デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

感情の名前

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 トルドヴィンと枕を共にするなど、いつ以来だろうか?
 少なからず幼少の頃、庭で遊び疲れてそのままクーべ邸の芝生の上で眠ってしまった事位しか記憶にない。


 寝支度をしながら、そんな事もあったなぁとギリファンは遠い記憶を思い出す。
 あの頃はまだ今よりも女の子らしくて、ツィシーとは正反対の引っ込み思案な女の子だった様な気がする。


 トルドヴィンの背中を追うのが自分の世界の全てで、魔術師や騎士と言ったしがらみなどまるで無かった、自分を偽ることの無い、思えば一番幸せな時期だった。


(歳をとると駄目だな。虚勢と建前ばかりが上手くなる。悪い事ばかりとも思えんが……寂しい、な)


 それは魔術師の道を選ばなくとも、等しく皆に訪れる人間の性なのかもしれないが、あの時の様に何も考えずトルドヴィンと庭を走り回る事が今でも出来たらどんなに幸せだろうかと想像する。
 想像して、得られないものを想像するのは虚しい事だと苦笑を浮かべ、ッフっと小さく吐息を漏らす。


「ファー?もう入っても大丈夫かい?」
「あぁ、すまない、もうチョット……よし、いいぞ」


 不意にテントの外からくぐもったトルドヴィンの声が聞こえ、ギリファンは慌てて意識を現実へと引き戻し、簡単にテントの中を片付け、トルドヴィンに声を掛ける。


 野営で用意されるテントは大小様々なものがあるが、上官であるギリファンに用意されるテントは中位の物で、一般兵が使うとなれば優に2,3人は使う事が出来る。
 中には寝心地はあまり良くないがキチンとしたベッドも用意されており、何時でも部下に指示が出せる様にと小さな机と地図も用意されている。
 備品は全てマジックアイテムで、準備に然程時間はかからない。


「お邪魔するよ?っと、私はどこを使えばいいかな?」
「ん、ベッドを使っていいぞ。寝るのはどこでも変わらないし、私は床で十分だ」


 何てことない様子でトルドヴィンの持っていた寝袋と毛布を取り上げようと手を伸ばせば、トルドヴィンはますます呆れた顔で寝袋を手にしていた手を引っ込めた。


「ファー……そんな事出来るわけないだろう?君はほら、ちゃんとベッドを使う!何か起きた時に君が寝不足で動けなかったら洒落にならないんだから、休養はちゃんととってくれ」
 クルリと体を反転させられグイグイと背中を押されれば、ギリファンは嫌でもベッドの前まで進まされる。
 それはお前も一緒だろうと抗議をする前にベッドの上に座らされ、トルドヴィンは聞く耳持たないと言いたげに、ベッドのすぐ下に寝袋を広げはじめた。


「君が寝るまでは私も寝ないからそのつもりで。ライマール殿下がキチンとご説明されない以上、私がファーを守るしかないんだから。私を気遣うのであれば、君が言う事を聞いてくれないと困るよ」


 寝袋に上に座り込み、剣の状態と位置を確認しながらトルドヴィンはいつもの様に飄々とした様子を隠し、至って真面目にギリファンを諭す。
 その様子から本気で自分を心配しているのだと伝わり、流石にギリファンも反論の余地はなさそうだと小さく溜息を吐き出した。


「はぁ……判った。だが、お前も無理するなよ?私の事にかまけて倒れられでもしたら元も子もない」
「お互い様だね。じゃ、明かりを消すよ?」


 ランタンの中で浮いている魔法石を軽く指でつついて明かりを消す。
 煌々と光っていた魔法石はその刺激を受けて徐々にボンヤリとした光に変わり、力を失って行った。


 ごそごそとトルドヴィンが寝袋の上で毛布を整える音を聞きながら、ギリファンは仰向けになり、そっと瞼を閉じる。


(そういえば、最近家でも一人で寝る事が多かったから、誰かが隣にいるのも久しぶりだな)


 妹のツィシーが学園に通う様になって暫くは同じ部屋を使っていたのだが、帰りが深夜遅くになる事が多くなってからは西棟にある客室の一室を書斎に変更し、そこで寝泊まりをする様になった。
 家族を起こさないためにあえて皆の寝室から遠い場所を選んだ所為か、大家族の長女だというのに、人一人が近くに居る気配がするだけでなんだか落ち着かない心地がじわじわと広がってくる。


(べ、別に、相手がトルだからじゃないぞっ!他人が側で寝てるのが気にかかる所為だ!!)


