デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

不安と希望とそして未来へ 2

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 帝都に暖かい春風が吹き始めた頃、デールの城とメルの家は俄かに活気づいていた。
 秋の演習で起こった事件の事後処理を終えたのはもう4ヶ月以上も前の事になる。


 あの後無事にベルンハルトは回復し、後遺症も殆ど無く、実家で暫く過ごした後、いつものようにまたあの店を再開していた。
 アディは頻繁にベルンハルトの元に見舞いに行き、店を再開したらしたで、時折店の手伝いにベルンハルトの元を訪れていた。


 変わった事といえば、アディが酒場で踊り子の仕事を見つけてきた事と、暇さえあればメルがアディについて回る様になった事位だ。


 その度に、しつこい男は嫌われるぞと、姉のギリファンに呆れられるのだが、当のアディは特に気にしていないのか「メルがいれば変な人が来ないから」と無邪気に笑って答えるだけだった。


 実際、メルが酒場やベルンハルトの店について行っても、お捻りを人より多く渡したり、ベルンハルトのちょっとした一言一言に心が反応してしまい、2人の邪魔になる様な事はしようと思っても体質的に不可能だった。


 元より何かにお金を使う時間も無かった為、無駄遣いをしても困る状況に陥る事は無いのだが、日に日に仲良くなる三人の奇妙な関係に、メルもアディもすっかり慣れ始めていた。


 このままでは自分の恋が進展しないと気が付いたのは、つい先日、エイラ女王が無事に姫君を出産したとの報告をライマールから受けた後の事。


 いつものようにベルンハルトの元へ訪れると、ベルンハルトが何気無く「いいですねぇ〜。僕も早くお嫁さんが欲しいですよ〜」と、出産祝いにと注文していた真っ白な絹のドレスを着飾ったクマのぬいぐるみを受け取ったのがキッカケだった。


 ハッとして当たり前のようにメルの隣にいたアディを見れば、ッポっと頬を染めて「お嫁さん……」と呟くアディとバッチリ視線があった。
 そうなれば、当然気まずそうにアディはメルから視線を外し、メルは対して進展していないのだと今更ながらに気がつかされる羽目になってしまう。
 幸いだったのは、ベルンハルトが状況を理解せずにキョトンと不思議そうに首を傾げていた事だ。
 あっちの心情に何か変化が無いならまだチャンスはある筈だ!と、メルは涙交じりに自分を励ましたのだった。


 そして今日、追い打ちをかける様に、とうとうこの日が来てしまった。
 春の木漏れ日が、メルの屋敷の庭を暖かく照らす正午過ぎ、自宅の庭には普段集まらない親戚や同僚が地方から集まり話に花を咲かせている。
 立食式のパーティーテーブルの奥には、ピンクや白、黄色といった鮮やかな花々で出来たアーチがあり、そのアーチを潜ると、規則正しく左右に並べられた幾つもの古い長椅子と、その更に奥、中央には、花嫁と花婿が誓いを立てる為の小さな台座が鎮座していた。


 式はつい先程終わり、メルは親族として親戚、同僚、知人……と、様々な人に声を掛け、接待に明け暮れていた。
 一息付いて木陰で休んでいると、珍しく女性らしい黄色がかったオレンジ色のドレスに身を包んだ姉のギリファンがドリンクを片手に近寄ってくる。


「仕事じゃないんだからそう気張るな。主役はお前じゃないし、執事やメイドだって居るだろうが。気を配り続けるのは職業病か?」


「ほら」と、シャンパンを手渡され、メルは苦笑しながら受け取ると、一気にそれを飲み干した。
 これはもうハッキリ言ってヤケ酒である。


 庭の大きな木に寄りかかりながら今日の主役を遠目で眺め、メルは深々と溜息を吐き出す。
「よりによって、兄さんが一番先だなんて……意外すぎます」


 ギリファンもメルの横に並び、同じ様に遠くで嬉しそうな笑顔を振り撒くガランを、遠い目で見ながら苦笑する。
「意外か?アイツ、昔からああいうとこあるだろ。まさかウチのメイドが相手だとは思わなかったが……まぁ、アイツらしいと言えばアイツらしい」
「ううう〜……変だとは思ったんですよ!毎回兄さん起きて来るの一番遅い癖に、卵とか、ベーコンとか、ソーセージとか馬車に持ち込んでたし、食卓の上に無かった筈のスープまで美味しそうに食べてましたから!!兄さん、もう少ししたら家を出るんでしょう?ズルいです!!ボク今度からもう朝食のおかず、サラダしか無いんですよ!?」
「お前……そこが重要なのか……」


