インペリウム『皇国物語』
74話 侵食
外の空気が変わりつつある最中、湿気を運ぶ風がミスティアを駆け巡る。撫で回すような肌触りに加え今回の事件を物語る貴重な手がかりを入手した彼は足を走らせる。着いた先は病院、だが正面からは入らず彼は裏手に回って目的のものがある場所へと向かう。
「ああ、やっと来たか待ってたぞ」
倉庫のような建物の前で彼と旧知の医者が待っており、中へ案内される。
「お前みたいに暇なわけじゃないからな」
「司法解剖を頼んでおいて暇人なんて言われちゃやってられんよ」
「冗談だ」
中は物置のような無機質な空間が広がる。閉鎖的で明かりもほとんどないこの場所が男は嫌いであった。あるとしたら小窓から僅かに差しむ外の光のみで陰鬱とした雰囲気が何処か役所内を彷彿させるようで気分が沈むのがわかるからである。
「こんな場所で引きこもって研究するのも良いが、たまには日光浴でもしたらどうだ? 身体が腐るぞ」
「雨季が終わる前に腐るかもしれんな。そう思うなら毎度毎度依頼なんて寄越すなよ」
「で? どうだった?」
医者の愚痴もそこそこに流し直球で本題を訊ねる。抑揚のない声で男は結果だけを説明し、やはり魔物のよるものであったことが分かったと話す。遺体はその後発見現場に運び出されたとされている。
「てことは人間の犯行でもある?」
「魔物がわざわざ運んでくるなんてことしないだろうが…もしかしたらそんなこともあるのかもしれん」
「まぁ―…他にも見てほしい物があるから呼んだんだが…」
意味深に話す医者が案内した場所は手術台のような場所で布が被せられているだけだった。薄暗い中、小さな電球によって明かりが灯される。
「襲撃で発見された魔物で、少々事件と関係があるかと軍が極秘裏に回収したんだが…うーん…見るか?」
「死体には慣れてる、気にするな」
男の返答に医者は言葉を濁しながら、布を剥がすと確かにそこにあったのは魔物の骸。それもガザレリアでよく見られる種類のものだ。爬虫類のような鱗を持ちながら、哺乳類が持つような体毛を併せ持つ四足歩行の地竜の一種。尾の先に結晶のような堅い鉱物の棘を持っているのが特徴的でこれを用いて魔力を放出する個体も存在する。断末魔を上げで息絶えたのか大きな口から今にも雄たけびが上げて飛び掛ってくるかもしれぬ面構えが不気味であった。
「腹が裂けてたな。解剖でもしたのか?」
「どうせ頼むだろ」
男の考えを先読みして予め解剖したと話すが実は軍から運ばれてきたものだとも話す。軍の関与に納得したかのような澄ました表情を見せ、男はそのまま質問を続ける。
「こいつが城壁襲撃の際にいたのか?」
「それも数頭規模の話しではない。確認されただけで百頭前後」
この手の種はこのミスティア近辺の風土に合わず生息域もガザレリア特有の熱帯雨林のみとされている。誰かの手によって連れて来られたとしても過剰なストレスがかかり繁殖できるとは到底考えられるものではない。
「連れて来るにしてもそんな数の魔物を使役するのは容易ではないし、いくらガザレリアで魔物を使役する技術があるとしても、環境に適さない魔物をどうやって適応させるのか」
何かしらの方法で適応させたと言われれば反論のしようがないし、事実としてこの地で繁殖しているには必ず理由がある。役人は自身の性格上納得出来ないことがあれば突き詰めていく性質でもあるために原因が分からないか医者に訊ねてみる。こう言っている以上期待半分程度に考えていたが医者からの返答は意外なものだった。
「実は…もう一つ見てもらいたいものが」
医者が布を被せたトレイのような容器を差し出し、布を剥がすと出てきたものはワームのような灰色に変色したかのような生物の死骸。医者はこの魔物を解剖したら出てきたものだと説明した。
「寄生していたのか」
「わからんがそう考えるしかない。地竜の体内の神経に触手のようなものを張り巡らしていたことも確認できている。人間にも寄生するのかどうかもわからん」
