命の儚さを物語っている。動乱、戦乱と言っていいのだろうか、エンティアはそれぞれの国家間で衝突、戦争対立、国内での政権争い、派閥、宗教。それらに加えて魔物や天候災害も勿論命にとっては脅威だ。今自分が生きているのも奇跡に近いー…いや違いない。こんな年端もいかない少女が現代とは比較にならないほど危険で死と隣り合わせの中で生き延びるなど到底不可能に近い。


 色んな人に支えられて、一緒に笑ったり泣いたり、怒ったり、私の場合は支えられっぱなしだけれどいつかはきっと誰かの支えになれるようになりたいとそう思う。恐怖や悲しみもある中で出会える喜びもある、彼女はその喜びそのものを大切にしたいのだろうなと私は漠然とした思考で聞き入っている。


「かつては私も俗世から身を退き、その生活が高尚なものだと思っておりました。ですが―…何かによって支えられて生きている、自然の中で草木や動物といったあらゆるものによって私は支えられていたことに気づいた時、それまで世捨て人となって達観して物事を見ていた自分。それが最も愚かなことだったのだと思い知らされました」


そう語る彼女の表情は大人びたものというよりも、私と同じ表情をしていたと思う。フラッシュバックのように思い出した『彼』の表情も同じくらいに…。


「命は全て一つでは生きられませんし存在できない。人の社会があるように生命全てにはそれぞれの生きる場所がございます。その中で結局私達は生かされているに過ぎません」


「自由に生きようと振舞ってもそれはその中で生きていることとどこに大差がございましょうか。ただ責務を捨てて自分勝手に生きているのとなんら変わりがありません」


 なら自分の責務とはどこにあるのだろうかと、彼女は自身に問うように語り掛ける。


「なんだか…難しいですね」


 難しい―…。


 そんな言葉が不意に出てくる。


 彼女の言っていることに対してではなく、なんというのか、上手く言葉に出来ない。


「生き方そのものがですか?」


 彼女は私に問いかける。多分そうなのだと思う。私が気持ちを表したかった言葉。彼女の言葉はそれは気の遠くなるほど生きてきたようなそんな年長者のような言葉に聞こえる。まるで『彼』のように―…。


 そんなことを考えていたら頬を伝う熱いものが流れていた。考えたり思ったりしたわけじゃない。ただきっと忘れるわけにはいかないと、忘れちゃいけないんだという思い。


 そっか…これが私の『責務』なんだ。忘れないこと、憶えておくこと。この思いこそが私に与えられた責務そのものなんだと。


「私…あの湿原地帯で、助けてもらったんです。シルヴィアさんと黒龍じゃない、男の人に」


 気がつけば自分の身の上をポツリポツリと話していた。言葉がとめどなく涙と共に溢れて、これまでのこと全てを話せる限りで話した。ドラストニアのこと、これまで色んな出会いと別れを経験してきた事、ミスティアのことも。彼女は頷いて黙って聞いていてくれた。優しく微笑んで時に悲しい表情をみせたりして。


「そうですか…。まだ小さな身体で随分と色んな経験をされたのですね」


「ごめんなさい…こんなに色々話して…でも」


 何かによって支えられて生きること。それは命の本質でもあると彼女は諭す。それでも私は自分が支えられっぱなしで力も何もないのが悔しかった。何か力になりたかった。どうすることも出来なくても何もしないでいるのは諦めているみたいで嫌だった。


 それでも守る事はできず、伴わない結果にいつも苦い思いをしてきた。だから強くなるために必死で剣術だって磨いたし、勉強だって現代にいた頃以上にしてきたつもりだったけれど自分がなんのためにいるのかもわからなくなる。


 どうして私だったのか? このエンティアに飛ばされて私に何が出来たのか? 今の今までその答えも何も見出せない。


「私のために命を使うよりも……自分のために…生きて…欲しかった」


 ダリオさんや集落の兵士・住民の人達に向けた思い。あんなの人の死に方じゃない。私よりも強くて賢い人達ばかりが死んでしまって、私だけが残されてしまった。それでも生きたいと願い、死にたくないと必死に掴んだ。おこがましいことを言っているのは分かるけれどそれでも彼らの支えになりたかった。


 そんな私にシルヴィアさんの表情から一瞬、笑顔が消えて考えるように目を閉じた。次に目を開けたときには笑顔が戻り口を開く。


「貴女がそう想う御方だったからこそ…彼はあなたに命を繋いだのではないでしょうか?」


 私という命を守るだけでなく、私の中で生きる彼への思い。それが命を繋ぐことだと彼女は言った。決して守るためだけに死んだのではなく命とは他の命へと繋いでいくこと、新しい命を紡ぐ事。そうするからこそ今日まで全ての命が失われることがなかったと語りかける。新しい命の誕生だけが紡ぐことではない、幼くまだ日の目も出ていない命がいつか大空を羽ばたける日を迎えるためにその命を守り通すことも支えることであり紡ぐことだと。


「親が子を守るというのも同じことでしょうね」


 私は涙を拭って彼女の言葉に笑顔で答える。


「全然…似てない親子ですね」


 けれどダリオさんは本当に大人と呼べる人だった。私の知る限りで色んな事を知りたいと思える数少ない大人の男性。そんな彼は私に期待と純粋に守りたいという思いを残してくれた。


