インペリウム『皇国物語』
67話 鳥籠の中の姫君
平穏の訪れを知らせる朝日。日の光によって闇夜が徐々にミスティア郊外を照らし出してゆく。郊外に住む農村地区の人間の朝は早く、日が昇る前から活動を始める。いつものように家畜の状態を確認し、売りに出す家畜を都市部へと運ぶための準備を行なう。
そして都市部も日が昇りきる前に市場は開店準備を始める。店主の一人がいつものようにポストから郵便物を取った後、朝刊代わりの掲示板を確認しに向かう途中で店主は思わず声を上げてしまう。
掲示板広場にて無残な姿を晒す死体。もはや誰かさえも分からないほどの血まみれに血の海。平穏な朝の訪れが一変し不穏と恐怖の訪れの幕が開ける。
◇
日が昇り日差しが都市部全体を照らしたことで露になっていく。掲示板周辺では野次馬のように人だかりが出来、十数名の都市部の衛兵と役人によって現場検証のようなものが行なわれている。あまりに悲惨な現状に目を背けて野次馬の中から思わず吐き出してしまう人間もいた。
「さっさと下がらせろ。こんなとこで吐くくらいなら見に来るな馬鹿共が」
野次馬を下がらせるように衛兵に強く指示する役人。見た目も厳格で髪も短く、僅かに剃り残しのような髭が生え筋肉質の中年の男だ。一見どちらかといえば衛兵でもやっているのではないかと思わせる容姿でありながら彼は役人としてこの都市で働いている。彼の元に若手の役人らしき細身の男性が遅れてやってくるなり死体の状況を確認する。
「遅れてすみません。ひどいですね…。通り魔の犯行でしょうか」
「爪で引き裂いたような傷があるぞ」
役人は新人にそう答える。新人もすぐさま、剣で斬ったような傷があることも指摘し腕は何かに噛み千切られた痕もあるのを発見する。魔物にも襲われ、野盗にも襲われたのかなんとも奇妙な死体。魔物の襲撃を受けた後に逃げ込んだ先で野盗に殺されたのではないかと新人は推測するが役人の意見は違っているようだ。
「魔物に襲われたとしてどうやって逃げた?」
「屈強な男です。逃げ延びることも出来ないとは言い切れません」
「既に噛み千切られてるような痕だぞ。物凄い出血だったろうに。逃げるのさえ必死で、その逃げ延びた場所がここか?」
そう考えるとこの町で野盗が現われたということになってしまう。体力的にもここから逃げることも難しいだろう。かといって野盗が殺害後にわざわざ街中まで運ぶというのも考えられない。現場検証においても彼の持ち物は漁られた形跡はほとんどなく、彼を殺害することだけが目的だったように思われる。
「となると怨恨の線が濃厚に…」
新人は怨恨を疑い被害者の交友関係を洗い出すべく周辺に聞き込みに乗り出すつもりでいるようだが役人は溜め息をついて現場を立ち去る。
「身元が割れたらわかるかもな」
「公爵! どちらへ向かわれるのです!?」
若手役人に呼び止められて彼は少々呆れた表情で自身の呼び方に対して苦言を呈する。
「その呼び方はやめろ」
「は、はぁ…しかし―」
堅苦しい敬称は不要と伝えるが若手は渋るような煮え切らない様子を見せる。公爵と呼ばれた役人は別の線で捜査するようで他の役人とは別行動を取るようだ。若手の役人は彼を案ずるよう見送るが同僚の役人からは彼のことはほっておくように言われる。他の役人からはやはり変わり者扱いされているのか腫れ物扱いなのか距離を置かれている存在。そんな空気に不満を抱きつつも若手の役人は捜査に乗り出した。
◇
一方、ドラストニア王都では各国首脳『グレトン公国』、『フローゼル王国』、『レイティス共和国』の首脳陣を迎えるための準備が行なわれていた。四カ国による新しい連合同盟が締結されることは各所でも噂され各情報局や新聞社でも話題として取り上げられている。
今後の方針を固める閣議も決定し、長老派の一部も参加するとのことで彼らの意見も取り入れるつもりではいるのだが他の国王派の中からは懐疑的な意見も飛び交う。
「本当に長老派を受け入れても良いのでしょうか?」
「レイティスの件でロブトン大公に対する疑いもございます、十分に熟慮されては如何です」