男は寄生体の性質についてはさっぱりであったが、可能性として魔物の環境適応に影響している要因の一つではないかと示唆する。医者も頷いてみせる。同じように考えていたらしくあくまでまだ仮説でしかないために確証とまではいかないが魔物間での接触で感染の恐れもあり、その過程を経て人間へと感染する可能性もあるのではないかとも危険視する。
「家畜から被害が広がる可能性もあるやもしれん。今のところの判断はこの地にいない魔物でしか区別は出来んがこの地を生息としている魔物にまで感染が広がれば…」
彼らの懸念通りという話になっていたとすれば千名程度の魔物討伐などという規模の話ではなくなる。土地そのものの生態系に関わる問題へと話が変わる。ことの深刻さに医者もすでに軍へ報告しており、訴えたものの仮説であるために確証がない話にはまともにとりあってすらもらえなかったと落胆している。現地に出ている兵達ならば異変に気づいていると考え男はすぐさま行動に移す。
「どうするつもりなんだ?」
「あの王都から来たという軍人なら話がわかるかもしれん。やってみるだけやっておいた方が良い」
倉庫の外へ出たときにはすでに降雨が強くなり始めるも彼は自らの危険を顧みず、これから起こるかも知れぬ危機を彼女達へ伝えるべく馬を走らせた。
◇
ガザレリアの都市に滞在して数日が経過し、街並みにも慣れたアーガストは外出するために城門へと訪れていた。いくら魔物と共生しているとはいえ厳重に壁が立ち並び外の様子は伺えない。どうにもこの閉鎖的な空間が彼にとっては息苦しく感じるようだ。
外出許可を得る為に城門へ立ち寄ると数名の衛兵が対応、周囲からは警戒するような目を向けられるがマディソンと違い彼はいたって冷静だった。
「装備品の一切はお預かり致します。それと外は大変危険ですので護衛を必ず付けてください」
「心配無用、おぬしらと違って拙者は魔物に近い。襲撃を恐れているならむしろ護衛がいる方がかえって危険だと思いますがな」
彼らとしては規則ということで護衛という名目の『監視』を付けたいのだろう。こちらの行動を逐一把握する必要があったのだがその役を買って出る人物が彼の背後から声をかけてやってきた。
「その護衛は俺が引き受けよう。彼とは面識もあるし、時間的にもそこまで遠出できるものでもない」
「はぁ…しかし五隊長がわざわざ出向かなくとも…」
兵士は彼が自ら買って出る事に不思議そうに首を傾げており、アーガストも乗じて彼に同行を依頼する。城門は開かれ、夕刻までの許可が下り大森林の探索へと出かける。
アーガストは彼を『リーコン』と既に名前で呼ぶ関係となっており先日助けられ、マディソン共々酒盛りで大いに盛り上がった。この地で数少ない友人とも呼べる関係となり、話を聞く限りでは彼も相当に腕が立つという話だ。草木を掻き分けながらリーコンに案内を任せながら周囲を見渡すが魔物の姿は見られない。
「今日はマディソン殿はどうされた。彼が一人で街中を歩いていたらまた厄介ごとが増えるのではないか」
マディソンは普段こそ落ち着いてはいるものの、一度火が点くと彼でも手が付けられなくなる。彼の気性の荒さだけはアーガストにとっても悩みの種。シャーナルとの相性も決してよいものとは言えないが彼女の方はそう言う訳でもない。対応を見る限りむしろマディソンのことを気に入っているようにも見える。能力を見て評する彼女にとっては彼の戦闘能力には目を張るものがあるのだろう。言い換えれば能力の面だけしか見ていないとも取れるが、彼女が信用を寄せている限りは二人間で亀裂が生じる心配はない。
故にアーガストは彼女の護衛に付かせて、自身は偵察の任を行なっていたがこのところ新しい情報は掴めず。それどころか、ホールズ一派の情報さえも引き出すことが出来ずに時間だけが虚しく過ぎゆく。気晴らしもかねて外出をするも行けども周囲は大森林。自身の生活圏に近い環境といえど、魔物や動物の姿も見られない彼にとっては退屈なことこの上ないが都市で監視の目に晒されるよりは遥かに心地が良いだろう。
「貴殿にとっては都市にいるよりはこっちの方が良いだろう。故郷を思い出すのではないか?」
「ほぅ、拙者の故郷をご存知か」
