デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

Coffee Break : 脳筋

 天候の変わりやすい竜の山脈で二日を過ごし、肉体、精神共に万全とはいい難い状態で、アスベルグの兵と夢境の魔術師達は出撃の時を待っていた。


 幸い猛吹雪になる様な事もなければ、雪崩が起こるようなこともなく、魔術師たちが手分けして保温のための結界を張ったおかげで酷く体調を崩す者は出なかった。


 ギリファンは少し疲れた様子で、部下たちに撤収作業の指示を送る。
 アダルベルトもいるとはいえ、実質総指揮をとる人間がギリファンしかいない。
 しかもその上で魔術師の人数が少ないからと、騎士の三分の一の直轄管理をトルドヴィンに押し付けられたのだ。


 そしてここに来て、ガランの手紙である。
 朝起きると頭上にご丁寧に封のされた手紙が置いてあったのだ。


 手紙には、ライマールに呼ばれたのでそちらと合流している旨と、転送陣は既に開通している旨が記述されていた。


(このクソ忙しい時に! のんびりとしたあの弟が、近くにいたらいたで別の意味でイライラするが、いなかったらいないで、猫の手も借りたいというのに腹立たしいことこの上ない。全て終わったら絶対にライムに臨時手当を要求する!)


 撤収作業を完了した魔術師と兵士が徐々に整列を始めるなか、ギリファンは大きな錫杖を肩に抱え、空いた方の手で羊皮紙を広げながら、片眉を釣り上げる。


「おい! 第七部隊から第九部隊は何をしている! 他はほぼ撤収作業完了の報告が来ているというのに、今上げた部隊は一度も報告に来ていないぞ!」


 苛立たしげに騎士達を見渡せば、誰も彼もが知らないといった様子で首を振る。
 すると奥の方からくだんの三隊の隊長が気怠そうに歩きながら、大きな声でギリファンに向かって叫んできた。


「あぁ〜? 先程報告しましたがぁ〜?」
「かなり早いの段階で俺ら報告しましたよぉ〜?」
「うちは今丁度するとこでしたぁ〜」


 本当に騎士団の兵士かと見違えるほど、不遜な態度を取る三人は、同様にガラの悪い部下を引き連れ、魔術師たちの前へと図々しくも進み出てきた。
 ギリファンはその顔ぶれを見て、スッと目を細める。


 ギリファンが直接管理することになった騎士たちなのだが、その顔ぶれは最悪なことに騎士たちの間でも、素行が悪いと評判の者たちばかりだ。
 中には学生時代に生ゴミを投げてきていた者も含まれており、これが嫌がらせだということは誰の目から見ても明らかだった。


「……中間報告も最終報告も受けた記憶はないが?」
「そんなはずはねぇですよ。なぁ? お前ら、俺はちゃんと報告に行ったよなぁ?」
「ええ。見てましたよ。隊長はちゃーんと報告してましたー。隣には第八の隊長殿も居たので聞けば判ると思いまーす」


 第七部隊の隊長が振り返って部下に同意を求めれば、部下たちもニヤニヤとしながら同意する。
 他の隊も同じで、結託して首を縦に振り、自分たちの非を認めることはなかった。
 それを見兼ねたアダルベルトが毛を逆立てて彼らをギロリと威嚇する。


「貴様ら、クーべ副団長や殿下がいないことをいいことに思い上がるな! 貴様らが報告に来た所など私も見てはいないぞ!」
「あぁん? ドラゴ、お前の証言が信用できると思うか? この裏切り者が! クロドゥルフ様の近衛になれねぇからってあっさり鞍替えしやがってよぉ? 魔術師見下してた筆頭がちゃんちゃら可笑しい話だぜ」
「ああ、いっそ騎士団抜けて魔術師になっちまえばいいんじゃねえの? 犬は尻尾振るの得意だろ?」


 ゲラゲラと笑う彼らに、アダルベルトは怒りに震えつつも、グッと押し黙る。
 いくら魔術師が嫌いでも、彼らの様な理不尽な嫌がらせなどしてないと果たして言い切ることができるだろうか?
 どんなに正義を振りかざしても、行なった行為自体は彼らとなんら変わりない。
 悪意だろうが善意だろうが、その仕打ちを受けた人間にとっては、どちらも一緒なのだから。
 過去の自分を呪い、アダルベルトは反論の資格なしとうな垂れる。


「部下の管理もろくにできないとは、役に立たねぇ集団の筆頭だけあるな」


 ギリファンやアダルベルトがなにも言わないのをいいことに、三部隊の後ろの方からそんな呟きが聞こえてきた。
 誰が言ったのかは判らなかったが、その一言がこの状況を更に悪化させた。


