デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

太古の記憶 1

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 予定が狂ったとはいえ、ライマールのそもそもの目的はこの地に眠っていたシャドウ達を深い眠りにつかせる事にあった。


 本来ならばシャドウ達が目覚めるのはもう少し先の未来だったのだが、様々な因果が重なった事によって、少しずつその予定や事象がズレていってしまったのだ。


 その主な原因は傍観に務めきれなかったゼイルにあり、アディがケット・シーの死に目に間に合ってしまっただけでなく、その場にメル以外の人間が居た事も大きかった。
 結果、合同演習に間に合わない筈のメルが予定通り演習に向かい、予定よりもうんと早い段階で、アディはベルンハルトの真名を口にしてしまったのだ。


 その為に、メルがライマールを主人にすると決めた時から、"メル"の間違った盟約に囚われ過ぎない様に感情を優先させて、助けたいと思った者がいたらそっちを優先させろと再三念を押して来たのに、ハッキリ言って殆ど全ての予定が台無しとなってしまった。


 前世の主人達と再会して嬉しそうなゼイルに、ついその手助けをしてしまったライマールも同罪ではあるので文句は言えないのだが、流石に裏切り者の濡れ衣まで着せられてしまえば、少々後悔をしないでもなかった。


「過去を再現……って、どうやって?そんな事、本当に可能なのか?」
『五月蝿い。黙っていろ。気が散る』


 信じられないものを見る様にギリファンが問い掛けるも、ライマールは億劫だと言わんばかりに一蹴する。
 ギリファン達が消えてすぐに発動させたあの魔法が使えれば一番楽ではあるのだが、あの状態でも生きているが故に、必要以上に彼らを消してしまう様な事はしたくなかった。


 ライマールは前方に手を広げながら、中空に複雑な光の模様を生み出して行く。
 銀色に光るその光の粒の塊は、何かの絵の様にも、何処かの文字の様にもみえた。


『お前達の中で眠っている記憶を使う。何が起こっても良いと言うまで動くな……アサルの真名を持ち、ベルンハルトとして生を受けた者、前世の名はレティアーナ』


 命令をするかの様に淡々とライマールがベルンハルトの名を呼び、銀色に光る文字の一つに指先で触れる。
 すると、ベルンハルトの額からふんわりと淡い黄色の光が浮かび上がり、ライマールの指し示した文字へと吸い込まれて行く。


 文字は銀から金へと輝きを変え、それを確認すると、ライマールはまた淡々と名前を口にしていく。


『シャーラームの真名を持ち、ギリファンとして生を受けた者、前世の名はアベル。ヤースの真名を持ち、トルドヴィンとして生を受けた者、前世の名はクロエ。サーラールの真名を持ち、デーゲンとして生を受けた者、前世の名はレイノルド』


 朗々とライマールの口から語られる数々の名前に、呼ばれた当人達は困惑して思わず胸を押さえる。
 聞き覚えのない名前だったが、懐かしさを覚えると同時に、その感覚が一瞬の内に自分から離れて行こうとしていることに気がつく。
 額から漏れ出た小さな光に、無意識の内に手が伸びそうになるも、わずかに残っている理性がライマールの命令を思い出し、それを押し留めた。


 文字に吸い込まれて行く光を見ながら、漠然と、何か大事なものを失ってしまう様な不思議な感覚に、誰もがただただ胸の奥がつきりと罪悪感の様な痛みを感じる。
 続いて他の兵士や魔術師達の名が呼ばれて行く中で、メルは一人首を捻っていた。


 何故、ライマールには自分達の前世の名や真名が判るんだろう?
 魔力の強い者の中には、魂に刻まれた真名を見抜く力を持つものが確かに存在はするものの、前世で名乗っていた普通の名前まで詳細に見抜ける者など聞いた事がない。
 神獣の力が為せる技なのか、それともライマールがよほど特別な存在なのか、長年連れ添ってるにも関わらず、相変わらず判らない事だらけの主人を、少しでも理解したいとメルは瞬きも忘れ、ライマールを見つめ続けた。


