デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

エピローグ

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 こじんまりとした執務室には、今日も山済みの書類と資料が雑然と部屋を占拠している。
 片付ける時間もままならないほど、新しい案件が次々に舞い込んでくるのだ。
 これでもここ四ヶ月で半分は消化しているのだから、褒めて欲しいものだとエイラは嘆息をつく。


 肩を叩きながらふと窓の外を見れば、竜の山脈は白い雪化粧を落とし始め、春先から既に短い夏へと着々と準備を進めていた。
 上空にはドラゴンが数頭空を舞っている姿が見える。


「失礼します。陛下、今年の花祭りの草案が上がってきているのでお持ちしましたよ」


 ニコニコと皺を寄せてマウリが中へ入ってくれば、エイラは苦笑しながら肩を落とした。


「もうそんな時期なんですか? 少し早い気がしますが……次から次に困ります。ようやく下層と中層の改築計画の件が終わったところだというのに……。一向に仕事が減りません」
「軍備の見直しに、デールへの使節団派遣に職業学校の設立。全て一遍になさる必要はありますまい。とはいえ、普段のほほんとしている大臣たちもここぞとばかりにと目を輝かせておりますからのぅ。今更根を上げられても困ります」


 恨めしそうにマウリを見上げれば「ほっほっ」と楽しそうにマウリは声を漏らして整った顎髭を撫でる。
 ポンポンと手にある書類を叩き、マウリはエイラの机の上にその書類を置いてよこす。


 四ヶ月前迷宮で意識を失い、もうダメかと思った老人と同一人物とは思えないほどいきいきとしているマウリの姿に、一番目を輝かせているのはマウリではないかとエイラはまた苦笑する。


 この状況ではどれから手をつけても同じだろうと、なんとなく渡された草案をパラパラと斜め読みする。
 一通り読んだところで、エイラは少し驚いてマウリを見上げた。


「なんですか? この草案。まさか婚儀も一緒にやるつもりなのですか!?」


 ライマールとの正式な婚約発表をしたのはつい先月ことだった。
 国を救った英雄としてライマールの名前が広まったお陰か、予想していた反対も特になく、経過は順調といえるだろう。
 しかし、どんなに順調でも、最低一年は期間を空けるのが常識という物で、四ヶ月ほどでその準備を行うなど無謀すぎるとエイラは目眩を覚えた。
 頭を抱えるエイラに、マウリはニコニコと笑顔を向けたまま胸を張ってエイラに答える。


「四ヶ月前に死期を悟り、こうして一命を取り留めた時に私も考えましてのぅ。老い先が短く、この先いつまで陛下のお側で仕えることができるか分かりますまい。此度のご婚約の話を聞き、この爺も孫のようなにお慕いしているエイラ様の花嫁姿、今しか見れぬやも知れぬと、思った次第でございます。爺の最後の我儘と思い、聞き届けてくださりませぬかのぅ?」


 つぶらな瞳でうるうると目を潤ませながら訴えるマウリに、エイラも思わずウッと言葉を詰まらせる。
 しかしブンブンと首を振って草案をツイッと押し戻した。


「一年そこそこで死なれても困ります。婚儀となると先方の都合もあるのですから、その辺も踏まえて貰わないと……」
「なにを仰います。この私が先方の意見も聞かずにこのような草案を持ってくると本当にお思いですかのぅ? まぁ、そう仰ると思って実はもうすでに緻密な計画を纏めてあります」


 そう言ってマウリは懐から新たに厚めの書類をドサリと机に置いた。
 エイラは目を丸くしてマウリ書類を見比べ、恐る恐る数枚手にし、パラパラと捲って中を確認する。


「デール皇帝のサインまで……いつの間にこんな……」
「予算はもとより、既に特設委員会の選出から衣装屋の手配に招待客の選出等、全体の約三割程は準備が進んでおります。急ぎではありますが当日は歴代の王の中でも最高の婚儀迎えることをお約束致しますぞぃ」


 絶句するエイラを余所に、マウリは意気軒高とばかりに頬を高揚させ、奮い立っていた。
 ここまではしゃいでいるマウリをエイラは生まれてこの方、見たことがなかった。
 両親も兄ももういないが、これも一種の親孝行になるのだろうか?
 皇帝のサインを指でなぞりながら溜息をついていると、唐突に執務室の扉が開く。