「ははっ! 違いない! 今からでも遅くないぞ。お前らとっとと城に帰った方がいいんじゃねえの?」
「なっ……!! 黙って聞いていれば! 誰のおかげでこの二日間無事に雪山で過ごせたと思ってるんだ!!」
「兵士だけで作戦がうまく行くと本気で思ってるのか?! 上等だ! 筋肉だけで城に突っ込んで泣き寝入りするその姿見せてもらおうじゃないか!!」
「はぁ〜? 結界が必要なのはお前らだけだろう? 貧弱なお前らと一緒にしないで貰いたいね!!」


「なにを!!」「なんだと!!」と、三部隊以外の騎士たちをも巻き込み、とうとう収集がつかない程の野次が、方々から飛び交い始める。


「貴様ら!! やめんかっ!!」


 アダルベルトが制止しようと声を張り上げるが、騒ぎの声は大きくなる一方で、皆の声に掻き消される。


(……これは臨時手当には期待できないな)


 ギリファンは現実逃避をするかのように、冷静にそんな感想を思い浮かべ、小さく溜息を吐き出すと、肩に担いでいた大きな錫杖と羊皮紙を積雪の中に放り投げる。
 ドサリと埋まった錫杖に目もくれず、顔は騒ぎの方へ向けたまま、隣にいたアダルベルトに女性とは思えないほど、それはそれは低い声でギリファンは話し掛けた。


「おい、いぬ、お前の剣を少しの間貸せ」
「は?」
「貸せ」


 真顔で手を横にだし、クイクイと下から手招きをする仕草で、腰の長剣を貸すように要求する。
 アダルベルトはなにをする気かとかなり訝しんだが、有無を言わせない空気に気圧されて、渋々帯剣から鞘を抜いて、柄をギリファンへと差し出した。


 スラリとギリファンは剣を抜き取ると、スッと目の前の部下達に向かって剣を突きつける。
 そのギリファンの姿に気がついた、魔術師の一人が顔を青ざめさせ、「お、おい!」と、隣にいた魔術師の袖を引いた。
 その呼びかけに気がついた魔術師達は一斉にギリファンへと注目すると、同じように顔を青ざめさせ、一様に騎士たちから離れていった。


「ふ、副団長……冷静になって下さい!! ここで今騒ぎを起こしている場合では……」
「私は常に冷静だ。騒ぎを起こしているのはお前達の方だろう。お前達のすべき仕事はなんだ? 喧嘩か? 揚げ足取りか? 私に不満があるなら抜けて貰って結構だ。だが、それ相応の処分は覚悟してもらうぞ」


 殺気を放ちながらギリファンは、ピタリと静まり返った集団に目配せをする。
 粗方の兵士と魔術師達は押し黙ったが、第七〜第九部隊の騎士達は、依然としてニヤニヤといやらしい笑みを浮かべてギリファンを見下していた。


「聞こえねえな副団長さんよ。そんなオモチャで威嚇されたところで怖かねえし、あんたの指示に従う気はさらさらないね。こっちはこっちで好き勝手にやらせて貰う」
「いいだろう。ならお前達には転送陣の使用許可は金輪際与えない。お前達はクーべが戻るまでここに置き去りにしていく。麓に降りるのは自由だが、我々が帰って来た時、その姿が見えなければ脱走兵と見なす」


 言うや否や、ギリファンの姿が皆の視界から消える。
 本能的に異変を察知した三部隊の騎士達は、慌てて剣を身構えようと柄に手を掛けた。
 しかしその警戒も虚しく、兵士達の横を一陣の風がすり抜けたかと思うと、騎士の一人が呻き声をあげうずくまる。


「ぐあっ!?」


 首筋に強い衝撃が走り、首を押さえてよろめき膝を着くと、自分の身に起きたことがイマイチわからない様子でキョロキョロと視線だけを動かした。


 何事かと皆が振り返る中、また別の場所から同じような悲鳴が上がる。
 次々に首元を押さえる騎士が増えて行く中、騎士の間をすり抜ける疾風を恐れ、幾人かの騎士が、闇雲に剣を振り乱し始めた。


「うわぁぁぁ!!」
「ひっ!」


 騎士たちの応戦も虚しく、疾風は剣を正確に捉え、弾いていく。
 剣を弾かれた騎士たちはやはり首筋に衝撃を与えられ、よろよろとその場に跪く。


 最後の一人になった所で、疾風は真正面から騎士へ向かって突進し、その剣を交える。
 甲高い金属音が雪山に響き渡った瞬間、荒れ狂うように騎士の間を縫っていた疾風は止まり、代わりにギリファンが騎士の前に姿を現した。


