インペリウム『皇国物語』

funky45

42話 霹靂『へきれき』

 甲板では激戦を繰り広げている。無数の触手は無作為に周囲のものを物凄い勢いで掴み舞い上がらせるようにして海中へと引きずり込む。どさくさに紛れ数尾のレモラも飛び掛り乗客に噛み付きそのまま咥え海中へと引きずり込んでいく姿もあった。


 必死にもがき逃れようとするが自身を遥かに超える巨体と圧倒的な魔物の力に人間などなす術ない。


 そんな人の身でありながらも紫苑は得物の大槍を握りしめ高く跳び上がり、乗客を捕らえた触手を切り落として救出。獅子奮迅の戦いぶりを見せている。


 オルトも長剣で応戦、触手を切り落とし乗客の逃げ道を確保していく。その奮闘ぶりは決して紫苑に劣るものではなかった。


 戦場と化した甲板で他の衛兵達も応戦しているが長くはもを持たないと見切りをつけている。船内には穴が開けられ一部区画では浸水が始まっている様子。


 積まれている小舟で全員を連れて逃げることも出来ないだろう。騒ぎを聞きつけた、軍船が救助に向かっていると思われるがそれまで持ちこたえられるのも怪しいものだ。シェイドとセルバンデスは船長と合流し、王族も乗船していることを告げ退路の確保にあたっている。


 ロゼットとシンシアが甲板に上がると逃げ惑う乗客達と海中から打ち上げられるレモラと触手で入り乱れる。シンシアの手を引きながらロゼットはセルバンデス、紫苑達を探し回る。


「ヴェルちゃん! セルバンデス様達はどこに!?」


「わからない! でもまだ近くにいると思います」


 乗客達を掻い潜りながら行く宛てもなく突き進むしかなかった。
 船体の一部が破壊される大きな音を立てた後、上空に飛び上がるような人業ではならざる如く跳躍力を見せる紫苑が目に映り彼女たちは声を上げる。彼の元へ向かう途中でシンシアの足が貴族と思わしき乗客に掴まれる。


「た、助けてくれ…!」


「きゃあっ」


 シンシアは小さな悲鳴を上げる。乗客の足には触手が絡み、今にも引きずり込まれる様子。ロゼットが剣を触手に突きたて切り刻み貴族を助けるが貴族は目もくれず礼も述べずに走り去って行く。シンシアは不満そうな表情で一瞥した後ロゼットのほうに向き直る。


 ロゼットはその場で悲鳴と怒号を聴き入っていた。


 破滅を呼ぶ音楽のように彼女の耳には聴こえていたのか、嘆きとも虚しさとも言い表せぬ表情で見つめていた。


 シンシアに逃げるように声をかけるがロゼットは……。


「先に紫苑さんのところへ逃げてください! まだ逃げてる人たちが残ってます!」


「でも私達の身だって危ないのよ!?」


 彼女はシンシアに先に逃げるように告げ襲われている人達の救援に向かっていく。




 一方シェイドとセルバンデスは船長らしき人物と合流し、船を捨てるように提言する。


「船は長くはもたん。だが、身を投げれば奴等の昼食になりにいくようなものではないか」


 そこへ酒瓶の行商人がやって来て彼らに提案した。


「乗客をボートに乗せられるだけ乗せろ。蒸気機関を暴走させて化物に一泡吹かせてやる」


「正気か!? 自爆させるつもりなのか」


 商人の提案に船長が声を荒げる。シェイドも彼の大胆な提案に少々驚くが直ぐに行動に移すべきだとその案に乗っかる。


 セルバンデスは行商人に連中を釣るための餌がないかどうかという問いかけに貨物室まで向かう必要があると返事がくる。臨戦態勢の彼らに頭を抱える船長だったが、止むなしと了承。セルバンデス、行商人らを貨物室へ向かわせ、他の乗組員には乗客の避難を指示。シェイドと共に機関部へと急ぎ向かい準備を始める。


 甲板の上での戦闘でロゼットは何名もの乗客を手助けしていくが見知らぬ乗客に手を引かれ一緒に逃げるよう言われ連れて行かれる。乗客は善意で彼女を助けるつもりだったのだろうがロゼットは紫苑達を置いて逃げるわけには行かないと手を振りほどき少し後ずさって離れる。


 その直後、触手が乗客達に向かって叩きつけられ、彼も巻き込まれ甲板の一部もろとも海中へと沈んでいく。目の前で起こった悲劇に動揺するロゼットに追い討ちをかけるように船がぐらつき傾く。無数の触手が既に船体にへばり付き船ごと飲み込む勢いで海中へと誘う。