数名の国王派の高官は口節にそう言うがセバスはもう閣議決定したことだと彼らに言い聞かせる。ラインズはというと…別のこと考えているのか彼らの会話に参加していない様子。そんな彼らの元に向かい側から長老派の高官をポスト公爵、ロブトン大公が率いる形で歩いてくる。まるで現在の対立軸を描くように大広間の二階廊下で向かい合う光景がそこにあった。
「ラインズ皇子と皆様、今回はこちらも参加させていただきますこと感謝致します。こういう場は立場上あまり持てないのでこちらとしても意見表明の機会を活用させていただきます」
「ラインズ皇子が『ワンマン』ではないということも十分理解できましたしね」
ポスト公爵が揶揄するように彼に挑発の言葉を投げる。国王派の高官達は顔を顰めて彼の言葉の悪意に嫌悪感を示す。セバスも呆れた様子で表情を変えずにラインズを擁護する。
「ラインズ皇子殿下はいつでも国家運営のことを第一に考え、その上で『長老派』からの意見も重要だと常に考えておられます。別段今回のことが珍しいことではございません」
セバスの反応に長老派は少し笑みを含んだ表情を浮かべ、直ぐにポスト公爵が言葉を被せた。
「ほうほう…なるほどフローゼル、グレトンとの一件で軍を動かす話を我々は少なくとも聞いてはおりませんでしたが。私の記憶違いでしょうか?」
嫌味のような物言いでセバスに反論。フローゼルとグレトンとの諸問題にドラストニアが軍を動かして介入したことを問題視し、今回の四カ国の関係自体に言及を行なうような発言を匂わせる。グレトンに至ってはドラストニアが軍を利用して彼らに協力を促しているのではないかとも。
「グレトン公国には優秀な指導者がおりましたが現在はあのような子供が国家運営を行なうとは…いつからこの近辺は『子供国家』へと成り下がってしまったのでしょうかね」
彼らの揶揄に国王派の人間は声を上げて口節に反論。ラインズも言ってしまえば成人しているわけではないが実質的な国王の代わりとして摂政とも言われている。グレトン公国のシェイドは言わずもだが彼は本来であれば正式な後継者であり、子供でありながらも狡猾な部分を持ちながらも物腰の柔かい外交が出来るのは見ている人間にしか分からない。だがレイティスでの会談の場で見ているロブトン大公はそのことは分かっている。
しかし敢えて彼らの揶揄を止めていない点を見ても、今のシェイドの政権に少なくとも肯定的ではない考え方なのはセバスもこのやり取りの中で見出していた。冷静に傍観しているロブトン大公の視線を見ていると彼の視線はラインズに向けられていたことにふと気づく。その目は他の高官達とは異なり、余裕が見られない。むしろ何か警戒との洞察とも思えぬ至って冷静なものだ。
当人ラインズは彼らの元から少し歩いて離れながらなにやら手元の紙を折っていた。紙飛行機のような形に折った紙を一階へ向けて子供のように飛ばして遊んでいるような様子。
偶然通りかかったイヴの丁度正面に落ちるようにして彼女がそれを拾い上げてこちらを見た。ラインズもそれに気づいて笑顔で手を振るが能天気な彼の姿に彼女はジト目を向けるだけだ。普段の鬱憤をまるで晴らすかのように紙をくしゃくしゃに丸めてその場を立ち去った。
「あーあ、振られちまったな」
ラインズはがっくりと肩を落して両陣営に対して「失礼するよ」とだけ一言残して一人とぼとぼと王宮へと姿を消していった。彼を追うように国王派もつられてそそくさとその場を立ち去るが後ろから長老派達の笑い声が響き渡る屈辱を噛み締めるように苦い表情を浮かべる。セバスは振り向いて彼らの方を見るがロブトン大公だけは笑っていなかったことに気づく。
そして大広間から出たイヴは咄嗟の判断で丸めた紙を広げて見る。一瞬見えた文字に気づいてあたかもゴミを処分するかのような素振りを見せてその場を後にしたがやはり裏があった。内容は王都の茶屋に来て欲しいとのことと、ガザレリアで動きがあったということであった。
王宮でただ役割を待つよりも、ラインズの思惑に乗ってでも自身の在り方を見出すべく彼女は急ぎ早に王宮を駆け出して行く。
◇
「ご注文は如何いたしましょうか?」
「紅茶を一つお願い。あ、砂糖とミルクは結構よ」
