インペリウム『皇国物語』

funky45

76話 雷鳴轟く暗黒の中

 降り積もる雨が流れ落ち、徐々に青々と生い茂っていた草木は雨水と川の水の碧色で満たされゆく。やがて空と同じくどんよりとした水溜りが出来ゆく様をロゼットは前哨基地のテントで雨宿りをしながら眺めている。時折光る雷と轟音に身体がピクリと反応してもなお続けているとイヴが近寄ってきて彼女の身体を心配する。


「あまり冷たい風に当たりすぎると風邪を引いてしまうわよ」


「なんか…台風みたいなものを想像していたけど違うんですね」


「台風?」


 現代日本の台風をイメージしていたロゼットだがどちらかと言えば『梅雨』に近いようにも感じる。少し雨風が強く感じられ、この地域全域に渡って降り続いているために降雨量も多く、草原がまるで湿原のような風貌へと変わり、ミスティア都市部も標高が少し高い場所に位置し水はけを良くする様な工夫もなされている。


「澄華大丈夫かな」


 ロゼットが牧場に預けてきた澄華の心配事をしていると兵士の一人がいそいそと戻ってきた。調査のために派兵していた兵なのだがどうも様子がおかしい。というよりも何やら疑問を抱えているように感じたイヴは駆け寄ってすぐさま対応。


「隊長、こちらに着てから魔物は目撃されましたか?」


「いえ、報告も上がっていないけれど」


 イヴの答えに何か考え込んだ後に現状報告を続けた。


「少し様子がおかしいです。この近辺魔物どころか動物さえほとんど確認出来ません。通常ではありえません」


「どういうことなの?」


 兵士はここの地理と気候、生態系に見聞があり詳細を話し始める。周辺地域はワニや大蛇でもある『ヴルム』と呼ばれる魔物の巣が多数存在し雨季に差し掛かる頃には目撃情報も多発するのだが、周辺調査の結果一頭も目撃される事はなかった。小型の水棲生物は多数見られるために捕食者である肉食生物も目撃されてもおかしくない。


 二人が訝しげに話している様子に一抹の不安が過ぎるロゼット。何か深刻な事態が惹き起こっていて今回の魔物の激増に伴う討伐部隊編成もまるで最初から決まっていた事のように感じていると、部隊の者ではない兵が慌てて彼らの元へと駆けつける。同じく都市から送られた別働部隊が救援を求めてやってきたのだ。あまりの慌てぶりにちょっとした騒ぎとなり、兵達だけでなく集落の者も何名か集まり外の様子に住居の窓から顔を覗いている。


「エメラルダ隊長! 我が隊の野営地が魔物の襲撃に遭いました! すぐに援軍を」


「場所は!?」


「南へ下った場所で四半里もございません」


 そう遠くはないと判断し、そこからは迅速に行動に移した。イヴ自らが半分の兵力を率いて、守備隊には副長達に任せ防備を固めるように徹底。万一のことがあれば簡易式の花火で合図を出すように指示を出して早速出発の準備に取りかかる。


「隊長、周辺の魔物の数ならば十名程でも守備には十分かと。援軍に残りの五名を連れていかれては?」


 少ない兵力をさらに分散するか否か。そもそもミスティアの地理に詳しいわけでもない上に彼女の率いる少数部隊の中でも全員が精鋭というわけではない。援軍に行ったところで何が出来るだろうか。疑問には思っていても現状の数でどうにかするしか選択の余地はない。イヴは万一のために備えていた書簡に少しだけ付け加えてラインズに宛て郵便用の飛竜に託す。現状の維持のためにも連れて行くのは半分のみでもし何かあったときのために極力兵力は残しておくように命を下す。


 不安を拭い、準備が整ってテントを後にしようと外へ出るとロゼットが立っていた。不安気に自身も連れていって欲しいと訴える彼女に少し驚く。彼女なりに責任を感じているのだろうか、自分の国の事なのに何も出来ない歯痒さからなのかそれとも別の何かか。


「大丈夫よ。貴女が危険を冒す理由なんてないし、それに私がセルバンデス殿に怒られてしまうわ」


 彼女の不安を取り除こうと冗談も交えて優しく頭を撫でてウィンクして見せる。少しだけ和らいだ表情に変わり不安であることには変わりはないがイヴ達が援軍に向かうのを見送る。




