デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

困惑、困惑、あゝ、困惑

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 かくして次の休日はやって来た。


 どんな要人に会うのか結局教えてもらえなかったので、ギリファンはどれ位着飾れば良いのか思い悩んだ末、比較的最近買ったピンクベージュのアフタヌーンドレスを着て行く事にした。


 とてもシンプルなデザインのドレスだが、地味過ぎず、艶やか過ぎず、アクセサリーも合わせれば、まぁ、どんな人物にあったとしても無難だろう。急ごしらえではあったが、なんとか満足のいくコーディネートに仕上げられた。


 部屋を出て、階段を降り、長い廊下の角を曲がると、いつから居たのかトルドヴィンが玄関先で待ち構えていた。
 デートではないと言ったものの、彼は彼でダークブルーのフロックコートに光沢のある明るい灰色のウェストコートを着こなし、上から下までカッチリと正装で塗り固めていた。


「迎えに来てくれていたのか。約束の時間にはまだ早いはずだが……」
 そう言いながらついギリファンは上から下まで品定めをしてしまう。
 何を着ても似合うというのは知っていたが、よくこんな生地の服があったものだなと眉を顰める。
 全体的に暗い色ではあるので見劣りはしないだろうが、ネクタイからカフスボタンに至るまでことごとく細部にこだわったそのセンスに、ギリファンは若干腹が立った。


(あの短期間でなんで流行の最先端をひた走ってますみたいな服を一式用意できるんだ!私はある物の中から必死で見繕ったっていうのに、この男、本当に金を使う時間がないのか!?)


 そこに加えて顔も良いとくれば、普通のご婦人方ならウットリする事だろう。
 しかし悲しい事にギリファンは嫉妬こそすれ、そんな気持ちは微塵も湧きはしなかった。


 そんな心情で睨めつけてくるギリファンの気持ちなど露程知らず、トルドヴィンは挨拶をしようと顔を上げた状態で硬直していた。
「トル?」と、ギリファンが訝しげな声を上げるまで、トルドヴィンはポカンと口を開けたままギリファンにすっかり見惚れていた。


 以前の休日に会った時も攫って行ってしまいたい程可愛らしい格好をしていたが、今日は今日で一輪の百合がひっそりと水辺に生えているかの様な神々しさがある。
 癖のある琥珀色の髪も今日はポニーテールでもおろしているわけでもなく、綺麗に結い上げられ、元より良い姿勢のおかげで凛とした彼女らしい美しさを際立たせていた。


「あぁ……綺麗だね。どこにも行かずにずっとこのまま見ていたいって思ってしまうよ」
 ウットリと目を細めて、ごく自然にギリファンの手を取り、指先にそっとキスを落とす。
 少しだけ長めにキスをして、トルドヴィンはとても名残惜しそうにギリファンの手を離した。


 ギリファンはパチパチと瞬いて、今言われた言葉と、なんでもない事の様にされた挨拶を頭の中で反芻させ、ワンテンポ遅れてボッと顔に火をつけた。
「お、お前なぁ!頼むからそういう事をサラッと言ったりやったりしないでくれ!今までと違いすぎるから調子狂うんだよ!」
「ファーの方こそ。そんな可愛い反応ばっかりされると私だって困るんだけどねぇ。諦めるに諦めきれなくなってしまいそうだよ」


 苦笑しながら言うトルドヴィンに、ギリファンは思わず「別に……」と言いかけて、口を両手で押さえこむ。


(……今、私は何を言おうとした!?)


 諦める必要も無いだろう。なんて言葉が思い浮かんで、トルドヴィンに言われた言葉よりも、自分が思いついた言葉の方に動揺を強くする。


 なんでそんな思わせぶりな言葉が思い浮かんだのか、自分自身が理解出来ない。
 意識して思い浮かべたわけでは無い。無意識に、そんな言葉がポッと思い浮かんだのだ。


 ただの同情心だ。そうに違いないと、半ば言い聞かせながら狼狽えるギリファンの様子に、トルドヴィンもどうしたのかな?と、不思議そうに首を捻っていた。


「な、なんでもない!もういい!そのうち互いに慣れるだろう。そんな事より先方が待っているんだろう?あまり遅れて行くのも良くない。そろそろ出るぞ!」


 どうかしている。ベルンハルトと別れた所為で気が緩みすぎだと気を取り直す。
 喧嘩さえしなければ、元来トルドヴィンは女たらしと勘違いされる程のフェミニストなのだ。
 そんなトルドヴィンの優しさに漬け込む様な、最低な女にはなりたくないとギリファンは自分を叱咤して、ズンズンと玄関の扉を開けて外へと出て行った。


