インペリウム『皇国物語』
53話 Negotiation
紫苑とジャックスは海賊船に連れられ、彼らの取引の場に駆り出されることとなった。紫苑であれば一網打尽に出来るほどの僅かな兵力のみではあったものの囚われのロゼットの身の安全のために彼も行動は起こせず追従するだけだ。
紫苑の大槍はその重量のため誰も扱いきれず海賊船の中で保管されているようで彼の手元にはなく、黒刀は孤島に到着した際に取り上げられている。船長室の前で二人の話し合いの間、紫苑はただ待つことしか出来ずに歯痒い思いを強いられる。
海賊船もならず者達の臭いなのか、船体が浴びた血液がこべりついているのか酷い死臭のようなものが漂っており紫苑も眉を顰めて彼らの対談を待っていた。
一方船長室ではジャックスとダヴィッドの話し合いが行なわれていた。
フランクな雰囲気で緊張感のあるものではない。どちらかと言えば知り合いと話し合うようなそんな感じさえ醸し出しているがそれもそのはず、二人は知己の仲であったのだから。
「どうやってあの場から生き延びたんだ?」
ダヴィッドはジャックスに問う。彼らは以前に大規模な海域戦において合間見えたことがある。まだレイティスの海軍が今ほど強力でなかったその時代、今以上に海賊が跋扈していた。それによって海域は常に海賊の襲撃と隣り合わせとなっており、海賊と海軍とで応酬が来る日も来る日も続けられていた時代であった。
そんな中での戦場にて彼らは互いに敵同士として剣を振るって戦っていた。あの場で死んだはずの男だと思っていたダヴィッドとしては顔合わせをした際、内心驚きに満ちていた心情を語る。
「あの場で俺を確実に殺しておかなかったことを後悔しているのだろうが、俺はむしろ感謝しているくらいだ」
ジャックスの言葉に妙に納得したような表情を見せるダヴィッド。あの場で死に掛けて生きる術と世渡り術を結果的に体得したことで今は順風満帆の日常を送ることが出来ていると語る。ダヴィッドに対しては恨みもなければ怒りもないのだと。
ダヴィッドもそれが彼の本心なのか真偽はわからないがロゼットを見殺しにするつもりもないとはわかっていた。そうでなければ協力に応じる必要などないのだから。そして取引の際に協力できるのであれば今後の身の振り方の余地はあると告げている。
「飛竜で寄越してきた書簡内容を見るに取引の場には出てくるが応じるというような文面ではないな。不意打ちを仕掛けて救出しようとしてるんじゃないか?」
この飛竜とは飛竜種とされる竜の一種でかなり足の速く、大鷲よりも僅かに大きい程度の躯体を持つ。大陸の端から端までの距離であれば一日で走破できるほどには早い移動が可能とされる飛行能力を持つために書簡のやり取りにはこれらが非常に重宝されている。
その飛竜から届けられた書簡を見てジャックスは先ほどのように提言する。ダヴィッドもそれは承知している。そのため船員達を孤島の各所の岩影に潜ませて相手のさらに不意をつくような形をとっていると説明する。これは裏を返せば防衛だけでなく濃霧の度合いによっては攻撃にも転じることが可能だと彼は気づく。
「じゃあ最初から取引なんてするつもりはないのか?」
「相手の出方次第だよ、保険はいくらでも掛けておいて損はないだろう?」
相手の出方を伺うための配置とは語ったもののそれ以上の言及はなかった。交渉といってもダヴィッド達海賊の要求はレイティス国内の領地、それと引き換えに一国の姫君とされてもレイティスは要求を呑むことはほぼないだろう。それが金であっても、テロリストの要求を呑んだ時点で国家の信用問題に関わってくる。
となると救出のための奇襲が彼らの取れる行動と考えられる。ならなぜジャックスをわざわざ交渉の場に引き合いとして出したのだと彼は問うのに対して「そのほうが都合が良い」とだけダヴィッドは答えた。