「『ガロン』には行ったことはないが知人が向こうに行ったときのことを思い出してな。人間には厳しい環境らしいがここじゃ見られないような動植物も見られたと話してて興味をそそられた」
龍蛇族の発祥の地とされる『ガロン』はユーロピア大陸より南にあるスピノアクス大陸の西部に位置する。砂漠と荒地の乾燥地帯が続き中央部一部の地域ではオアシス的な大森林地域が存在する。さらに西へと超えてゆくことで大森林からなる熱帯雨林へと繋がり『ガロン地方』と呼ばれている。生物にとっては人の手が入っていない楽園のような場所。ユーロピア大陸にもガザレリア、ビレフ、ドラストニアの三国を挟んだ南の地にも人の手の入っていない草原と大森林が織り交ざった地域が存在し、現在は魔物の巣窟となっており長らく人の手がいくことはなかった。
しかし近年においてビレフとその南にある大国『ベスパルティア』が領土拡大を水面下で争っている。
「長らくユーロピアにて足をつけてきたが『べスパルディア』とは聞いたことのない国だな」
「近年国としてようやく認識がされ始めたからな。なによりあそこは山岳がまるで国境の壁のように聳え立っているからそれまでは存在さえ確認されていなかったらしい」
ビレフの飛行艇技術がより発達したことにより確認されるようになり、その全貌は工業が非常に発展した海洋国家。海軍もレイティスと同等、それ以上とも言われ実用レベルの空軍が作られるのも時間の問題とリーコンは危惧している。ビレフの行動は早く、初手から彼らに牽制すべく未開の地に手を出し、べスパルディアもこれにすぐさま対応すべく軍を派兵。一時は勃発とまで言われていたがビレフの前大統領の功が奏し和解。しかし、いつ口火が切られるかは分からない予断を許さない緊張状態が続いている。
ドラストニア側が動きを認識しているかどうかは不明だったが、ラインズとシャーナルが把握していないとは到底思えない。何らかの対策を早い段階で打つべきだろう、だとしてもどうするべきか、そもそも知らないのではないか。ドラストニアは諸外国からも強国と認識されつつあり、この二国がもし連盟を組んで北上進出などということもありえないとは言い切れない。僅かに危機感を募らせつつも数十年近くドラストニアに身を置いておきながらもそんな事になっていたと知らずにいたこれまでの生活でのんびりしすぎていた事に自省し落ち着いてアーガストは考えを巡らせる。
「どうした? 折角外へ出たというのにあまり表情は変わらんな」
アーガストは表情に出さないようにと努めていたがかえって自然体ではなく堅いものとなっていたのか悟られる。
「はしゃぐような歳でもなかろう」
「まぁ…故郷との微妙な差だろうか、長年ドラストニアの気候に慣れてしまったせいかな」
「故郷を忘れてしまいそうで怖いもんだな」
ガザレリアも隣接しているためにこのような話が出てきたのだろうが、それにしてもなぜリーコンは立場としては味方ではないドラストニアの将兵の彼にこんな話をしたのだろうか。協力姿勢を見せているのかあるいは別の目的か…。
彼の背中を見ながらそんなことを考え警戒していると互いに人の気配を察知し反応。
すぐに草木に隠れてやり過ごす。確認できるだけでも十数名、足取りからおそらく軍人と民間人が混ざっていることが伺えた。
「野戦演習の予定でも?」
「いや、そんな予定はないはずだ。そもそも森林地帯での演習なんてやれるわけがない」
彼らの法の下ならば当然なのだがリーコンも辟易とした様子を見せる。アーガスト達を追って来たにしては尾行がザル過ぎる上、むしろ彼らのことを考えにも置いていない様子。警備にしても民間人がいることが気になるところ。目的が分からない故に彼らの尾行を始める。
しばらく歩いたところでなにやら騒々しくなり、人の足音に混じって違う音まで聞こえてくる。そして野営地のような場所へとたどり着くと多くの兵と民間人が行き交いし積荷を積んでいる。多くは布を被せられ運ばれていくが中には巨大な檻に入れられた魔物が眠っているように大人しく入れられていた。
「なんだこれは…軍が魔物を捕獲?」
「殺傷に関しては罰せられるも捕獲は目を瞑られてるのかね?」