「殿下! 陛下がご公務中だと何度言えば判るのですか!! しかもノックもなしに非常識が過ぎますぞ!!」
「五月蝿い。すまんな。少し邪魔するぞ。俺のことは構わず続けてくれ」


 驚いた顔をしているエイラとマウリを気にする風でもなく、唐突にライマールとアダルベルトが中へと入ってくる。
 初めのうちは戸惑っていたものの、今ではこれが日常となりつつあるせいでだいぶ順応してきたなとエイラは苦笑を漏らす。


「帝国との転送魔法陣開通の正式な施行はまだのはずですがのぅ……」


 少しだけ困ったようにマウリが言えば「申し訳御座いません」と、アダルベルトが深々と謝罪し、ライマールは何故か執務室の窓に張り付きながら「問題無い」といつものように答えた。


「山脈にある転送陣を使ってきた。国境自体は徒歩で越えた。国際法にも触れていない」
「殿下……それは屁理屈と言うものですぞ……」


 難しい顔で窓枠と睨めっこしながらライマールが答えると、アダルベルトが嘆息をして頭を抱える。
 国境を越えることができないメルに代わって、最近ではアダルベルトがついて回り、ライマールに小言を言う光景が徐々に増えてきている。
 言われた本人はやはりムッとしたまま聞き流しているのだから、メルと同様に、アダルベルトも苦労しているのだろう。


「ほっほ。理屈で殿下には敵いませんなぁ。確かに法に触れていない。しかし今日はアダルベルト殿もご一緒なのですのぅ。いつもはお一人でいらっしゃるのに」


 ライマールの非常識な振る舞いにも慣れた様子で、マウリは面白そうに目を細めてライマールを眺めて言った。
 エイラの躾には厳しかったマウリは、意外にもライマールの行いを咎めるようなことはしなかった。
 それは献身的にライマールがマウリの看病を行っていたせいもあるのだろうが、マウリが屋敷に戻ってからも時折見舞いに行ったりとなにかと慕い、今では酌の相手も務める程意気投合して打ち解けるほど仲が良くなっていた。


 実際のところ、公式の場ではライマールもそれなりに振舞ってくれるので、英雄ということもあって、竜の国の国民からも好感触を得ていた。
 時折街へ出歩いたりもしているようで、ライマールに興味を持った若い臣民や兵達が気さくに話かける姿もよく目撃されているらしい。
 デール帝国は土地も人の心も閉鎖的な傾向にあるが、竜の国は土地こそ閉鎖的であるものの、外への感心や好奇心は意外と強い傾向にあったことが、ライマールの居心地をよくしていた。


「国を抜け出しているのがばれた。メルは撒けたが、こいつはしつこくて敵わん。お陰でいつもの方法で来ることができなかった」
「正式に近衛として任命された以上、騎士としての誓いは護らせて頂きますぞ。クロドゥルフ殿下の近衛の夢は断たれましたが、新たな目標を糧に粉骨砕身の覚悟で職務を全うする所存。つきましては地の果てだろうが空の上だろうが殿下の足にへばりついてでも私は……」
「五月蝿い! 好きにすればいいだろう!! メルといいお前といい小言が長い! 暇なら少しは手伝えドラゴ」




 むすっとしてライマールが悪態を付けば、アダルベルトは当然とばかりに胸を張る。
 いつの間に打ち解けたのか、ライマールに名前で呼ばれ、アダルベルトは微かに眉を顰めながらも渋々ライマールの元へと歩み寄る。
 なにかの器具を受け取ったり持たせたりと忙しそうな二人のやりとりを見て、クスクスと笑いながらエイラはライマールに話し掛けた。


「今日は何をなさっているのですか? もう暫くすればお昼になりますが」


 ライマールはエイラに目もくれず、硝子をコンコンと叩きながらやはり難しい顔で、それでもキチンとその問いに答えた。


「この宮殿の構造を調べている。おかしいと思わないか? ここは内壁のはずなのに窓があり、竜の山脈の北側がハッキリと見えている。他の部屋にも幾つか同じような箇所がある。なにかしら仕掛けがあるはずなんだ」


 やはり魔法か?それともカラクリか?
 首を捻るライマールに、マウリが、それでしたら……と声を掛ける。


「確か陛下の居住区にある図書室に、城建設当時の古書が残されていたと思いますがのぅ」
「あ……確かこの間の改築で資料として使用したはずですから、何処かこの辺りに……」