 ガランが一体何時食事を手に入れていたのか?という疑問は、何の事はない。蓋を開ければ、ガランがキッチンで働く彼女に朝食を別に作って貰っていただけの話だった。


 メルの比ではない程に強かに生きる兄は、世が世なら間違いなく、元祖隠密特化の夢想魔術のエキスパートになっていたに違いないと、メルは思う。


 呆れ気味に返答して来た姉をチラリと見ると、メルはムッとしながらギリファンに言う。
「姉さんこそ、悔しく無いんですか?あの・・兄さんですよ?!あの・・ボンヤリしてて、のほほんとしてて、一見何も考えていなさそうで、全く何も考えていない兄さんに先を越されたんですよ!?」
 真顔でギリファンにメルが迫ると、ギリファンはピシリと青筋を立てて、物凄く迫力のある笑顔を貼り付けて、メルの両米髪に、握り拳をグリグリと食い込ませる。


「メル。そこは強調しなくていい。ガランはガラン。私は私だ。い・い・な?」
「いだだだだ!すみません。姉さん。痛いです。ボクが間違ってました!!」


 また余計な一言を言ってしまったと後悔してると、クスクスとすぐ横から笑い声が聞こえてくる。
 メルとギリファンが振り向けば、紺の紳士服姿のトルドヴィンが楽しげに目を細めていた。
「大丈夫だよ。近いうちに私もファーを迎えに来る予定だから。ああ、それより先にお祝いを言わないとね。今日は本当におめでとう」
「はぁ……ありがとうございます……って、姉さんも結婚するんですか?」


 さして驚いた顔もせずに、メルは間抜けな顔で姉を見下ろす。
 するとギリファンは「何言ってるんだ?」と言わんばかりに眉を顰めてトルドヴィンを見た。


「そんな約束した覚えは無いぞ。なんでそうなるんだ」
「それは無いだろう、ファー……ここ数ヶ月、休日ともなれば私の部屋で愛を語り合い、甘いひとときを2人で過ごし、時に情熱的なキ……」
「ばっ!!なななななな何を弟の前で誤解する様な事言ってるんだ!!違うぞっメル!!こいつの言葉には8割型語弊がある!!」
「はぁ……」


 真っ赤な顔でトルドヴィンの口を両手で押さえ、ギリファンはメルに向かって必死になって訂正をする。
 2割は真実なのかと、今更どうでもいい情報を耳にし、メルは呆れながら相槌を打つ。
 あの秋の演習終了後から2人の仲が急速に縮まったのは周知の事実で、メルも最早、夫婦喧嘩は犬も食わないとばかりに2人に関しては、もう口出しをする気は全く起こらなかった。


 寧ろもう関わりたくない。と言うのが本音である。


「大体プロポーズもまだなのに、いきなり迎えに来るとか寝ぼけてるのかお前?それで私がはいそうですかと頷くわけ無いだろうが!!」


 トルドヴィンの口を押さえたままギリファンが真っ赤な顔で訴えると、トルドヴィンはその腕を掴んで引き剥がすと、その両手をそっと包み込んで、片膝をついてギリファンを見上げた。


「うん。だから、どうせならめでたい今日の席でプロポーズしようと思って。これ、受け取ってくれない?」
 まるで「オペラのチケット貰ったから一緒に行かない?」とでも言うノリで、トルドヴィンは胸ポケットから小さな銀の指輪を取り出すと、当たり前の様にギリファンの薬指にそれを滑らせる。


