デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

小さな変化 2

 =====




 騎士や魔術師が行軍するとなると、普通の旅人が一日で進んでしまう様な距離も二,三日掛かってしまう何て事は珍しい事ではない。
 今回は訓練目的の遠征の為強行軍というわけでは無かったが、それでも慣れない団体での旅路は兵士や魔術師達の神経と体力をジワジワと削り取って行く。


 そんな中で唯一の楽しみとなるのは夜の宴会で、比較的大きな街に辿り着けば予め現地で用意されていた酒が彼らの心身を幾ばくかの癒しをもたらす。


 焚き火の周りで兵士、魔術師達、入り乱れてワイワイと杯を交わし和会う姿を気だるそうに眺めながらギリファンは深々と溜息をついた。


 隣では既に出来上がっているメルとライマールが何かブツブツと話し合いながら二人一緒に啜り泣き、その後ろを見れば杯一杯程で仰向けに倒れこんでしまったアダルベルトがグースカとイビキをたてながら眠っている。


 更ににその横で少し眠たそうにしながらもウンウンと聞いているのかいないのかよくわからない笑顔を浮かべながら、チビチビとガランがトップルを口にしながらライマールとメルの話に頷いていた。


「リータが……初めてカカブを口にして、う、美味いと言って、笑ったんだ!!リータ……リータあぁぁぁ!!」
「解ります!解りますよ〜、アディは可愛いですから母さん達が残ってるとはいえ、やっぱり心配ですよね、ううう〜、なんでこんな時に演習なんてあるんでしょうか……」
「そうですねぇ〜。大変ですねぇ〜」


(全く。あれ程ライムとメルには飲ませるなと言ったのに……うっとおしくて敵わん)


 泣き上戸二人の会話は聞き耳など立てなくても耳に入ってきてしまう。
 大抵それはエイラ女王の話だったり、メルの日頃の悩みだったりするのだが、お互い話をしていても聞いているわけではなく、会話は全く成り立っていない上に杯一杯弱でこの有様になるのだから勘弁願いたい。


 ギリファンも酒は嗜む程度に好きな方ではあるが、世話の焼ける王子と弟が呑んでしまえば、潰れるのは目に見えているので毎度自分が我慢する他ないのだ。


「あれ?ファー?全然減ってないようだけど、もしかしてお酒は苦手だったかい?アルコールの入っていない物がないか聞いてこようか?」
 声のした方を見上げると、飄々とした様子のトルドヴィンがギリファンを見下ろしていた。
 顔にはあまり出ていないようだが、よく見ればほんの僅かに赤く染まった瞼を見て、ギリファンは深い溜息を吐き出した。


「お前達は行軍を行う度にこんな宴会を開いているのか?酒は嫌いではないが、ハメを外しすぎだ。こいつらはともかく、アレを見ろ。喧嘩でも始めたらどうする。兵士の中に女性はいないのかもしれんが、魔術師の中には普通の女性も何人か居るんだぞ。束ねる者が皆酒に溺れるわけにはいかんだろうが。お前も少しはクロドゥルフ殿下を見習え」


 険しい顔つきでギリファンは真正面を指差す。その先には兵士と魔術師が野次馬に囲まれながら真っ赤な顔で睨み合い今にも食ってかかりそうな勢いで飲み比べをしていた。
 クロドゥルフはと言えば、先程から兵士達に囲まれながらも、のらりくらりと酒を飲むふりをして何か異常はないか皆の様子を見て回っていた。
 トルドヴィンまで飲んでいるとなると、見張りの兵や魔術師以外にこの場で素面なのはクロドゥルフとギリファンの二人だけとなるのだ。


(同じ血が流れていてどうしてこう対照的なんだ?)