「保護ならともかく、捕獲は禁じられている」
皮肉を言うアーガストに即答するが、それ以上の反論も出来ない。
「違いが解せんな」
物は言い様だが、少なくとも保護活動と呼ぶにはあまりにもお粗末な現場。中には全く別種の魔物同士を同じ檻に入れているところも見られた。取り締まるべき立場にある軍が魔物の捕獲と密売を協力しているのだろうか、生態調査の一環とも考えられるが、商人がこの場にいる理由が見当もつかない。
周囲を見回して、ざっと一個中隊規模はいるかと思われる。歩兵のみならずマスケット兵、捕獲用のものなのか大砲も数基確認できる。まるで戦争でも始めるかのような大部隊を投入してまで何をしているのかと様子を伺っていると紛れ込んでしまったのか入国してきたばかりなのか傭兵らしき部隊数名が拘束され連れて来られた。
「なんなんだよ!? 俺たちは仕事で来ただけだぞ!!」
「あんたら、何のつもりか知らんが俺たちは何もしちゃいない。拘束を解いてくれ」
傭兵達が必死に頼み込んでいるが軍はその様子をニヤついて見ている。その奥から指揮官らしき人物がやって来て兵達と耳打ちで会話をしあったかと思った次の瞬間、傭兵の一人の頭部をマスケットで撃ち抜いた。乾いた音が響き渡り、傭兵達は悲鳴を上げ中には女性と思しき声も混ざっていた。それが口火となったのか兵達は次々と傭兵達を射殺していく。
「この女はどうします」
「好きにしろ。女はまだ使い道があるからな」
指揮官が放った一言に兵達の声色が僅かに上がる。それが何を意味するのか理解した女性は悲鳴をあげて抵抗するも腹部を拳を食らい失神。拘束されたまま兵士達に野営地のテントへと連れて行かれ姿が見えなくなる。あの女性がどのような目に遭うかは想像はつく。それでも二人は冷静になり茂みでやり過ごすことにした。
「てっきり看過出来ないと飛出して助けに入るのかと思ったよ」
「この状況で助太刀出来るほどの余裕などないであろう。彼女には申し訳ないがこちらも事情があるので迂闊な真似は出来ん」
武器がなくとも龍蛇族は肉体能力も非常に高く銃弾程度なら弾ける鱗も持つ。しかしこの人数相手ではいくらアーガストいえども武器も無しには無謀。
彼らも冷静には努めるものの内心悔しさを噛み締め、リーコンも軍内部に疑問を抱き、信頼足る人間に伝えるという。野営地から退くこととなりアーガスト様子を見るため再び振り返ると先ほどの指揮官が商人とも軍人とも雰囲気の異なる、青い正装を身に纏った男と話しているのが僅かに見えた。
「あの制服…どこかで見覚えが」
見張りの兵士たちが彼らの方へと向かってくる気配を感じとり急ぎ足でその場を立ち去る。
都市に到着した頃には日が随分と落ち辺りもすっかり黄昏へと変わりつつあった。リーコンとは城壁で別れを告げ、今回の件については互いに触れることはなかったが共通の認識程度には心境を理解しあっていた。
アーガストはすぐさま宿泊先へ戻りシャーナルとマディソンと合流し今回の件について報告するつもりでいたのだがー…。
「おお、兄者! 何処に行ってたんだ、探したぞ」
宿の広場でマディソンが大声で彼を呼び巨体を揺らして向かってくるがシャーナルの姿がない。
「マディソン、シャーナル皇女は何処へ? 急ぎ報告があったのだが」
マディソンが話すにはシャーナルはガザレリアの代表の公邸で行われるパーティーに招待されたとのこと。急な話だったために急ぎ準備をして向かったと話し、彼女はアーガストのことを出発間際まで待っていたそうだ。
もしやと思い、アーガストは急ぎ公邸へと向かう準備を始めマディソンにも別件を依頼する。
「お主は貨物鉄道に向かってくれ」
「兄者の頼みなら行ってくるがなんでそんなとこに?」
彼の疑問に耳打ちで大森林で見てきた一件について伝える。鉄道あるいは貨物運搬のインフラのある場所で取引が行われているかもしれないと指示し、軍の管理下に置かれている場所を探すように徹底した。
「くれぐれも隠密行動で頼むぞ。拙者はシャーナル皇女にこの事を伝えてくる」
「暴れるなってことだろう。わかってるから心配すんなよ」