(仮にあの元番人様の力が関わっていたとして、あの元番人様は……元って付くからには今は番人ではないって事なんだろうけど、なら今の番人って誰なんだろう?そもそも一体何の番人だったんだ?死霊を浄化出来て、真名を判別する事が出来て、人の前世の事まで解るし……それに、最初に出て来た時、ボク達に向かって"我が子達"って言ってたような……まさかと思うけど……)


 導き出した答えを再考する前に、その思考はライマールの呼びかけによって中断する。
『……テディの真名を持ち、アディとして生を受けた者、前世の名はフィオディール。ダルヤの真名を持ち、メルとして生を受けた者、前世の名はメル』


 ライマールに真名を呼ばれた直後、メルの脳裏に一つの光景が、ものすごい速さで掠めていく。
 頭の中でメルは、横たわる年老いた女性と向かい合い、その手を取り言葉を交わしていた。
 女性が微笑み力尽きた所で、メルは再び現実へと引き戻され、全て・・を理解したメルの頬には、止めどなく涙が溢れていた。


(そう、か……メル・・の名は、呪いなんかじゃ無かったんだ……だからボクは……)


 メルの額から溢れた光が、中空に浮かぶ最後の文字に触れるのを見た後、メルは何となく、そばで横たわっていたベルンハルトを見下ろす。
 ベルンハルトはイマイチ何が起きているのか判らない様子で、眩しそうにライマールのいる方角に目を細めていた。


『名を呼ばれし古の記憶を持つ我が子らよ、今一度、その記憶をここに示せ。ーー時の夢想ゼイ・トラメリエ


 全ての名を呼び終えた後、ライマールは両手を広げ、中空の文字に向かって呪文を唱える。
 瞬間、文字は強烈な光を放ち、どこまでも続く暗闇を消し去る様に広がって行った。


 その眩しさに誰もが目をギュッと瞑る。
 全てが終わり、再び目を開いた時には、何事も無かったかの様に辺りは変わらず闇に包まれていた。


「……?終わりか?何の変化も無いみたいだが……」
「でも、なんか凄く疲れた気がするね。君達はいつもこんな脱力感に襲われているのかい?魔法って結構大変な物なんだね」
「これ位なら別に疲労の内には入りませんが……ベルンハルトさん?大丈夫ですか?」
「そうだ!ハル!!何ともないか?!」


 再び向き直ったメルの問い掛けに、自分の身に起きた事に唖然としていたデーゲンがハッと意識を取り戻し、慌ててベルンハルトに声をかける。
 ベルンハルトは何故かメルやデーゲンを見ようとはせず、デーゲンの肩越しから奥の方を、何かを確かめる様に目を細く凝らして見つめていた。


「体調はだいぶ楽になったんですが……眼鏡が無いせいかな?あそこに何か見える気がするんですが、気の所為でしょうか?」


 指を刺された方向を、皆一斉に振り返る。
「あれは!?」


 ベルンハルトの指の先に、蜃気楼の様に揺らぐ、港町の姿が浮かび上がっていた。
 さざめく波の音と真っ青な空を舞う白い海鳥の声が、今にも聞こえて来そうな程鮮やかな港には、漁から帰って来たばかりと思われる漁師が大量の魚を抱えて、今まさに船から降りようとしていた。


 奥の方では、買い出しに来た近所の主婦や何処かの屋敷の使いの者など、実に様々な人々が街の中を行き交っている。


 大通りから少し上空へと目を向ければ、青々とした緑が広がる丘の頂上に、雲の様に真っ白で、煌びやかな竜の山脈にある雪山の様な大きな城が佇んでいた。


 デールの城は実用的な城塞だが、目の前に浮かび上がった白い城は、とてもいくさに向いている城とは思えない程絢爛豪華な印象を受けた。


 話し声や喧騒こそ聞こえてこないものの、街を行き交う幻の人々はその城と同じ様に戦争を知らない、幸せそうな表情を浮かべていた。


「これが……ウイニー王国……」


 誰が呟いたのか判らなかったが、その呟きを耳にして、その場にいた全ての人間が、自然と涙を流していた。

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