デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

忘れられた影の国 2

 その場にいる誰もが元番人を食い入る様に見つめる中、何から話した物かと元番人は思案気に首を傾げる。
「まずは……そうだね。疑いをかけられたままで居るのは私も気分が良いものではないから、お前達の共通点から話しておこうか」
「共通点?あの魔物が我々を選んで連れて来たと言ってましたね。……ざっと見た感じでは容姿や性別に共通点は見られない。出身地……もまちまちみたいだし、軍成績もバラバラ……貴方が正しいとはとても思えない」


 見知った顔のプロフィールを頭に思い浮かべ、トルドヴィンは首を振る。
 ギリファンへと視線を送れば、同じ様に首を振って肩を竦めた。


「見た目や能力の問題ではないよ。お前達はシャドウに襲われた時の事を覚えているかい?ここに居る人間の他にシャドウが襲いかかったのを見た者が居るなら教えてほしい」


 元番人は兵士や魔術師達を見渡して問い掛ける。
 すると各々思い当たる節があったらしく、言われて見ればと首を振った。


「あの魔物に襲われたのは俺達だけだ。俺の隣にいた奴は必死で奴らを斬り刻もうとしてたけど、見向きもせずにこっちに向かって来てた」
「俺もだ。前に沢山仲間が居たのに迷いなく俺に手を伸ばしてた気がするぞ」


 誰かが答えたのをきっかけに、皆一様に「俺も」「私も」と、同意する。
 元番人はその答えに満足そうに頷いてトルドヴィンに向き直る。


「ね?共通点はあるんだよ。この子…私が襲われなかった理由はそれだ。シャドウが求める人間では無かっただけの話だよ」
「ならばその共通点とはなんだ?トルも言っていたが、ざっと見た感じではある様には思えない。強いて言えば同じ釜の飯を食べた位だろうな」
「なるほど?でもそれだとここに居ない人間も含めて、あの場に居た全ての人間に当てはまってしまうね。つまり不正解だよ。答えはお前達には流石に検討がつかないだろうから言ってしまうけど、前世の問題なんだ。お前達は皆共通してこの地で生まれ育った民、または王族や貴族だった。長い年月の間に別の国で生まれ変わり、消滅や異形化を逃れた魂を受け継いだのがお前達だ。さて、この地は何処だか判るかい?」


 また予想を超える返答に皆困惑を露わにして周りを見渡す。
 どれだけの時間がたったのか判らない。何せ自分達が意識を取り戻してから、ここに至るまでまるで景色に変化は無い。
 陽が登る気配もなければ、夜闇に生きる獣が集まる気配すらないのだ。


 ーーそう、まるで自分達以外に生き物など存在して居ない様な錯覚を覚えてしまう程。


 周囲の様子から、誰もが虚無という言葉を思い浮かべ、背筋を凍らせた矢先、ギリファンが何かに気がついた様にハッとして顔を上げる。


「闇に閉ざされた何も無い場所に、消滅や異形化を逃れた魂……まさか、ここは亡国、ウイニーの地なのか?!」


 驚愕の叫び声をあげてギリファンが叫べば、元番人は飄々とした様子で「正解だね」と頷いて答える。
 やはり俄かに信じられない話だが、元番人の説明を信じて推測するならこれ以外の答えは思いつかなかった。


 そしてこの地がウイニーと聞いて誰もが顔色をサッと失う。
 神獣の加護を失った呪われた土地に連れて来られたとなれば、何が起きても不思議ではないし、生きて帰れないかもしれないと未知の恐怖がジワジワと蝕んで行く。


「ウイニーだって?!い、いやだっ!!なんでこんな場所に俺達が連れて来られなくちゃなんないんだ!!何が前世だ!!俺は生まれも育ちも帝都だ!!ふざけるな!!今すぐデールに返せ!!」
「お、おしまいだ……俺はもう呪われちまったんだ……帰った所でもう真面に生きていけねぇんだ……」
「いやよっ!!私まだやり残したことがいっぱいあるのよ?!こんな所で死ぬなんて絶対イヤッ!!」


 一人が叫べば、次々に不安は感染して行く。
 辛うじて魔法の光が辺りを照らしているが、それ以外に何も支えとなる物は無い状態なのだから無理もない話だ。
 その様子を真っ青な顔で呆然とメルは眺め、隣ではこめかみを押さえながら目を伏して考え込むギリファンが居た。


 事態を収拾すべくトルドヴィンが口を開きかけた所で、とても穏やかな声音が辺りに響き渡る。


『鎮まりなさい』


 それは大きな声ではなかったが、心の奥底にズブズブと沈み込む様な威圧感があった。
 恐怖から騒いでいた者も、言葉を失って思考を停止していた者も、止めようとしていた者でさえも、今行っていた事を全てを放棄してしまいそうな絶対的な支配力を言葉の中に感じ取った。