紅茶を飲みたいという気分ではなかった。けれど何か注文しないと彼らに申し訳ないという気持ちもあり、いつものように頼んだ良いが紅茶一つで落ち着けるほどの心持ちではない。ガザレリアに動きがあったとすればおそらく先遣として向かったシャーナル皇女の身に何かあったのだろう。付き人がアーガスト殿とマディソン殿なので万一の事もないだろうと思ってはいたがまさかこのような巡り合わせがくるとは。
ここで彼らへの恩義を果たす事ができれば一歩フローゼルの立場も前進できる。ドラストニアに恩義のある現状では彼らに強く意見表明を示す事も難しいし、何より父の性格も相まって余計に会談の場でも発言の余地があるかどうか心配だった。けれどここで責務を全うすればドラストニアに対して信用を取り付けることは出来る。私達にとっては好機そのものでこれを逃す手はない。
落ち着いていなかったのが目に見えて分かっていたのか彼が少し遅れながらやって来て開口と同時に「さほど悪い知らせじゃないが良い知らせでもない」と伝えてくる。紫苑殿も一緒だったようで少し早めの午後の茶会と行きたいところだろうがこちらとしてはそんな気乗りはしない。一刻も早く状況を知りたかった。
「それで彼女達は大丈夫なの? ずっと連絡がなかったようだけれど」
「今朝一番に飛竜が帰ってきたよ。シャーナル嬢に何かあったときのための保険として動きがあった際には直ぐに戻るようにと後をつけさせてたんだ」
「それが戻ってきたということは…」
「ガザレリア側に捕まったか魔物の襲撃を受けたかだな。だから直ぐにでも紫苑と部隊を国境線に派兵するつもりだ」
やはりか―…。予想はついていたがこうも早くホールズ一派が動き出してきたのには意外だった。私も呼ばれたということは今回の派兵に追従することができる好機。派兵するにあたっての準備は十分に出来ておりいつでも向かう事ができるとのことを伝える…。
―が彼の返答は予想していなかったものだった。
「いやあんたにはミスティアに行ってもらう」
時が止まったかのように私は一瞬固まって何も言えなくなった。
周囲の音もまるで自分よりもはるか遠方にあるかのようにぼやけたような小さな雑音に聞こえる。ただハッキリと聞こえるのは彼の説明する声だけだ。
“なぜミスティアへ…?”
彼曰くこの事が公になれば会談の場でフローゼルが窮地に立たされかねない。元はと言えばホールズ一派はフローゼル王国の人間達、彼らがガザレリアと本当に組して四カ国と向かい合うというのであれば他のグレトンはまだしも、レイティスに与える印象は決して良いものではなくなってしまうだろう。わざわざ成立させられるものを自分達で潰すような危険を冒すのは得策ではないと説いた。
彼の言うことには理解はできる。ここまで来られたのも彼らの力があってこそ、私達の力ではないことなど重々承知している。だからこそ、ここでその恩に報いることが出来なければ会談の場で不利な条件を突きつけられてもフローゼルの発言権そのもの危ぶまれるのではないだろうか。
彼はフローゼルを体の良い属国として追従させたいのではないか?―そんな考えが浮かんでは消えて、更に浮かんでは消えて…と私の頭の中で繰り返される。
「あなたの言うことも理解は出来るけれど、これは私達の責任でもある。いまその機会が目の前にあるというのに…その責務さえ私達には果たすことすら許されないの!?」
「そうは言ってないだろ。何も俺たちは属国が欲しくてこんなことを言ってるわけじゃない」
「なら理由を教えてほしい! どうしてミスティアなの?」
彼らの報告の中にあったもう一つのもの、それがミスティアの一件だった。現状魔物の動きが活発化しつつあり、そのせいで農村地区の受けている被害が拡大しつつあるとのこと。ドラストニアの兵力を率いてその沈静化に当たって欲しいとの彼らドラストニアからの『依頼』であった。私への報告はあくまで私自身が感じている責任への負担を軽くするものとのことだ。
ようやく自身の役割を全うできると、そう思って今回の派兵に追従できるのだろう。フローゼルの立場を回復させる好機が巡ってきたと思っていたらまたドラストニアに体よく利用されるのか―。だからといってここで拒否する選択肢は全くなかった。それこそドラストニアに対して恩を仇で返すようなもの。
