デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

ブルースターの小さな奇跡 1

 
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 ロアの姿が見えなくなると、ライマールは姿を元へと戻し、茫然とするエイラの前に屈み込む。
 視線が合うと震えながらマウリへと視線を移し、エイラは堪えていた涙をポタリと流した。


「……遅くなってすまなかった。怪我はないか?」
「私は大丈夫です。ですがマウリが、マウリが……」


 見るからに衰弱している老人は、傍目で見ても重篤な状態で、ライマールはエイラを気遣いながらも早速マウリの状態を確認する。
 まだ助かると判ると、エイラが握りしめていた皮袋を取り上げ、反対側の手でズボンのポケットからハンカチを取り出し湿らせると、舌先まで押し当てて温泉水を飲ませる。
 元々身体が丈夫なのか、見た目ほど酷い状態ではなく、城で適切な処置さえできれば、まだ十分助かるだろう。
 一通りの処置終えると、マウリの手を握りしめながら、俯いて涙を流すエイラに手を伸ばし、労わるように肩を軽く摩った。


「……大丈夫だ。意識を失っているだけだ。先に城へ連れて行こう。もう少しここで待てるか?」


 力を酷使し、流石に二人一度に運ぶのは無理だった。
 加えてライマールは先程まで瀕死だったわけで、目の前の老人を連れて死道を通るのはかなり危険を伴う行為となるだろう。
 健康である生者であれば問題はないが、死に近い人間は転生の門へと惹かれやすい。
 完全に回復しきっていないライマールにとっても賭けでしかなかったが、エイラを心配させまいとあえて伏せることにした。


 エイラが恐る恐る頷くと、ライマールも頷いて、横たわるマウリを背に乗せて立ち上がる。
 痩せこけているとはいえ、意識を失っている人間では、思いのほか全身に負荷がかかってくる。


 ライマールが「ぐっ……」と、小さく呻き声を上げれば、エイラは心配になり思わず一緒に立ち上がる。


「大丈夫ですか? 先程大怪我を負ったと聞いたのですが……無理をなさっているのではないですか?」
「もん………題ない。少し疲れているだけだ。直ぐにもど……る」


 フラフラとよろめきながらライマールが歩き出そうとすれば、ハラハラとした面持ちでエイラは手伝おうかと手を伸ばしながら逡巡する。
 エイラがオロオロとライマールを心配する中、突然、ロアが現れた時と同じように、突風がエイラの直ぐ隣で湧き上がった。


 まさかまだ? と、エイラとライマールが身構えれば、額に角の生えた銀髪の青年が、眉間に皺を寄せながらライマールを睨みつけて立ち塞がった。


「あーもー! 見てらんねぇ!! お前は死ぬ気か? このバカガキ!」


 ガキの上にバカ呼ばわりされ、ライマールは目の前の人物の顔を見るやムッと顔を顰める。
 どうやらライマールの知り合いのような物言いに、エイラもホッとした様子で肩をなで下ろした。


「ゼイル……何故お前がここにいる」
「お前が死にかけの状態であんなところ通ってれば、嫌でも気付くに決まってんだろ。あの道はお前の領域であると同時に夢を司る俺の領域でもあるんだよ。いいから貸せ! その爺さんは俺が運んどいてやるから、お前は少し休んでから戻ってこい。その身体で戻ってくんな!」


 まったく世話が焼ける。と、ゼイルは小姑の如く文句をいいながら、その姿を青年から美しい馬へと変化させる。
 キラキラと青白く輝く美しいたてがみと、銀色に輝く長く捻れた角は、人の身で触れるのもはばかられるほど神々しい気品を放っていた。


(ユニコーン!!)


 こんな時ではあったが、エイラは感動のあまり言葉を失い、頬を染めながら両手で口を押さえる。
 ライマールがゼイルの背にマウリを慎重に乗せている間、ゼイルは感動に目を潤ませるエイラに気がつき、なにか思いついたように目を輝かせる。


 ライマールはそれに気づく様子もなく、マウリをゼイルの背に固定すると、「すまない。頼む」と、小さく頭を下げた。
 感動に打ちひしがれていたエイラも、ライマールの言葉にハッとして、慌てて同じように「お願いします」とゼイルに向かって頭を下げた。


『応。我に任せよ。……運命の乙女よ』


 そう言ってゼイルはどこか楽しそうに目を輝かせ、エイラに近づくと、じゃれ合うようにエイラの頬に鼻を擦り寄せてくる。
 "運命の乙女"と呼ばれたことに感激しながら、エイラは触れられた頬を陶酔した様子で押さえて、反射的にコクリと頷いた。


(運命の乙女……絵本のお姫様と同じ呼び名です!)


 憧れの神獣に憧れの人物と同じ呼び名で呼ばれ、嬉しそうに頬を染め目を輝かせるエイラの姿を目にし、ライマールは恨めしげにゼイル睨みつける。
 ゼイルはライマールの目尻がほんの少しだけ赤らんでいるのを確認すると、満足そうにいなないて、現れた時と同様にその場から忽然と姿を消した。


 ゼイルが消えると、ライマールはどっと疲れが押し寄せ、その場にドサリと座り込む。
 ライマールが大きな溜息を吐き出せば、エイラようやく意識を取り戻し、慌てて彼の前に膝をついた。


「やはりご無理をなさっていたんですね。本当に大丈夫なのですか? それとお城の方はどうなったのですか?」


 気遣わし気にエイラが声をかければ、ライマールはジッとエイラの顔を覗き込んだ後、ぺちぺちと自分の隣の床を叩いてくる。


 座れということだろうか?
 エイラが少し離れた場所に腰を下ろせば、ライマールはまた不満そうに眉を寄せてエイラの腰に手を伸ばす。


「あっ……」


 ライマールの予期せぬ行動でエイラはバランスを崩し、思わずライマールの胸に手をつき、はだけそうになる浴室着を慌てて押さえる。
 ライマールもそこまでは予想していなかったのか、ギョッとしながら慌てて手を引いて、真っ赤になりながらエイラから離れた。


「なぜそんな格好をしているんだ! かっ、風邪を引くぞ! これを羽織っておけ!!」
「あ……ありがとうございます。浴室から直にここへ連れて来られてしまったので……その、浴槽から出た直後だったので助かります」
「風呂上がり……直っ……!? まさか……なっ、なっ、な……っかに、何も着てないのか!?」


 ライマールの上着を上掛け代りに、前を隠しながらなんとなく膝を抱える。
 驚きのあまり声を裏返してライマールが問えば、エイラも耳まで赤くしながら小さくなって俯いてしまう。
 ライマールはエイラのその様子に絶句して、やがて気まずそうに「すまん……」と、蚊の鳴くような声で呟いた。

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