 すでに何艘かのボートで乗客達の一部は旅船から脱しており、残りもわずかでとても全員乗れるものではないのは彼女の目にも明らか。乗組員たちが丁寧に彼らに避難の案内を行なっているがそれを無視して我先にと逃げていく乗客達。
 中には勝手にボートを下ろそうとして失敗し、海へ落ちレモラの群れの餌食となっている人々もいる始末。


 こんな危機に瀕している時に助け合うことなく自身のことしか考えていない―――。


 なのに命を懸けて紫苑とオルト、乗組員、衛兵たちは彼らを守っていた。


 そんな乗客達を見て悲しい表情を浮べる。


 ロゼットはいたたまれなくなり、そして船の揺れが収まったところで紫苑の元へと向かう。




 貨物室からセルバンデスと行商人は、氷詰めにされていた魚や動物達の肉を袋に詰めて運び出しロープに繋いで海へと投げ捨てていく。


「セルバンデス様!」


「シンシア殿、ロゼット殿はご一緒だったのでは!?」


「私に先に逃げるようと…乗客のみんなのために剣を握って応戦に」


 そう答えかけた瞬間大きな音を立てて船体が破壊されていく。同時に彼らの元にロゼットが到着し合流する。破壊された箇所から触手が現れ、シンシアに襲い掛かってくる。


「なっ…いけません!!」


 セルバンデスの制止の声が響いたと同時に触手に捕らえられる寸でのところでロゼットが彼女を体当たりで庇った。


「ヴェルちゃん!!」


 尋常じゃない魔物の力、ロゼットは触手と共に上空へと飛び上がった後に一瞬にして海中へと連れ去られてしまう。セルバンデスの声に反応していた紫苑は彼らの方を向き、ロゼットが丁度連れて行かれる現場を目撃してしまう。


 彼はロゼットの名を叫び、オルトの制止の声が彼の耳に届く前に海中へと飛び込んでいった。




 海中では無数のレモラによって海中へと飛び込んだ乗客達が蹂躙され、それをまとめて触手で捕らえ捕食している巨体が紫苑の目に映る。


 触手の主の正体は海蛇の一種『シーサーペント』。全長は二十メートルほどはあろうと思われる巨体に不気味なほど大きな目。胴周りから無数に生える触手によって小型の生物を器用に捕食している様はタコやイカを彷彿させるがそれよりも動きが滑らかであるのが非常に厄介である。


 ましてや水中では動きが鈍る人間にとっては悪魔のような存在だ。


 伸縮自在な触手を船体へ絡みつけ海中へと沈みこめようとしつつ零れた小さな捕食対象さえ逃さない様は猛将の紫苑でさえ恐れを抱く。無数ある触手の中から一つ、必死にもがく白い姿があった。槍を構え、追撃してくる触手とレモラを迎撃しながら彼女の元へと泳ぎ向かう。




 ロゼットは間近でその巨体を目にしていた。


 海中――あの独特の吸い込まれる感覚に襲われながら、得体の知れない巨大生物を前にして恐怖しか感じられなかった。周囲にはロゼットを狙ってレモラも襲いかかってくるが一瞬にして触手に捕らえられ捕食されていく様が繰り広げられている。


 ロゼットを捕らえた触手がどんどん巨大な海蛇に引き寄せられていくのを感じ、必死にもがいて暴れる。子供どころか大人でさえ逃れることの出来ない魔物の力に成す術なく、徐々に息も苦しくなっていく。紫苑が必死でロゼットの元へと泳いでくる姿が彼女の目に映り、意識が朦朧としていく。


 次の瞬間彼女のブレスレットが輝きを帯びる。


 眩い光を放ち、紫苑も思わず顔を背ける。小さな稲妻のようなものを発した後シーサーペントの躯体全身に『電撃』が走った。海蛇は麻痺したのか動きが止まりその隙にロゼットを救い出すことに成功、急いでその場から離脱していく。




 甲板ではシェイドと船長が急いでセルバンデス達の元へと走り向かってくる。走りながら準備が整ったことをこちらに告げてくるのに対してセルバンデスがいつ爆破されるか問う。


「爆破はどのタイミングにされるのです!?」


「今すぐ飛べ!!」


 シェイドの叫び声に一同、踵を返して海へと飛び込む。出来る限り離れるべく必死に泳ぎ、彼らが飛び降りた数秒後、轟音を立てて魔物たちを巻き込み大爆発が起こった。


 爆風によって起こった波が海中にいても分かるほどの勢いで伝わってくる。セルバンデス達は旅船から落ちた小船を発見し、乗り込む。ロゼットと紫苑を探し回っていると海中から彼らの姿が飛び込んできたため急いで救い出すが――…ロゼットの様子がおかしい。