「『依頼』…ということであるなら、受ける条件として一つだけ聞いて欲しい」
「勿論言いたいことがあるなら言ってほしい」
「こちらもレイティスとの…『翠晶石』の件でそちらの思惑通りになるよう協力はしたつもりよ。だから今回の会談でフローゼルにもせめて―……発言の余地を頂きたい」
「そちらの外貨獲得という利益の点を考慮しても相殺になるんじゃないかね?」
「厚かましいことを言っているのは重々承知してるわ。その代わり結果は確実に出すことを約束する。他にも条件があるのならそれも受け入れる。ただこの依頼を受けるのなら私の条件も飲む前提でお願いしたい」
「なんでも…か」
彼は呟きながら何かを考えるようにカップに入った珈琲をスプーンで混ぜ、その動きを見つめている。当然彼らの依頼に加えて他に条件を提示されても受け入れるつもりでいたし、そしてドラストニアにとって今フローゼルを失うことは多少の痛手を負うことにもなる。少なくとも交流が要約できたばかりのレイティスとの関係は拗れ、彼の構想にある『共栄圏』は崩れる。
自身の信条に背くことにはなってもその身を差し出せと言われれば彼の『愛人』にでもなんにでもなるつもりもあった。
言葉にはしなかったが彼らもそれは理解している。私に出来る唯一の抵抗と言っていいのだろうかそれとも取引きと言っていいのだろうか。どちらにしてもそれを分かっていたからこそ私達の条件も彼らは拒むことは難しいと考えた。だが言ってみたものの、その逆も可能性がないわけではない。仮に彼らがこちらの条件を受け入れなかったらその時点で私の命はない―…。
「本気で言っているんだな?」
彼の言葉に私は覚悟を決めて彼の眼を真っ直ぐに見て答える。
「勿論よ」
私の言葉に一言「そうか」と呟いた後彼は一度頷いてから承諾してくれることとなった。私はすぐさま立ち上がり深々とお辞儀をして感謝の言葉を伝える。
「ありがとうございます」
彼は少し慌てて私に頭を上げるように言っていたがそこからはあまり憶えていなかった。私自身はドラストニアの操り人形になっても良い。けれど国は―…フローゼルと国民、そしてお父様だけはこれから彼らと付き合っていくにしても対等であるよう守らなければならない。
それが私に出来る唯一のことなのだから―…。
「そうよね…リズ」
言葉にしていたのかそれとも心の中で呟いたのかも分からなかったけれどその言葉だけはハッキリと覚えていた。
そして都市部も日が昇りきる前に市場は開店準備を始める。店主の一人がいつものようにポストから郵便物を取った後、朝刊代わりの掲示板を確認しに向かう途中で店主は思わず声を上げてしまう。
掲示板広場にて無残な姿を晒す死体。もはや誰かさえも分からないほどの血まみれに血の海。平穏な朝の訪れが一変し不穏と恐怖の訪れの幕が開ける。
◇
日が昇り日差しが都市部全体を照らしたことで露になっていく。掲示板周辺では野次馬のように人だかりが出来、十数名の都市部の衛兵と役人によって現場検証のようなものが行なわれている。あまりに悲惨な現状に目を背けて野次馬の中から思わず吐き出してしまう人間もいた。
「さっさと下がらせろ。こんなとこで吐くくらいなら見に来るな馬鹿共が」
野次馬を下がらせるように衛兵に強く指示する役人。見た目も厳格で髪も短く、僅かに剃り残しのような髭が生え筋肉質の中年の男だ。一見どちらかといえば衛兵でもやっているのではないかと思わせる容姿でありながら彼は役人としてこの都市で働いている。彼の元に若手の役人らしき細身の男性が遅れてやってくるなり死体の状況を確認する。
「遅れてすみません。ひどいですね…。通り魔の犯行でしょうか」
「爪で引き裂いたような傷があるぞ」
役人は新人にそう答える。新人もすぐさま、剣で斬ったような傷があることも指摘し腕は何かに噛み千切られた痕もあるのを発見する。魔物にも襲われ、野盗にも襲われたのかなんとも奇妙な死体。魔物の襲撃を受けた後に逃げ込んだ先で野盗に殺されたのではないかと新人は推測するが役人の意見は違っているようだ。
「魔物に襲われたとしてどうやって逃げた?」
「屈強な男です。逃げ延びることも出来ないとは言い切れません」
「既に噛み千切られてるような痕だぞ。物凄い出血だったろうに。逃げるのさえ必死で、その逃げ延びた場所がここか?」