気性の荒いマディソンに任せることは少々不安ではあったがシャーナルが呼ばれたことが気掛かりだったため、彼は急いで公邸へ走り出した。
「ああ、やっと来たか待ってたぞ」
倉庫のような建物の前で彼と旧知の医者が待っており、中へ案内される。
「お前みたいに暇なわけじゃないからな」
「司法解剖を頼んでおいて暇人なんて言われちゃやってられんよ」
「冗談だ」
中は物置のような無機質な空間が広がる。閉鎖的で明かりもほとんどないこの場所が男は嫌いであった。あるとしたら小窓から僅かに差しむ外の光のみで陰鬱とした雰囲気が何処か役所内を彷彿させるようで気分が沈むのがわかるからである。
「こんな場所で引きこもって研究するのも良いが、たまには日光浴でもしたらどうだ? 身体が腐るぞ」
「雨季が終わる前に腐るかもしれんな。そう思うなら毎度毎度依頼なんて寄越すなよ」
「で? どうだった?」
医者の愚痴もそこそこに流し直球で本題を訊ねる。抑揚のない声で男は結果だけを説明し、やはり魔物のよるものであったことが分かったと話す。遺体はその後発見現場に運び出されたとされている。
「てことは人間の犯行でもある?」
「魔物がわざわざ運んでくるなんてことしないだろうが…もしかしたらそんなこともあるのかもしれん」
「まぁ―…他にも見てほしい物があるから呼んだんだが…」
意味深に話す医者が案内した場所は手術台のような場所で布が被せられているだけだった。薄暗い中、小さな電球によって明かりが灯される。
「襲撃で発見された魔物で、少々事件と関係があるかと軍が極秘裏に回収したんだが…うーん…見るか?」
「死体には慣れてる、気にするな」
男の返答に医者は言葉を濁しながら、布を剥がすと確かにそこにあったのは魔物の骸。それもガザレリアでよく見られる種類のものだ。爬虫類のような鱗を持ちながら、哺乳類が持つような体毛を併せ持つ四足歩行の地竜の一種。尾の先に結晶のような堅い鉱物の棘を持っているのが特徴的でこれを用いて魔力を放出する個体も存在する。断末魔を上げで息絶えたのか大きな口から今にも雄たけびが上げて飛び掛ってくるかもしれぬ面構えが不気味であった。
「腹が裂けてたな。解剖でもしたのか?」
「どうせ頼むだろ」
男の考えを先読みして予め解剖したと話すが実は軍から運ばれてきたものだとも話す。軍の関与に納得したかのような澄ました表情を見せ、男はそのまま質問を続ける。
「こいつが城壁襲撃の際にいたのか?」
「それも数頭規模の話しではない。確認されただけで百頭前後」
この手の種はこのミスティア近辺の風土に合わず生息域もガザレリア特有の熱帯雨林のみとされている。誰かの手によって連れて来られたとしても過剰なストレスがかかり繁殖できるとは到底考えられるものではない。
「連れて来るにしてもそんな数の魔物を使役するのは容易ではないし、いくらガザレリアで魔物を使役する技術があるとしても、環境に適さない魔物をどうやって適応させるのか」
何かしらの方法で適応させたと言われれば反論のしようがないし、事実としてこの地で繁殖しているには必ず理由がある。役人は自身の性格上納得出来ないことがあれば突き詰めていく性質でもあるために原因が分からないか医者に訊ねてみる。こう言っている以上期待半分程度に考えていたが医者からの返答は意外なものだった。
「実は…もう一つ見てもらいたいものが」
医者が布を被せたトレイのような容器を差し出し、布を剥がすと出てきたものはワームのような灰色に変色したかのような生物の死骸。医者はこの魔物を解剖したら出てきたものだと説明した。
「寄生していたのか」
「わからんがそう考えるしかない。地竜の体内の神経に触手のようなものを張り巡らしていたことも確認できている。人間にも寄生するのかどうかもわからん」
男は寄生体の性質についてはさっぱりであったが、可能性として魔物の環境適応に影響している要因の一つではないかと示唆する。医者も頷いてみせる。同じように考えていたらしくあくまでまだ仮説でしかないために確証とまではいかないが魔物間での接触で感染の恐れもあり、その過程を経て人間へと感染する可能性もあるのではないかとも危険視する。