そしてレイティス軍の艦隊が孤島海域に到達したとの一報を受け、要塞の城門を開門させる。彼らを乗せた海賊船は暗闇の洞窟からその不気味な姿をあらわにしていく。
◇
時を同じくして十数隻に及ぶ艦隊を率いてレイティス軍は孤島へと進軍する。
大統領の搭乗する軍艦は他のものとは一線を画し、重厚感を持ちながらも推進速度は他の軍艦と変わらないほどの速度で突き進む。そこへ集った一同によって行なわれる作戦会議。
「濃霧がやけに多く発生する地帯で、夜では目先ほどしか見えないくらいに視界が悪くなる場合もございます。孤島もまるで城塞のように海岸沿いは断崖絶壁となっています。地形を把握していなければ上陸は難しいかと―…」
将官の説明を聞きながら大統領は侵入経路の有無を問う。彼は港町の防衛に当たっていたパドックの教え子で名はロズドーネル。若き将官でまだ荒削りな部分はあるものの将来有望な人材だと期待されている。
今回は大統領の下、彼が全体指揮を執ることとなっており海上戦での経験も幾度と積んでいるが大統領直々の出陣ということもあり緊張の表情が目立つ。軍部の将官も数名招集され作戦の概要の説明が続けられる。
孤島の北部に僅かな入り江がありそこから内部へと繋がっている洞窟の存在を確認しているが戦艦などとても侵入できるような広さではない。
正面には海賊達によって建設された巨大な水門を構え、気象の激しいこの地帯の津波にも耐えうる堅固な造りとなっている。各所にはおそらく海賊の砲台も設置されているため四方から囲んでの襲撃でも島そのものを破壊できうる兵器でもない限り外からの攻撃で陥落させることはほぼ不可能と判断している。
単純な篭城戦においては物資不足を狙った長期戦が定石とされている。しかし今回は人質として捕られているロゼットの救出が何より最優先すべき事項。更に言えばレイティスにとっても協力を強いられている行商人の人材は少なくないため彼らの救出も可能であれば行いたいというものでどこまで『交渉』に持ち込めるか。
それにこの地帯は気候が変化しやすいので津波の影響もあり、軍の艦隊も激流に飲まれれば船体は無事でも兵達に与える影響は決して軽視できるものではない。
陸上における篭城戦のようにはいかず、海上という天然資源に恵まれた性質上、食料の確保には困らないだろう。どちらにしても長期戦ともなればこちらは不利になる。
となるとやはり入り江から少数精鋭による奇襲による救出が無難ではあるが、彼らも当然警戒はしている。敵もそこまで愚かではない。
「まずは最初の交渉でどれだけの情報を引き出せるかに掛かっているのでは?」
話が進まない状況でシェイドが提言する。どちらにしろこちらは相手の情報が少なすぎるために対応が後手に回ってしまう、現状知りえる情報から北部の入り江を視野に入れ『交渉』と称した偵察を行なうことに注力することとなった。
そして会議終了直後、孤島海域へ到着したとの報告が響き渡り、一同は甲板へと向かう。
一帯は噂どおりの魔境のような雰囲気を醸し出し、薄っすらと霧が出ている。昼間なのにも関わらず暗雲がかかり薄暗く感じ、今にも嵐がやってきそうな天候の中で黒い巨影が見えてくる。海軍の船体よりも遥かに高い断崖絶壁に囲われた要塞のような孤島がその姿をあらわにしていく。
レイティス海軍兵達も圧倒され、体の震えが全身に伝わるよう軍全体に影響を及ぼしていた。士気の乱れを恐れた若き将官ロズドーネルは全員甲板へ上がらせ号令を促すよう徹底する。
交渉の場にはクローデット、レイティス高官数名に、当事者の一人でもあるセルバンデス、シェイド、そこへロブトン大公も加わる。
「意外ですな」とセルバンデスはロブトン大公に対して言葉を溢す。