 用意されていた馬車に乗り込むと、行き先も未だ分からぬまま馬車は走り出す。
「なぁ、いい加減誰に会いに行くのか教えてくれないか?流石に当日も分からぬままでは何か失礼な事をしてしまう気がしならないぞ 」


 何か交渉をするのであれば事前情報位は頭に叩き込んでおかなければ、会話だって弾まない。
 そもそも目的すらも解っていないのに、話を合わせろと言うのはかなり乱暴な話である。


 そんなギリファンの不安を解っているのかいないのか、トルドヴィンは気にする風でもなく、ニコニコと機嫌良さそうに「大丈夫だよ」と自信ありげに言い切った。


「これから会うのはファーもよく知ってる人だから粗相なんてする事無いはずだよ。ファーには内緒だって向こうも知ってるしね」


 大丈夫大丈夫。と、至って余裕でトルドヴィンはギリファンを宥める。
 何だかロクでもない事を企んでいるのではないだろうかと、今更ながらギリファンは眉を顰め、警戒を強めた。


(流石に私を貶めようとかは考えていないだろうが、ここまでひた隠しにされると何か企んでるのではないかと勘繰りたくなるな……)


 今までトルドヴィンは嫌味は言っても、他の騎士達の様な嫌がらせをした事は無かった。
 しかし今までの魔術師としての経験上、どうしても心の隅で裏切られるのではと警戒する自分がいるのも確かだった。


 自分に好意を持っていると告白してくれた幼馴染の真っ直ぐな気持ちを信じたいと思うと同時に、真逆の感情がどうしても消す事は出来ない。


 そんなギリファンの心情を察してか、トルドヴィンはほんの少しだけ寂しそうな笑みを浮かべる。
「本当に大丈夫だから。そんな怖い顔しないで欲しいな。きっと今日は良い一日になるよ。ああ、ほら、見えてきた。馬車で来ると流石に早いねぇ」


 そう言ってトルドヴィンは窓の外を指差す。
 気になって指差された方向を覗き込めば、かなり古い石造りの長い塀がどこまでも続いている。
 さらにその先へと視線を向けると、大きな黒い鉄で出来たゲートが目に入る。
 ゲートの前で待ち構えていた下僕が門を開けると、馬車はギリファン達を乗せたまま中へと進んで行った。


 トルドヴィンの家も大概広いが、その邸宅はそれ以上に広く、庭と呼ぶには少々広すぎはしないだろうかと思う程の芝生が延々と奥まで続いていた。


 正直、自分の知り合いでここまで広い敷地を持つ人間は限られている筈だとギリファンは頭の中で指折り条件に見合う人物を探し続ける。


(貴族でも金を持ってなければ帝都内でここまで広い敷地は持ち合わせられない筈だ。もしくは豪商の可能性もあるが、生憎商人で贔屓にしている人間は豪商と呼べる程の者はいないし……やはり貴族だろうな。しかし、そうなると副業をしている貴族と言う事に……いや、まてよ。広大な敷地を帝都内で持つ貴族だと……!?)


 該当する知り合いなんて一人しかいないではないか!と、ギリファンは顔色を真っ青にして窓から視線を外してトルドヴィンを凝視する。
 そのギリファンの顔を見て、トルドヴィンは「ああ、気がついちゃったかな?」と飄々として肩を竦めてみせた。


「お前っ!!一体何を考えている!?こっ、ここは、ジャミル侯の邸宅ではないか!!一体なんの嫌がらせだっ!!」
 まさかフラれた腹いせか!?と、ギリファンは狼狽える。


「嫌がらせだなんて酷いなぁ……私はもうファーが嫌がる事はしないって言ったじゃないか。まぁ、ここに来るって言ったら逃げられそうだなぁとは思ったけどね?」
「嫌がらせじゃないなら一体何が目的だって言うんだ!師匠はともかく、ジャミル家の人間は魔術師にいい感情を持ってはいないんだぞ!?私が居たら交渉どころかお前、敵を増やすだけだぞ!?」


 加えて自分の息子を誑かしたのがギリファンだと知っていれば、間違いなく針のむしろに立たされることになるだろう。
 いや、デーゲンには知られているのだから、知っている可能性の方が高いだろう。