「家畜から被害が広がる可能性もあるやもしれん。今のところの判断はこの地にいない魔物でしか区別は出来んがこの地を生息としている魔物にまで感染が広がれば…」
彼らの懸念通りという話になっていたとすれば千名程度の魔物討伐などという規模の話ではなくなる。土地そのものの生態系に関わる問題へと話が変わる。ことの深刻さに医者もすでに軍へ報告しており、訴えたものの仮説であるために確証がない話にはまともにとりあってすらもらえなかったと落胆している。現地に出ている兵達ならば異変に気づいていると考え男はすぐさま行動に移す。
「どうするつもりなんだ?」
「あの王都から来たという軍人なら話がわかるかもしれん。やってみるだけやっておいた方が良い」
倉庫の外へ出たときにはすでに降雨が強くなり始めるも彼は自らの危険を顧みず、これから起こるかも知れぬ危機を彼女達へ伝えるべく馬を走らせた。
◇
ガザレリアの都市に滞在して数日が経過し、街並みにも慣れたアーガストは外出するために城門へと訪れていた。いくら魔物と共生しているとはいえ厳重に壁が立ち並び外の様子は伺えない。どうにもこの閉鎖的な空間が彼にとっては息苦しく感じるようだ。
外出許可を得る為に城門へ立ち寄ると数名の衛兵が対応、周囲からは警戒するような目を向けられるがマディソンと違い彼はいたって冷静だった。
「装備品の一切はお預かり致します。それと外は大変危険ですので護衛を必ず付けてください」
「心配無用、おぬしらと違って拙者は魔物に近い。襲撃を恐れているならむしろ護衛がいる方がかえって危険だと思いますがな」
彼らとしては規則ということで護衛という名目の『監視』を付けたいのだろう。こちらの行動を逐一把握する必要があったのだがその役を買って出る人物が彼の背後から声をかけてやってきた。
「その護衛は俺が引き受けよう。彼とは面識もあるし、時間的にもそこまで遠出できるものでもない」
「はぁ…しかし五隊長がわざわざ出向かなくとも…」
兵士は彼が自ら買って出る事に不思議そうに首を傾げており、アーガストも乗じて彼に同行を依頼する。城門は開かれ、夕刻までの許可が下り大森林の探索へと出かける。
アーガストは彼を『リーコン』と既に名前で呼ぶ関係となっており先日助けられ、マディソン共々酒盛りで大いに盛り上がった。この地で数少ない友人とも呼べる関係となり、話を聞く限りでは彼も相当に腕が立つという話だ。草木を掻き分けながらリーコンに案内を任せながら周囲を見渡すが魔物の姿は見られない。
「今日はマディソン殿はどうされた。彼が一人で街中を歩いていたらまた厄介ごとが増えるのではないか」
マディソンは普段こそ落ち着いてはいるものの、一度火が点くと彼でも手が付けられなくなる。彼の気性の荒さだけはアーガストにとっても悩みの種。シャーナルとの相性も決してよいものとは言えないが彼女の方はそう言う訳でもない。対応を見る限りむしろマディソンのことを気に入っているようにも見える。能力を見て評する彼女にとっては彼の戦闘能力には目を張るものがあるのだろう。言い換えれば能力の面だけしか見ていないとも取れるが、彼女が信用を寄せている限りは二人間で亀裂が生じる心配はない。
故にアーガストは彼女の護衛に付かせて、自身は偵察の任を行なっていたがこのところ新しい情報は掴めず。それどころか、ホールズ一派の情報さえも引き出すことが出来ずに時間だけが虚しく過ぎゆく。気晴らしもかねて外出をするも行けども周囲は大森林。自身の生活圏に近い環境といえど、魔物や動物の姿も見られない彼にとっては退屈なことこの上ないが都市で監視の目に晒されるよりは遥かに心地が良いだろう。
「貴殿にとっては都市にいるよりはこっちの方が良いだろう。故郷を思い出すのではないか?」
「ほぅ、拙者の故郷をご存知か」
「『ガロン』には行ったことはないが知人が向こうに行ったときのことを思い出してな。人間には厳しい環境らしいがここじゃ見られないような動植物も見られたと話してて興味をそそられた」