そう考えるとこの町で野盗が現われたということになってしまう。体力的にもここから逃げることも難しいだろう。かといって野盗が殺害後にわざわざ街中まで運ぶというのも考えられない。現場検証においても彼の持ち物は漁られた形跡はほとんどなく、彼を殺害することだけが目的だったように思われる。
「となると怨恨の線が濃厚に…」
新人は怨恨を疑い被害者の交友関係を洗い出すべく周辺に聞き込みに乗り出すつもりでいるようだが役人は溜め息をついて現場を立ち去る。
「身元が割れたらわかるかもな」
「公爵! どちらへ向かわれるのです!?」
若手役人に呼び止められて彼は少々呆れた表情で自身の呼び方に対して苦言を呈する。
「その呼び方はやめろ」
「は、はぁ…しかし―」
堅苦しい敬称は不要と伝えるが若手は渋るような煮え切らない様子を見せる。公爵と呼ばれた役人は別の線で捜査するようで他の役人とは別行動を取るようだ。若手の役人は彼を案ずるよう見送るが同僚の役人からは彼のことはほっておくように言われる。他の役人からはやはり変わり者扱いされているのか腫れ物扱いなのか距離を置かれている存在。そんな空気に不満を抱きつつも若手の役人は捜査に乗り出した。
◇
一方、ドラストニア王都では各国首脳『グレトン公国』、『フローゼル王国』、『レイティス共和国』の首脳陣を迎えるための準備が行なわれていた。四カ国による新しい連合同盟が締結されることは各所でも噂され各情報局や新聞社でも話題として取り上げられている。
今後の方針を固める閣議も決定し、長老派の一部も参加するとのことで彼らの意見も取り入れるつもりではいるのだが他の国王派の中からは懐疑的な意見も飛び交う。
「本当に長老派を受け入れても良いのでしょうか?」
「レイティスの件でロブトン大公に対する疑いもございます、十分に熟慮されては如何です」
数名の国王派の高官は口節にそう言うがセバスはもう閣議決定したことだと彼らに言い聞かせる。ラインズはというと…別のこと考えているのか彼らの会話に参加していない様子。そんな彼らの元に向かい側から長老派の高官をポスト公爵、ロブトン大公が率いる形で歩いてくる。まるで現在の対立軸を描くように大広間の二階廊下で向かい合う光景がそこにあった。
「ラインズ皇子と皆様、今回はこちらも参加させていただきますこと感謝致します。こういう場は立場上あまり持てないのでこちらとしても意見表明の機会を活用させていただきます」
「ラインズ皇子が『ワンマン』ではないということも十分理解できましたしね」
ポスト公爵が揶揄するように彼に挑発の言葉を投げる。国王派の高官達は顔を顰めて彼の言葉の悪意に嫌悪感を示す。セバスも呆れた様子で表情を変えずにラインズを擁護する。
「ラインズ皇子殿下はいつでも国家運営のことを第一に考え、その上で『長老派』からの意見も重要だと常に考えておられます。別段今回のことが珍しいことではございません」
セバスの反応に長老派は少し笑みを含んだ表情を浮かべ、直ぐにポスト公爵が言葉を被せた。
「ほうほう…なるほどフローゼル、グレトンとの一件で軍を動かす話を我々は少なくとも聞いてはおりませんでしたが。私の記憶違いでしょうか?」
嫌味のような物言いでセバスに反論。フローゼルとグレトンとの諸問題にドラストニアが軍を動かして介入したことを問題視し、今回の四カ国の関係自体に言及を行なうような発言を匂わせる。グレトンに至ってはドラストニアが軍を利用して彼らに協力を促しているのではないかとも。
「グレトン公国には優秀な指導者がおりましたが現在はあのような子供が国家運営を行なうとは…いつからこの近辺は『子供国家』へと成り下がってしまったのでしょうかね」
彼らの揶揄に国王派の人間は声を上げて口節に反論。ラインズも言ってしまえば成人しているわけではないが実質的な国王の代わりとして摂政とも言われている。グレトン公国のシェイドは言わずもだが彼は本来であれば正式な後継者であり、子供でありながらも狡猾な部分を持ちながらも物腰の柔かい外交が出来るのは見ている人間にしか分からない。だがレイティスでの会談の場で見ているロブトン大公はそのことは分かっている。