彼は少し澄ました表情でセルバンデスの顔も見ずに「こういう場に出てくるとは思ってもいなかったと?」というように答える。
彼ら長老派はドラストニアの議会においてレイティス、とりわけ現政権側には協力的ではなかった。軍事力を増しているレイティスに対して警戒感をあらわにしている。ドラストニアの使者が誘拐されたといえどロゼットなど彼らにとってはただの有識者の『小娘』という認識でしかない。彼女のためにわざわざ動き出したのだとは考えにくい。
何を考えているのか分からないロブトン大公の動きに不安を感じつつも、今回の交渉の席で政治的に優位に立つことを画策していることだけは確証があった。二人の談笑の後、あの黒い海賊船が近付いてきた。
戦艦と海賊船は互いに船を着けて、クローデット大統領と海賊ダヴィッドが相見える。ダヴィッドは邪悪な風貌とは対照的にロゼットと対談した時のような比較的紳士風な振る舞いで彼らと言葉を交わす。
「長らく顔合わせをしておりませんでしたので、少々老けたように見えますでしょうが、クロイツバルン団長のダヴィッド・クロイツバルンです。この度は船の長旅を経てわざわざお越しいただき感謝の極みです」
ダヴィッドは自身を海賊とは呼ばずにクロイツバルンという団体の長だと丁寧な自己紹介を交えて話す。続いて紫苑も挨拶を交わす。
「こんな形での挨拶となり申し訳ございません。ドラストニア軍所属、天龍紫苑です」
噂に聞いていた紫苑と会うことができてクローデット大統領は大層満足そうな様子で応えるとロゼットの安否を気遣うように訊ねて、紫苑も彼女は無事であることを伝えセルバンデスは胸をなでおろす。
ジャックスが彼らの間に入り、まずは対談へと入るように促し、両陣営は落ち着いた様子で交渉の席につく。
◇
「クロイツバルンの名は十年前に消えたと思っていたが、未だ活動していたとはな」
クローデット大統領がそう述べるとダヴィッドはなんのことやらと何食わぬ顔である。二人のやり取りに奇妙な違和感を覚えつつも紫苑はセルバンデスのほうに目配せする。シェイドは海賊達の要求を確認するようにこちらからのロゼットの解放を前提とした話を進めようと始める。
「こちらの要求がまず受け入れられなければ人質の解放はありえない。前提で進めるのはそちらの勝手だがこちらは命をを握っているというのを忘れないで頂きたい」
「勿論、あなた達の要求次第だがこちらも準備が必要だしね。すぐに用意できるとも思っていないでしょう?」
人質の解放の前にまずは要求を容認されないことには話は進められないと断固とした姿勢を見せるダヴィッド。しかし要求の内容によってはすぐに用意が出来ないのは当然だろうとシェイドは切返す。それは勿論、ダヴィッドも理解はしているが彼らが『海賊側の要求の内容』を理解しているというのも、彼には見透かされている。
それに対して不毛なやり取りを行なっても意味がないとロブトン大公が切り替えるように促す。紫苑の眉が僅かに動き反応する。こちらからわざわざ出方を変える必要などないのではないかとこれにはセルバンデスもロブトン大公に目配せする。ロブトン大公も彼らを僅かに一瞥し、他に意見はないか? と言わんばかりの目を向けて大統領へと向き直る。
クローデット大統領は溜め息をつき、少し間を置いて海賊側の要求内容が『領地』ではないかと彼らに確認する。この時点でダヴィッドは彼らが一枚岩ではないのだと確信する。
ドラストニア、レイティス、グレトン、三国互いにこの場に集まっていながら方針を纏めることが出来ないのであれば、この海域においての共同戦線という線は非常薄くなると感じていた。そうなれば仮にこの場で交渉が決裂しようとも逃げ道を作り出せる可能性は十分に出てくる。