 ―――


 深夜、小雨に変わり、雫の音が奏楽のように響く。気づけば虫の音も聞こえ始め、さながら夜の演奏会といったところか。喉の渇きを覚えたロゼットは水を汲みにコップを片手に机に置かれた水差しピッチャーに手を伸ばしかけたその時―…。


「…ッ!」


 聞き覚えのある声、思わず声を失い少しだけ怯んでしまう。戦々恐々と耳を潜ませるとやはりあの声であった。これで四度目となる声に彼女は恐怖を振り切るように勢いよく漆黒に包まれた外へと飛び出す。周囲を見渡してもそれらしき正体もなく冷たい小雨が彼女を包み込むように降り続けている。雨が降り続く中で暗雲の僅かな裂け目から月の光が覗かせる光景がなんとも幻想的だ。


 見上げる彼女を横に誰かの気配に気づく。一瞬であったがあの少女だ。こんな視界の悪い真夜中に土地勘があるとはいえたった一人で出歩くとは考えられない。ロゼットはすぐさま追いかけるが既に少女の姿はない。あんな少女が瞬間的に移動するなどまず考えられない、大人でさえ不可能なのではないかと闇夜に消えた少女の事を思い出しながら後ずさりすると、背後から大きなあくびが聞こえてきた。馬車で助けた傭兵が用を足しに外へと出てきたのだろう、彼女と目を合わすと自分と同じなのかと問うがロゼットは先ほどの話をして彼にせがんだ。


「私一人じゃ…その、帰ってこれる自信がないので…あの一緒に探してくれませんか?」


「確かこの辺の魔物は確認できないって話だが…軍の人間は?」


「みんな寝ちゃってて起こしちゃうのもなんか申し訳ないなって」


 起きてる自分なら良いのかと軽口で彼女に答えるものの、一人で探しに行かせるわけにも行かず傭兵は彼女に同行することを承諾。ロゼットも剣を取りに戻るといってテントへ。身震いが彼女を襲うが勇気を奮い立たせるよう自分の頬をつねる


 深夜の小雨の降る森林は不気味そのもの。虫の声はするものの水音と流水だけで動物と呼べる鳴声は聞こえない。兵士の報告通り生物がここら一帯には存在しないのかと傭兵も訝しげに周囲を見渡す。この地に足をつけて十年近く経つそうだが初めてだと彼は話す。


「えっと…」


「ああ、俺はダリオだ。たしかロゼット…だったか嬢ちゃんの名前は」


 ぎこちない自己紹介を交わしつつ互いの境遇を話す。彼は元々ガザレリアの出身であり狩猟を生業としており当時は国内である程度の狩猟は許されていたそうだ。しかし狩猟の許可がされていた団体が国によって一方的に潰されたことと関わっていた人間が次々と投獄されたことで危機を感じ取りドラストニアへ亡命。現在は狩猟の経験を活かしてミスティアで傭兵稼業を営んでいるようである。それまで許されていた狩猟がなぜ突如禁じられたのか、不思議に思ったロゼット。彼も当時は納得していなかったそうだが後にその原因がとある団体によるものだと今は理解しているそうである。


「魔物を保護するって、そういえばミスティアの都市でもそんなような話を知事がしてましたよ」


「ガザレリアから来た一部の人間の熱狂的な支持だろうな。条例で魔物の保護を決定しちまったみたいだが条例なだけまだマシだ。これが法って話になるとガザレリアみたいになっちまう」


「魔物を保護って聞きますけど、魔物って弱い立場の存在なのですか?」というロゼットの素朴な疑問。彼は見方によって変わるとだけ答えた。部隊が組まれて魔物の討伐が行われるくらいには凶暴なのではないか。はたまたこれまで諸外国であったように裏で何かがあるのだろうか、と色々と考えを浮かべているとダリオが彼女の肩を叩いて前方を指差す。


 集落の少女が泥まみれになり横たわっているのを発見。声で合図を送らなかったのは魔物が近辺にいるかもしれないという警戒心からでロゼットもそれを察し、心配ではあったが慌てずに周囲への警戒に気を配りながら彼女へと近付き、抱き寄せる。意識を失い、わずかな擦り傷だけで深手を追っている様子ではない。ダリオが少女を抱えてすぐさまその場から離れようとしたが―…身体が動かなかった。


