デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

猫と少女 3

「幻覚や混乱……なら、アディはその力に左右されて初代皇帝のお妃様の夢を毎晩見てるって事ですか?」


 それならなんとなくわかる気がすると、メルは考えを巡らせる。
 血の繋がりも面識もない人間の夢やら、見た事のない土地や聞き覚えの無い言語も、神獣の力が作用しての事ならあり得ない話ではないのだろうと普段のライマールやゼイルの力を思い出しつつ納得した。


「コイツはグルグネストに定住してから妃の夢を見る様になるっつったよな?それってそれまで他の土地に住んでたか旅してたってこったろ?主人の意思に反してんな事すんの、海に住む守護神獣じゃなけりゃ雪狐か野良神獣くれぇしかいねぇし。アディ・ラジャ・ウパラ……古い言葉でアディは原初、ラジャは王、ウパラは宝石を意味する。偶然なんだか意識して付けたんだか……コイツは名前からしてケット・シーに育てられたんだろ。十中八九その占い師のババァってのはケット・シー本人だぜ。始終一緒にいりゃぁ影響受けんのは当たり前だっつの」


 つまり猫の王様の宝物って意味でその名前がつけられたのかと一同目を丸くする。
 神獣に育てられた子供とは、まるでライマールの様だと皆複雑な顔でアディを見つめた。


「しかし私はゼイルの影響を受けてる気はまるでしないし、ライマールだって君の影響を受けて力を得ているわけでは無いだろう?」
「そりゃ、ライムは元々神獣に近い存在で自分の力が強えから影響受けるわけねぇし、ルフは俺との相性が無茶苦茶良いわけじゃねぇからな。俺は今こうやってお前らの目の前で人の形して存在してっけど、ルフの力を使ってここに居るわけじゃねえ。デールって国と深く繋がってっからできる代物なんだよ。雪狐も然りだぜ」
「せっこさんは今しんどいわよぅ〜。今は誰とも契約してないしぃ〜、ここはアスベルグから離れてるしぃ〜、まだ雪の季節でも無いんだからぁ〜」


 そう言って雪狐はぽんっと煙を巻いて真っ白いキツネの姿へと形を変える。
 それでもこの場から離れる気は無いらしく、グッタリとしたままソファーの上に丸まって耳だけこちらに傾けて寝る態勢に入った。


 アディは突然キツネになった雪狐を驚いた顔で見つめ、相性がいい訳では無いとハッキリ言われてしまったクロドゥルフは複雑そうな顔で苦笑を漏らしていた。


「んな落ち込むなって。俺と相性がいいやつなんて初代皇帝以外に未だ現れてねえから。ああいう奴は神獣と契約なんて結ばねぇ方が良いんだけどよ。どうしたもんかね」
 アディをじっと見つめ、ゼイルは遠い昔に思いを馳せている様子で苦笑を漏らした。
 その様子を見たトルドヴィンは「もしかして」と、口を開く。


「アディさんも初代皇帝と同じ様にケット・シーと相性が物凄く良いって事ですか?だからケット・シーの力の影響を如実に受けてしまうと」
「……まぁな。物凄くって言っていいかはわかんねぇが、かなり相性は良いんだろうな。こういう奴は滅多にいねぇっつうか、コイツは……あー、とにかく、ケット・シーと手を切らねぇなら呼び出さねぇ様にしてグルグネストじゃなく他の土地で暮らすしか解決出来ねぇんじゃねぇか?」
「イヤ!!困ルまス!おババ元気ない!私、早く帰ルたいでス!」


 泣きそうな顔で悲鳴交じりにアディが訴えれば、雪狐は耳をピクリと動かし、ゼイルは「ん?」と首を捻る。


「元気が無い?ちょっとその鈴よく見せてみろ」


 アディは警戒して困った顔でメルに視線で助けを求めた。
 メルはアディを安心させる様に笑顔でコクンと頷いて見せると、アディは渋々ながらゼイルに鈴を手渡す。
 ゼイルは受け取った鈴を摘まんでマジマジと眺めると、険しい顔でその鈴をアディへと返した。