ジャックスもそんなやり取りを端から聞いているのか聞いていないのか分からないような様子を見せており、紫苑は眉を顰める。
「我々の要求は海域の領有権だよ。君ら国家の公認の海賊としていただきたい」
狡猾にもダヴィッドはレイティス側の領地の権利を主張するのではなく、彼らの関係を崩す方針へと変えてきた。意外そうな表情を見せる一同。現在この三つの国家に囲まれた海域においては海賊の活発な動きによってどの国家にも属さない海域が存在し、その海域の領有権を巡ってそれぞれの国家は優位に立とうと考えていた。
それぞれの国家が思惑を張り巡らしている中、それまで参加していなかったジャックスが遂に口を開く。
「僭越ながら…」
「彼らを国家公認の海賊として密約を交わせば他の国家との関係にも影響は及ばないんじゃないか? 彼らを一勢力として認めることにはなるものの少なくとも現状の被害は最小限に抑えられるとは思うがね」
ただ悪影響も全くないともいえない。それぞれの国家に海賊の出入りを認めることとなれば治安、民度の影響、各国家の国民の信用は少なからず損なわれることには繋がる。俗っぽい言い方をすれば三カ国合同で海賊を飼いならすという話である。
ジャックスの言葉にダヴィッドは目を細めて髭を摩っている。クローデット大統領は鋭い目つきで彼の方を見て「影響を及ぼさないのは密約だからか?」と嫌味っぽく返す。
「ああ、密約だからな」
ジャックスのこの強調に何かを感じ取るセルバンデス。まるでこの交渉自体をなかったものにしようとしているようにも見えて、彼にはジャックスが何か別の考えを持っているようにも見えていた。
取引としては互いに利害は一致し、悪い話ではないとダヴィッドは提言する。一際大きな波に艦隊が揺れ動き各国の面持ちも堅く、重いものが広がった。
「一先ず、結論を急ぐ必要はないでしょう。ダヴィッド船長、あなたの要求通りになったとしても体制を整えるには幾分かは時間を要します。本音を言うと領地の権利を主張してくるものだという大方の予想とは大きくズレたものですのでこちらも考えが纏まりません」
「そちらとしても出来ることなら要求の全てが呑まれることが望みでしょう。こちらも少し時間を頂きたい」
セルバンデスがそう締めくくり、ダヴィッドもそれに応じて待つと告げて、交渉の場は一旦閉じることとなった。紫苑とジャックスはダヴィッドに再び連れられ、海賊船も艦隊から少し距離を置く。
各陣営は一時、休息を取ることとなり数時間後に再び議会を開き各々の意見を伺うことなった。その休憩時間の間に外はすっかり暗くなり、薄暗さが一層この海域の不気味さを表現している。
セルバンデスはシェイドを呼び、彼と意見を照らし合わせる。シェイドはあの要求を呑むことには反対であった。ただ自国の海域の領有権を主張するという意味ではなく彼はロゼットを救出することを第一に考えていた。
「まぁ…多少個人的な感情もあるんだけど、ただドラストニアとは少なくともぶつかるわけにはいかないしそちらに意見はなるべく合わせるようにしたいからセルバンデス殿の考えを聞きたい」
セルバンデスも同じくあの要求を呑むことは今後のレイティスのことを考えて反対の意志を持っていた。要求を呑めば間違いなくレイティスは堕ちる。三カ国による公認の海賊なんてものを与えてしまえば現政権に付け入る隙を与えてしまうだけになってしまう。わざわざこちらから対立候補に有利な状況を生んでしまうなど愚策もいいところである。
それよりも気になっているのはあのジャックスの言葉であった。海賊の提言を薦めるような物言いをしておきながらあえて『密約』ということを強調した意味。交渉での内容ではなく何か別のことを伝える意図を持っていたのではないか――?
