デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

ガラスのむこう側@ギリファン

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 メルがとんでもなく罪悪感に苛まれている中、当事者であるギリファンは、今までの事を忘れるかの様に仕事に没頭していた。


 数日前の休日に、当分忙しくなるから会えない旨を伝えようとベルンハルトの店へと赴いたのだが、そこでどういうわけか、アスベルグ騎士団第二隊隊長、デーゲン・オ・ガ・ジャミルが店番をしていたのだから驚いた。


 あちらもまさかギリファンがヌイグルミと縁がある様な女性とも思っていなかったのだろう。
 お互いあんぐりと口を開けてしばしの間硬直しあっていた。




 **********




「ケ、ケルスガー魔術師副団長殿!?な、何故この様な場所に!?」
「あー……ああ、そうか、そうだよな。デーゲン殿はハルの兄君だったな……こういう事もあるわけか……」


 家族とは上手く行っていないと聞いていたので、ギリファンはすっかり油断していた。
 被っていた麦わら帽子を取り、ぽりぽりと頭を掻きながら、ギリファンは折角めかしこんでいたのに、動揺してしまった所為でセットしていた髪をグシャグシャと豪快に掻きあげてしまった。


 かたや貴婦人の格好をしたガサツな女と、かたやいい年をした騎士のにも関わらず、可愛らしいクマに囲まれて店番をする中年の大男が互いに向かい合って気まずそうに顔を顰める。


 ギリファンはしょうがないとばかりに両手を広げて見せ、肩を竦めて少しばかり照れながらデーゲンに挨拶をした。
「まぁ、こういうわけだ。貴殿の弟君とひと月程前からお付き合いさせてもらっている。挨拶をするべきだったのだろうが、そこまでまだ深い中でもなかったのでな。以後よしなに。ところで、ハル……ベルンハルト殿はご在宅か?」
「なっ……なんですと!?あ、貴女はクーべ副団長とお付き合いなさっているのでは無かったのですか!?」


 あー……またこの誤解か。と、ギリファンは頭を抱える。
 どうもこの誤解は弟達だけでなく、周りの兵士や魔術師達も暗黙の了解の様に誤解している様だと最近になってギリファンは漸く気がつき始めていた。
 自分とトルドヴィンはそんなに仲が良く見えていたのだろうかとこめかみを押さえる。


「あのなぁ……何故皆がそう思うのかは知らんが、少なからず私にはその気は全く無かったぞ?あの喧嘩を見て何故そういう考えに行き着くのか不思議でならん。とにかく今自分は宅のベルンハルト殿と交際している。これは事実だ。で、用があって来たんだが。留守なんだな?」
「わ、私は一切その様な事弟からは聞いておりません!申し訳ないが、帰って頂きたい。魔術師と交際など我が家では到底認められない。例え貴女が副団長という立場の人間であってもです」


 狼狽えながらも、毅然とデーゲンは奥には進ませないという意思をギリファンに示す。


(こいつも、か。まぁ、仕方ない……か)


 ギリファンは小さく息を吐き出し、デーゲンに頷く。
 自分はいつからこんなにも諦める癖がついたんだろうなと嘲笑を漏らす。


「ジャミル家にはいつも世話になっている。家名を汚す様な事をするつもりはないが……私の存在がそうさせてしまうというのならば仕方がない。傷が浅い内に身を引こう。だが、最後に話しくらいさせて貰えないだろうか?」
 せめて自分から直接告げたいと、申し出るギリファンに、無情にもデーゲンは首を縦には振らなかった。


「顔を合わせれば気が変わるかもしれません。弟には私から話しておきます。あらぬ噂が立たない内にできれば早くここから立ち去って欲しい」
「そうか……そうだな。迷惑をかけた。ベルンハルト殿には今までの礼を伝えておいて欲しい」
「……分かりました」


 ギリファンはニコリと微笑んで「では」と短く挨拶をすると、店を後にする。
 終わりとは何と呆気ないものだろうかと、裏路地から表通りに出る小道を歩きながらギリファンは空を見上げる。
 そろそろ秋だというのに、どこ迄も澄んで高い青空に真っ白な雲が風に流されて漂っていた。


「魔術師の宿命、か。流されて、流されるままで、このままどこに行くんだろうな……」
 呟いて、そっと目を伏せ、小さく震える心を鎮める。


(大丈夫。いつもの事だギリファン。明日になればまた忙しい日常に戻るだけだ。魔術師を理由にフラれる事には慣れているじゃないか)


