デール帝国の不機嫌な王子
神獣思考 1
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時はベルンハルトが連れ去られてすぐ後にまで遡る。
ベルンハルトの割れたメガネを見つけて店を飛び出したアディは、とにかく街の中をひたすら走り回り、その姿を探し回った。
日がくれる頃には髪はぐしゃぐしゃになり、女の子としては見るも無残な姿となっていたが、そんな事に気がつかない程、アディはかなり取り乱していた。
旅をして来た場所の中で、この国はかなり平和な国だから、杞憂かもしれないとも思ったが、アディの経験と感が、何かあったはずだと警鐘を鳴らす。
少なからず、店を開けたまま大事なメガネを床に落として気づかないまま出掛けるなんて、よほどの事が限りあり得ないはずだ。
どうしよう、どうしたら、と半泣きになりながら混乱するアディは、とうとうその場に蹲ってしまう。
『助けてお婆ちゃん……』
次に何をしたらいいのかも判らず、思わず出た言葉はやはりケット・シーに縋るものだった。
そんな事を言ってはいけないと判ってはいるものの、一人で対処するにしてはアディにはまだ荷が重かった。
(いっぱい探したのに、ハルが見つからない。どうしたらいいの?お婆ちゃんならこんな時どうする?お店に、戻って……ううん。誰かに知らせれば……でも、誰に知らせればいいの?)
夢の事で悩んでいた時、ケット・シーはメルを探せと助言をした。
しかし今は、そのメルも仕事で遠い場所に行って家を空けている。
メルのお母さんやお父さんに言えば、力に乗ってくれるだろうか?
いや、もしかしたら情の熱いメルのお母さんや妹のツィシーが聞いたら、余計に心配して卒倒してしまうかもしれないと、アディは躊躇する。
しかしどちらにしても陽はすっかり落ちてしまっていて、そろそろ戻らないとまた別の意味で心配をかけてしまうのには違いなかった。
こうしていても仕方がない。
顔色は良くないものの、アディは漸く重い腰を上げる。
鍵のかかって居ない店の事も気がかりだったが、また店に戻るにしても、メルの家に一言伝えてから戻るべきだと判断した。
裏路地から大通りに出ると、陽が落ちてしまったせいか商店街は閑散として、行き来する人がもう殆ど見当たらなかった。
それでも幸いな事にこの国の主だった通りには、夜になれば魔法で作られた街灯に明かりが灯る様になっている為、アディの住んでいたグルグネストに比べれば、幾分安全な帰り道となっていた。
四半刻過ぎたあたりで住宅街に入り、その頃にはもう、人っ子一人見当たらない程辺りは静まり返っていた。
旅をしている間は路上で寝る事も少なくはなかったが、流石に一人で夜歩き回った事はなかった為、アディはほんの少し不安になり、自然と早足で家路を急ぐ。
街灯と、何処かの貴族の家の高い塀の間を、駆け抜けるといっていい程の速さで歩いていると、不意に奥の方に小さな黒い人影が見えてくる。
人が居ると警戒して思わず歩を緩め、ゆっくり、人影を避ける様に塀の方へと近づいて、前へと進んで行く。
街頭の真下に佇む人影は、始めの内はその姿はよく見えなかったものの、近づくにつれて、その姿が何処かで見たことがある人物だという事に気が付いた。
「誰、でスか?」
街灯の光が逆光となって顔はよく見えなかったが、明らかにこちらをジッと見ている様子に気が付き、アディは思わず足を止める。
アディが身を固くして警戒して居る事に気が付いたのか、こちらを見ていた人影は、ほんの少し躊躇した様子で、恐る恐ると口を開いた。
「アディ……その、オ、オイラ……ゴ、ゴメン」
垢抜けた喋り方の割りに、あどけなさの残る高い少年の様な声に、アディは思わず警戒心を解く。
その声を何処かで聞いた事がある様な気がして、何処で聞いたのだろうかと、アディは暫し逡巡する。
するとそれを見ていた件の人影は、シュンと頭を落として、トボトボとアディの方へと近づいてきた。
徐々にハッキリとして来るその頭には、ピンと尖った二つの黒い山と、背後からは細長い尻尾が伸びていた。
それを見てアディは、パチパチと青い目を瞬く。
「ア、ムハ……?」
自分とあまり変わらない背丈の少年を見つめながら、どう呼んだらいいのかと、迷いつつもアディはそう呼びかけた。
すると少年は少し困った様に眉尻を下げながら、アディに向かってブンブンと首を横に降ってみせた。
「オイラはお婆ちゃんじゃ無いよ。確かに、同じケット・シーではあるし、アディの事もよく覚えてるケド……オイラはオイラでしかないんだ。ゴメンよぅ……」
ビクビクしながら背中を丸めて、ケット・シーは上目遣いでアディの様子をジッと伺う。
背後の尻尾は力なく脚に巻きついていて、何処かアディを恐れている様な、そんな雰囲気を感じ取った。
アディはアディで何となく気まずくなり、同じ様に小さく俯く。
見た目も声も何もかも違う事は判っていた事なのに、姿が変わってもまた前の様に自分を見てくれるのではないかと何処かで期待していた自分に気がつく。
「ごめん、ナ……おババ、もう居ない、知ってまス。貴方、おババ違うマス。私、とても失礼、言ウマシタ……」