「息をしていない…!?」


 一同の表情が安堵から焦りに変わる。シェイドが冷静に指示を促す。


「シンシアさん、人工呼吸は出来ますか?」


「い、一応はできます…!」


 彼女に確認をとると、紫苑がロゼットの気道確保を行なうために彼女の姿勢を整える。
 後ろに下がって様子を伺うシェイドに行商人がすこし笑みを含んで一瞥すると「俺だと知ったら息の根止められる」と冗談を飛ばす。


 シンシアが慣れない仕草でも必死に人工呼吸を行なっていると、ロゼットが意識を取り戻し水を吐き出す。彼女の上体を横にし紫苑が背中をさすりながら落ち着かせる。


 一先ず意識を取り戻したところで安堵する一同。ロゼットは脇腹が痛いと訴え、紫苑とシンシアに支えられながら横になりオルトと船長が流れてきた船舶の一部板を拾い上げオール代わりにして小船を移動させていく。




 レイティス側の海岸に到着した頃には既に日は沈み、予定よりも遥かに時間が掛かっていた、近くには港町もなく少し歩いたところに廃屋があったためにそこで夜を明かすこととなった。


「使われてない廃屋か。女性方はベッドを使ってもらおうか」


「なら我々は食料を調達してきます、オルト殿」


 船長、セルバンデス、行商人は近場で野草の採取に赴き、ロゼットとシンシア、シェイドは使えそうな布がないか廃屋を探索。近場の森林から紫苑とオルトらは動植物を捕獲し、即席の料理で空腹を凌ぐこととなった。




 ◇




 夜、食事の場で私達はそれぞれの身の上話を交えて、今回のことを話していた。船長さんはこの道二十年以上のベテランで事故などこれまで一度もなかったと話していた。


「むしろ事故を経験して本当の意味でベテランになったんじゃないか?」


 冗談を飛ばしたのは酒瓶で印象付いてしまったあの行商人。嫌味で言ったわけじゃないだろうけど反応に困るような冗談で船長さんも呆れつつ笑っていた。


「そうだな、まさか本当にレイティスが救助船一隻どころか一艘の小船すらも出さないとは…」


 私達がレイティス側の海岸付近に到着した頃になってドラストニアの軍船が救助に乗り出していた様子は確認できていた。それでも少し遅い気もしたが救出に乗り出していただけまだマシにも思えた。


 爆発自体、丁度互いの領海の中間地点で起こったためか微妙な立ち位置なのは理解できるが派遣しないのはどうなのか。


 疑問に思っているとそれに気がついたのかシェイド君が割り込んでくる。


「選挙のせいもあるんだろうね。今トラブルは起こしたくない、海賊の襲撃だったのかも知れないと判断したのかもね」


「尚更対応しないと…それって駄目なんじゃないの?」


 そう答える私の横から行商人が横槍を入れてくる。


「旅船に紛れ込んで海賊行為が起こったなんて広まったら、それこそ危ういと思うぜ」


「そんなことまであるんですか?」


「『あるある』だよ。小さいことならな」


 冗談っぽく言ってるが彼の言うことはおそらく実情なのだと直感的に思った。今回の件はあくまでレイティスとしては感知しない。ドラストニアに一任することで大事を避けるとしたのだ。それを聞いてあの時の自分たちのことしか考えずに逃げ惑う乗客のことを思い出してしまった。


 隣にいたシンシアさんが私の心境を察してなのか私の手を握って続けた。


「それが…助けない理由になるのですか?」


「言いたいことはわかるが、俺はレイティスが『悪い』とは思わん」


「俺も行商人さんと同じ意見だね」


 彼の意見に同調するシェイド君。船長さんも顔を顰めてはいたけれど彼らの言うことに納得はしている様子だったことに意外だった。自身の経歴どころか命の危険さえもあったのに、彼らは救助に来なかったレイティス側を責めていなかったのだ。


「大事が取り沙汰されれば選挙に影響を及ぼす。真実がなんであれ、あの一件に関われば間違いなく広まることでしょう…。『どんな形』で広まることか――」


 セバスさんが放った言葉――


 その意味がその時の私にはわからなかったけれど、シンシアさんを除くみんなは分かっているような様子であったのが今でも印象に残っている。

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