 そうだ、そうに違いないと、誰に言い訳するでもなく、ギリファンは自分に言い聞かせる様に繰り返す。
 とは言え、このまま眠れずにいたら本当に明日に差し支えがでてしまう。
 いっそこうなったら睡眠の魔法を使うかと手を額に当てた時、隣から寝返りを打つ音が聞こえた。


「ファー?眠れないのかい?」
「あ?あぁ……起こしたか?」
「いや、まだ寝てないよ。寝れないなら何か話でも聞かせてあげようか?」
「話?」


 身体をこちらに向けて、腕枕をしながら見上げてくる気配を感じ、ギリファンも同じ様に寝返りを打つ。
 突拍子もない提案に瞬きをすると、暗くてよくは見えないが、フッとトルドヴィンが微笑んだ様な気がした。


「ファーはほら、あの話が好きだっただろう?世界一不運で幸運な王子様の話」
「っぷ……子供の頃の話じゃないか。小さい子供じゃあるまいし。でも、懐かしいな。トルの家に行くと必ずお祖母様に読んで貰っていた気がする」
「そうだね。偶にはうちに来るといいよ。祖母も母もファーが滅多に来なくなったってファーの話を聞く度に嘆いてるよ。あの本もまだ残ってるし」
「まだ残ってるのか?結構古い本だっただろう。……でも、そうか。確かに世話になってるんだし、たまには顔を出さないとな」


 目を閉じれば今でも思い出す光景は、トルドヴィンとトルドヴィンの祖母と一緒に暖炉の前で本を広げた風景だ。
 記憶の中のトルドヴィンの祖母は騎士の家柄らしく、歳の割りに背筋がピンと伸びた気が強そうな面立ちの夫人だった。
 芯がしっかりした人で、それでいて物腰柔らかく、淑女の手本とはああいう方の事を言うのだろうと幼心に漠然と感じていた記憶がある。


 隣に住んでいると言うのに、今ではすっかり交流が途絶えてしまっていた事にギリファンは今更ながらに気がついた。


(あれだけ世話になっておいて、と怒られそうだな)


 厳しくも優しい老夫人を思い出して、ギリファンは苦笑いを浮かべる。
 そうしていると急にトルドヴィンの声音が少し沈んだ気配がした。


「ファーが、うちに来れなくなったのは、私の所為だよね。……あぁ、不甲斐ないな。私はあの頃とまるで変わってない。君の近くにありながら、今はこうして寄り添うだけしか出来ないなんて……せめて何が起こるか判りさえすれば、二手三手対策を立てられるのに」
「トル……」


 その言葉に偽りがない事を感じ、ギリファンの胸がギュッと掴まれる様な圧力を感じる。
 思いつめた様子で紡がれた言葉に、繋げる言葉を逡巡した後、再び寝返りを打って仰向けになると、ギリファンはそっと目を伏せた。


「……どんな結果になっても、ライムの事は、責めないでやって欲しい。あいつは……人知を超えた力を手にしながら、いつだってあいつなりに最善を導き出そうとしている。不器用だし、手がかかる奴だけど……これでも尊敬してるんだ」
「尊、敬?君が?」


 意外だと言いたげな訝しげな声を聞いて、ギリファンは苦笑する。
 普段の自分の態度を見ていれば誰もがそう思うかもしれないが、偽りを言ったつもりは全くなかった。


「私だって一応は国に仕える身だぞ?主人を尊敬するのは当たり前だろう。……とは言ってもな、最初は確かに邪魔くさいガキにしか思えなかったな。学園に入る前から人の目を盗んで研究所に忍び込んでは悪戯するわ話に割って入るわでなぁ。物覚えが良い分、好奇心の塊みたいな子供だった」


 それと同時に空恐ろしい物をその時のギリファンは感じていた。
 日に日に吸収して行く知識の量は新米の魔術師を優に超え、大人の中で育った所為か、それに比例する様に子供らしさを失っている様に見えたのだ。


「メルは初めてあった時からあいつを尊敬していた様だが、私はそうは感じなかった。研究に口を出される度にいつかこの小さな手に追い詰められるんじゃないだろうかとすら感じていたよ」


 けど……と、ギリファンは更に続ける。
「長く接している間に、あいつはどんなに気味悪がられても、ボロボロに泣きながらでも真正面から全部受け止める強さを持ってるやつだと気がついたんだよ。私は騎士から疎まれる度に身を隠す事しか考えていなかったのに、魔術師が胸を張って生きていける国をずっと目標に掲げて来たんだ」


 ライマールは大抵の魔術師が諦めていた事を、周りからどんなに咎められても辞めようとはしなかった。
 加えて自身の持つ力を気味悪がられて、魔術師ですら恐れを抱いている者も少なくないと言うのに、見捨てようとはしないその小さな背中がギリファンには眩しく映った。