 ぽかんとして始終の行動を見ていたギリファンは、パクパクと口を開いて思わずそのまま後ろに一歩下がった。


「逃げないでよ、ファー……」
 刹那げに見つめる整った顔に迫られて、ギリファンは目を回しながらフラフラとよろめく。
 後ろにいたメルが思わずその背を支えると、ようやく我に返ったギリファンが、涙目になりながらトルドヴィンを睨みつけた。


「ふっ、ふざけるな!そんなプロポーズがあってたまるか!!こんな、こんなので、私がこれを受け……取るしか無いだろう!?」
「ファー!!ありがとう!!愛してるよ!!一生大事にする!!」


 感極まったトルドヴィンがギリファンを抱きしめると、ギリファンは、「ぎゃあああああ」と、なんとも色気の無い悲鳴を上げる。
 空気を読んだメルは生暖かい目をしながら、2人からそっと離れて「おめでとうございます」と、機械的に乾いた賛辞と拍手を送る。


 最早姉は混乱して自分がなんて答えたのか判っていないのだろうなと冷静に分析して居ると、トルドヴィンが嬉しそうに爽やかな笑みを浮かべて「ありがとう!」と、メルに手を振って答えた。


 そんなトルドヴィンとギリファンの騒ぎに気づいた、庭を走り回っていた弟達が、何事かとおくびもせずにギリファン達に駆け寄って来る。
 トルドヴィンが三人に向かって何やら説明すると、予想通りいの一番にツィシーが黄色い悲鳴をあげて、母の方へと走って行った。


 2人のめでたい報告はメル以上にお喋り好きな妹の手によって、瞬く間に庭の隅々まで伝聞される。
 客人達が新たなカップルに向かって拍手を送る中、トルドヴィンがギリファンの背を押しながらそれに応えて手を振る姿を生暖かーい目でメルは木陰から眺めていた。


「ははは……まぁそうなるよね。いいですよ。めでたいですよ。兄さんはともかく姉さんは遅い位だったんだから。一件落着。めでたしめでたし。ハハ、ハハハハハ……」
「メル兄さんはアディにプロポーズしないの?」


 がっくりと一人背を丸めていると、いつの間に戻って来たのか、ツィシーがキラキラと目を輝かせてメルを見上げていた。
 何も知らない妹に悪気はないのだろうが、今のメルにはグサリと刺さる一言だった。


「ツィシー……あのね、ボクはアディの事好きだけど、アディは今の所ボクをそんな風に見てくれてはいないから、プロポーズは無理だよ……そりゃあ、アディが答えてくれたら万々歳だけど、現実はそう甘く無い……って、ボクなんか自分で言ってて悲しくなってきた……」


 ぷはぁ〜…と、盛大に溜息を吐き出すと、判っているのかいないのか、ツィシーは「ふぅん?」と、首を傾げる。
「じゃあ兄さんだけ結婚出来ないのね。だって、エド兄さんもクルロもちゃんと彼女がいるし、私もおつき合いしてる人がいるもの。でも安心して、メル兄さん。私、兄さんが結婚するまでは結婚しないでいてあげるわ!」
「何それ!?初耳ですよ?!っていうかツィシー!一体どこの馬の骨に引っかかったんだ!?まだ12歳なのに、おつき合いとか早すぎる!!たとえ姉さん達が許しても、ボクが許さないよ!!」
「なんでよ!わたしだって今年でもう13よ!それにクルロなんてまだ9歳じゃない!!クルロが良くて私がダメなんておかしいわよ!!もういいもんっ!もうメル兄さんの味方なんて絶っっっっっ対にしてあげない!!」


 励ましに来たのか追い打ちに来たのか判らないツィシーは、メルの兄らしい嫉妬による一言で機嫌を損ね、ぷりぷりと頬を膨らませて、ガラン達のいる会場に戻っていく。
 メルは「待ちなさい!」と、慌ててその後を追いかけ、真っ青な顔でツィシーの背中に呼びかける。


 華やかな結婚会場は、ケルスガー一家らしい賑やかさを増して行く。




 世界一不幸な小間使いの元に、ベルンハルトから結婚祝いのぬいぐるみが届けられたのは、ガランに続いてギリファン達が結婚してから、更に2年の月日が経過した、この日の様に暖かな風が吹く、賑やかな春の季節だった。

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