時を同じくして海賊側の船内でも紫苑がジャックスの元へ赴き、考えをめぐらす。
彼らの要求は領地であったであろうがそれを三カ国側の弱点を付いてくることで逆に揺さぶりに転じたこと。三カ国の分断を狙っているのではないかと紫苑は憂慮する。ジャックスが彼らに対しての言葉の中で海賊の奇襲を伝えようとしたのではないかと彼に問おうとするとジャックスが逆に彼に問うた。
「なぁ、将軍さん船内やけに人が少なくないか?」
ジャックスの疑問に目を少し丸くさせた後、自身の体感では交渉へ赴く時点から船を動かすための最低限の人数のみだったと答えた。かなり杜撰な兵力でロゼットの身が危険に晒されていなければ一瞬で制圧できるレベルとも語る。
ジャックスは少し考えた後、何か思い立ったかのように急いで船から脱出するように紫苑に耳打ちする。少し驚いた表情で何故か訊ねると、彼はこの船は『囮』にされたと告げた――…。
紫苑の大槍はその重量のため誰も扱いきれず海賊船の中で保管されているようで彼の手元にはなく、黒刀は孤島に到着した際に取り上げられている。船長室の前で二人の話し合いの間、紫苑はただ待つことしか出来ずに歯痒い思いを強いられる。
海賊船もならず者達の臭いなのか、船体が浴びた血液がこべりついているのか酷い死臭のようなものが漂っており紫苑も眉を顰めて彼らの対談を待っていた。
一方船長室ではジャックスとダヴィッドの話し合いが行なわれていた。
フランクな雰囲気で緊張感のあるものではない。どちらかと言えば知り合いと話し合うようなそんな感じさえ醸し出しているがそれもそのはず、二人は知己の仲であったのだから。
「どうやってあの場から生き延びたんだ?」
ダヴィッドはジャックスに問う。彼らは以前に大規模な海域戦において合間見えたことがある。まだレイティスの海軍が今ほど強力でなかったその時代、今以上に海賊が跋扈していた。それによって海域は常に海賊の襲撃と隣り合わせとなっており、海賊と海軍とで応酬が来る日も来る日も続けられていた時代であった。
そんな中での戦場にて彼らは互いに敵同士として剣を振るって戦っていた。あの場で死んだはずの男だと思っていたダヴィッドとしては顔合わせをした際、内心驚きに満ちていた心情を語る。
「あの場で俺を確実に殺しておかなかったことを後悔しているのだろうが、俺はむしろ感謝しているくらいだ」
ジャックスの言葉に妙に納得したような表情を見せるダヴィッド。あの場で死に掛けて生きる術と世渡り術を結果的に体得したことで今は順風満帆の日常を送ることが出来ていると語る。ダヴィッドに対しては恨みもなければ怒りもないのだと。
ダヴィッドもそれが彼の本心なのか真偽はわからないがロゼットを見殺しにするつもりもないとはわかっていた。そうでなければ協力に応じる必要などないのだから。そして取引の際に協力できるのであれば今後の身の振り方の余地はあると告げている。
「飛竜で寄越してきた書簡内容を見るに取引の場には出てくるが応じるというような文面ではないな。不意打ちを仕掛けて救出しようとしてるんじゃないか?」
この飛竜とは飛竜種とされる竜の一種でかなり足の速く、大鷲よりも僅かに大きい程度の躯体を持つ。大陸の端から端までの距離であれば一日で走破できるほどには早い移動が可能とされる飛行能力を持つために書簡のやり取りにはこれらが非常に重宝されている。
その飛竜から届けられた書簡を見てジャックスは先ほどのように提言する。ダヴィッドもそれは承知している。そのため船員達を孤島の各所の岩影に潜ませて相手のさらに不意をつくような形をとっていると説明する。これは裏を返せば防衛だけでなく濃霧の度合いによっては攻撃にも転じることが可能だと彼は気づく。
「じゃあ最初から取引なんてするつもりはないのか?」
「相手の出方次第だよ、保険はいくらでも掛けておいて損はないだろう?」
相手の出方を伺うための配置とは語ったもののそれ以上の言及はなかった。交渉といってもダヴィッド達海賊の要求はレイティス国内の領地、それと引き換えに一国の姫君とされてもレイティスは要求を呑むことはほぼないだろう。それが金であっても、テロリストの要求を呑んだ時点で国家の信用問題に関わってくる。