「あいつは頼りない様で、誰よりも頼り甲斐のある王子だよ。そんなやつの上にずっと胡座を掻いて立っていられるわけがない」
「もしかして、君が団長を殿下に譲ったのはそれが理由?」


 返事をする代わりにギリファンはクスリと笑う。口に出してみると案外小恥ずかしい物だなと自笑して、「あいつには言うなよ?」と念を押す。


「例え王子だろうといい加減なやつに任せるわけないだろう?雑務こそ私が引き受けているが、ライムにはライムにしか出来ない事があるからな。あいつはそれが自分の力の事だと思ってるみたいだが……それに気づかない内はまだまだ目は離せないな」


 フーッと深く深呼吸をして、ギリファンは再び上半身を起こす。
「だから」と続けた声は微かに震えてしまい、だめだ、悟られまいとギリファンは一度、唾をごくんと飲み込んだ。


「私に……何かあったら、あいつの事を頼めないだろうか?メルやアダルベルトだけではあいつは手に余るだろう。お前は騎士だし、副団長だからしょっちゅうとは行かないだろうが、お前なら……」
「止めてくれ!!」


 聞くに耐えないと思いもよらぬ悲痛な一喝が落とされ、ギリファンはビクリと身を竦ませる。
 トルドヴィンがここまで感情を露わにし、動揺した様子を見せるのは初めてだった。
 暗闇に起き上がって近づく気配に身構えていると、ギシリとベッドに体重が掛かる音と振動を感じる。
 しかしそれ以上近づいて来る気配はなく、代わりに膝の上で握っていた拳に力強くも暖かな重みが加わった。


「ライマール殿下を見守るのは君の役目だろう?!まだ目が離せないというなら、この先も殿下の成長を見守って行けばいい。殿下が視たものが何であれ、これ以上ファーを傷付ける様な真似、私は絶対に許さない!!君に不幸が降りかかるというのであれば、私がその運命を絶対に変えてみせる!だから、君の身に何かあったらだなんて言わないでくれ……」
「ト……」


 幼馴染の名を呼ぼうとした瞬間、握られた両手に更なる圧がかかり、ギリファンはヒュッと喉を鳴らす。
 ゴツゴツとした右手はギリファンの両手をすっぽりと包み込んでいるにもかかわらず、手に余る様子は微塵もなく、しっかりとその意思をギリファンに伝えていた。


 闇に浮かび上がる双眼は、怒りとも悲しみともつかない色を織り交ぜ、空に爆ぜる焚き火の炎の様な熱さが篭っていた。


(こいつ……いつからこんな目をする様になったんだ?手だって……こんなに大きくなって……豆だらけだ……)


 ここに至るまで、何故、幼馴染のこれ程までに強い想いに自分は気付いてやれなかったのだろうかとギリファンは息を飲む。


 小さな罪悪感がチリリと胸を刺すと同時に、今まで感じた事のない想いが自分の中で急激に溢れ返ってくる。
 ベルンハルトにすらも感じた事のない、深く、熱いこの感情は、一体なんと呼べばいいのだろうか?
 ここ最近で静かに育って来ていた感情を、言葉で縛り付けてしまうのは何かが違う様な気がしてならなかった。


 ギリファンは無意識の内にトルドヴィンの不恰好な右手を包み込み、胸元で握りしめる。
 ピクリと彼の手が硬直するのを感じながらも、ギリファンはその手を包み込んだまま、その人差し指に軽く唇を落とした。
 微かに触れるか触れないかの一瞬の出来事に、トルドヴィンがギョッとする気配を感じ取る。


 伏し目がちに、力の入った彼の指先を見つめながら、ギリファンは掠れる声で「ありがとう」と呟いた。
「私は、愚かだな……自分の事で手一杯で、お前の手がこんなにも逞しくなっている事に気がつかなかった。幼い頃は毎日繋いでいた手だったのに……こんなにも……」
「ファー……」


 胸が一杯になり、言葉を失ったギリファンを慰める様に、掴んでいたトルドヴィンの右手に再び強い力が篭る。
 暫くすると、握り返された手はギリファンの手から抜け出し、恐る恐る柔らかい頬を掠める。
 硬い指に小さな雫が染み渡り、その指は更に後頭部へと回された。


 その先どうなるかなど考える間もなく引き寄せられ、ギリファンはごく自然に瞼を閉じる。
 口先に躊躇いがちに触れた熱は柔らかく、それでいて、回された腕は多少の強引さを孕んでギリファンを包み込む。


 徐々に遠慮を失って行くその行為に、救いを求める様に、彼の胸元へと手を伸ばす。
 自分がひた隠しにして来た弱さを暴き出そうと喰らいつかれ、ギリファンは小さく身震いをしながらも、今はただ、その熱の心地よさに身を任せた。

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