デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

神獣思考 2

 翌朝、日の出と共にアディが目にしたのは、草原の奥の方に見える異様な光景だった。
 どず黒く、渦を巻く様な煙が固まってできた壁が、天を貫いてそびえ立っている。
 西を向いても東を向いても、延々に続いているそれは、生理的に受け入れられるものではなく、見ているだけで全身の毛が総毛立つ様な不気味さを醸し出していた。


「多分、ベルンハルトはあの中に居るよ」


 目を覚まして呆然としていたアディに気が付いたケット・シーが、気まずそうに声をかける。
 それを聞いたアディは愕然として目を見開き、喉がつかえるのを必死で堪えながら震える声を絞り出した。


『嘘……あそこは何?ハルは……ハルはどうなって……』


 リエン語で話す事も忘れ、使い慣れたベルンの共通語で訴えれば、ケット・シーは意味をちゃんと理解している様で、項垂れてアディに向かって首を振る。


「あそこはウイニーがあった所だよ。ここもウイニーの一部だけど……あっちは焔狼えんろうが直接守護してたとこだから、オイラみたいな野良神獣じゃ一人で入っても……気配はあるから、ベルンハルトはまだ生きてる筈だけど……中がどうなってるか、オイラも判んないよ…」
『そんな……』


 最悪な予感と置かれた状況に、アディは身をぶるりと震わせる。
 訳が判らなかった。自分が店から飛び出すまで、ベルンハルトはいつもと変わらず穏やかな笑みを浮かべて嬉しそうに仕事をしていたのに、ほんの少しの時間の間にこんな途方もない場所に、得体の知れない壁の向こうに連れて行かれるなんて、現実の事とは思えない程、理解の範疇を超えている。
 一体ベルンハルトが何をしたというのだろうか?
 誰かに恨まれる様な人じゃないのに、ハイニアの大地は何て残酷な事をするんだろう。
 こんな事……あんまりだ。


(お婆ちゃんだけでなく、ハルまでも……そんなの絶対ダメ!!)


 アディは気が付けば不気味な黒い壁に向かって走り出していた。


 近づけば近づく程、胃から吐き気がこみ上げて来る。
 昨晩から食事をとって居ない所為もあるのだろうが、怒りや哀しみ、苦しみといった負の感情が混じった重たい空気が、津波の様に迫ってくる錯覚を覚える。


 それでもアディは壁がすぐ目前の場所まで近づくと、何としてもベルンハルトを助けないとと、恐怖心を必死で誤魔化して、ガクガクと大きく震える手で真っ黒な渦を巻いている煙に向かって伸ばした。


「アディ!!」


 その腕を、更に真っ青な顔をして後ろから追いかけて来たケット・シーが、慌てて掴む。
「だ、駄目だよっ!触ったら、何が起こるか判んないから……だ、大丈夫、オ、オイラ、ゼイルとか……他の神獣に助けてって頼んで見るから。こ、ここで待ってて?お腹も、空いたでしょ?」
『でもっ!だって……ハルはどうなっちゃうの?何でハルはこんな所に?!ハルが……何で……』


 くしゃりと顔を歪ませて、アディはボロボロと涙を流しながらケット・シー訴える。
 ケット・シーは躊躇いがちにアディの頭に手を伸ばすと、遠慮がちにアディの頭をよしよしと撫でつけ、小さく頷いた。


 するとアディは絶望に打ちひしがれたまま、その場でヘナヘナとうずくまる様に座り込む。
「……あの、落ち着いて……その、お腹空いただろう?オイラ、ご飯とかも、持って来るから……お願いだよ。む、無茶、しないで?何とかするから。ア、アディにまで何かあったら……お、お婆ちゃんも、悲しむ、から……」


 離れようにも心配でたまらない様子のケット・シーが話し掛けると、アディは声も出さずに泣きながら力なくコクリと頷く。
 それを見たケット・シーは、後ろ髪を惹かれながらも「直ぐ戻るから」と、もう一度念を押してその場から姿を消した。


 一人になったアディは、座り込んだまま茫然と目の前の煙の壁を見上げる。
 ほんの少し、紫色の靄がかった真っ黒な煙の壁からは、獣が苦し気に唸る様な不気味な音が聞こえて来ていた。




 =====




 ケット・シーが何処からか持って来たパンを手に戻って来ると、アディはケット・シーが居なくなる前と変わらずに壁をただじっと見つめて座り込んでいた。
 ケット・シーがおずおずとパンを渡すと、アディは虚ろな目でそれを受け取り、何も言わずに黙々とそれを口に運んだ。


 暫くするとケット・シーが呼んだのか、4〜5歳位のケット・シーよりも丸みを帯びた猫の耳をした金髪の幼い少年と、ケット・シーとあまり年頃の変わらなさそうな、群青色の髪をした少年が姿を現す。


 小さな金髪の少年は恥ずかしそうに群青色の髪をした少年の後ろに隠れ、群青色の髪をした少年は、眠たそうに大きなあくびをしながらアディとケット・シーの元へと近づいてきた。


「あれぇ?ユニコーンは居ないの?僕達だけ?」
「でもほら、ふぃおが居るよ!あ、えっと、ふぃおじゃなくって、えっと、えっと、あでぃだ!あのね、あのね、ぼく"みんこ"!こっちが"げいは"でね、お友達なの」


 眠虎と名乗った少年がハニカミながら、キラキラと金色の目を輝かせてアディを見上げ挨拶をするも、アディはそれに応える気力もなく、助力に来た二人を見て落胆する。
 ケット・シーが頼んだと思われる二人は、明らかに頼りなさそうな子供だった。


 神獣は見た目がどんなに幼くても、途方もない時間を生きてきた人とは違う生き物だという事は理解しては居るが、見た目も言動も人の子供と何ら代わりはなく、鯨波と呼ばれた少年に至っては、今にも寝てしまいそうな程トロンとした目をしていて、助けてくれと頼める相手とは思えなかった。


 明らかにガッカリして項垂れるアディを見て、ケット・シーは慌ててアディの前にしゃがみ込む。
「こ、こう見えても、鯨波も眠虎も、国を支える柱の神獣だし、オイラよりうんと力が強いから、オイラよりは頼りになる筈だよ?」
「困った時はお互い様だよね〜。うん、任せてぇ」
「うと、ぼくもぼくも!あのね、ライリ……ぼくのごしゅじんさまも行っていいって言ったから大丈夫だよ!」
「ハル、助かルますカ?ホントに?」


 パンを両手で握りしめたまま2人の少年を見上げて不安気にアディが尋ねれば、2人はキョトンとして顔を見合わせた後、置かれている状況を判っているのかいないのか、アディに向かって満面の笑みを浮かべてみせた。


「大丈夫だよ〜。ユニコーンが何とかしてくれるもんねー?」
「うん!ゼイルはなんでもできるから凄いんだよ!あとね、あとね、ライムはもっと凄いのー!だからだいじょーぶ!」


「ねー♪」と、眠虎と鯨波はとことんマイペースに相槌を打ち合う。
 自分達は何もする気はないんだろうかと、流石にケット・シーも不安な顔を覗かせたが、ライマールと同じ様に確実な予知が出来る眠虎が、自信たっぷりに言い切ったので多分大丈夫だと、半ば自分に言い聞かせる様に、アディを落ち着かせようとそう説明を付け足した。


 半信半疑で頷くアディがもう一度眠虎を見つめると、眠虎はその視線を受けて、嬉しそうに頬を染めて、にこにこと無邪気に笑って見せる。
 一抹の不安を抱きながらも、彼らの言葉を信じたアディは、その場で足止めを食らう羽目となってしまった。

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