しかし敢えて彼らの揶揄を止めていない点を見ても、今のシェイドの政権に少なくとも肯定的ではない考え方なのはセバスもこのやり取りの中で見出していた。冷静に傍観しているロブトン大公の視線を見ていると彼の視線はラインズに向けられていたことにふと気づく。その目は他の高官達とは異なり、余裕が見られない。むしろ何か警戒との洞察とも思えぬ至って冷静なものだ。
当人ラインズは彼らの元から少し歩いて離れながらなにやら手元の紙を折っていた。紙飛行機のような形に折った紙を一階へ向けて子供のように飛ばして遊んでいるような様子。
偶然通りかかったイヴの丁度正面に落ちるようにして彼女がそれを拾い上げてこちらを見た。ラインズもそれに気づいて笑顔で手を振るが能天気な彼の姿に彼女はジト目を向けるだけだ。普段の鬱憤をまるで晴らすかのように紙をくしゃくしゃに丸めてその場を立ち去った。
「あーあ、振られちまったな」
ラインズはがっくりと肩を落して両陣営に対して「失礼するよ」とだけ一言残して一人とぼとぼと王宮へと姿を消していった。彼を追うように国王派もつられてそそくさとその場を立ち去るが後ろから長老派達の笑い声が響き渡る屈辱を噛み締めるように苦い表情を浮かべる。セバスは振り向いて彼らの方を見るがロブトン大公だけは笑っていなかったことに気づく。
そして大広間から出たイヴは咄嗟の判断で丸めた紙を広げて見る。一瞬見えた文字に気づいてあたかもゴミを処分するかのような素振りを見せてその場を後にしたがやはり裏があった。内容は王都の茶屋に来て欲しいとのことと、ガザレリアで動きがあったということであった。
王宮でただ役割を待つよりも、ラインズの思惑に乗ってでも自身の在り方を見出すべく彼女は急ぎ早に王宮を駆け出して行く。
◇
「ご注文は如何いたしましょうか?」
「紅茶を一つお願い。あ、砂糖とミルクは結構よ」
紅茶を飲みたいという気分ではなかった。けれど何か注文しないと彼らに申し訳ないという気持ちもあり、いつものように頼んだ良いが紅茶一つで落ち着けるほどの心持ちではない。ガザレリアに動きがあったとすればおそらく先遣として向かったシャーナル皇女の身に何かあったのだろう。付き人がアーガスト殿とマディソン殿なので万一の事もないだろうと思ってはいたがまさかこのような巡り合わせがくるとは。
ここで彼らへの恩義を果たす事ができれば一歩フローゼルの立場も前進できる。ドラストニアに恩義のある現状では彼らに強く意見表明を示す事も難しいし、何より父の性格も相まって余計に会談の場でも発言の余地があるかどうか心配だった。けれどここで責務を全うすればドラストニアに対して信用を取り付けることは出来る。私達にとっては好機そのものでこれを逃す手はない。
落ち着いていなかったのが目に見えて分かっていたのか彼が少し遅れながらやって来て開口と同時に「さほど悪い知らせじゃないが良い知らせでもない」と伝えてくる。紫苑殿も一緒だったようで少し早めの午後の茶会と行きたいところだろうがこちらとしてはそんな気乗りはしない。一刻も早く状況を知りたかった。
「それで彼女達は大丈夫なの? ずっと連絡がなかったようだけれど」
「今朝一番に飛竜が帰ってきたよ。シャーナル嬢に何かあったときのための保険として動きがあった際には直ぐに戻るようにと後をつけさせてたんだ」
「それが戻ってきたということは…」
「ガザレリア側に捕まったか魔物の襲撃を受けたかだな。だから直ぐにでも紫苑と部隊を国境線に派兵するつもりだ」
やはりか―…。予想はついていたがこうも早くホールズ一派が動き出してきたのには意外だった。私も呼ばれたということは今回の派兵に追従することができる好機。派兵するにあたっての準備は十分に出来ておりいつでも向かう事ができるとのことを伝える…。
―が彼の返答は予想していなかったものだった。
「いやあんたにはミスティアに行ってもらう」
時が止まったかのように私は一瞬固まって何も言えなくなった。
周囲の音もまるで自分よりもはるか遠方にあるかのようにぼやけたような小さな雑音に聞こえる。ただハッキリと聞こえるのは彼の説明する声だけだ。
“なぜミスティアへ…?”