「な、何か問題でも?」
「大有りだな。アディっつったよな?お前、今、歳いくつだ」
「コトシ、18なるでス。タブン?」
「えっ!?そ、そうなんですか!?て、てっきり弟と同じ15か16才かと思ってました…」
「よキ言われまス。気にしないでス」


 さして傷ついた様子もなくアディはニコニコとメルに答える。
 クロドゥルフやトルドヴィンもメルと同じ様に思っていたらしく、バツが悪そうになんとなくアディから視線を逸らしていた。
 ゼイルと雪狐も驚いて目を見開き、ゼイルは更に悪びれもせずに大きな声を上げた。


「18だぁ!?マジかよ……そりゃいくらなんでもやべぇって!」
「ちょ、ちょっと、ゼイル様!いくらアディが年齢より幼く見えるからってそれは流石に失礼ですよ!」


 慌ててメルがゼイルを窘めれば、アディも流石にムッとした様子でゼイルを睨みつける。
 するとゼイルは眉を顰めて、「ちげぇよ!」と不快そうに言い放った。


「コイツがヤバいんじゃねえよ!ヤバいのはケット・シーだっつの!」
「えっ?何がどうヤバいんですか?」


 キョトンとする男三人と、少女一人を前に、気だるげにしていた雪狐も顔を上げて口を開いた。


『あのね、さっきも言ったけど、ケット・シーって元は猫だから世代交代が早いのよ。野良猫の平均寿命をご存知?3〜4年生きれば良い方なのよ?家猫でも16年生きればご長寿だわ。アディが今18歳って言うなら、今のケット・シーは乳飲み子からその子を育てたと仮定して、少なくとも19年か20年は生きてる事になるでしょ?幼児期に拾って育てたとしても、やっぱり人間ならいつ死んでもおかしくないお年寄りって事。それがどういう意味か解るかしら?』


 人の姿の時よりも澄ました言葉遣いで雪狐は皆に問う。
 いつ死んでもおかしくない年寄り猫という事は、明日死んでもおかしくない状況という事なのだろう。
 現にアディはケット・シーが元気がないと心配し、早く悩みを解決して家に帰りたがっている。
 もし、そのケット・シーが死んでしまえば……


 嫌な予感を抱き、誰もが顔色を変える。
 メルはその予感を振り払う様に皆の心情を読み取り、その考えを否定しようとした。


「ま、待って下さい。猫達は選挙で後継者候補を何匹か選んでるんですよね?だったらケット・シーを引き継ぐ猫がちゃんといるってことじゃ無いですか。それなら慌てる必要も無いんじゃないですか……?」
「馬鹿言えっ!お前、なんの準備もなしに明日からいきなり王様やってくれっつわれて王様になれんのか?死んじまってからじゃ遅えんだよ!」
「じゃあもし、今のケット・シーが死んでしまったら……グルグネストがウイニーの二の舞になってしまうという事なのか?」


 誰もが口にしたく無い予想をクロドゥルフがポツリと呟けば、漠然とした恐怖が室内を支配する。
 クロドゥルフやトルドヴィンは仕事でダールへ赴く事があるので、ウイニーが在った土地を目の当たりにした事位はあるのだろう。
 かなり険しい表情で二人は項垂れ、一度も国内から出た事のないメルは、その二人の表情からやはりとんでもない事になるのだという緊張を肌で感じ取る。
  アディも育て親のケット・シーが死んでしまうかもしれないとあって、今にも泣き出しそうな顔で真っ青になって皆を見渡していた。


『それはどうかしら……ケット・シーは特殊な神獣って言ったでしょう?確かにグルグネストと結びつきのある神獣ではあるけど、グルグネストの守護神獣って訳では無いの。ゼイルも野良神獣って言ってたでしょう?完全に定住して根を張っている神獣と違って、フラフラしてる神獣は力はそんなに強くないから、国そのものが無くなる事なんて多分無いと思うわ。何かしら影響があるとは思うけど』
「影響って、例えばどんな事が起こるんですかねぇ?」
「結びつきの度合いによるからわかんねぇよ。ウイニーにも野良神獣は何体か居たけど焔狼が死んじまった時の影響力がデカくてどんな影響があったかなんて解んなかったし。ケット・シーみたいに世代交代する神獣なんて稀だしな。まぁ猫だから反作用で国中にネズミが溢れたり、逆に猫だらけになっちまったりすんじゃねえの?」
『ケット・シーの惑わす力が制御しきれないで溢れかえる可能性だってあるわよ』