 ゴソゴソと資料の山をかき分けようとエイラがすれば、ライマールはムッとして「いや、いい」とそれを制止してきた。


「自分で解く。どうしても解けなかったらそれを借りる。リータはリータの仕事をしろ」


 要するに自力で謎を解きたいのだと理解して、エイラとマウリは苦笑しながら頷きあう。
 エイラは再び手元の書類へと視線を落とすと、思い出したように小さくまた溜息を吐き出した。
 よくよく考えてみれば、周到に外堀を埋めてくるなんて、マウリらしくないのだ。


「このサイン……マウリに協力したのはライマール様ですね? それともライマール様がマウリを焚きつけたのですか?」
「何のことだ?」


 諦めたようにエイラが肩を落として言えば、ライマールはニヤリと笑って空とぼけてくる。
 訝しんだアダルベルトが首を捻ったので、エイラは苦笑しながら書類をアダルベルトに手渡した。
 見て良いのですか?と目で問いながらも、手にした書類に目を通す。
 案の定、知らされていなかったのか、読み進めるうちにアダルベルトは毛を逆立ててライマールを凝視した。


「な、な、なんですかっ!? こ、こんなっ!! 聞いておりませんぞ!?」
「そうか。気にするな。お前は特にする事ことはない」


 ライマールは怒りを通り越して絶句するアダルベルトから書類を取り上げると、再びエイラへとそれを手渡し、エイラのこめかみにキスを落とす。


「決めるのはお前だ。嫌なら一年後でも俺は構わない。何年も待ったんだ。今更一年延びたところで俺は痛くもない」
「……ここまで準備を進められていては止める方が難しいです。とはいえ、私は他の案件もありますから、この件はカレン宰相とライマール様が中心になって責任を持ってやって下さいね」


 穏やかに笑みを浮かべ、愛おしそうに自分を見つめてくるライマールに、その言い方は少々ズルいとエイラはこめかみに触れながら瞼を染めて、少しだけ口を尖らせる。
 もう好きにして下さい。と、諦めの苦笑を浮かべれば、ライマールとマウリは互いに視線を交わし、してやったりと満足そうに頷き合った。


「俺はもうしばらく他の部屋を見て回る。また後で昼食に誘いにくるから一緒に食事をとろう」
「はい。あまりアダルベルトさんを困らせないであげて下さいね」


 少し意地悪くエイラが微笑みながらライマールに言えば、少しだけムッとして、ライマールは「邪魔したな」と慌ただしく部屋を出て行ってしまう。
 その後を慌ててアダルベルトが追い掛け、廊下からは彼の大きな非難の声が響き渡っていた。


「ほんに、賑やかになりましたのぅ。エイラ様も昔のように笑顔が多くなって……よき伴侶に巡り会いましたなぁ。この分ならひ孫を見る日もそう遠くない………ととっ、ささ、陛下、無駄話はこれくらいにしてどうぞご公務を続けて下され。私は花まつりの件で早速会議がありますからの。なにか御用があれば外の兵にお申し付け下され」


 ではでは。と、そそくさと出て行くマウリを見ながら、それが目的だったか。
 エイラは苦笑してマウリを見送った。


 再び机の書類の束を手にしながら、エイラは一人ペンを握る。
 ペンをとった手の甲に、小さく四角い何かが当たり、見ればそこに何個かキャラメルが置かれている事ことに気がついた。


 フッと目を細め、一つ指でつまんでコロコロとキャラメルを眺めながら、エイラはまた何度めかの苦笑を漏らす。


「甘いものは苦手なのですが……」


 そう言いながらキャラメルを口に放り込み、また書類へと目を走らせる。


 いつかこの甘さにも慣れるのだろうか?
 そんな事を考えながらこの先の未来に思いを馳せる。


 デールとの間に転移陣が施行されれば物や人の行き来が増え、今以上に豊かになるに違いない。
 使節団が剣術や魔法を学び、街に学校ができれば民の生活も変わり、新しい文化が生まれるかもしれない。
 結婚して子供が出来れば更に賑やかになるだろう。
 そうしたら子供を連れてデール皇帝や皇妃を尋ねれば、きっと喜ぶに違いない。


 そう遠くない未来に全て叶えて見せようと、エイラはひたすらペンを走らせる。




 ハイニアのどこかで暮らすツェナ姫と兄エディロの耳にも届くほどの繁栄を。
 そんな願いを込めながら。

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