謝罪を口にしたものの、落胆する気持ちは偽りようもなく、そう感じてしまう自分にまた嫌気が差す。
彼は彼として認めなければいけないのに、これではまるで彼が居ない方が良かったみたいに感じているみたいだとアディはますます項垂れた。
それを見たケット・シーはアディの気持ちを察したのか、小さく首を振って、また「ゴメンよ……」と呟いた。
「アディは……オイラはアディのお婆ちゃんじゃないから、その……お婆ちゃんじゃ無いオイラの事は嫌い?」
不安そうな、掠れ気味の声が聞こえ、アディはハッと顔を上げる。
先程からアディを怖がっている様に見えたのは、きっと自分が拒絶してしまうのを恐れていたからなのだろうと気が付いて、アディは慌ててそれを否定した。
「嫌い、違ウます!貴方、おババ、違う。でも、嫌い、理由、なルないでス!」
中々彼の存在を受け入れられないのは、決して彼が憎いからではない。それだけは絶対に違うと、拙いリエン語で訴える。
するとケット・シーはほんの少しホッとした様子を見せたものの、それも一瞬の事で、すぐにまた落ち込んだ様子で頭を垂らした。
「でも、もしかしたらオイラの所為でベルンハルト、居なくなったかも知れないんだ……オイラ、アディと仲良くなりたくって、でも嫌われるの怖くって、ずっと遠くから見てて……でも、アディ、元気無かったから、元気付けようと思って、それでオイラ、あの時、皇帝広場で幻術を使って、ベルンハルトのお店まで誘導して……」
オロオロと、物心がついたばかりの少年の様な物言いで、ケット・シーはベルンハルトに何があったのか知っている風な言葉を臭わす。
ケット・シーが伝えたかった事はイマイチ判らなかったが、それでもベルンハルトの名前に素早く反応して、アディはケット・シーの両手をがっしりと掴んで訴えた。
「ハル、何処、居る、判ルまスか?ハル、ダイジョブでスか?何、あルました?」
何か知っているなら教えて欲しいとアディは心底心配気にケット・シーに訴える。
必死の様相のアディをみながら、ケット・シーは迷いながらも小さくコクリと頷いた。
「た、多分、だけど……アディがお店を離れてる間に、真っ黒な人?が床から出て来て……ベルンハルト、消えちゃったんだ。オ、オイラビックリして……こ、怖かったけど、追いかけたから、ど、どの辺に居るのかは、た、多分判る、と思う」
「何処でスか!?ハル、連れてってクサイ!私が助かリまス!!」
食ってかかる様に詰めよれば、ケット・シーは「で、でも……」と、ますます萎縮して逡巡する。
有無を言わせないとアディがブンブンと首を横に振って眉間にシワを寄せると、ケット・シーはビクビクとしながら小さく頷いてアディの手を握りしめた。
「あ、あの……多分……近くまでしか、判らないから……ゴ、ゴメンよぅ……」
「構ワません。私が探スまス」
キッと睨みつける様にアディはケット・シーに宣言する。
"お婆ちゃん"は寿命だった。それは仕方の無い事だ。でも、ベルンハルトはそうじゃない。
何かが起きて、誰かが危害を加えて、命の危険に晒されてるかも知れないのなら、絶対に助けなきゃと腰に着けている真剣の柄に手を伸ばす。
道中である程度のモンスターなら倒して来た。人が相手なら何処まで出来るか判らないけど、戦えないわけじゃない。
震えそうになる脚と手に言い聞かせ、力を込める。
その決意がケット・シーにも伝わり、彼は心配気ながらも、また小さく頷いた。
「目を、瞑ってて。た、多分、酔うから」
アディはその指示に頷くと素直にそっと目を閉じる。
それを合図にケット・シーもアディの手を握る手にギュッと力を込めて、一陣の風を呼び出した。
アディと、ケット・シーを中心に、風は竜巻の様に舞い上がる。
夜闇の中で、塀の向こうから樹木がさざめく音が聞こえる。
やがてその音は遠ざかり、アディの金糸を巻き上げていた風が収まった頃に目を開ければ、アディは見知らぬ夜の草原の中にケット・シーと二人、ポツンと佇んでいた。
時はベルンハルトが連れ去られてすぐ後にまで遡る。
ベルンハルトの割れたメガネを見つけて店を飛び出したアディは、とにかく街の中をひたすら走り回り、その姿を探し回った。
日がくれる頃には髪はぐしゃぐしゃになり、女の子としては見るも無残な姿となっていたが、そんな事に気がつかない程、アディはかなり取り乱していた。
旅をして来た場所の中で、この国はかなり平和な国だから、杞憂かもしれないとも思ったが、アディの経験と感が、何かあったはずだと警鐘を鳴らす。
少なからず、店を開けたまま大事なメガネを床に落として気づかないまま出掛けるなんて、よほどの事が限りあり得ないはずだ。
どうしよう、どうしたら、と半泣きになりながら混乱するアディは、とうとうその場に蹲ってしまう。
『助けてお婆ちゃん……』
次に何をしたらいいのかも判らず、思わず出た言葉はやはりケット・シーに縋るものだった。
そんな事を言ってはいけないと判ってはいるものの、一人で対処するにしてはアディにはまだ荷が重かった。
(いっぱい探したのに、ハルが見つからない。どうしたらいいの?お婆ちゃんならこんな時どうする?お店に、戻って……ううん。誰かに知らせれば……でも、誰に知らせればいいの?)