龍蛇族の発祥の地とされる『ガロン』はユーロピア大陸より南にあるスピノアクス大陸の西部に位置する。砂漠と荒地の乾燥地帯が続き中央部一部の地域ではオアシス的な大森林地域が存在する。さらに西へと超えてゆくことで大森林からなる熱帯雨林へと繋がり『ガロン地方』と呼ばれている。生物にとっては人の手が入っていない楽園のような場所。ユーロピア大陸にもガザレリア、ビレフ、ドラストニアの三国を挟んだ南の地にも人の手の入っていない草原と大森林が織り交ざった地域が存在し、現在は魔物の巣窟となっており長らく人の手がいくことはなかった。
しかし近年においてビレフとその南にある大国『ベスパルティア』が領土拡大を水面下で争っている。
「長らくユーロピアにて足をつけてきたが『べスパルディア』とは聞いたことのない国だな」
「近年国としてようやく認識がされ始めたからな。なによりあそこは山岳がまるで国境の壁のように聳え立っているからそれまでは存在さえ確認されていなかったらしい」
ビレフの飛行艇技術がより発達したことにより確認されるようになり、その全貌は工業が非常に発展した海洋国家。海軍もレイティスと同等、それ以上とも言われ実用レベルの空軍が作られるのも時間の問題とリーコンは危惧している。ビレフの行動は早く、初手から彼らに牽制すべく未開の地に手を出し、べスパルディアもこれにすぐさま対応すべく軍を派兵。一時は勃発とまで言われていたがビレフの前大統領の功が奏し和解。しかし、いつ口火が切られるかは分からない予断を許さない緊張状態が続いている。
ドラストニア側が動きを認識しているかどうかは不明だったが、ラインズとシャーナルが把握していないとは到底思えない。何らかの対策を早い段階で打つべきだろう、だとしてもどうするべきか、そもそも知らないのではないか。ドラストニアは諸外国からも強国と認識されつつあり、この二国がもし連盟を組んで北上進出などということもありえないとは言い切れない。僅かに危機感を募らせつつも数十年近くドラストニアに身を置いておきながらもそんな事になっていたと知らずにいたこれまでの生活でのんびりしすぎていた事に自省し落ち着いてアーガストは考えを巡らせる。
「どうした? 折角外へ出たというのにあまり表情は変わらんな」
アーガストは表情に出さないようにと努めていたがかえって自然体ではなく堅いものとなっていたのか悟られる。
「はしゃぐような歳でもなかろう」
「まぁ…故郷との微妙な差だろうか、長年ドラストニアの気候に慣れてしまったせいかな」
「故郷を忘れてしまいそうで怖いもんだな」
ガザレリアも隣接しているためにこのような話が出てきたのだろうが、それにしてもなぜリーコンは立場としては味方ではないドラストニアの将兵の彼にこんな話をしたのだろうか。協力姿勢を見せているのかあるいは別の目的か…。
彼の背中を見ながらそんなことを考え警戒していると互いに人の気配を察知し反応。
すぐに草木に隠れてやり過ごす。確認できるだけでも十数名、足取りからおそらく軍人と民間人が混ざっていることが伺えた。
「野戦演習の予定でも?」
「いや、そんな予定はないはずだ。そもそも森林地帯での演習なんてやれるわけがない」
彼らの法の下ならば当然なのだがリーコンも辟易とした様子を見せる。アーガスト達を追って来たにしては尾行がザル過ぎる上、むしろ彼らのことを考えにも置いていない様子。警備にしても民間人がいることが気になるところ。目的が分からない故に彼らの尾行を始める。
しばらく歩いたところでなにやら騒々しくなり、人の足音に混じって違う音まで聞こえてくる。そして野営地のような場所へとたどり着くと多くの兵と民間人が行き交いし積荷を積んでいる。多くは布を被せられ運ばれていくが中には巨大な檻に入れられた魔物が眠っているように大人しく入れられていた。
「なんだこれは…軍が魔物を捕獲?」
「殺傷に関しては罰せられるも捕獲は目を瞑られてるのかね?」
「保護ならともかく、捕獲は禁じられている」
皮肉を言うアーガストに即答するが、それ以上の反論も出来ない。
「違いが解せんな」