となると救出のための奇襲が彼らの取れる行動と考えられる。ならなぜジャックスをわざわざ交渉の場に引き合いとして出したのだと彼は問うのに対して「そのほうが都合が良い」とだけダヴィッドは答えた。
そしてレイティス軍の艦隊が孤島海域に到達したとの一報を受け、要塞の城門を開門させる。彼らを乗せた海賊船は暗闇の洞窟からその不気味な姿をあらわにしていく。
◇
時を同じくして十数隻に及ぶ艦隊を率いてレイティス軍は孤島へと進軍する。
大統領の搭乗する軍艦は他のものとは一線を画し、重厚感を持ちながらも推進速度は他の軍艦と変わらないほどの速度で突き進む。そこへ集った一同によって行なわれる作戦会議。
「濃霧がやけに多く発生する地帯で、夜では目先ほどしか見えないくらいに視界が悪くなる場合もございます。孤島もまるで城塞のように海岸沿いは断崖絶壁となっています。地形を把握していなければ上陸は難しいかと―…」
将官の説明を聞きながら大統領は侵入経路の有無を問う。彼は港町の防衛に当たっていたパドックの教え子で名はロズドーネル。若き将官でまだ荒削りな部分はあるものの将来有望な人材だと期待されている。
今回は大統領の下、彼が全体指揮を執ることとなっており海上戦での経験も幾度と積んでいるが大統領直々の出陣ということもあり緊張の表情が目立つ。軍部の将官も数名招集され作戦の概要の説明が続けられる。
孤島の北部に僅かな入り江がありそこから内部へと繋がっている洞窟の存在を確認しているが戦艦などとても侵入できるような広さではない。
正面には海賊達によって建設された巨大な水門を構え、気象の激しいこの地帯の津波にも耐えうる堅固な造りとなっている。各所にはおそらく海賊の砲台も設置されているため四方から囲んでの襲撃でも島そのものを破壊できうる兵器でもない限り外からの攻撃で陥落させることはほぼ不可能と判断している。
単純な篭城戦においては物資不足を狙った長期戦が定石とされている。しかし今回は人質として捕られているロゼットの救出が何より最優先すべき事項。更に言えばレイティスにとっても協力を強いられている行商人の人材は少なくないため彼らの救出も可能であれば行いたいというものでどこまで『交渉』に持ち込めるか。
それにこの地帯は気候が変化しやすいので津波の影響もあり、軍の艦隊も激流に飲まれれば船体は無事でも兵達に与える影響は決して軽視できるものではない。
陸上における篭城戦のようにはいかず、海上という天然資源に恵まれた性質上、食料の確保には困らないだろう。どちらにしても長期戦ともなればこちらは不利になる。
となるとやはり入り江から少数精鋭による奇襲による救出が無難ではあるが、彼らも当然警戒はしている。敵もそこまで愚かではない。
「まずは最初の交渉でどれだけの情報を引き出せるかに掛かっているのでは?」
話が進まない状況でシェイドが提言する。どちらにしろこちらは相手の情報が少なすぎるために対応が後手に回ってしまう、現状知りえる情報から北部の入り江を視野に入れ『交渉』と称した偵察を行なうことに注力することとなった。
そして会議終了直後、孤島海域へ到着したとの報告が響き渡り、一同は甲板へと向かう。
一帯は噂どおりの魔境のような雰囲気を醸し出し、薄っすらと霧が出ている。昼間なのにも関わらず暗雲がかかり薄暗く感じ、今にも嵐がやってきそうな天候の中で黒い巨影が見えてくる。海軍の船体よりも遥かに高い断崖絶壁に囲われた要塞のような孤島がその姿をあらわにしていく。
レイティス海軍兵達も圧倒され、体の震えが全身に伝わるよう軍全体に影響を及ぼしていた。士気の乱れを恐れた若き将官ロズドーネルは全員甲板へ上がらせ号令を促すよう徹底する。
交渉の場にはクローデット、レイティス高官数名に、当事者の一人でもあるセルバンデス、シェイド、そこへロブトン大公も加わる。
「意外ですな」とセルバンデスはロブトン大公に対して言葉を溢す。
彼は少し澄ました表情でセルバンデスの顔も見ずに「こういう場に出てくるとは思ってもいなかったと?」というように答える。