彼曰くこの事が公になれば会談の場でフローゼルが窮地に立たされかねない。元はと言えばホールズ一派はフローゼル王国の人間達、彼らがガザレリアと本当に組して四カ国と向かい合うというのであれば他のグレトンはまだしも、レイティスに与える印象は決して良いものではなくなってしまうだろう。わざわざ成立させられるものを自分達で潰すような危険を冒すのは得策ではないと説いた。
彼の言うことには理解はできる。ここまで来られたのも彼らの力があってこそ、私達の力ではないことなど重々承知している。だからこそ、ここでその恩に報いることが出来なければ会談の場で不利な条件を突きつけられてもフローゼルの発言権そのもの危ぶまれるのではないだろうか。
彼はフローゼルを体の良い属国として追従させたいのではないか?―そんな考えが浮かんでは消えて、更に浮かんでは消えて…と私の頭の中で繰り返される。
「あなたの言うことも理解は出来るけれど、これは私達の責任でもある。いまその機会が目の前にあるというのに…その責務さえ私達には果たすことすら許されないの!?」
「そうは言ってないだろ。何も俺たちは属国が欲しくてこんなことを言ってるわけじゃない」
「なら理由を教えてほしい! どうしてミスティアなの?」
彼らの報告の中にあったもう一つのもの、それがミスティアの一件だった。現状魔物の動きが活発化しつつあり、そのせいで農村地区の受けている被害が拡大しつつあるとのこと。ドラストニアの兵力を率いてその沈静化に当たって欲しいとの彼らドラストニアからの『依頼』であった。私への報告はあくまで私自身が感じている責任への負担を軽くするものとのことだ。
ようやく自身の役割を全うできると、そう思って今回の派兵に追従できるのだろう。フローゼルの立場を回復させる好機が巡ってきたと思っていたらまたドラストニアに体よく利用されるのか―。だからといってここで拒否する選択肢は全くなかった。それこそドラストニアに対して恩を仇で返すようなもの。
「『依頼』…ということであるなら、受ける条件として一つだけ聞いて欲しい」
「勿論言いたいことがあるなら言ってほしい」
「こちらもレイティスとの…『翠晶石』の件でそちらの思惑通りになるよう協力はしたつもりよ。だから今回の会談でフローゼルにもせめて―……発言の余地を頂きたい」
「そちらの外貨獲得という利益の点を考慮しても相殺になるんじゃないかね?」
「厚かましいことを言っているのは重々承知してるわ。その代わり結果は確実に出すことを約束する。他にも条件があるのならそれも受け入れる。ただこの依頼を受けるのなら私の条件も飲む前提でお願いしたい」
「なんでも…か」
彼は呟きながら何かを考えるようにカップに入った珈琲をスプーンで混ぜ、その動きを見つめている。当然彼らの依頼に加えて他に条件を提示されても受け入れるつもりでいたし、そしてドラストニアにとって今フローゼルを失うことは多少の痛手を負うことにもなる。少なくとも交流が要約できたばかりのレイティスとの関係は拗れ、彼の構想にある『共栄圏』は崩れる。
自身の信条に背くことにはなってもその身を差し出せと言われれば彼の『愛人』にでもなんにでもなるつもりもあった。
言葉にはしなかったが彼らもそれは理解している。私に出来る唯一の抵抗と言っていいのだろうかそれとも取引きと言っていいのだろうか。どちらにしてもそれを分かっていたからこそ私達の条件も彼らは拒むことは難しいと考えた。だが言ってみたものの、その逆も可能性がないわけではない。仮に彼らがこちらの条件を受け入れなかったらその時点で私の命はない―…。
「本気で言っているんだな?」
彼の言葉に私は覚悟を決めて彼の眼を真っ直ぐに見て答える。
「勿論よ」
私の言葉に一言「そうか」と呟いた後彼は一度頷いてから承諾してくれることとなった。私はすぐさま立ち上がり深々とお辞儀をして感謝の言葉を伝える。
「ありがとうございます」
彼は少し慌てて私に頭を上げるように言っていたがそこからはあまり憶えていなかった。私自身はドラストニアの操り人形になっても良い。けれど国は―…フローゼルと国民、そしてお父様だけはこれから彼らと付き合っていくにしても対等であるよう守らなければならない。
それが私に出来る唯一のことなのだから―…。
「そうよね…リズ」
言葉にしていたのかそれとも心の中で呟いたのかも分からなかったけれどその言葉だけはハッキリと覚えていた。
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