物は言い様だが、少なくとも保護活動と呼ぶにはあまりにもお粗末な現場。中には全く別種の魔物同士を同じ檻に入れているところも見られた。取り締まるべき立場にある軍が魔物の捕獲と密売を協力しているのだろうか、生態調査の一環とも考えられるが、商人がこの場にいる理由が見当もつかない。
周囲を見回して、ざっと一個中隊規模はいるかと思われる。歩兵のみならずマスケット兵、捕獲用のものなのか大砲も数基確認できる。まるで戦争でも始めるかのような大部隊を投入してまで何をしているのかと様子を伺っていると紛れ込んでしまったのか入国してきたばかりなのか傭兵らしき部隊数名が拘束され連れて来られた。
「なんなんだよ!? 俺たちは仕事で来ただけだぞ!!」
「あんたら、何のつもりか知らんが俺たちは何もしちゃいない。拘束を解いてくれ」
傭兵達が必死に頼み込んでいるが軍はその様子をニヤついて見ている。その奥から指揮官らしき人物がやって来て兵達と耳打ちで会話をしあったかと思った次の瞬間、傭兵の一人の頭部をマスケットで撃ち抜いた。乾いた音が響き渡り、傭兵達は悲鳴を上げ中には女性と思しき声も混ざっていた。それが口火となったのか兵達は次々と傭兵達を射殺していく。
「この女はどうします」
「好きにしろ。女はまだ使い道があるからな」
指揮官が放った一言に兵達の声色が僅かに上がる。それが何を意味するのか理解した女性は悲鳴をあげて抵抗するも腹部を拳を食らい失神。拘束されたまま兵士達に野営地のテントへと連れて行かれ姿が見えなくなる。あの女性がどのような目に遭うかは想像はつく。それでも二人は冷静になり茂みでやり過ごすことにした。
「てっきり看過出来ないと飛出して助けに入るのかと思ったよ」
「この状況で助太刀出来るほどの余裕などないであろう。彼女には申し訳ないがこちらも事情があるので迂闊な真似は出来ん」
武器がなくとも龍蛇族は肉体能力も非常に高く銃弾程度なら弾ける鱗も持つ。しかしこの人数相手ではいくらアーガストいえども武器も無しには無謀。
彼らも冷静には努めるものの内心悔しさを噛み締め、リーコンも軍内部に疑問を抱き、信頼足る人間に伝えるという。野営地から退くこととなりアーガスト様子を見るため再び振り返ると先ほどの指揮官が商人とも軍人とも雰囲気の異なる、青い正装を身に纏った男と話しているのが僅かに見えた。
「あの制服…どこかで見覚えが」
見張りの兵士たちが彼らの方へと向かってくる気配を感じとり急ぎ足でその場を立ち去る。
都市に到着した頃には日が随分と落ち辺りもすっかり黄昏へと変わりつつあった。リーコンとは城壁で別れを告げ、今回の件については互いに触れることはなかったが共通の認識程度には心境を理解しあっていた。
アーガストはすぐさま宿泊先へ戻りシャーナルとマディソンと合流し今回の件について報告するつもりでいたのだがー…。
「おお、兄者! 何処に行ってたんだ、探したぞ」
宿の広場でマディソンが大声で彼を呼び巨体を揺らして向かってくるがシャーナルの姿がない。
「マディソン、シャーナル皇女は何処へ? 急ぎ報告があったのだが」
マディソンが話すにはシャーナルはガザレリアの代表の公邸で行われるパーティーに招待されたとのこと。急な話だったために急ぎ準備をして向かったと話し、彼女はアーガストのことを出発間際まで待っていたそうだ。
もしやと思い、アーガストは急ぎ公邸へと向かう準備を始めマディソンにも別件を依頼する。
「お主は貨物鉄道に向かってくれ」
「兄者の頼みなら行ってくるがなんでそんなとこに?」
彼の疑問に耳打ちで大森林で見てきた一件について伝える。鉄道あるいは貨物運搬のインフラのある場所で取引が行われているかもしれないと指示し、軍の管理下に置かれている場所を探すように徹底した。
「くれぐれも隠密行動で頼むぞ。拙者はシャーナル皇女にこの事を伝えてくる」
「暴れるなってことだろう。わかってるから心配すんなよ」
気性の荒いマディソンに任せることは少々不安ではあったがシャーナルが呼ばれたことが気掛かりだったため、彼は急いで公邸へ走り出した。
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