 まるで時が止まったかのように周囲の音は全く聞こえない、小雨もまだ降り続いており徐々に強くなっていくのだが、水の流れも遅延しているかのように遅く感じる。彼女達の目の前にいる『それ』に目を奪われてしまっていた。それが彼女の聞いたものの正体だと直感が告げる。


 黒衣を纏っているのかボロボロに使い古された継ぎはぎの布にしか見えないものを纏い、夜でも輝いて見える金色の髪は雨が降っているにも関わらず濡れていなかった。素肌はロゼットよりも青白く、ところどころに傷と泥が混じり、手で顔を覆いながら発しているのだ。


『泣き声』を―…。


 戦いに慣れているダリオも恐怖からか声が出ずにただ『それ』を見ている。ロゼットも同じく恐怖を感じていたが、その『泣き声』は悲痛そのものであった。声から伝わってくる悲しみの感情を感じ取り、以前シャーナルから聞かされた伝記を思い出す。見た者に邪悪さを感じさせる黒色とそれに相反するように美しく輝く金色の髪に掠れた泣き声に徐々に哀れみさえも覚える。


 おそらく魔物であるのだろうがすすり泣く声の中には悲壮感が確実にある。本当に悲しい時でないと出てくることのない声。なぜ泣いているのかと考えた瞬間、体が動くようになりロゼットが近寄ろるために手を伸ばす。


 そのときだった、止まった時間が戻されたように集落の方から騒音が聞こえ響く。


「何事!?」


 我に返った二人は顔を見合わせ、慌てた様子で集落の方へと走り出す。途中でロゼットは振り返ったがすでにそこには何もいなかった。少し寂しげな表情を見せたがロゼットは息の続く限り必死に走り出す。


「信号弾を撃て! 隊長に報せるんだ」


 集落へたどり着くと兵達が武器を手に魔物の群れと応戦。テントや住居には火の手が回り、すでに何名かも負傷。残りの人数で対応しているが魔物の数が多すぎて対応が追い付いていない。一人の兵で十体近くも相手にしているような状態である、まともに戦えてなどいなかった。


 ダリオから少女を託され、集落用の馬車まで走って逃げるように言われる。彼女も応戦すると言いかけるがすぐ彼は兵の加勢に回ってしまった。どうすることも出来ない中、少女を抱えてロゼットは戦火を駆け抜ける。途中で転がってきた魔物に襲われそうになるが副長に助けられ事なきを得る。


「すぐにお逃げください! 皇女殿下! 私はラインズ皇子殿下からイヴ王女と殿下をお守りするように使わされました。馬車での非礼大変失礼致しました」


 そう言って頭を下げる彼にすぐに撤退するようにロゼットは訴える。集落の馬車は既に手配済みで乗せれるだけ人を乗せるがまずはロゼットの身の確保が先だと彼女を護衛しつつ馬車へと連れてゆく。手を引っ張られながら襲撃の様子を目の当たりにする。血しぶきと悲鳴、怒号と魔物の咆哮が入り混じり、死肉を貪る音も聞こえ目を強く瞑って悲痛な表情で顔を背けていると横槍を入れるように魔物が飛び掛って襲い掛かる。副長は彼女達を退け払い単身で受け止めて馬車まで走るように叫んだ。


 ロゼットは無我夢中で振り返ることなく走り続け、副長の身体が引き裂かれる音が耳に入る。耳を塞ぐ事もできず必死に走り馬車にたどり着く。


「この子をお願いします!!」


「お嬢ちゃんも早く乗りなさい!」


 ロゼットが手を伸ばして乗り込もうとしたが、馬車の屋根に狼型の魔物が飛び乗りロゼットの方に鋭い視線を向ける。驚いたものの落ち着いて魔物から視線を離すことなく馬車から後ずさり剣を構えるロゼット。彼女は馬車に合図を送りすぐに逃げるよう促し、涎を垂らしながら牙と爪を立てて彼女方へと飛び降りてきた魔物と相対する。馬車の主は彼女の意思を汲み手綱の握りを強めて、走らせる。


 魔物もそれに反応し振り返って雄たけびを上げるがその一瞬の隙を突いて一挙に距離を続ける。鋭く細い剣の煌めきが放たれ、その刹那に鮮血が飛び散る。魔物は苦しみもがく間もなく首筋から胴体にかけて斬り込みを入れるがすぐに立ち上がり、咆哮を放つ。