彼ら長老派はドラストニアの議会においてレイティス、とりわけ現政権側には協力的ではなかった。軍事力を増しているレイティスに対して警戒感をあらわにしている。ドラストニアの使者が誘拐されたといえどロゼットなど彼らにとってはただの有識者の『小娘』という認識でしかない。彼女のためにわざわざ動き出したのだとは考えにくい。
何を考えているのか分からないロブトン大公の動きに不安を感じつつも、今回の交渉の席で政治的に優位に立つことを画策していることだけは確証があった。二人の談笑の後、あの黒い海賊船が近付いてきた。
戦艦と海賊船は互いに船を着けて、クローデット大統領と海賊ダヴィッドが相見える。ダヴィッドは邪悪な風貌とは対照的にロゼットと対談した時のような比較的紳士風な振る舞いで彼らと言葉を交わす。
「長らく顔合わせをしておりませんでしたので、少々老けたように見えますでしょうが、クロイツバルン団長のダヴィッド・クロイツバルンです。この度は船の長旅を経てわざわざお越しいただき感謝の極みです」
ダヴィッドは自身を海賊とは呼ばずにクロイツバルンという団体の長だと丁寧な自己紹介を交えて話す。続いて紫苑も挨拶を交わす。
「こんな形での挨拶となり申し訳ございません。ドラストニア軍所属、天龍紫苑です」
噂に聞いていた紫苑と会うことができてクローデット大統領は大層満足そうな様子で応えるとロゼットの安否を気遣うように訊ねて、紫苑も彼女は無事であることを伝えセルバンデスは胸をなでおろす。
ジャックスが彼らの間に入り、まずは対談へと入るように促し、両陣営は落ち着いた様子で交渉の席につく。
◇
「クロイツバルンの名は十年前に消えたと思っていたが、未だ活動していたとはな」
クローデット大統領がそう述べるとダヴィッドはなんのことやらと何食わぬ顔である。二人のやり取りに奇妙な違和感を覚えつつも紫苑はセルバンデスのほうに目配せする。シェイドは海賊達の要求を確認するようにこちらからのロゼットの解放を前提とした話を進めようと始める。
「こちらの要求がまず受け入れられなければ人質の解放はありえない。前提で進めるのはそちらの勝手だがこちらは命をを握っているというのを忘れないで頂きたい」
「勿論、あなた達の要求次第だがこちらも準備が必要だしね。すぐに用意できるとも思っていないでしょう?」
人質の解放の前にまずは要求を容認されないことには話は進められないと断固とした姿勢を見せるダヴィッド。しかし要求の内容によってはすぐに用意が出来ないのは当然だろうとシェイドは切返す。それは勿論、ダヴィッドも理解はしているが彼らが『海賊側の要求の内容』を理解しているというのも、彼には見透かされている。
それに対して不毛なやり取りを行なっても意味がないとロブトン大公が切り替えるように促す。紫苑の眉が僅かに動き反応する。こちらからわざわざ出方を変える必要などないのではないかとこれにはセルバンデスもロブトン大公に目配せする。ロブトン大公も彼らを僅かに一瞥し、他に意見はないか? と言わんばかりの目を向けて大統領へと向き直る。
クローデット大統領は溜め息をつき、少し間を置いて海賊側の要求内容が『領地』ではないかと彼らに確認する。この時点でダヴィッドは彼らが一枚岩ではないのだと確信する。
ドラストニア、レイティス、グレトン、三国互いにこの場に集まっていながら方針を纏めることが出来ないのであれば、この海域においての共同戦線という線は非常薄くなると感じていた。そうなれば仮にこの場で交渉が決裂しようとも逃げ道を作り出せる可能性は十分に出てくる。
ジャックスもそんなやり取りを端から聞いているのか聞いていないのか分からないような様子を見せており、紫苑は眉を顰める。
「我々の要求は海域の領有権だよ。君ら国家の公認の海賊としていただきたい」
狡猾にもダヴィッドはレイティス側の領地の権利を主張するのではなく、彼らの関係を崩す方針へと変えてきた。意外そうな表情を見せる一同。現在この三つの国家に囲まれた海域においては海賊の活発な動きによってどの国家にも属さない海域が存在し、その海域の領有権を巡ってそれぞれの国家は優位に立とうと考えていた。