「シルヴィアさん…。……私も…大空を飛べると思いますか?」


「ええ、必ず舞い上がるでしょう」


 彼女の言葉を受けて私は冷めてしまった残りのスープを勢いよく飲み干した。少し行儀が悪かったかもしれないけど彼女も私を見て微笑んでいた。


 そんな和やかな室内に冷ややかな風と共に一頭の飛竜が郵便を運んできた。シルヴィアさんが受け取ると飛竜は瞬く間に飛び去っていった。なにやら慌てたような様子にも見えたけどなんだったのだろうかと見ているとシルヴィアさんが先ほどの郵便物の書簡を開いて眉を少し上げた。少し驚いているように見える。彼女の読み上げた内容に私自身も緊張が入り混じった。


「ミスティア近辺で魔物の怪しい動きが見られたそうです。数は把握し切れていないようで…どうやらミスティアより北上、大移動の動きありとのこと」


「北上…って。え、ちょっと待ってください、大移動ってどの程度のものなんですか?」


 ミスティアはドラストニアでも南部に位置し、数多くの都市部を挟んで北部よりの中部に王都が存在する。程度にもよるが大移動と聞いた瞬間に不安が過ぎる。その不安が現実のものとなるような答えが返ってきて現実を突きつけられた。


「通常の魔物ではこのような行動は考えられないでしょう。わざわざ体力を消耗してまで北上、ましてや大移動などと環境が激変し生態系にそぐわない行動。温暖期のミスティアの魔物ならともかくとして、雨季の魔物がこの規模の移動となると可笑しな話ですね」


「もしかして…ミスティアでの魔物の活性化と何か関係が?」


 私の問いかけに頷くシルヴィアさん。彼女も独自の調査で魔物の異常な行動に気づいていたようでここ数年で本来ミスティアに生息していない魔物が大量発生していたという情報まで掴んでいた。そのほとんどがガザレリアで見られるものなのだとか。


「でも…そんなことありえるんですか?」


「環境の激変でそもそも生き残れるとも思えませんね。長年この地に住んでおりますがそのような変化もございませんでしたし、そんな短期間での適応進化などまずありえません。しかしそれを可能とする何らかの要因があるとすればどうでしょうか」


 そう言われて私は魔物の身体から飛び出していた触手のようなものを思い出す。このままなら王都にまで到達するのだろうかと問うが彼女の返事は曖昧。可能性が全くないとは言えないが生態そのものが分からなければ判断も困難だそうだ。彼女の飛竜でミスティアには恐らく伝わっているが前線で討伐作戦に乗り出している部隊にまでは及んでいないとも言及。


「王都へも報せは届いてはいるでしょう。しかし…現在はドラストニアも軍を動かし難い立場にありましょう。ミスティアの兵力でこれを阻止するのはまず不可能。おそらく王都に到達せずともそれまでの間にある都市部への被害を想像してみたらいかがでしょうか」


 どれほどの被害がでるのか…。そう集落で起こった惨劇がまた繰り返される、あんなことは二度と起こって欲しくない。そう思ったらいても経ってもいられない。自分に出来ることを見つけ出さなくては―…。


「シルヴィアさん…お願いします! 私を…王都に連れて行ってください! 私がたどり着けばもしかしたら軍を動かしてもらえるかもしれません」


「どうしてそう思われるのでしょう? いえ、どうしてロゼット殿がたどり着いたことで軍が動くと?」


 答えに詰まってしまう。信用してもらうために王位継承者であることを話すべきなのか。黒龍を借りて単騎で戦うなんてことも考えてしまうがそれは自分には出来ないことだし、何よりシルヴィアさん達を戦いに巻き込んでしまう。一瞬迷う戸惑ってしまうが彼女との会話で意志は決まっていた。そして答えもそこにあった。


「それが今の私に『出来ること』だからです…!」


 真っ直ぐと彼女を見据えて言い放つ。何が出来て何が出来ないのか、見極める能力が身に付いたわけでもないけれど今この事実を知らせ、王都で軍を動かせるかもしれないのは王位継承者としての『私』しかいないのだから。仮にそれが通じなくとも少なくともラインズさんやセバスさんに直接私の口から伝える事が出来ればそれを可能とできるかもしれない。


 本当はシルヴィアさんにも伝えなくてはいけないのかもしれないけれど、彼女には申し訳なく思いながらもそれをやってはいけないとそんな気がしてならない。


 彼女は笑顔を向けて深く頷いた。そしてすぐさま身支度をしてそのままの勢いで黒龍へと向かう。私達の会話を聞いていたかのように黒龍はすでに起き上がっており、いつでも飛び立てるとそんな目を向けてくる。


「ちなみに彼女はメスですよ」


「かっこいい女の子ですね」


 私はシルヴィアさんと共に黒龍に取り付けられたサドルのようなところに跨り、合図と共に大きな翼を広げて一気に天高く飛び上がる。月夜の空へと飛び上がり星や月にも届きそうな勢いで大空を舞い翔る。列車や馬車、船とはまた異なった新鮮な感覚が駆け巡り、高揚が抑えきれない。


「す、すごい! 本当に空を飛んでいるんですよね!?」


「ええ、ロゼット殿、王都へ向かう前に少し寄り道しても?」


 そう言ってミスティア方面へと体を傾けて向かう。雲の上まで飛び上がり照らし出される月の光は大きく眩い。こんな風に夜が見えたこともなく夜とは思えないほど明るい。初めての龍の経験に心踊らせながらも本来の目的を思い出し私は気持ちを引き締める。


 今度こそ自分の成すべき責務を果たすために―…。



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