「浅かった!?」


 再度反撃のために構えると同時に、信号弾が放たれた。兵の誰かが放ったのか雨が強くなり行く中で雷雨にかき消されるのではないかと思えるほど弱々しい光に見える。魔物はそれに気を取られ、その隙を突いて今度が刺しこんでから切り開くように裂いた。ロゼット自身剣術に心得があったわけではないためシャーナルの動きを参考に剣を振るっていたがよくよく考えればこんな細身の剣で切り裂く事自体が想定された作りではないことに気づく。しかし剣の状態が悪くなっているようにも見られなかった


 少し剣を眺めて考えていると、切り裂いた魔物から妙な音が発せられる。切り口から触手のような管が何本も蠢き魔物は血混じりの泡を吹きながら尚も立ち上がる。あまりに不気味な光景に先ほどまでの勇気は吹き飛び、戦いていた。魔物が狂ったように襲い掛かってくるのに僅かに反応が遅れ剣を再び構え直していると横からダリオが槍投げのように一撃放ち魔物の胴を捉えて大木に突き刺さる。それでも尚、もがき苦しむ姿にもはや恐怖しか感じられず、腰の抜けたロゼットを連れてダリオは走り出した。


「ま、待って…! みんなを置いていけない!!」


 ロゼットは制止の声を上げるもダリオは耳を貸さない。身体の自由が利くようになった彼女は手を振りほどき、戻って助けるように訴える。


「あの数相手に正気か!? もう軍隊さんのほとんどはやられちまったんだよ!! 自分の命を考えろ!」


 ダリオは語気を強めてロゼットに反論。自身の命と叫び、彼女は自分の立場を思い出し彼の言葉に返すことが出来なかった。その場で項垂れ辛そうな表情を見せた彼女に今度は優しく諭すようにこの場を離れるように説得する。


 ロゼットも頭では分かっている。あの場ではあれ以上どうする事もできないし、全員を助け出すことなどどうやったって出来ない。けれど何かしなければと、助けてくれた副長や犠牲になった兵に申し訳ないという思いがこみ上げ涙ながらに「どうすればよかったのだろう?」と問いかける。その問いがダリオではなく自分自身に向けられたものだと察し、軽く頭を撫でて落ち着かせる事に徹する。後方より再び魔物の声が聞こえてきたため、彼女の手を引っ張り走り出す。




 ◇




 襲撃にきた魔物を退いたものの、被害も大きく集落はほぼ壊滅状態。僅かに残った女子供と戦士の男達合わせて十数名近くしか生き残らず、軍の部隊も半数をやられていた。隊長は戦死し、副長が代わりに隊長を務めることとなりイヴの援軍も本人としては間に合ったとは到底言えるものではなかった。


「エメラルダ隊長、救援感謝致します。来ていただけてなかったら恐らく我々の命もなかったでしょう」


「遅くなって申し訳ありません。しかしこの魔物…」


 挨拶を交わし、捕獲したであろう魔物を前に二人は怪訝な表情を見せる。というのも肉体のほとんどを喪失しているにもかかわらず尚も虫の息ではあるものの唸り声を上げているのだ。胴体ではなにやら蠢いているようにも見え、兵達に腹を裂かせて中身を取り出す。出てきたものを目にして一同は眉をひそめた。蛇のようなワームの一種だろうか白色の身体に気味の悪いほど甲高い鳴声、まるで人間の赤子のような声をあげている。正体不明の魔物の一種が体内に潜んでいた事に驚き魔物の活性化はこれが原因なのではないかと考察している中で兵から報告が伝えられる。


「隊長! 一大事です! 信号弾が放たれました!!」


 まさかと、イヴの表情はみるみるうちに焦りに変わり、集落の方角の空を見ると確かに上がっていた。雨の中弱々しく上がる様はまるでその時の集落の現状を表しているかのようで彼女は急いで出発の準備をさせる。救出された隊からも数名派遣するように元副長で現隊長となった男はイヴに貸し与え、自身も一度都市に戻って体制を立て直すとした。


 彼女が何よりも危惧していることは、ロゼットを失う事。これだけは絶対にあってはならないとすぐに動ける兵を引き連れて騎馬で集落へと向かった。

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