それぞれの国家が思惑を張り巡らしている中、それまで参加していなかったジャックスが遂に口を開く。
「僭越ながら…」
「彼らを国家公認の海賊として密約を交わせば他の国家との関係にも影響は及ばないんじゃないか? 彼らを一勢力として認めることにはなるものの少なくとも現状の被害は最小限に抑えられるとは思うがね」
ただ悪影響も全くないともいえない。それぞれの国家に海賊の出入りを認めることとなれば治安、民度の影響、各国家の国民の信用は少なからず損なわれることには繋がる。俗っぽい言い方をすれば三カ国合同で海賊を飼いならすという話である。
ジャックスの言葉にダヴィッドは目を細めて髭を摩っている。クローデット大統領は鋭い目つきで彼の方を見て「影響を及ぼさないのは密約だからか?」と嫌味っぽく返す。
「ああ、密約だからな」
ジャックスのこの強調に何かを感じ取るセルバンデス。まるでこの交渉自体をなかったものにしようとしているようにも見えて、彼にはジャックスが何か別の考えを持っているようにも見えていた。
取引としては互いに利害は一致し、悪い話ではないとダヴィッドは提言する。一際大きな波に艦隊が揺れ動き各国の面持ちも堅く、重いものが広がった。
「一先ず、結論を急ぐ必要はないでしょう。ダヴィッド船長、あなたの要求通りになったとしても体制を整えるには幾分かは時間を要します。本音を言うと領地の権利を主張してくるものだという大方の予想とは大きくズレたものですのでこちらも考えが纏まりません」
「そちらとしても出来ることなら要求の全てが呑まれることが望みでしょう。こちらも少し時間を頂きたい」
セルバンデスがそう締めくくり、ダヴィッドもそれに応じて待つと告げて、交渉の場は一旦閉じることとなった。紫苑とジャックスはダヴィッドに再び連れられ、海賊船も艦隊から少し距離を置く。
各陣営は一時、休息を取ることとなり数時間後に再び議会を開き各々の意見を伺うことなった。その休憩時間の間に外はすっかり暗くなり、薄暗さが一層この海域の不気味さを表現している。
セルバンデスはシェイドを呼び、彼と意見を照らし合わせる。シェイドはあの要求を呑むことには反対であった。ただ自国の海域の領有権を主張するという意味ではなく彼はロゼットを救出することを第一に考えていた。
「まぁ…多少個人的な感情もあるんだけど、ただドラストニアとは少なくともぶつかるわけにはいかないしそちらに意見はなるべく合わせるようにしたいからセルバンデス殿の考えを聞きたい」
セルバンデスも同じくあの要求を呑むことは今後のレイティスのことを考えて反対の意志を持っていた。要求を呑めば間違いなくレイティスは堕ちる。三カ国による公認の海賊なんてものを与えてしまえば現政権に付け入る隙を与えてしまうだけになってしまう。わざわざこちらから対立候補に有利な状況を生んでしまうなど愚策もいいところである。
それよりも気になっているのはあのジャックスの言葉であった。海賊の提言を薦めるような物言いをしておきながらあえて『密約』ということを強調した意味。交渉での内容ではなく何か別のことを伝える意図を持っていたのではないか――?
時を同じくして海賊側の船内でも紫苑がジャックスの元へ赴き、考えをめぐらす。
彼らの要求は領地であったであろうがそれを三カ国側の弱点を付いてくることで逆に揺さぶりに転じたこと。三カ国の分断を狙っているのではないかと紫苑は憂慮する。ジャックスが彼らに対しての言葉の中で海賊の奇襲を伝えようとしたのではないかと彼に問おうとするとジャックスが逆に彼に問うた。
「なぁ、将軍さん船内やけに人が少なくないか?」
ジャックスの疑問に目を少し丸くさせた後、自身の体感では交渉へ赴く時点から船を動かすための最低限の人数のみだったと答えた。かなり杜撰な兵力でロゼットの身が危険に晒されていなければ一瞬で制圧できるレベルとも語る。
ジャックスは少し考えた後、何か思い立ったかのように急いで船から脱出するように紫苑に耳打ちする。少し驚いた表情で何故か訊ねると、彼はこの船は『囮』にされたと告げた――…。
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