 心の内にいる小さく震える自分を励まして、ギリファンはグッと歯を噛み、唾を飲み込む。
 その励ましに反する様に、ギリファンの頬にポタリと一粒の滴が落ちてくる。
 空を見れば、晴れているにも関わらず、小さな雨粒が控えめに降り始めていた。
 徐々にその量が増えてくるのに耐えかねて、ギリファンは慌てて近くの軒先に避難した。


 激しさを増し始める雨を参ったなと見つめていれば、ふと向かいにあった喫茶店が目に入る。
 ガラスには時間をかけてセットした筈の、クシャクシャになってしまった長い髪金髪の女性が映り込み、そのガラスの奥では激しさをます外の雨に驚きつつも、楽しそうにお茶を飲みながら会話をしている若い男女の姿が見えた。


「でも本当に、好きになり始めていたんだ……」


 惨めな姿から目を逸らす様に、手に持っていた麦わら帽子でそっと顔を隠しながら、ギリファンはポツリとそう呟いて、雨が通り過ぎるまで暫くその場に立ち尽くしていた。




 **********




「姉さん〜?手が止まってますが〜、疲れましたか〜?お茶入れてきましょうか〜?」
 いつの間に戻ってきたのか、のんびりとしたガランの声が聞こえ、ギリファンはハッとする。


「ああ、そうだな。確かに根を詰めすぎたかもしれない。頼む」


 気を抜けばどうしてもあの時の事を思い出してしまう。
 あの後、もしかしたらベルンハルト自身が追いかけて来てくれるかもしれないと、淡い期待を浮かべたりもしたが、それが現実になる事は残念ながらなかった。


 自分から手を離したのに、なんて身勝手なと思うのだが、本当に自分を好いていてくれたのなら……とも思ってしまう自分もいて、ギリファンは自分自身に辟易としていた。


(覚悟を持って私と付き合おうなんて男がいるわけがないんだ。分かっていた事だろう?何を期待していたというんだ)


「姉さん〜どうぞ〜」
 ニコニコとガランがほうじ茶を差し出し、ギリファンに勧める。
 また仕事に集中してなかったと、ギリファンは嘲笑しつつ、弟に礼を言う。


「すまないな。ありがとう。ところで今何時だ?」
「今ですか〜?3時半位ですかね〜?」
「何!?約束の時間を過ぎているではないか!何故もっと早く声をかけない!ああ、私が戻るのは遅くなるだろうから、お前達もキリがいい所で切り上げて定時には帰れ。何かあればメモ書きでも私の机の上に置いておいてくれ。どうせ今日中に終わらん」


「はーい」と言う部下達の返事を聞く間もなく、ギリファンはお茶を飲み干すと慌てて廊下に飛び出した。


(私生活に気を取られているとすぐこれだ。仕事中はキッチリ気を切り替えなければならんというのに、全くらしくない。たるんでいる証拠だ)


 自分を叱咤しながらバタバタと慌ただしくライマールの居る研究室へと入れば、そこには既にライマールは勿論、クロドゥルフやトルドヴィンが集まってお茶を楽しんで何やら話に花を咲かせているのが目に飛び込んできた。


「あぁ、来たか。うん。時間ピッタリだね。流石ライマールだ」
「本当にピッタリですね。いやぁ、よく今までこんな力を隠しておられたものですね」


 肩でぜぃぜぃと息をするギリファンを見ながら、クロドゥルフとトルドヴィンは感嘆の声をあげ、まったりと茶菓子を口にする。
 ライマールは少し照れ臭そうに頬を染めて、クロドゥルフ達と同じ様にほうじ茶をすすって、チラリとギリファンを見て、座れと言いたげに椅子へと視線を移し訴えた。


 彼らの落ち着き払った様子を見て、お前達は婦女子の集団か!と突っ込みそうになるものの、遅れてしまったのは自分なのでまずは謝罪だと気を取り直す。


「申し訳ない。時間を見過ごしてしまっていた」
「問題ない。時間通りだ」
「ライマールが時間をずらしてくれって言ってたからね。大丈夫だよ。騎士団の方は割と普段通りで余裕があるんだ。そちらにかなり負担が掛かってるみたいだね。その辺も含めて話を聞かせて貰えたらと思ってる。疲れているところすまないが、現状を聞かせてもらってもいいだろうか?」


 ニッコリと微笑んでクロドゥルフが席についたギリファンにお茶を振る舞う。
 意外と手慣れている優雅な手つきに驚いたが、ギリファンは頷いて魔術師の方の現状をクロドゥルフに報告した。