夢の事で悩んでいた時、ケット・シーはメルを探せと助言をした。
しかし今は、そのメルも仕事で遠い場所に行って家を空けている。
メルのお母さんやお父さんに言えば、力に乗ってくれるだろうか?
いや、もしかしたら情の熱いメルのお母さんや妹のツィシーが聞いたら、余計に心配して卒倒してしまうかもしれないと、アディは躊躇する。
しかしどちらにしても陽はすっかり落ちてしまっていて、そろそろ戻らないとまた別の意味で心配をかけてしまうのには違いなかった。
こうしていても仕方がない。
顔色は良くないものの、アディは漸く重い腰を上げる。
鍵のかかって居ない店の事も気がかりだったが、また店に戻るにしても、メルの家に一言伝えてから戻るべきだと判断した。
裏路地から大通りに出ると、陽が落ちてしまったせいか商店街は閑散として、行き来する人がもう殆ど見当たらなかった。
それでも幸いな事にこの国の主だった通りには、夜になれば魔法で作られた街灯に明かりが灯る様になっている為、アディの住んでいたグルグネストに比べれば、幾分安全な帰り道となっていた。
四半刻過ぎたあたりで住宅街に入り、その頃にはもう、人っ子一人見当たらない程辺りは静まり返っていた。
旅をしている間は路上で寝る事も少なくはなかったが、流石に一人で夜歩き回った事はなかった為、アディはほんの少し不安になり、自然と早足で家路を急ぐ。
街灯と、何処かの貴族の家の高い塀の間を、駆け抜けるといっていい程の速さで歩いていると、不意に奥の方に小さな黒い人影が見えてくる。
人が居ると警戒して思わず歩を緩め、ゆっくり、人影を避ける様に塀の方へと近づいて、前へと進んで行く。
街頭の真下に佇む人影は、始めの内はその姿はよく見えなかったものの、近づくにつれて、その姿が何処かで見たことがある人物だという事に気が付いた。
「誰、でスか?」
街灯の光が逆光となって顔はよく見えなかったが、明らかにこちらをジッと見ている様子に気が付き、アディは思わず足を止める。
アディが身を固くして警戒して居る事に気が付いたのか、こちらを見ていた人影は、ほんの少し躊躇した様子で、恐る恐ると口を開いた。
「アディ……その、オ、オイラ……ゴ、ゴメン」
垢抜けた喋り方の割りに、あどけなさの残る高い少年の様な声に、アディは思わず警戒心を解く。
その声を何処かで聞いた事がある様な気がして、何処で聞いたのだろうかと、アディは暫し逡巡する。
するとそれを見ていた件の人影は、シュンと頭を落として、トボトボとアディの方へと近づいてきた。
徐々にハッキリとして来るその頭には、ピンと尖った二つの黒い山と、背後からは細長い尻尾が伸びていた。
それを見てアディは、パチパチと青い目を瞬く。
「ア、ムハ……?」
自分とあまり変わらない背丈の少年を見つめながら、どう呼んだらいいのかと、迷いつつもアディはそう呼びかけた。
すると少年は少し困った様に眉尻を下げながら、アディに向かってブンブンと首を横に降ってみせた。
「オイラはお婆ちゃんじゃ無いよ。確かに、同じケット・シーではあるし、アディの事もよく覚えてるケド……オイラはオイラでしかないんだ。ゴメンよぅ……」
ビクビクしながら背中を丸めて、ケット・シーは上目遣いでアディの様子をジッと伺う。
背後の尻尾は力なく脚に巻きついていて、何処かアディを恐れている様な、そんな雰囲気を感じ取った。
アディはアディで何となく気まずくなり、同じ様に小さく俯く。
見た目も声も何もかも違う事は判っていた事なのに、姿が変わってもまた前の様に自分を見てくれるのではないかと何処かで期待していた自分に気がつく。
「ごめん、ナ……おババ、もう居ない、知ってまス。貴方、おババ違うマス。私、とても失礼、言ウマシタ……」
謝罪を口にしたものの、落胆する気持ちは偽りようもなく、そう感じてしまう自分にまた嫌気が差す。