 亡者の様な心地で声の主へと注目すれば、彼は依然穏やかな笑みを讃えていた。
 その姿に、また皆の心に急激な畏怖が襲い掛かる。


「話はまだ終わっていないよ?次は何を話そうか?」
「……えっと、その、か、仮に、ここがウイニーで、ボク達の前世がウイニーの国民だったとして、シャドウ?でしたっけ?あの魔物は何でボク達をここへ連れて来たんですか?理由があるって言ってましたよね」


 顔色を無くしたままではあったが、辛うじて質問を口にしたメルに、思案気だった元番人が「うん?」と、気がついた様に首を捻る。
「そうだね。なら、まずシャドウについて説明しようか。お前達はレイスについてどれほどの認識を持っているんだい?」
「レイス?あれは350年前の戦争が原因で帝国に彷徨う無念の念を抱いた、魂の門をくぐる事が叶わなかった呪われた死霊……だろう?」


 今更そんな常識的な事を何故聞くのかとギリファンは訝しむ。
 元番人は他の二人の返答はどうだろうと確認するかの様に、メルとトルドヴィンにも視線を配ったが、二人もそれ以外の答えはないとでも言いた気に頷いて見せる。
 すると元番人は少しがっかりした様子で溜息を吐き出した。


「人間は自分にとって都合の良い解釈をする生き物だ。今更咎める気はないですが、少しは疑問を持っても良いんですよ?バチなんて与えませんよ?」
「それってつまり、間違った認識だって事ですか?」
「全てが、とは言いません。ああなってはなかなか自力で門は潜れないからね。でも、レイス自体はあの場所が呪われた森と称される時代からずっと存在していた魔物だと知っていましたか?数が爆発的に増えてしまったのは、確かにあの戦争……いえ、お前達人間が禁忌を犯したのが原因ではありますが、無念の念、なんて単純な物でこのハイニアに死者が留まれる程、甘い盟約は交わされていないんだよ?人は未練なく死ねる程単純な生き物では無いからね」


 そこまで言われてみて、確かにそうかもしれないと、メルやギリファンを含めた魔術師達が顔を強張らせる。
 今まで先人達から教わった事に疑念を抱いた事はなかったが、死んだ瞬間に未練を断ち切る人間なんて到底いるとは思えなかった。
 それはネクロマンサーと幾度と無く対峙して来たからこそ言える事で、意思のある屍に出会う機会は滅多に無かったが、このハイニアに執着している様子を見せた死人は何度も目にしていた。
 個々の意思のという範囲を越えて、微かに残る記憶の本能に近い執着とも言えた。


「なら何故レイスは生まれたんだ?帝国が出来るより前から存在するなら、その原因は一体なんなんだ」
「あの森事態に秘密があるって事ですかね?周辺諸国に比べてゼイルの森にすむ魔物は強いって聞きますし」
「でも、あの戦争でレイスが劇的に増えたのは事実、なんだよね?だとしたら森自体にと考えるのは矛盾している様な気がするけど……」


 難しい顔で考え込んだ三人を見ながら、元番人は何処か嬉しそうに目を細める。
「お前達がそうやって考えて答えを出すのを見ていてあげたいけどね、残念ながら今は時間がないから答えを言ってしまうよ?あれはね、生前の記憶や自我を清浄の地に着く前に磨耗してしまった魂の成れの果てなんだよ。つまり、破損してしまった魂、だね」


 清浄の地とは魂の門がある場所だと元番人は付け加える。
 通常死者はその地に各々の記憶や自我を埋め込んで、魂の門を潜り抜ける様に出来ているらしい。
 自分が自分であった記録を清浄の地に埋め込む事で、門を潜ってあちらの世界で生を終えた後、また戻って来れる様になっているのだという。


「記憶や自我が無いというのはこの世界で生きた証が無いと言う事と同義なんだよ。例え母の体内で死を迎えた胎児であっても、ささやかな記憶は残っているもの。それが剥がれ落ちる位に傷付くのはそれだけの冒涜を犯されたという事になる。例えば、古き神の怒りに巻き込まれてしまったり、誰かが幾度となく死者を蘇らせようと試みたり……とね」
「じゃあ、レイスが人を襲おうとするのは怨み、からですか?」


 新たな世界で生を受け、新たな人生を歩もうとしていた矢先に、無理やり呼び戻され、記憶も自我も奪われる程に使役されたとなれば、どんなに悔いても喰いきれないだろう。
 ましてやもう自力で門に辿り着く事もままならないのであれば、無差別に人間に襲いかかって来ても誰も文句は言えないのかもしれない。


 メルがやりきれなくなって俯くと、元番人は慰める様にポンポンと肩を叩いて優し気に微笑む。
「自我が無いんですよ。あれらはね、もう自分が人であった事すら判らない。ただ本能に従って、魂の門を潜りたくて、生きた人間から記憶と自我を奪い取って、我が物にしてしまおうとする、哀れな成れの果てでしかない。そういう点で、シャドウはレイスと同じ様な存在なんだよ」



コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品