 クロドゥルフを見た後、ライマールをチラリと見て、ギリファンはこめかみを押さえる。
 頭は良いのだが、如何せん要領が悪いのは何年経っても治らない。勧められたり頼まれたりすれば断れない気質なのだろうが、一国の王子として危機感が足りないのは大問題だろうとまた溜息をついた。


 そんなギリファンを見下ろしながら、トルドヴィンが小さく苦笑してギリファンの隣に座り込む。
「なるほど、ねぇ〜。そうか、今回は女性も居るんだねぇ〜。まぁ、大丈夫でしょう。彼女達も自分の身は守れるんだろう?」
「当たり前だ!酒に酔っ払った兵士など相手にもならんわ!が、問題はそこでは無い!何かあれば帰った後に始末書が増えるではないか!帰ったら帰ったで待機組の研究成果やら遠征の報告書やら山程仕事が待ち構えてるというのに、面倒事をこれ以上増やされて溜まるか!!」
「まぁまぁまぁまぁ、明日からアスベルグに着くまでは大きな街はもうないのだし、今日くらいはいいじゃないか。そんなに怒ってばかりだと可愛い顔が台無しだよ」
「かっ………おっ、おまえっ顔に出てないだけで相当酔ってるのか!?一体どれだけ呑んだんだ」


 最近世話になりっぱなしでほんの少し見直していたというのに、これでは百年の恋も醒めるだろうとギリファンはギロリとトルドヴィンを睨み付ける。
 するとトルドヴィンはどうとでもない様子で肩を竦めてみせた。


「別に自分を失う程呑んでるわけではないよ。思った事を口にしただけなのに、ファーは照れ屋さんだから困るね。ふふふ、それとも酔わせちゃった方が甘えてくれる?」
「お前、絶対酔ってるな。絡み酒とかこいつらよりタチが悪いぞ。私はお前のそういう軽い所が大っ嫌いだ」
「ははは。前にも言われたなぁそれ。私は思った事だけを口にしているつもりなんだけど。困ったね。どうしたら君は私を好きになってくれる?」


 至極真面目な顔で言うトルドヴィンに、ギリファンは目を見開く。
 メルがいなくなってトルドヴィンから詳細を聞き倒れた後、余程責任を感じたのか以前にもましてトルドヴィンはギリファンに気を使っていた。
 家の送り迎えから休憩時間まで、とにかく必要以上について回っては些細な事に反応し気にかけ、うっかりクシャミなんてしようものなら早退しろとでも言い出しかねない程の過保護ぶりだった。
 挙げ句の果てにはギリファンの研究室で仕事をするとまで言い出すものだから、最終的にはメルの心配どころの話ではない。


 そしてここに来てこの発言である。
 一体この男は何がしたいんだとギリファンは理解不能な幼馴染の思考回路に頭を抱える。


「お前……私の事は諦めたのではなかったのか?心配を掛けたのは悪かったと思っているし色々感謝もしているが、縁談を勧めてきたと思えば好きになって欲しいだと?お前は一体私をどうしたいと思っているんだ!理解できん!!」
「あはは、そうだね。ごめんね?でも気を失った君を抱えた時思ったんだ。もしこれが私以外の男の腕の中だったなら本当に我慢できるのか?って。そんなの無理だって今更ながらに気付いたよ。だからもう、諦めるのは止める事にしたんだ。もしかしたら、また君を不幸にしてしまうかもしれないけど、それでも君の側に居たいんだ。許して……もらえないだろうか?」


 気色ばんだ青い瞳で見つめられ、ギリファンは思わず息を飲み込む。


(こいつ、本当にタチが悪いな……)


 せめて顔形が整っていなければ混乱せずに済むのになと思いつつ、ジリジリと近づいてくるトルドヴィンの胸を強く押し返す。


 手のひらに感じたトルドヴィンの鼓動の速さに共感しながらも、ギリファンは至極冷静な態度で立ち上がり、頭を振った。


「そう言う事は素面の仕事をしていない時にでも言え。酒の入った人間は信じられん。公私混同する人間も嫌いだ。……おら!お前達!そろそろ解散だ!明日に備えてとっとと片付けて寝ろ!!酒を理由に寝坊は許さんからな!!」


 厳しい顔つきで仁王立ちするギリファンの号令に、兵士や魔術師達が渋々立ち上がり就寝の支度をする。
 今までとはどこか違う冷静なギリファンの反応に「おや?」っと首を傾げながら、トルドヴィンはほんのり赤く染まったその横顔をぼんやりと眺めていた。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品