彼は彼として認めなければいけないのに、これではまるで彼が居ない方が良かったみたいに感じているみたいだとアディはますます項垂れた。
それを見たケット・シーはアディの気持ちを察したのか、小さく首を振って、また「ゴメンよ……」と呟いた。
「アディは……オイラはアディのお婆ちゃんじゃないから、その……お婆ちゃんじゃ無いオイラの事は嫌い?」
不安そうな、掠れ気味の声が聞こえ、アディはハッと顔を上げる。
先程からアディを怖がっている様に見えたのは、きっと自分が拒絶してしまうのを恐れていたからなのだろうと気が付いて、アディは慌ててそれを否定した。
「嫌い、違ウます!貴方、おババ、違う。でも、嫌い、理由、なルないでス!」
中々彼の存在を受け入れられないのは、決して彼が憎いからではない。それだけは絶対に違うと、拙いリエン語で訴える。
するとケット・シーはほんの少しホッとした様子を見せたものの、それも一瞬の事で、すぐにまた落ち込んだ様子で頭を垂らした。
「でも、もしかしたらオイラの所為でベルンハルト、居なくなったかも知れないんだ……オイラ、アディと仲良くなりたくって、でも嫌われるの怖くって、ずっと遠くから見てて……でも、アディ、元気無かったから、元気付けようと思って、それでオイラ、あの時、皇帝広場で幻術を使って、ベルンハルトのお店まで誘導して……」
オロオロと、物心がついたばかりの少年の様な物言いで、ケット・シーはベルンハルトに何があったのか知っている風な言葉を臭わす。
ケット・シーが伝えたかった事はイマイチ判らなかったが、それでもベルンハルトの名前に素早く反応して、アディはケット・シーの両手をがっしりと掴んで訴えた。
「ハル、何処、居る、判ルまスか?ハル、ダイジョブでスか?何、あルました?」
何か知っているなら教えて欲しいとアディは心底心配気にケット・シーに訴える。
必死の様相のアディをみながら、ケット・シーは迷いながらも小さくコクリと頷いた。
「た、多分、だけど……アディがお店を離れてる間に、真っ黒な人?が床から出て来て……ベルンハルト、消えちゃったんだ。オ、オイラビックリして……こ、怖かったけど、追いかけたから、ど、どの辺に居るのかは、た、多分判る、と思う」
「何処でスか!?ハル、連れてってクサイ!私が助かリまス!!」
食ってかかる様に詰めよれば、ケット・シーは「で、でも……」と、ますます萎縮して逡巡する。
有無を言わせないとアディがブンブンと首を横に振って眉間にシワを寄せると、ケット・シーはビクビクとしながら小さく頷いてアディの手を握りしめた。
「あ、あの……多分……近くまでしか、判らないから……ゴ、ゴメンよぅ……」
「構ワません。私が探スまス」
キッと睨みつける様にアディはケット・シーに宣言する。
"お婆ちゃん"は寿命だった。それは仕方の無い事だ。でも、ベルンハルトはそうじゃない。
何かが起きて、誰かが危害を加えて、命の危険に晒されてるかも知れないのなら、絶対に助けなきゃと腰に着けている真剣の柄に手を伸ばす。
道中である程度のモンスターなら倒して来た。人が相手なら何処まで出来るか判らないけど、戦えないわけじゃない。
震えそうになる脚と手に言い聞かせ、力を込める。
その決意がケット・シーにも伝わり、彼は心配気ながらも、また小さく頷いた。
「目を、瞑ってて。た、多分、酔うから」
アディはその指示に頷くと素直にそっと目を閉じる。
それを合図にケット・シーもアディの手を握る手にギュッと力を込めて、一陣の風を呼び出した。
アディと、ケット・シーを中心に、風は竜巻の様に舞い上がる。
夜闇の中で、塀の向こうから樹木がさざめく音が聞こえる。
やがてその音は遠ざかり、アディの金糸を巻き上げていた風が収まった頃に目を開ければ、アディは見知らぬ夜の草原の中にケット・シーと二人、ポツンと佇んでいた。
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