 今すぐにでも帰りたいと頭を抱えるギリファンを見て、トルドヴィンはポンポンとギリファンの頭を軽く撫でた。
「大丈夫だよ。言っただろう?ファーが来る事は向こうも知ってるんだよ。ファーが彼と別れたって話を聞いた後直ぐに君の師の元を訪れてね。私が頼んだんだ。だから今日は君の師も一緒にいる筈だよ」
「……頼んだ?何をだ。今日私はお前に何をさせられるんだ……?」


 まさか謝罪か?それとも釈明か?と、これから我が身に起こるであろう悲劇を想定してギリファンは珍しく泣きそうな顔でトルドヴィンを見上げる。


「そんな顔しないでくれよ。参ったね。君の真っ赤になって困っている顔は好きだけど、泣きそうな顔は流石に苦手だなぁ。大丈夫、悪い事にはならないって。……わかったよ。白状するよ。今日は君のお見合いの為にここに連れて来たんだよ」
「……見合い?っは?……なっ、何で!?誰とだっ!?なんでそんな話に!?いや、それ以前になんで私の了承も得ずにそんな事を!?」


 両手を上げて降参のポーズをするトルドヴィンに、真っ青な顔でギリファンは胸ぐらを掴んで詰め寄った。
「私は今誰とも付き合う気などないと言ったではないか!!しかも見合いの相手がジャミル家の人間とはこれが嫌がらせでないなら拷問か!?」
「ファー、お、落ち着いて。相手は君のベルンハルト殿だよ。なんの問題も無いだろう?」
「はぁあ!?」


 つまり別れた相手と見合いしろとこの幼馴染はのたまっているのか!?と、ギリファンはとうとう絶句する。
 一体何がどうなっているのかわけも分からず放心する中、トルドヴィンは溜息を吐き出して、掴まれた胸ぐらからギリファンの手を取り、ギュッと握りしめた。


「私にはこれ位の事しか出来ないからね。要は家族からの反対さえされなければ君達は上手くいっていたのだろう?なら賛成している人物を通して、私が権力を振りかざせば済むだけの話だ。"時代は変わろうとしている。魔術師と騎士が手を取り合う第一歩として二人が婚姻に結び付けば騎士団にとって大いなる一歩になるだろう"君の師を通して侯爵にそう言ったら結構あっさり了承してくれたよ。まぁ、デーゲンには少々渋られてしまったけどね」


 ポンポンとギリファンの手を叩きながら、トルドヴィンは少しまた寂しそうに微笑んだ。
 あの時、すれ違いざまにデーゲンが漏らした言葉の意味をここに来て漸く理解した。ギリファンがトルドヴィンに頼んだのだと思ったにちがいない。


 しかしそんな誤解は今はどうでもいい事だった。
 問題は目の前の幼馴染が、何故そこまでする必要があったのかという事だ。


「魔術師と騎士が手を取り合う方法なんて、他にも色々あるだろう。ここ数日の間だけでも確実に距離は縮んで来ている。何故そこまでする必要がある?もう済んだ事だと言っただろう……?」
「やだなぁ、理由なんて君とベルンハルト殿を引き合わせる口実に決まっているじゃないか。ファーの幸せは彼の元にあったんだろう?あんな別れ方をして、もう済んだ事だなんて本当に割り切れるのかい?」
「だとしても!お前には関係ないじゃないか!!なんでだ?今日一日付き合って欲しいって言ったのはお前だぞ?!これではなんの礼にもなっていないし、第一お前、私の事が好きだと言っていたじゃないか……」


 訳が分からない……と、ギリファンはまた泣きそうになりながら項垂れる。


 ベルンハルトと一度だけでも話す機会があればと思っていたのは確かだ。
 あんな別れ方をしてしまった事にとても後悔していたから。
 でも、素直に嬉しいと喜ぶ事が出来る筈がない。


(何故こいつはそこまで出来るんだ……何を考えているのか全く理解が出来ない……)


 困惑して瞳を揺らすギリファンをトルドヴィンは真っ直ぐと見据えて、少し刹那げに、しかしはっきりとギリファンに言った。


「君が好きだから、だよ。君が選んだのが私じゃなかったのは残念だけど、それ以上に君が悲しい顔をしているのは耐えられないんだ。幸せになって欲しいんだよ。それに君が笑ってくれれば私はそれだけで報われる」


 だから笑って、ファー。とトルドヴィンはギリファンの頬へと手を伸ばす。
 しかしその手が頬に触れる前に、御者が到着した旨を中にいる二人に告げたのだった。

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