「従来の許可申請手続きが足を引っ張っているのも問題ですが、それに加えて、行き違いでそちらとの連携が取れていない事が多々あります。毎回トラブルで呼び出されていては他の仕事にも支障が出て、正直このままでは演習までにキチンとした準備を整える事が出来そうにない」
「ああ、連携部分に関してはこちらも問題視していた所です。ただでさえごたついているのに、何人か妨害している兵士がどうも騎士団内にいるみたいでねぇ……名前が上がってきてる人間に関しては監視をつけているんですが、それ以外にもちょこちょこ揉め事が起こっていますから、いやぁ〜、こればっかりは本当に申し訳ない」


 そう言って、本当に申し訳なさそうにトルドヴィンはギリファンとライマールに頭を下げる。
 その姿にギリファンだけでなく、ライマールまでもが目を丸くして、トルドヴィンをまじまじと見つめた。
「お前……なんか悪いもんでも食ったのか?素直に魔術師相手に頭下げるとかどうかしてるぞ?」
「……ファーが私をどう思っているのか知ってましたが、これでも私は魔術師擁護派なんですよ。これも今までの行いの所為ですかねぇ〜……はぁ〜……」


 ガックリとトルドヴィンが項垂れれば、隣にいたクロドゥルフも苦笑してポンポンとトルドヴィンの背中を叩いて励ました。
「まぁまぁ、その件に関しては私も団長として頭を下げるべきだね。書類の件に関しても私も前々から思う所はあったんだ。うちは人数が多いからあまり問題視されて居なかったが、一部の経理担当からもっと簡略化出来ないかと相談も受けていたからね。全てに目を通したわけでは無いが、こんな物までこちらがいちいち許可する必要はないだろうと思う物もかなりあるようだし。良い機会だと思うから、その辺の整理もしてしまいたい所ではあるんだけど、流石に今すぐに改革は無理かな?」


「そうでしょうね。あの辺の書類を減らすとなると議会も動かさないといけなくなるでしょうし、今やるとなると時間がかかりすぎて状況が悪化してしまう。なのでこちらとしては、なんとか事後処理で済ませられないかと。一部の書類だけでも許可を頂ければ、だいぶ楽になるのですが……」
「そうだねぇ〜。聞けばライマールも明日から休みに入ると言うし、その位の打診ならば騎士団長として許可が出せるかもしれないよ」
「……すまない」


 普段の横暴な態度から一転して、珍しくションボリとライマールは居心地が悪そうに頭を下げる。
 一応迷惑をかけているという自覚はあるんだなとギリファンを始め、トルドヴィンやクロドゥルフも苦笑し、やれやれと皆で顔を見合わせた。


「事情が事情なんだからしょうがないだろう。それこそ気にするな」
「殿下が我々に殊勝な態度を取られるとはね……伴侶が出来ると人は変わるものなんですねぇ〜。羨ましいなぁ〜」
「なんだか随分トゲがある言い方をするね。クーべ。君だって相手がいるじゃないか」


 クロドゥルフはニッコリ微笑んで、ギリファンを見る。
 この人までもか!!ああ、もう好きにしてくれ……と、ギリファンは頭を抱えたくなったが、相手が相手だけに曖昧に引きつった笑みをつくるに留めた。


 そして珍しく慌てたのはトルドヴィンで、ギリファンの反応をチラチラと気にしながら、あたふたとクロドゥルフに詰め寄った。
「な、なぁに言ってるんですか!やだなぁ!私は今も昔も仕事一筋で来てしまったので相手なんて居ませんよ。この中で独り身なのは私位なものです。ハハッ……ハハハハハ」
「えっ?でも、君、ケルスガー殿と付きあっ……モガッ!?」
「兄上、この茶菓子、美味いぞ。……問題無い。気にするな」


 何やら不穏な事を言いかけたクロドゥルフの口に拳大のケーキを突っ込み、ライマールは至極真面目な顔でギリファンとトルドヴィンに頷いて見せた。


 ギリファンとトルドヴィンは、気を使わせてしまったなと互いに視線を交わし苦笑する。
 不器用だが、人の機微に敏感な少年に少しばかり感謝をしながらも、ギリファンは呆れた様に大袈裟にライマールを叱りつけた。


「兄貴の口にケーキ突っ込んで問題無いわけあるか!バカ。殿下、大丈夫ですか?ほら、お茶を飲んで下さい。まぁ、無条件でそこまでエイラ様を思えるお前が時々羨ましいと思うよ。……エイラ様は本当に幸せ者だな」


 クロドゥルフに駆け寄って、ギリファンは彼の背中を摩りながら、微笑んで、気が付けば本音が漏れていた。
 その寂しそうな笑顔にライマールは眉を顰め、トルドヴィンも何処か様子のおかしいギリファンに首を傾げる。


 ギリファンは二人のそんな反応に気が付かなかったフリをして、クロドゥルフの背中を摩り続けた。

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