「軽いな。お前達、ちゃんと訓練してるのか? サボってるんじゃないか?」
「っんのアマ!!」


 上目遣いで少々小馬鹿にしてギリファンが言えば、兵士は怒りを露わにし、ギリファンに向かって剣を振り下ろす。


「ケルスガー!!」


 当たれば命がない全力の一撃に、アダルベルトは思わず叫び声を上げる。
 しかし、ギリファンはその一撃を長剣で受け止め、あろうことか軽々と相手の剣を弾き飛ばした。


 剣を弾き飛ばされた兵士は、驚愕に目を見開き硬直する。
 その隙を見逃すまいと、ギリファンは兵の後ろに回り込み、腕を取ると、背中に膝を押し当て、跪かせた。


「っぐ!」


 兵士の首筋をギリファンの平手がパチンと軽快な音を立てて弾く。
 叩いた場所には手の平よりひと回りほど小さな魔法陣が張り付いていた。


「はー……もうすぐ突入の時刻だっていう頃になって余計な仕事を増やしてくれる。お前達、逃げても無駄だからな。地の果てにいようがいまいが、その魔法陣がある限り私の監視下から逃れられん。せいぜい反省しておくんだな。おい、狗!悪いがそこの錫杖と羊皮紙を持ってきてくれ」


 ポカンと口を開けて呆然とする騎士達を意に介せず、ギリファンがアダルベルトに声をかければ、同じように口を開けていたアダルベルトはハッと意識を取り戻し、言われた通り近くに落ちていた錫杖と羊皮紙へと手を伸ばす。


「ッグ?! な、なんだこれはっ!?」


 羊皮紙を手に取り、錫杖を持ち上げようとした瞬間、アダルベルトの顔は更に驚愕の表情を浮かべる。
 軽く持ち上がると思っていた錫杖はピクリとも動かず、全身の筋肉を使わなければならないほどの重さだったのだ。
 よくよく雪の下の地面を見れば、めり込んだような後がくっきりと残っていた。


 アダルベルトはフルフルと小刻みに震えながら、必死の形相で錫杖を両手に抱え、ジリジリとギリファンに近づく。ギリファンは呆れた顔で「遅い!」と一括し、アダルベルトに歩み寄る。


「そんなものも運べないとは筋肉バカが聞いて呆れるぞ。一体騎士団はどんな訓練をしているんだ」
「何……を。一体、これは、何で、出来……て、いるん……だ。金塊を、持たされ、て……いるみたいに……お、おも……」
「情けないな。ただの・・・錫杖だ。 大袈裟すぎるだろう。ああ、こいつは返しておくぞ。助かった」


 汗をダラダラとかきながら訴えるアダルベルトから、ギリファンが錫杖を軽々と片手で受け取ると、借りていた剣を突き返す。
 始終のやり取りを見ていた騎士たちは愕然としてギリファンを見つめていた。


「さて、と。七〜九部隊の担当だったところは……ああ、一階の北西か。なら、十二〜十六部隊の一部進行ルートを変更すればいいか。今呼ばれた部隊は途中で二手に分かれて北西を制圧しろ。汚染されてる人間が相手だ。人数が多少減ってもそう苦労はしないだろう。お前たちいいな?」


 トントンと錫杖で肩を叩きながら羊皮紙を見つめ、気怠げにギリファンがいえば、騎士の一人が恐る恐るギリファンの顔色を伺う。


「あ、あの、ケルスガー副団長殿、剣を嗜まれるんですか?」
「うん? なにを言ってるんだ。夢境の魔術師が元を辿れば隠密部隊だったって知らないのか? まさかお前達、魔術師が剣を全く握らないとでも思ってるのか? こいつらだって保身程度には剣を握れる。いざという時、お前達は魔術師を見捨てこそすれ、護ってくれるなどと考えていないからな。私は非力な女な上に、副団長だからこうして筋肉だけは落ちないように気をつけている。もっとも、大掛かりな魔術を使ってしまえば、体力全部持ってかれるんだがな」


 ブンブンと錫杖を振り回しながらギリファンが言えば、誰もが"非力"の二文字に疑問を抱く。
 しかしそこを深く追求してしまうと、なにか恐ろしいことが身の上に降りかかるような気がして、誰もが青ざめながら口を閉ざした。


「そろそろ魔法陣の前まで移動するぞ。ああ、そいつらに最低限の食料とテントだけは置いて行ってやれ。勝手に死なれても困るからな。判ったら全員駆け足! おら! 時間が押してるぞ! 急げ!!」


 ギリファンの掛け声に全員慌てて動きだす。
 ギリファンもその後を追えば、取り残された騎士たちは悔しげにその背を見つめていた。

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