 国そのものが滅んでしまうよりはマシなのかもしれないが、それはそれで大変な災害になるだろうと皆眉間にシワを寄せる。
 一刻も早く世代交代をしなければならない状況ならば、無論そうすべきなのだろう。
 しかしそうなると……


「……もし、世代交代をしたら、今のケット・シーはどうなってしまうんですか?」
 真剣な面持ちでメルがゼイルに問いかければ、クロドゥルフやトルドヴィンがハッとする。
 ゼイルもその意図を察して、珍しく渋い顔でメルに答えた。


「大抵のケット・シーは寿命が来る前に代を譲るからただの猫に戻っちまう。だが、今のケット・シーはコイツとの契約で、コイツから力を得て辛うじて生きてる状態だ。鈴見りゃヤツの生命力がもうほとんど残っちゃいねぇのが判る。おそらくコイツが呼び出してもそれに答えられるだけの力すら残っちゃいねえよ。だから世代交代しちまえば、その瞬間……」
「イヤッ!!」


 ゼイルが全てを言い終える前に、アディが悲鳴を上げて立ち上がる。
 目に涙を貯めて、キッとゼイルを睨みつけた。


「おババ死ヌ無なイ!!元気なルでス!!貴方、ウソつク!!ゼタイ、死ヌ無イ!!」
「アディ、落ち着いて……あの、なんとか助ける方法は無いんですか?」


 メルはそっと立ち上がって、ポロポロと泣き出したアディの背を摩りながらゼイルに問い掛ける。
 このままゼイルが言った様になってしまえば、アディの家族はいなくなってしまう事になる。
 ゼイルと雪狐はなんだか複雑な顔をしながら、堪らずメルに縋り付くアディをジッと見上げていた。


「寿命だから無理だ。決められた命運ってのは変えられねえし、変えちゃなんねえんだよ。死んだ人間を生き返らせたらいけねぇのと同じだ。その結果を知らねぇわけじゃねぇだろ?」
「それ…は……」


 どう足掻いても避けられない、生きとし生けるもの決められた運命。
 誰にでもいつか別れはやってくるものだ。
 それでも願わずにはいられないのは人のエゴなのだろうかと、メルは自分の腕の中で震える小さな少女を苦しげな表情で見下ろした。


(折角ボクに助けを求めてここまで来たのに、その結果がこれだなんて……何てボクは無力なんだ……)


 誰もがすすり泣く少女にかける声を失い、シンと室内は静まり返る。
 ゼイルはその震える背をジッと見つめながら、険しい表情で口を開いた。


「アディ、覚悟を決めろ。ケット・シーが何故今まで世代交代してこなかったか判るか?猫に戻っちまえばお前を育てられなくなっちまうからだ。契約しちまえばお前に影響が出ちまう事もヤツなら判ってた筈だ。それでも契約したのは、出来るだけ長く命を繋いでお前を一人にしない様にと思ったからだろう。俺にはヤツが考えていた事がよく判る。血が繋がってようがなかろうが、子供ってのは掛け替えがねぇんだよ。お前がヤツに縋ったままじゃ、ヤツもお前から離れらんねぇ。このままじゃどうなっちまうか判ってんだろ?説得出来るのはお前しかいねぇんだ。自分は大丈夫だって所を最期にキチンと見せてやれ」


 アディにとって、それはとても酷な話でしか無いだろう。
 それでもゼイルはケット・シーの死を受け入れろとアディに語り掛ける。
 メルはその言葉にはライマールに向けるゼイルの親心に似た何かがある様な気がした。


 しかしアディはその言葉に強い反感を覚え、興奮した様子で部屋の外まで聞こえる位大きな声で怒鳴り散らした。


「判ル無いでス!!おババ死ヌ、ゼタイダメ!!ずっと、アディガ側におババ居る!!貴方、大キライでス!!」
「アディ!」


 ボロボロと涙を流しながら、アディは執務室から飛び出して走り去る。
 メルはオロオロとしつつも、ゼイル達に頭を下げて、慌ててその後を追いかけた。

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